統王30分クッキング
「王都で手に入るパンは大まかに分けて八種類だ。小麦の薄焼きパン、小麦の紡錘形パン、バオ麦の粗挽きパン、バオ麦と小麦のパン、アビトウモロコシのパン、グンデ豆のパン、グンデ豆と粗挽きバオ麦のパン、カパナティとも呼ばれる無発酵の固焼きパン。グンデ豆は豆と呼ばれているが、実際の品種としては小麦に近い。古代スロヴ語を共通語に翻訳する時の都合で、豆と表記せざるを得なかったらしい。味は淡白だが香りは良くて、魚料理にはピッタリだ。好きな魚は何だ?」
「タリン、です、けど」
「川魚か、スロヴ人が好んで食べていた種類だ。なら煮るより焼いた方がいいな。辛めに味付けするが大丈夫か?」
「大丈夫ですけど、その」
「統王様が調理なさるんですか?」
後宮の調理場。数十名が立ち働き、熱気渦巻く場所に二人は立っていた。
しかも、統王は粗末な雑役服を身に着けて。
「王子だった頃は、毎日野営続きだったからな。小勢の散兵を率いているうちに、自分の食事は自分で作らないと気が済まなくなってね。ゴン・ガンク族では鍋の管理は指揮官の役目で、俺が全員分の食事を毎食作ってたんだ」
魔界では「ゴン・ガンクの指揮官を狙いたければ鍋を撃て」と言われるぐらい、この文化は浸透していた。
常に大鍋を背負い、時にそれで矢を防ぎ敵を殴る様は幾つもの記述や絵画にも表れている。
ゴン・ガンク六家のひとつナーガ家の旗印には、まさに大鍋が描かれており、標語にすら「小鍋に大瓜無し」と掲げているほどだ。
だとしても彼ほどの男が、清潔だが粗末な服に身を包んで調理場に立っている様は、実に奇妙であった。
「昼飯と晩飯は今でも自分で作ってるぞ。朝は朝議があるからできないがな。おいバッチ!」
調理場の奥に向かって大声で呼びかける。
直ぐさま、同じような大声で「へい親方!」と返ってきた。
クロスからしてみればそのやり取りだけで驚きであったが、統王本人は全く気にしておらず、当然のように大声で会話を続けた。
「タリンはあるか!?」
「あー、今朝獲れた良い奴が入ってやすけど、女官の賄いに回す予定で」
「客人がタリンをご所望だ、人数分こっちに回してくれ! クジラ肉はそっちで使ってくれていいぞ!」
「マジすか! ありがとうございやす!」
やり取りの後、魚が満載された箱を持って、小柄だが恰幅の良い女性がえっちらおっちらと奥から姿を現した。
「クロス、紹介しよう。賄い婦頭のバリンチ・クーニッツだ」
「バッチでええがすよ親方! はいこれ!」
どすん、と箱が床に置かれる。
女性だったのか、と思いながらも、クロスは「どうも初めまして、クロス・フォーリーズと申します」と自己紹介した。
小柄で男声、褐色の肌、妙な訛り、だが彫りは深くない。恐らく、魔界のセーバーノーツと何かの混血だろう。
「ちなみに、俺の孫だ」
クロスは、目玉が飛び出んばかりに目を見開いた。
国主の孫娘が賄い婦をやってる宮殿など、聞いたことがない。
だがバッチも「あはは」と笑うばかりで一切否定しない。その笑いは、むしろ肯定ですらあった。
「こんな程度でいちいち驚いてちゃ身がもたねえすよ坊っちゃん! この宮殿はそんなんばっかなんすからね」
「政略結婚をさせないと明言してあるからな、子や孫には自由な場所で自由に仕事をさせている。当代の"海の魔女"も俺の十一番目の娘だぞ」
「へ、へえぇ、それはまた、なんとも」
「それより料理を作るぞ。手伝ってくれバッチ」
「ええがすよ親方」
状況を飲み込みきれないまま、料理が始まった。
まずはウロコを剥がす。姿焼きにするからな。
包丁の背で擦ってもいいが、ここはウロコ剥がし用の道具を使おう。
ミートハンマーに似てるだろ? 俺の発明品だ。突起の曲線に工夫があって、ウロコと逆向きに擦ってやると、ほら、あっという間に全部剥がれる。
人数分の魚のウロコを、まずはこいつで全部剥がすんだ。
人数か? 妻が28人、子が18人、孫が21人、あと俺と君の分で計69尾だな。
ほら、へばってないで次行くぞ。次は腹を開いてワタを掻き出して、中を流水で洗う。
バッチが腹を開いて俺が掻き出すから、君はその柄杓で、こう、水を腹の中にかけ流してくれ。
そう、そうだ、もう少し勢いよくかけてくれ。よし、それでいいぞ。
いちいちへばるな。次は胸ビレを切り詰める。
タリンは長い胸ビレを川底に引っ掛けて姿勢の維持を補助する魚だが、このヒレは焼くと開いて邪魔になる。
