統王、食卓にて語る
食事が始まった途端、食堂を満たす騒がしさは倍になった。
妻同士の雑談の声、子供の加減無しの声、食器の音、全てが重なり合い天井から壁までを覆っている。
しかし、予想してはいたがやはり統王は全く気にしていない。
ただの日常を受け止めるかのように、平然としていた。
クロスもそれに倣い、出来るだけ平静に、ナイフとフォークを持った。
魚の身を切り分けて持ち上げると、断面には鮮やかな赤色の層ができていた。
口に運んだ瞬間に感じたのは、強い芳香。辛味だけではない。むしろ、辛味は見た目ほど強くはない。
香草とスパイスのコクに、濃厚なバターの香りと魚の風味。淡白な川魚の味を消さず、調和の一つとして融合させる絶妙な味付けだ。
旨味と汁が絡んだパンも、元々の強い香りにしっかりと芯のある風味が補強されている。
王に作ってもらったのを差し引いても、実に、純粋に美味い焼き魚であった。
「すごい美味しいですねコレ」
思わず口に魚が入ったまま喋ってしまう。
そのような無作法も、この光景の中ではむしろ溶け込んでいた。
「そりゃそうだ。俺も美味いと感じてるからな」
統王はにこやかな笑みを湛えながら、ゆっくりと静かに、淡々と食事をしていた。
青春を過ごした指揮官生活の中で、冷静を保ちながら食事をする習慣が身に付いたのだろう。
次々と、クロスは料理に舌鼓を打っていく。
付け合わせの茹で野菜も新鮮で、シチューには円熟したコクがあった。
「あの」
料理に夢中になっていると、横から声をかけられた。
目を向けると、そこに立っているのは14歳か15歳ぐらいの少女。
薄い黄色のドレスを着たゴン・ガンクの女の子の、まだ小さな角には白い紐が結んである。
あどけなさの残る顔には朱が差し、微笑みには薄い羞恥が張られていた。
「その、初めまして。テレミラと申します」
恥ずかしがりながら、初々しい礼をする。
クロスの方も、食事を中断し、体を向けて丁寧に礼を返した。
「どうも、初めまして。クロス・フォーリーズです」
遠くの方でキャッと数名の少女が黄色い声を上げた。
その意味に気付いたのはクロスではなく、統王の方であったが。
「あの、フォーリーズさん。魔女協会からいらしたんですよね?」
「ええ、各地を回って、魔女たちに手紙を届ける任務についています」
少女はうなじが見える程度の短髪の毛先を、指でくるくる回し始める。
どうやら、緊張している時の癖のようだ。視線も定まっていない。
「テレミラ、まず深呼吸して、ムラサキカラシの味を思い出しなさい」
統王がそれに助け舟を出した。
小さく頷いてから、助言の通りに深呼吸をし、数秒瞑目。
それから開かれた目は、もう泳ぎはしていなかった。
固さや羞恥は残っているものの、揺らいではいなかった。
「私のお母さんは、もともと魔女で、でも結婚するときに辞めたんです。だから、その、魔女ってどういう人たちなのか知りたくて」
統王は四人の元魔女と結婚している。うち一人とは既に離縁したが、子は母親が引き取ったはずだ。
「あなたの母君はどちらに?」
問いかけに対し、テレミラは席の一つに視線を向ける。
その先にいたのは、フランド・デーマの民族衣装を着た細身の女性だった。
心配そうに娘を見守る物腰は確かに母親然としているが、目元にほくろのある美しい女性だ。
クロスと彼女は目が合うと、微笑みながら会釈までし合う。
それから、再びテレミラと向き合った。
「私も、全ての魔女と会ったわけではありません。魔女がどういった方々なのか、私とて勉強中なのです」
少し残念そうに視線を伏せかけるテレミラだったが即座に「でも」と続いたため、視線を合わせた。
「私は彼女たちが幸せになるべきだと思っています。多くの魔女たちは、不幸を背負うからこそ魔女なのです。孤独で、傷付き、激しい感情に苛まれる女性たちが、私どものところに行き着きます。あなたの母君も、かつてはそうだったかもしれません。人生には悲劇がつきものです」
不安げに眉をしかめる少女に、クロスは改めて笑いかけた。
「しかし今の母君に、私は必要無いでしょう。あなたが居て、とても幸せでしょうから」
テレミラに笑顔が戻った。彼女ははにかんだままもう一度礼をすると、ぱたぱたと自分の席へ戻っていく。
「気に入られたな」
からかうような、だが満更でもないような声。
パンを千切る手は止めないまま、統王はテレミラと彼女の母親に小さく手を振った。
「テレミラの母親は元"春の魔女"でな、王都で娼館を開いていた。店自体は今もあるが、魔女になる前の話は俺にすら話してくれない」
「テレミラ嬢は、娘さんですか?」
「ああ、18番目の娘だ。内気だが勇敢な娘でね。誰もが躊躇し二の足を踏んでいる時には、怯え震えながらも自分から一歩を踏み出して皆の先駆けになるような子だ。将来は魔女になりたいと言っている」
