第59話 前魔王の娘イブキ。
「ちょ……え?」
俺は思わず聞き返す。
ちなみに手は握られたままだ。
「だから、私はイブキ・ドレッドノート。鬼人族で……前魔王ゲレルス・ドレッドノートの娘よ」
前魔王。
彼女はそう言ったのだ。
俺はしばらくの間思考を停止し、そして。
「えぇぇぇぇぇぇ!!!」
この山全体に響き渡るほどの声を上げた。
「先ほどは取り乱してしまい、すまない。どうぞ」
俺は家の中に彼女……イブキを招き入れ、来客用の茶を淹れる。……まぁ今まで客なんて来たことがないけど。
ちなみにフロルら魔犬達は再びこの山を警護をしてもらうことにした。
彼女は椅子に行儀よく座り、茶を受け取る。
「ありがとう。……いい匂いね」
彼女は匂いを一つ嗅ぐと、茶を口に含む。
「それに……美味しい!こんなの魔界じゃ飲んだことないわ!」
どうやら俺の茶は好評のようだ。
思わず笑みが零れる。
「ありがとう。その茶の素材はこの辺りで採れる……とその話はまた今度にして、と」
危うく素材の蘊蓄を語ってしまうところであった。
なんでか分からないけど、こういう時って大体引かれるんだよね。
俺はコホンと一つ咳をすると彼女の対面側の椅子に腰かける。
「君は……魔王の娘である君は何で一人でこんな場所に来たんだい?」
机に置いていた砂糖菓子を口にしながら尋ねる。
彼女はそれを指をくわえて見つめていた。
どうやら彼女も食べたかったようだ。
俺は砂糖菓子を一つ手に取り差し出すと、彼女はそれを受け取り、嬉しそうに頬張る。
「これも美味しい!……さっきも言ったけど、正しくは前魔王ね。今は違う魔族が魔王をやっているわ」
俺が一つあげたことでタガが外れたのか、山の様にあったはずの砂糖菓子があっという間になくなっていく。……一日の訓練の楽しみにしていたのに。
「私は……そう、人の世界に来たはずのお父様を探しに来たの」
彼女はこれまでの経緯を話し出す。
彼女の父、ゲレルス・ドレッドノートはかつて魔族の世界の王であった。
魔族の中で誰よりも強く、そして偉大な王であったという。
しかし、彼女が生まれる2年前程前に魔族の世界……魔界から姿を消した。
『魔王としての仕事を果たしに人の世界へ行く。』との言葉だけを残して。
それから17年。未だ魔王は戻ってきていない。
魔王が消えた後の魔界は……新たに魔王の座に就こうとするもの、そして未だゲレルスの帰還を望む者との争いで混沌を極めようとしていた。
だが……魔族の世界にも現れたのだ。
かつてのゲレルス以上の力を持つ……それこそ人の世界での勇者に匹敵するほどの存在が。
皆が認めた。彼こそが新たな魔王であると。
「だけど……あの魔王……政治とか全く興味ないみたいで何もしないのよ!全く……あぁーもう!思い出しても腹が立つ!!」
イブキは口を膨らましてプリプリと愚痴を零す。
新たな魔王であることを認めてしまった手前、口出しできない各魔族の種族長達は考えた末、結論を出す。
優秀な魔王であったゲレルスを探し出し、副魔王として働いてもらおうと。
「なんだよ、副魔王って」
そこは側近とかではないんだな。
「私にも分からないわ。多分……勝手に魔王の地位を降ろしてしまったことに負い目があるんじゃないかしら、みんな」
なんだろう。
意外と平和なのかもしれないな、魔界も。
さて、人の世界でゲレルスを探すことが決まったことで大事になるのはその人選である。
その人選においての必要事項は……
一つ、人の姿に酷似していること。
一つ、何かあっても対処できる力を有していること。
一つ、ゲレルスのことを知らないこと。
「ん?最初の2つは分かるけど……最後はなんでなんだ?」
普通であれば彼のことを知っている人物が探しに行くべきだろう。
俺の言葉にやれやれといった具合にイブキは肩を竦める。
「お父様に怒られると思っているのよ。自分が居ない間、碌に統治も出来ないのかって。それが嫌だからお父様のことを知らない人物なんだって。その条件が当てはまるのが……私だったってわけ。……実の子だったら説得もしやすいとかなんとか理由をつけて。……あの吸血鬼め」
どうやら彼女は相当な苦労人のようである。
なるほど、ある程度事情は理解できた。
「それで……君が人の世界に来たと言う訳か」
俺の言葉にイブキは首肯する。
「私もお父様に会ってみたかったから了解したわ。それに……魔界の人は皆、勇者の存在を恐れている。1人でも脅威のはずの勇者……それが4人も現れたと聞いて。……私は偉大なる前魔王の娘よ?魔族存亡の危機なら、身体を張ってそれを阻止してみせるわ。……だけど」
彼女は自身の身体を抱きしめるとブルッと震わせる。
「人の世界が……怖くなってしまった。人の世界は……徹底しているのね。私が魔族と気づくや直ぐに兵士たちが押しかけて……私は必死に逃げた。朝晩関係なく、飲まず食わずで……。心細さに泣きながら……ね。これで魔王の娘だなんて……笑っちゃうわよね」
彼女は自嘲気味な笑みをこぼす。
そしてしゃべりすぎて喉が渇いたのか、机の上にある茶に手を伸ばす。
俺は伸ばされた彼女の手を無言で持ち、両手で握る。
「それは違うよ、君は誰よりも凄い。だって魔界を飛び出してまで魔族の為にここまで来たんだろ?俺はそんな君の『勇気』を尊敬する」
素直に凄いと思った。
俺とそれほど年齢が変わらないはずの彼女が、単身で敵国に潜入したのだ。
他者の為に。
彼女は自身のことを卑下していたが……彼女の精神は誰よりも気高いと感じだ。
……彼女の力になりたい。
握った手に力が籠る。
「あの……その……どうも」
気付けばイブキの顔は茹蛸の様に真っ赤になっていた。
俺は慌てて手を離す。
「ご、ごめん。……そ、それで……こうして無事に人の世界に来た君はまず何をするんだ?全く手掛かりがないって訳でもないんだろう?」
恥ずかしさをごまかす様に話題を変える。
彼女も同じ気持ちだったようで話に乗ってくれた。
「え、えぇ。まずは……人の世界に居るはずの竜王『ティアドラ様』に会おうと思ってきたのだけれど……この山かと思ったんだけど、どうやら違うようね」
そういって彼女は残念そうな表情を浮かべる。
竜王ティアドラ。
彼女はもう、いない。




