統王、かく語りき
「魔界を統一した時から、硬貨の廃止を考えていた。始まりはそこからだった」
統王とクロスは並んで廊下を歩いていた。
衛兵も供回りも引き連れず、ただ二人だけで。
使用人や臣下の者らが通りすがりに挨拶するのを、慣れた様子でいなしながら。
「理由は二つ。一つは鉱山資源の節約だ。金、鉄、赤銅、紺銅、錫、銀、どれも有限で貴重な資源である上、精錬や加工にもかなりの労力や資源を消費する。ただの貨幣として腐らせておくよりも、道具の素材や建材として活用したかった。貨幣というのは、結局は信用だからな。その貨幣に相応しい価値があるのだ、という信用をいかに担保できるかどうかで、貨幣の価値は決まる。であれば、硬貨である必要はそもそも無い」
「でも、硬貨の歴史は遡れないほど古いです。どうして使われ続けてきたのでしょう?」
「信用の担保が慣例的にしやすいからだ。工業力の問題という点もある。たとえばこれだ」
襟飾りの一つを外し、つまんで前方に掲げる。
それは、固定用の金具が取り付けられた金貨のようだった。
今も尚、輝きを放ち、表面は指を滑らせられるほどなめらかだった。
「これは元々マンマート豪族連合が発行していた金貨だった。彼らの領内で流通し、実際に使用されていたものだ。この輝きを見ろ、王の言葉も大商人の保証も必要ない。これに向けて伸ばされる一本の手さえあれば、殆どの者がこれに価値があると思い込むだろう。硬貨とは、それ単体で非常に強力な説得力になるのだ。今の紙幣は数多くの制度に支えられているが、硬貨に価値を付与するには、最低限の制度、即ち数の単位さえあればいい。何故ならば、物質そのものに価値があり、使途があり、信用があり、歴史があるからだ」
「金自体は、今でも高値で取引されています」
「その通りだ。事業届けの無い、鉱物による蓄財は課税の対象だがな」
金貨を再び襟に着け直す。
「重要なのは価値の付与と担保、そしてその共有だ。硬貨を用いた勢力の多くは、獲得した鉱物資源を残らず有効活用できるほどの工業力や民間需要を確保できていなかった。だが硬貨の鋳造は簡単で、大量に行える。彼らなりの有効活用に、市場や民間需要が噛み合った形として硬貨は支持され続けてきたわけだ」
「二つ目の理由は?」
「今の話の延長になるが、価値の共有を円滑化するためだ。オルキシュは知っているな?」
「はい」と答える。"光の魔女"は全くオルキシュらしからぬ人物であったため、正しい答えだったかどうかは疑問であったが。
「彼らは古来より外部との関係を断ち、独自の共同生活を営んできた狩猟採集民だ。君や俺は金銀の価値を重視する文明の中で生きてきたが、彼らは違う。同様に、金銀より鉄を重きに置く文化、鉄よりも石英を重んじる文化、様々な文化が魔界と現界にはひしめいている。彼らに対して通用すると思うか? 金貨を持って行って『そんなものはいらない』と言われたらどうする? 平等で健全な経済など望めるわけがない。どちらかが一方的に食い物にされれば、事は経済問題に留まらん。民族対立や紛争、格差による流通の停滞、山ほど人死にが出るだろう」
「それで、食料を使うことにしたんですか?」
「どの民族、どの文化、どの種族も、絶対に共有可能な価値観。それが"食"だ。誰でも、食わねば生きてはいけない。食料の重要性は今更語ることもないだろう。絶対に必要とされ続ける、それが食料だ。しかも食料は鉱物と違って生産し続けられる」
食料そのものを本位的な貨幣とし、そのやり取りを円滑化する。
それが食兌換制であり、八等級区分の紙幣の本旨であった。
「でも、食料は『絶対に必要過ぎる』んじゃないでしょうか。生きるのに必要なものを、貨幣として扱うのは、危険だと思ったんです」
質問の動機そのものをぶつけると、統王はクロスへ微笑みかけた。
「君は賢いな。流石はストイルの弟子だ」
その表情は、我が子を褒める父親のようだった。
クロスにとって経験の無い表情だった。
「その通り、食兌換制は扱いを誤れば最低最悪の結果を生む。物価上昇が即座に市場に反映され、生きるのに絶対必要な食料品の価格高騰を容易に招く。更に、生産した食料品が死蔵され続け、消費や市場に還元されないまま価値だけが低下し続けていくという弱点もある。期限の迫った紙幣は必然的に価値が低まるからな」
語る言葉にも熱が込もり始めていた。
「だから、他の制度で補強してやらねばならん。制度というのは単体で成立するものではなく、他の制度や文化、条件等と複合して成立するものだ。商家を通じて物価を制御し、古くなった食料は競売にて安価で市場に還元。価格差は国庫が負担し、その財源は手数料と公田の収入。商人らには首輪をつけ、社会福祉によって消費を促進、投資と生産の均衡を作り、食糧の増産と備蓄で災害にも備えられる。そして民の行動を、税によって誘導する」
「統税法、『国に税あり』ですね?」
「国に税あり」、統王自身の言葉である。
「ああ、税制は最重要だ。税こそ全てにして基本。税が国家の形であり、国民の生活全てを決定づけると言ってもいい。たとえば、契約法と小作法は知っているかな?」
「名前を知ってはいますけど、詳しくはないですね」
