統王、未だ黙さず
「魔女協会と魔道士会は両輪の学術集団だ。右足と左足と言ってもいい。喧嘩ばかりしちゃいるけどな」
「"石の魔女"さんが、その、すごい上奏文を送りつけたとか」
「ああ、アレな、物凄かったぞ。魔道士会評議の誰より魔道士会の歴史と業績について詳しくこき下ろしていてな、緻密な構成に入念かつ激しい語彙、かなりの教養と事前調査がなくばあれ程の文章は書けまい。つい統世史書に残そうかと思ったほどだ。彼女には会ったのだろう? どのような人物だった?」
「口は悪かったですけど、激しくて、勇敢で、それでいて周到な方でした。感情的で直感的に見えますが、その実思考が素早いだけで、躊躇なく最善の行動を取れる人でした」
ゴーレムに乗り込んで水エレメンタルと戦う彼女の姿は、今でもありありと思い出せる。
魔女や学者にしては、少し行動力に富み過ぎている人物であった。
「魔女たちの人材の豊富さは目を見張るものがある。俺の事業や施策も、彼女らなしではとても成し得なかっただろう。お世辞じゃないぞ? それはわかるな?」
「ええ、と言って良いものかわかりませんけれど……私が出会った魔女たちは皆、世の中に大きな影響を及ぼしていました。彼女たちの力は、肌で実感しています」
クロスはすっかり緊張も解れている様子だった。
相手が常に気遣ってくれているからこその打ち解けぶりであったが、それを抜きにしても統王は常に敬意を欠いていなかった。
通りすがる使用人や臣下らに対しても、いなしてはいるが、気のない無礼な態度は取っていなかった。
「都市計画にもかなり貢献してくれた。王都だけではない。タルギン、ゾルイン、サーレーション、ほぼ全ての都市の再開発に重要な助言をした」
「どのような助言だったんでしょう?」
「魔女協会と魔道士会に競わせようと思ってな、両者に助言を頼んでみたんだが、魔女協会は王国時代に長い間『死人の軍勢』と屍術という特殊な条件下で国を成り立たせていたせいか、提案の数自体は魔道士会が圧倒的だった。しかし奇妙なことに、対立するはずの両者すら意見を合わせて主張したものが二つあった。一つ目が、公衆衛生の重要性」
魔女王国は独自に首都"マバ・ナトゥカラ(漸減戦)"を経営していた蓄積があり、魔道士会は統王麾下各地の支部や枝葉組織の情報を統合している。
都市経営の知識は、両者ともに豊富であった。
「それで水路を作った。上水と下水をな。正しい死体の処理に、衛生的な家屋の構造、日照の調整、清掃士の訓練と配置、ゴミの仕分けと処理方法、かなり口を酸っぱくして色々言われた。初めは、そこまでする必要があるのかと疑問に思ったが、それを口にする度、魔女と魔道士が普段の対立も忘れて厳しく念押しするのだからな、やってみたよ。すると、どうだ。全てが済んで数年も経つと、彼らの主張通り病気の発生率が8割も減った」
「すごい。これだけ人口が密集しているのに、疫病が無いんですか?」
「医療技術の発達と統療法の効果もあるだろうが、効果は明らかだった。それで他の都市にも同様の衛生改善を施した。驚いたよ、これだけで一部の疫病は根絶に成功したぐらいだったからな」
大量の死体を扱う魔女王国にとって、衛生は大きな問題となる。
病気が発生したとして、その原因が公衆衛生にあると判明するまでには、かなりの犠牲と労力を捧げていた。
その歴史の蓄積があるからこそ、魔女協会は断固として衛生環境の整備を進言したのだ。
