第68話 魔よけの薬・・・改め。
話を終えしばらくした後、彼女の方から寝息が聞こえる。
どうやら寝入ったらしい。……よっぽど疲れていたのだろう。
俺はそれを確認すると身体を起こし、竈の前に腰を下ろす。
火は少し弱くなっていた。
俺は火を絶やさぬように木片をくべていく。
先ほどの魔よけの薬……あれは嘘だ。
そんな都合のいいものなんて存在しない。
……いや、もしかしたら俺が知らないだけであるのかもしれないが。
俺は鞄から先ほど魔よけの薬と偽った液体が入った瓶を取り出す。
「結構使っちゃったな」
瓶を揺らすと、中に入っている液体がゆっくりと動く。
残りは3分の1程度だろうか。
貴重なものを使用してしまった。
そう思ったが俺は首を横に振る。
「まぁでも、こうしないと……納得してくれなかっただろうなぁ」
ため息と……なんとも言えない笑みを浮かべながら俺は近くで寝ているイブキの方を見る。
彼女はきっと俺が一人で見張りをするなんて言い出したら、絶対に納得しない……まだ彼女とは短い時間しか共有できていないが、そういう性格だということは分かる。。
何としてでも見張りをやろうとするだろう。
だが……ここまで不眠不休で動いてきたイブキの身体はもうボロボロだ。
しっかりと休ませないといけない。
彼女の身体を案じた俺は彼女を休ませるために無い知恵を絞って一芝居売ったという訳だ。
俺は瓶の蓋を取り、中の液体の匂いを嗅ぐ。
ほんのり植物の甘い香りがした。
この液体は……とある植物の種由来の引火性のある粘度の高い液体。
種を大量に集め、焙煎した後に破砕させ、蒸かしたものから絞った汁である。
簡単に言えば……そう、『油』だ。
この世界……特に人の世界では油は非常に貴重なものらしい。
どうやら油に適した植物の栽培方法の確立がされていないようなのだ。
だが俺はその植物の栽培に成功している……いや、勝手に生えていたというのが正しいだろうか。
油の原料となっている植物……それはキダンの実なのだ。
キダンの実……その絞り汁は薬の素材となるものの分離を行う際に使用する。
実自体は非常に苦いのだが……種は何故かほんのり甘い香りがするのだ。
かつて俺はとある理由で油が欲しくていろんな街を駆けまわっていた。
だが油は俺が購入するには非常に高く、中々に手が出ない。
そんな折、キダンの種が油の原料となると聞いた際、自作しようと試みた。
油の作り方は街の人から聞いていたので問題はなかったのだが……やはり聞くとやるとでは全く違う。
それでも何度かの試行錯誤を繰り返すことでなんとか油の生成に成功したのだ。
出来たときはそれはもう小躍りしたものだ。
俺はその油を使用して念願であったとあるものを作ることが出来たのだ。
……唐揚げ?……それとも天ぷら?……食べ物ではない。
まぁ……その内使うことがあるかもね。
俺は再び栓をして鞄にしまう。
いずれまた油を作らなくてはいけないかもしれないな。
俺はぼんやりと炎を見ながら今後のことを考える。
この世界を改変するために……俺には何ができるのだろうか。
こうして夜が更けていく。
運が良かったのかその日、魔物の襲撃はなかった。
朝日が射しこむ。
どうやら今日も快晴らしい。
俺は大きな欠伸をした後に朝食の準備を始める。
昨日使用した鍋を川の水で洗い、水を入れ火にかける。
沸騰するまでの間に俺は川の近くを探索し、食べれるものが何かないか探す。
するとすぐに、川の中に魚が居ることが確認できた。
他にも近くに食べることの出来そうな貝を見つけた俺は、その貝を餌に釣りをすることにした。
この辺は以前にもよくやっていたのでお手の物だ。
魚を4匹吊り上げることに成功する。