だから、切り詰める。包丁ではやりづらいから鋏を使うぞ。
この作業はすぐ終わるからバッチに任せて、俺たちは次の工程だ。
魚の腹に入れるペーストをこれから作ろう。
まずはガミカラシの種とオウカンカミの種をすりこぎで潰してくれ。69尾分だから、結構時間がかかるぞ。
その間にこっちはモルトンとフバナの葉とオレノクニンニクと乾燥させたベリー2種を刻んでおく。
涙が出るだろうから、この布巾を使え。防ぐためじゃない、拭くためのものだ。
お、目が赤くなってきたな。サーク果汁を混ぜた蒸留水があるから、それで目を洗うといい。
沁みるような痛みが最初は走るが、後はすっきりと痛みも痒みもなくなるはずだ。
全部できたら、刻んだ材料をすりこぎに入れて、潰しながら混ぜる。
そこに水と塩を少量加えて、小麦粉も少し加える。全体の量が多いから、少量には見えんがな。
あとはどんどん練っていくぞ。
よし、そんなもんでいいだろう。このペーストを匙一杯分とって、一尾の腹の中に満遍なく塗る。
ゴン・ガンク族は辛味が好きでな、辛子を使った料理がいくつもある。
魚の身に塗り込めば寄生虫対策にもなるし、ダキ穀と合わせてうまく漬け込めば保存食にもなる。
兵糧にするなら、茹でて辛さを抑えた料理にしておくがな。
クロス、戦で最も重要な物資はなんだと思う?
話の流れを読んだな。残念だが違う、食料は重要だが、最重要とは言えない。
最重要の物資は水だ。食料は無くなっても2日は兵を動かせる。動かさずに留め置くだけなら5日は保たせられる。
だが水が無ければ、兵を動かせるのは1日だけ。気候や装備や地形によっては半日と動けんだろう。
汗をかかぬよう待機状態にしていても、保つのはせいぜい2日だ。
食料の重要性は、大体3番目ぐらいだな。2番目は靴だ。
戦の形を変えた武器は数多くある。弓矢、弩、投石器、魔沸砲、様々だが、どれをも超えた最強の武器は、足だ。
足は体を支え、移動の基本になり、易々と起伏を乗り越え、踏ん張り、素早い方向転換を支援する。
しかも多くの者が生まれながらに具えており、鍛錬で機能を強化することが可能で、そうそう失くしたりしない。
靴で保護してやれば、それらの機能を完全に引き出せる。ごく当たり前だが、それ故に重要だ。
悪い靴は軍の機能を下限なく落とすだろう。魔女協会の研究によれば、病の原因にもなるらしい。
武器は、大体13番目ぐらいか。
実際のところ、武器というのはそれほど重要ではない。時代が進めば更に順位は落ちていくだろう。
十分な訓練、満ち足りた水と食料、優良な靴、暖かい寝具と幕営に、防虫の敷物、確実な情報、正しい戦略、戦うべき理由、心を委ねられる防具、信頼性のある医療。
これらが揃ってさえいれば、武器というものは路傍の石ころで事足りる。
逆に言えば、武器に頼るのは戦略性と政治力の放棄とも言える。強力な武器は他の要素の不足を補い得るが、必要条件ではない。下手をすると我が身を滅ぼすしな。
時代が進んで技術力が上がれば、武器以外の必要条件は満たしやすくなるだろう。
そうなれば、強力な武器など必要としない局地的戦術が主流となっていくはずだ。
結局、戦うのは人間なんだからな。
よし、出来たな。後は×型の切れ込みを入れて、竃で焼く。
魚に火が燃え移らん程度にしっかり薪を差し込んで、強めに炙るぞ。
一度にたくさん焼くから、魚の位置をこまめに入れ替えておくのを忘れずにな。
ある程度火が通ったら一旦取り出す。目安は、切れ込みが少し開いたぐらいだ。竃の中の空気を少し抜いておいてくれ。
取り出した魚は薄い皿型のグンデ豆のパンに乗せて、少し開いた切れ込みの上にバターを乗せる。
で、後は竃から薪を抜いて、灰と余熱でじっくり焼き上げる。バターが全部溶けてから5分も待てば完成だ。
「出来たぞ。ゴン・ガンクの伝統的な魚料理"カヤング・ナークライラ"だ」
竃から現れたのは、香ばしく焼け上がったパンの上に乗った焼き魚。
表面はバターと魚の脂で輝き、それらと辛味の混じった汁がパンの上まで溢れている。
刻んだ香草の匂いは、火を通すと辛子とバターの香りと調和し、味わう前から食欲を刺激した。
ワタを除いたおかげか臭みも無く、旨味の染みたパンだけでも一食になりそうなほど芳醇だった。