「そうだったんですか。しまったなあ、もっとちゃんとしたことを言えば良かった」
「いや、あれでいい」
話しながらも、食事の手は止めない。
「クロス、女好きには大まかに言って二通りある。愛が多い者と、誰も愛していない者だ。大体は後者の方だろう。どういうことかわかるか?」
「いえ」
「女性を物としかみなしていないということだ。人とは認識していても、その女性性を見ていない。故に、女性らを蒐集物か単なる現象か本能の結果としか捉えていない。自覚ある者は自らに規則を課して律するが、それでも容易く女性を傷つけ、そのことに気付きもしない。俺の父がそういう男だった」
声色に怒りはなく、ただの歴史を語るような、静穏な口調だった。
だが、言葉は辛辣であった。
「わかりやすい例がある。600年ほど前だが、セーバーノーツと双角族を束ねる王がいた。名はバルシェガ・イニセアン、またの名を"偉大なる広野王"。当時の魔界でも五本の指に入るほどの強国の王で、側室がなんと150人もいた」
「ひゃくごじゅっ!?」
150人とは、魔女協会に所属する魔女名持ちに匹敵しうる数だ。
それだけの人数の妻を迎えていては、その全てを愛し抜くなど出来ようはずもない。
「愛してもいないのに、美しいというだけの理由で集められた女たちだ。彼女らの殆どは、初夜以降広野王に会うことすら出来なかった。処女を買い付けられ、その後は贅沢暮らしという檻の中に幽閉され、傅く女官や使用人らへの優越にささやかな慰めを見出す日々。たった一度の同衾で孕まなければ子も持てず、夫とも会えず、臣からはひたすら畏まられるのみで、変わり映えのしない景色の中に閉じ込められる。愛に飢えるのは当然であろうが」
「と、なると……」
「当然、不義が横行しまくった。どうやったのかは知らないが外に男を作り、逢瀬を繰り返し、あまつさえ間男との子を孕む者が続出した。その度に堕胎医がこっそり出入りしていたとも言われている」
後宮、と呼ばれる場所ではよくあることだ。
心を折られる前に叩き込まれた特殊な閉鎖空間と社会には、順応しようとはしない。
それは現界も魔界も同じであった。
「広野王はそれを知ると怒り、不義を働いたとされる女たちの顔に傷をつけた。奴は裏切りが許せなかったのだ。奴にとっては、蒐集した所有物が自らの意思で反逆し、他者の手へと駆け込んだに等しい。まあ、怒るだけまだ人間味があってマシとも言えるがな」
クロスはただ話を聞いている。
疑問も感想も抱くことなく、ただ話の中身をそのまま受け入れていた。
「なあクロス、お前は頭もいいし、物腰も落ち着いている。顔も美形で、女たちにモテることだろう。だがクロス、愛はとことん貫け。愛すると決めた者全員と向き合うんだ」
しかし、統王の表情は今日見た中では最も真剣だった。
そこにあるのは「英雄色を好む」という通り一遍軽薄さではなかった。
この表情一つだけで、彼はここに集う妻たち全員を心の底から愛しているのだと確信できた。
そのような相手と、いつか出会えるのだろうか。
幾つもの統王の恋愛譚を思い出しながら、クロスは漠然とした想いを抱いていた。
「ま、俺もまだ正室を置いてはいないのだがな」
「えっ、第一夫人のエレカンド王妃は違うのですか?」
「エレカンドは最初の妻だが、正室ではない。王妃というのは民衆が勝手につけた呼び名だ」
そう言いながら統王が指差した先には、まさにエレカンド第一夫人がいた。
隣の第五夫人と余程面白い話でもしているのか、大口を開けて笑う、まつ毛の長い女性だ。
統王よりもずっと年上に見えるが、実際は10も年下である。
「いい奴だ。マンマート豪族連合と戦ってる俺を父が更迭しようとした時、体を張って命令を取り下げさせてくれた恩人だ。愛している。だが愛だけでは、正室という地位と責任は全うし切れない。ここにいる妻たちには、重すぎるのだ、統王の正室という立場は」
「皆さん、そのことは了解してらっしゃるんですか?」
「一人一人と、納得いくまでじっくりと話した。わかってくれていると信じているよ」
ここまで聞いて、一つの推測が浮かんだ。
空位の正室、その責任の重さ、そして自分をここまで手厚く遇し、あまつさえ妻たちにも顔合わせと紹介をする。
その動機は、もしや。
そう思って視線を統王へ向けると、彼は口の両端をわざとらしく吊り上げて、笑んでみせた。
やっぱりだ。
「統王様、その、もしや」
確信はしているが、実際に確かめねば気が済まない。
可能な限り声を潜め、顔を寄せて話しかける。
「お師匠様を、正室に迎えるおつもりで?」
その問いに、統王はただ一度だけ、こう答えた。
「君は本当に賢いな」