「二つ目が都市型の社会福祉だった。人口の密集地で、生産よりも流通と消費が主な経済活動となる都市のような場所では、民衆の生活様式は町村とはまるで異なるものになる。特に食兌換制では生産者が経済的な優位を得やすいからな、都市での生活は多様的で豊かな分、浮き沈みも激しい。それを想定して、より手厚い福祉が必要という進言だった。これについては専制政治を行なっていた魔女王国の方が、より具体的なやり方を知っていた」
「平等な契約と不平等な施し、ですね」
統王は感心したように微笑む。
そして数秒間を置き、上り階段に一歩目を踏み出すのと同時に口を開いた。
「流石に、魔女たちはよく教訓を伝えているようだな。福祉の重要な二つの理念、『平等のための不平等』と『二者の置き換え』だ。どういうものか言えるか?」
予測していたのか、クロスは出題に即座に答えた。
「はい、生活水準を均衡化して、より多くの消費促進と、人口維持による経済規模の保持です。富者には施さず、貧者に多く分け与える。それが福祉の基本であり、弱肉強食という自然の理に対して人間が逆らった理由そのものです。魔女王国では3代目の"屍の魔女"が初めて提唱し、農地解放と免税で人口不足から王国を救ったとか」
「予習したか。『二者の置き換え』についてはどうだ?」
「……すいません、それについては、あまり」
少々ばつが悪そうに不明を恥じる。
だが統王はまるで気にしていないようであった。
階段を登る歩調に、些かの乱れも見られない。
「不明を恥じる必要はない、開き直りさえしなければな。『二者の置き換え』とは、つまるところ『我が彼であってもおかしくは無かった』だ。相手に不幸が降りかかり、自分に幸福が訪れる。誰もがそれを盲目的に信じてやまないが、人間とは奇妙な自信家でもある。もし、自分が相手だったらどうだ? 助けてほしいとは思わないか? 犯していない罪に苦しめられる怒りと悲しみが想像できるか?」
「その、すいません」
「謝るなと言ったろう。殆どの者は、そのような想像など出来ぬのだ。己の経験と世界の中でしか物事を知らず、他者の想いや立場を慮るなどはな。故に、戒めておかねばならん。道の向こうで助けを求める他者は、未来か過去の己の姿なのだ」
理屈はわかる。他者の視点に立てる者など少数だ、という事実も経験している。
しかし、統王の作った世界は、以前よりも実力が正当に評価される世界だ。
少なくとも、王国という自己に閉じこもったままではとても不可能であったろう飛躍を、魔女たちは遂げている。
群雄割拠の時代に迫害され、軽んじられた女性たちの執念と努力が、今の時代に結実しているのだ。
そこに、違和感が生まれた。
統王が実力を評価しながら、実力なき敗者たちを経済的な効率性ではなく人道的理念から救済しようとしていることに。
それを察したのか、統王は笑みを消した。
表情を固め、声色も低く潜める。
怒りや苛立ちからではない。
ただ、真剣なだけである。
「フォーリーズ、いや、クロス、俺の王子時代は知っているな?」
真剣な声色にしては、あまりにも自明な問い。
かえってクロスの方がやや戸惑いながらも「はい」と答える。
「ハーバント家は俺の祖父の時代からゴン・ガンク族を束ね、領地を拡大しながら多くの民族を従えてきた。当主は幾人もの妻を娶り、多くの子を設ける。なんのためか分かるな?」
「戦を、させるためです」
「そうだ。王自らの子女を戦場に送り、前線で戦わせる。かつては王自らが陣頭に立って突撃した。しかし、戦士は君主となり、父と太子は戦に出ず、代わりに他の子供らが戦った。妥当な判断だろう。民を従え、支配し、戦場に駆り出すには、まず王が範を示す。しかし支配の対象が増え、責任が増すと、自分と太子の身は守らねばならなくなる。そのせめぎ合いの中で、父は父なりに新たな伝統を探っていたのだろう」