俺はそれらの魚と先ほど拾った貝を手にして竈に戻った。
チラリとイブキの方を見るがまだ起きそうな様子もない。
俺はなるべく彼女を起こさないように調理を始める。
まぁ調理とは言っても貝は鍋に入れて……そして魚は丸焼きにするだけなんだけど。
貝の入った鍋に俺は昨日と同じく野菜や薬草を入れていく。
ただ昨日とは異なり、今日の出汁は貝ベースだ。次第に良い匂いがしてくる。
「う……うぅん」
どうやら匂いに釣られてイブキが目を覚ましたようだ。
寝ぼけ眼を擦りながらこちらを見てくる。
「おはよう、朝ごはん、出来てるよ」
しばらくボーっと俺のことを見つめるイブキ。
すると突然慌てだす。
「わ、私、顔洗ってくる!!」
どうやら寝起きの顔を見られたことが恥ずかしかったようだ。
しばらくすると顔を濡らした彼女が帰って来たのでタオルを渡す。
イブキは礼を言い、それで顔を拭くと俺の横に座った。
「さて、じゃあ食べようか!」
調子を取り戻した彼女は笑顔で朝食を食べ始める。
ただ昨日とは異なり、俺にも遠慮しているのかきっちり半分こだった。
いっぱい食べればいいのに。
朝食も終えて、のんびり共に片付けをしていると彼女が口を開く。
「昨日は……眠れたかしら?」
その顔は何処か心配そうな……それでいて俺のことを試しているかのような表情だった。
「ん?あぁ……よく眠れたよ。魔よけの薬が効いたみたいだね」
そう言いながらチラリと俺は昨日油を垂らした地を見る。
油が燃えた跡はほとんど消えており、うっすらと焦げ跡が残っているだけだった。
すると彼女は腕を組み、呆れたようにため息をつく。
「あの油にそんな効果があったなんて私知らなかったわ」
俺はドキリとしてイブキの方を見る。
彼女は何とも言えない笑みを浮かべていた。
「……知ってたのか?」
彼女は黙って首肯する。
「人の世界では分からないけど……魔界ではあの油は一般的な物よ。揚げ物なんかによく使うわね。……それを魔よけの薬とか意味の分からないこと言ってばら撒いてた貴方を見て……何をしてるのかと思ったわ」
俺は昨日のことを振り返る。
あの油をイブキは知っていた?
そう思うと……昨日の自身の行動が非常に滑稽に思えた。
凄く、恥ずかしい。
俺は紅潮する頬を両手で抑える。
「だけど……その後に……貴方の魂胆が分かった。私を気遣ってくれてるんだって。そう思うと嬉しくて……折角だから甘えさせてもらったの。……ありがとう」
そういって特大の笑みを浮かべるイブキ。
その表情は朝日に映えて可愛らしく、そして美しい。
俺の頬は、今度は別の理由で紅潮していた。
「ならもっと早くいってくれよ……人の世界だと油は貴重なんだよ?もったいなかったなぁ」
俺ははぐらかす様に呟く。
彼女は何かを察しながら俺の顔をのぞき込んできた。
その顔は酷く二やついていた。
「もしかして……照れてる?」
「断じて違う!……早く片付けて出発するぞ!」
俺は先ほどとは打って変わり、せっせと片付ける。
彼女は相変わらずニヤニヤしながら俺の手伝いをしていた。
「ねぇ、シリウス?」
彼女が呼びかける。
「……どうした?」
また俺をからかうのだろうか。
「もし、貴方の夢が叶ったのなら……魔界の油を人の世界に売るなんてことも出来るのかしら?そうすれば魔界も潤うし、人の世界にも油を流通させることが出来る」
俺は腕を組み、考える。
正直な話貿易のことなんか分からない。……分からないが
「……そうだな。そういったことも出来るはずだ。殺し合いではなく、助け合える世界。俺はそんな世界にしたいと思っている。……ちゃんと手助けしてくれよ?」
俺の答えにイブキが笑い、頷く。
少し、未来が明るく思えた。