「魚を皿に移して、パンは二つ折りにして同じ皿に乗せる。付け合わせの茹で野菜も添えておけば、昼食の完成だ。スープは朝食のシチューの残りに、赤ネギと無核玉菜とボルター穀醤を足して済ませよう」
いつの間に用意していたのか、付け合せの野菜やスープまでドカドカと出てくる。
そのどれもが温かく、実に美味そうであったが、王の献立としては質素に見えた。
そのことを指摘してみると「食い切れん量を作っても仕方なかろうが」と即座に返ってきたが。
「それより冷めんうちに食うぞ。食堂に運ぶから手伝え。バッチは皆に報せてきてくれ」
「は、はい」
「あいさ!」
返事を聞きながら、天井から伸びる縄を引く。
それから少し経つと、使用人服をまとった女官たちがぱたぱたと駆けつけてきた。
彼女らに料理を運んでもらい、クロスはその手伝いをするのだ。
女官たちはクロスを見ると、後ろの方でくすくすと笑い合って何事かを囁いていた。
「俺は着替えてくるから、食事を運んでくれ」
だが統王の下知あれば、全員が恭しく礼をして任務に取り掛かり始めた。
クロスも髪の毛が混ざらないよう帽子を被せられ、一人分の食事が乗った盆を抱えさせられる。
女官たちは手慣れた様子で一人が最低二盆を持ち、その上で自慢げな視線をクロスに送ってきた。
なんだか、恥ずかしいな。
原因不明の恥ずかしさにどぎまぎしながら、さっさと料理を運ぼうとする。
女官たちも準備ができた者から順番に繰り出していくが、不思議なことに、廊下に出た瞬間には、彼女らは秩序だった列を成していた。
クロスもその列の一部として行進するのだ。彼女らの囁くような笑い声を聞きながら。
「さ、昼飯にするか」
食堂に到着すると、既に一同揃っていた。
二つの長卓にずらりと並んだ28人の妻、18人の子、21人の孫、1人の夫だ。
統王は先ほどの雑役服とまではいかぬものの、より平服に近い簡素な姿に着替えていた。
「今日は客人がある。魔女協会から来た"シリネディークの弟子"ことクロス・フォーリーズ氏だ。ほら、俺の隣に座るといい」
「どうも、クロス・フォーリーズです。よろしくお願いします」
自己紹介も既に手慣れたものだ。
勧められた場所に自分の料理を置き、名乗ってから席に着く。
統王の家族たちは、上品に会釈を返す者、視線だけ伏せて済ませる者、母の腕に抱かれながら楽しげに手を叩く幼子など、様々な反応を見せた。
統王はそれを咎めることもなく、クロスも驚きはしていなかった。
何故なら、全員の格好、衣服がまちまちだったからである。
ドレスに身を包む高貴そうな出で立ちの女性がいたかと思うと、二人の赤子を腹と背中に括り付けて支える平服の美女もいる。
黒いローブを身に着けた魔女や、ついさっきまで運動していたような汗まみれの着崩した少年、露出の多い民族衣装に身を包んだハールーン人の女性。
果ては庭師にしか見えない女性、全身白絹の真っ白なドレスを着た褐色の少女、豪奢で派手な立襟のドレスを着たまま赤子を抱く壮年の美女と、とにかく統一感の一切ない食卓だった。
種族も様々で、現界人、アーゲルン人、スロヴ人、エルフ、セーバーノーツ、双尾族、ゴン・ガンク族、タウミラン、双角族と、わかるだけでこれだけの人種が揃っている。
見たことも聞いたこともないような人種の者も、多々いるようだ。
それに、総勢で69人というのは「一人で料理を食べられる人数が69人」であって、実際にはかなりの数の幼子がいるようだ。
幼子を抱える女性らの後ろには乳母や子守まで控えており、それら全てを含めると100人は超す人数が会している。
それだけいれば、食堂は常に静寂というわけにはいかない。子供らの声と、それをあやしたり微笑みかける女性らの声が常に渦巻いており、統王は必ず声を張らねばならなかった。
各人の手元のグラスにそれぞれ好みの飲み物が注がれる。クロスのグラスには灰起き蜜柑と蜂蜜のジュースが注がれた。
灰起き蜜柑はネディーク地方の特産であり、クロスの好物でもある。アッサルートが伝えておいていたのだろう。
続いて、盆に被せられていた蓋が取り払われると、そこかしこで子供らの歓声と母親らの猫なで声が響いた。
「では、乾杯!」
統王が乾杯を宣言し、グラスの縁をフォークの背で軽く叩く。
続いて同席者らも倣い、クロスも慌てて追従した。
乾杯の合図は食事開始の合図でもある。
部屋中に響き渡る甲高い重奏によって、ついに昼食が始まった。