貴族は特権を得る。貴族は政治を任される。貴族は支配が認められる。貴族は自身の戦に民を巻き込める。
何故か? 戦の先頭に立って、真っ先に民の代わりに死ぬのが貴族だからである。
必ず責任を取る、必ず矢面に立つ、必ず己が皆を守る。
その契約の下で権力は存在が許される。委任と特権の普遍的構造だ。
「だが、実際に死ぬのは俺たちだ。俺の兄弟たちだ。彼らは戦い、そして意味に塗れて死んでいった」
ゴン・ガンク族は揉め事をすぐに暴力で解決する。
内部では決闘や喧嘩が横行し、外部へは些細な衝突でも兵を繰り出す。
その文化が半ば恫喝のように働くことで、ハーバント家は他の勢力を呑み込んでいった。
だが、魔界人は自立心と自尊心が強い。闘志と誇りを滾らせた相手との戦争は、日常茶飯事だった。
「何度も、目にしてきた。ある者は俺より遥かに勇敢で、ある者は才気に漲り、ある者は人格者だった。ずっと優れた者らが死に、俺が生き残る。嫌になるほど悟ったよ。勝者と敗者の間にあるのは、運だけだとな」
統王の言葉は真摯だった。
謙遜ではなく、彼は心からそう思っているのだった。
「敗者は努力や実力が足りないから敗けるのではない。勝者は己の努力で勝ち得たのではない。勝敗を分けるのはただ一つ、運だ。それは努力や研鑽を重ねた者に微笑みかけるのではない。回転する硬貨がどちらに倒れるか、それは人間の力ではどうしようもない、天の領分だ。これは宗教の話ではないぞ、現実の問題だ」
天運。全ては気まぐれであり、人の抗いなど意味を為さない。
天核教諦観派の虚無思想に似ていたが、統王のそれは前向きだ。
「だから、彼らを助けなくてはならん。彼らを見捨てる世の中とは、我らを見捨てる世の中だ。彼らと我らの違いとは、運でしかないのだからな」
「天核教を支援するに至った理由の一つだ」と結ぶ。
天核教は天をこそ第一の存在と捉え、あらゆる力と存在は天より来ていると説く宗教だ。
それは様々な他の宗教や民話や伝承を吸収しつつ、それらの根源存在としての天、という絶対性を主張している。
だが絶対性を突き詰めるあまり、儀礼等の宗教的行事をほとんど省いたため、多くの文化に受け入れられた。
教義や経典も、どちらかというと言行録や民話集であり、内容も混沌としている。
結果として数多くの分派が形成されるに至るものの、皆が最低限の体裁は保っていた。
そのうちの一つが『天の行跡は不可思議であり、百代を経ても見通せず』という一節である。
天核教全体に於いて最重要視される考え方を如実に著したものであり、統王の思想と合致する教義であった。
「幸運も不運も、正しく解釈せねばならん。選ばれた訳でも、選ばれなかった訳でもない。ただの、無意味な偶然だ。しかし無意味であっても、俺が幸運だったのは確かだ。それならば、夥しい不運の犠牲の上に立つ我が人生、僅かでも彼らに返したいと願ってもいいだろう?」
クロスは戦場を知らない。魔界を知らない。
だが、それは凄まじく心身を打ちのめす経験なのだろう。
罪を重ねずにはいられないほどの恐怖そのものなのだろう。
統一してしまうほど魔界で戦い続けることで、何を目にし、何を感じたのか。
それは、歴史書である統世史書には書き切れぬ領分だった。
それを聞ける機会など、今しか無い。
クロスはぐっと唾を飲み込むと、意を決して次の疑問を投げかけた。
「統王様は、どのような幸運があったのですか?」
魔界時代の統王。史書には事実の羅列が続き、統王本人の主観が少ない部分。
彼は、それを訊ねた。
