第46話 仮初の平穏。
家に戻ってからの日々の修行は激化していた。
朝からのティアドラとの稽古も今まで以上に苛烈になり、生傷が絶えなくなる。
いつもは午前中に曲刀の稽古、昼からは薬作り、研究といった毎日であったが最近はもっぱら日が傾くまで稽古を行い、薬作りは夕食後に眠気を感じながら行っていた。
勇者が誕生したということもあり、彼女も思うところがあるのであろう。
そんな彼女に応えたいという思いで俺は必至に食らいついていく。
正直回復薬がないと辛いところだった。
気絶しそうになる痛みを必死に耐え、回復薬を飲むことで無理やり身体を回復させていた。
帰ってきて1月程経ったときだろうか。
「……それでは今日は稽古は休みにしようか」
ティアドラが稽古の休みを打診してくる。
「……で?代わりに何をさせる気なんだ?」
こういうときの魂胆は分かっている。
大体彼女が甘やかしてくるときは何かお願いごとがあるときなのだ。
彼女は参ったというように自身の頭の上に手を置きながら、もう片方の手で薬を差し出してくる。
「うむ。その心意気や、よし!じゃな。……今日はこれをアラズマのベネラの所まで売りにいってくれぬか?」
俺は黙ってそれを受け取った。
丸薬を開発した1年ほど前から俺はこうしてたびたび彼女からの依頼を受け、各地の街に薬を売りに言っている。
その際には速度強化の丸薬を飲み、自身が出せる最高速度での配達を行っているのだ。
そうすることで自身の脚力のトレーニングはもちろんのこと、森の中で最高速度で駆け抜けれる動体視力を鍛えているのだ。
ティアドラ曰くだが俺のコミュ障の改善も目的としているらしいが。
それは置いておいて。
「ベネラさんのとこだったら……往復で7時間くらいかな?それ終わったら今日は自由?」
前にも言ったが丸薬だと飛躍的に能力が向上する。
速度強化の丸薬だと徒歩で数日かかる移動距離であったとしても、わずか数時間で移動することが出来る。
まぁもちろんティアドラの転移魔法で行くのが一番早いんだけどね。
「うむ。偶にはゆっくりするといいじゃろう」
『いつもだったら帰ったら家事をするのじゃ!』とか『夕飯を豪勢にしてくれ!』とか言ってくるのだが今日は機嫌が良いようだ。
「お、じゃあ帰ったら丸薬作りを手伝ってくれないか?あと圧縮機の試作機についても相談したい!」
以前から圧縮機の構想は考えていた。
そろそろその試作機も作ってみたいと思っていたが、彼女の意見も聞きたかったのだ。
彼女は頷くとほほ笑む。
「ふふふ。休みじゃと言うのに、お主はほんとに薬のことが好きじゃのう……。うむ、今日は薬作りに励むとするかの!」
彼女の言葉に俺は満足して頷くと早速配達する準備を行う。
「あ、そうだ。今日はどのくらいの額で売ってくればいい?」
俺はつま先をトントンとしながら靴を履く。
師匠を見習って俺もそれなりに交渉術が身についてきている気がする。
悪い意味なのかもしれないが。
いつもこうして彼女の希望金額を聞き、それを目標にして交渉しているのだ。
「ん?……そうじゃのう……まぁ、出来る限り高く売ってくるのじゃ」
守銭奴の彼女にしては歯切れの悪い、控えめな意見だった。
少し疑問に思ったが、まぁそういう日もあるかと思い、俺はベネラの所へと向かうのだった。
帰ったら久しぶりに彼女と一緒に薬作りが出来ることに浮かれていたのかもしれない。
だから俺は気づかなかった。……気づくことが出来なかった。
……俺が彼女に薬を売る金額を尋ねたとき、彼女がとても悲しそうな顔をしていたことを。
俺は丸薬を飲むや否や全力で駆け抜ける。
最初は道に迷ってティアドラの救出を泣きながら待っていることもあったが……それもいい思い出だ。
今では慣れたものだ。採取がてら簡単ではあるがこの山の地図……のようなものを作成している。
こういう地図には方角を書き、方位磁針のようなもので自身の位置を確かめるものだとは思うのだが……今の俺には必要ない。
「お、右の方からマースールの花の匂い……距離的にもう少し左だな」
俺はそう言いながら紙を広げる。
そこにはこの山の絵と、どの位置にどのような素材が生えているかを示した……分布図が書かれている。
そう、俺はこの分布図を地図代わりにしているのだ。
森には獣が通ったであろう道があるのだが俺はわざと気が鬱蒼と生い茂る森の中をジグザグに進んでいく。
こうすると瞬発力のトレーニングになります。
薬の効果が切れたら倒れそうになるのを堪えて回復薬の丸薬を飲み込む。
「ふぅー……」
俺は額に流れる汗を拭きながらこれまでの訓練を思い出す。
自分でも成長したものだと思っている。
丸薬を開発したときはここまで早くそして長く動くことが出来なかった。
すぐに体力が付き、筋肉が限界を訴え、効果が切れる前に気絶していた。
俺はまだ13歳だ。これからまだまだ身体も成長するだろう。
こうしていればいつか……彼女に追いつくことが出来るのだろうか。
俺はそんな未来を信じ、ベネラのいる街へと向かうのだった。