「俺の場合は、人との巡り合わせだろう。生まれつき細身で、軟弱な見た目の俺を、姉たちが庇ってくれた。部隊を率いて戦に出るようになってからは、二つ上の兄がしばしば便宜を図ってくれたものだ。しかし一番は部下に恵まれたことだ。トーリンゲインは知っているな?」
「王子時代の副官で、後の五大将の一人の」
「彼はもともと中央で父に仕えていた名士だったのだが、とにかく頑固で、正しいと信じたことは決して曲げず、歯に衣着せぬ男だった。戦場での武勲よりも、その硬骨で知られた奴でな、度々父と対立しては大喧嘩を繰り返していたらしい。父からしてみれば実に口やかましい目の上の腫れ物であったが、名士である彼を殺す訳にもいかない。そこで、適当な息子の一人のお目付役として遠ざけたのだ」
面倒になって能吏を左遷する、というのはよく起きる事例ではある。
しかし武を重んじるゴン・ガンク族の首長が、武門の名士を左遷するとは、普段からの口論が如何に激しいものだったのかを雄弁に語る事実であろう。
「その先が、たまたま俺だった。左遷なのは誰の目にも明らかだったが、彼は粛々とそれを受け入れ、完璧にいつも通り任務をこなした。聞きしに勝る頑固さだったよ。殴られたのは一度や二度じゃない。時には俺を諌めるためだけに、俺の馬を殺したことさえあった」
「馬殺譚、ですね」
「ああ、敵の陽動に乗りかけていた俺を止めた時の話だ。彼は頑固だが、常に正しかった。血気に逸り、功を焦るただの子供だった俺を、命がけで守ってくれた。自分の境遇に些かも腐ることなく、目の前の職務を忠実にこなした。彼がいなければ俺はもう十回は死んでいる。彼を見て、責任というものの重大さと、自分が何をするべきかが判ったんだ」
若い頃の統王は劣等感に苛まれていた。
細身の軟弱者と断じられ、婦女に庇われ、兄弟にも世話をかける己を恥じていた。
それを撥ね付けるために、証明するために、彼はがむしゃらで、無謀だった。
「実際のところ、俺の軍才は並以下だ。軍略の型を超え、緻密な奇策から不利を跳ね除けることなど、俺には出来ん。俺の戦は軍事というより歴史と心理でな、戦争屋よりも内政屋向きだった。つまり、全くゴン・ガンクの男としては相応しくない存在だった訳だな」
クロスにとって意外な言葉が次から次へと飛び出てくる日だ。
だが、次に放たれた言葉は、今日最も驚愕すべきものであった。
「俺は凡人だ。偉大なのは、そんな凡人を支えてくれた者たちの方だ」
一代で世界を統べた者が、己をして"凡人"と評するのである。
驚きを超えて、それは不安すら掻き立てた。
「俺の才能はたった一つ、そんな者たちにお返しが出来る、ただそれだけだ。俺を守り、育て、支えてくれる者らのために、贈り物を残してやりたい。そのために多くを求めていたら、全世界が必要になったのだ」
彼は、自分の全ての在り方を良しとしている。
その上で、世界を呪うことなく祝福しようとしているのだ。
強固な信念は強迫的というよりも、どこか狂信的でさえある。
クロスの不安げな様子を察してか、統王はふっと自嘲気味に笑みをこぼして、話題を変えた。
「そういえば、そのトーリンゲインの二十回忌がもうすぐだな。武と忠義に生きた彼への弔いとして、英雄たちの話をしてやろう。統世史書にもまだ載っていない、世界の隅に生きた英雄たちの物語だ。聞きたいか?」
統王自らの申し出である。断れるはずもない。
それに、断りたいという気持ちすら湧かない。
世界を手にした者が語る英雄の話だ。
クロスは不安など吹き飛ばし、目を輝かせて「是非!」と即答した。
「よし、ではまず『クルダッツ森の英雄』の話だ」
そうして、統王は上機嫌に話し始めた。
彼もやはり、ゴン・ガンク族の男。武勇譚には、心が躍るのだ。