「地主がある農夫一家を作人として雇うとしよう。一家には夫、妻、長男、次男、長女がいるとする。これを個別雇用となると契約法に基づき、作務者となる夫、長男、次男それぞれに対する雇用税として2%ずつ、つまりは合わせて6%の税負担を地主が負う。税のもとになるのは割り振られた土地からの収穫高だ。しかし小作法によって小作人として雇用すると、五人家族と一括契約となり雇用税は3%に留まる。すると必然として、地主は多数の労働力を小作人として確保しようとするだろう」
現実には、雇用税の他にも田租税や、作物を紙幣に換える際の手数料などの税が課される。
「そこで小作法の条文が生きてくる。雇用主は小作人に対し、医療や教育等の福祉責任、つまりは彼らが病気になった時、無条件で医者に診せ、費用を負担する義務と、彼らを教堂に通わせる時間的余裕を確保する義務が生じることになる。他にも適切な額の報酬を支払う義務や、有事の際の小作人への損害補償を国と折半する義務等も生じる。契約法による雇用であれば重視されるのはあくまで双方の了解だが、小作法であれば、そこにある規定に従ってもらうことになる」
「……つまり、税で地主を小作法に誘導して、作人たちの世話を地主にさせる、というわけですか」
「その通り。少し賢い地主なら、小作人たちの世話を引き受けてでも、雇用税を3%にまとめる方が遥かに節約になると気付くだろう。地主に対しても社会福祉や有事の各補助金制度は適用される訳だしな」
税は国民からどのようにして金を取るかというものではなく、国民をどう誘導するか。
正直に税を収めようとするならば良し。税から逃れようとするならば、それも良し。
最適な逃げ道をこちらから用意してやることで、彼らは法定の範囲内で「上手くやる」ことができるのだ。
たとえ、国の掌の上であるにせよ。
しかし──
「不正には対処できるんですか? 例えば、小作人を囲い込んで、監禁して、節税しながら支払いも削ったり、小作人を騙して勝手に小作法と契約法の折衷で自分にだけ都合のいい契約にしたり、とか。逆に小作人が仮病や嘘の申告をして、地主から不当に儲けを得ようともするでしょうし」
法は機能するのが理想だが、必ずそれを破る者も出てくる。
皆が賢いわけでもなければ、皆が臆病なわけでもない。
貪欲に利を求め、制御を失い、法を破る者はどこにでもいるのだ。
統王は少し顔をしかめた。
ため息はつかなかったが、悩ましい問題であるのは確かであるように思われた。
「領主や行政使府に見張らせてはいるが、買収や恐喝が行われた例も既にある。不正には法と執行で対処し、危険を高めることで予防もしているが、それでも不正を働く輩は、残念ながら存在する。そういう連中は──」
統王は表向きの話をしているが、実際には更に間者や商人筋を用いて情報を常に探っていた。
それをクロスに明かすような男ではなかったが、それでも、これから話すのは真実でもあった。
「──無視する」
クロスは初め、聞き違いかと思った。
問題を放置する。統王ほどの男がそのように言い放ったという事実が、信じられなかったのだ。
「当然、可能な限り取り締まりはする。だが法改正での対処はしない。どのような法も、それが民がためである限り、突かれうる穴がある。一部の悪党やはみ出し者のために、その穴を塞いでも、連中は新たな穴を突く。それを繰り返して完成するのは、一分の隙も無い完璧な法ではなく、窮屈で誰も救わない無意味な長文だ。だから無視する。連中に、民のための法を滅茶苦茶にされたくないからな」
「法と、政の限界を認めるんですか?」
「全ての政治はたった一つの問いを終着とする。即ち『誰が見張りを見張るのか?』」
自分でも、息を飲んだのがわかった。初めて聞いた言い回しながら、それは一瞬で理解できるほどの迫力を備えていた。
「決して答えの出ない、出てはいけない問いが、世界にはいくつかある。問うた者すら同時に問われている疑問だ。逆に言えば、そこに到達したものが完成形であり、手を加えても向かう先は後退でしかない」
世界を握った者にすらままならないことがある。
統王すら抱える限界。それが本人の口から語られた。
聞けて喜ばしいような、聞きたくなかったような、複雑な感情が湧き上がった。
「フォーリーズ、君も魔女協会を継ぐならば、この問いに直面するだろう。そうなった時にどこまで進み、どこで踏み止まるべきか? 失敗を繰り返し、その経験から学び取る以外に無い」
クロスは"光の魔女"のところで犯した失敗を思い出していた。
あの時は、心配のいたちごっこをしていても意味がないと断じ、詰めるべき部分を詰めておかなかった。
「誰が見張りを見張るのか?」堂々巡りの疑問は、それ自体が答えでもある。
経験が足りないクロスの今後の課題。魔女協会長の継承を保留と決めた理由だ。
「食兌換制の動機はこんなところだ。疑問の答えになったか、あるいは疑問を増やしたか?」
「いえ、ありがとうございます。恐縮です」
畏まりながらも、視線は考え込むようにやや伏せられていた。
その様を見て、統王は得心したように数度小さく頷く。
「君は良い生徒だな。教堂に通っていた頃を思い出すよ」
「教堂に?」
「ああ、知的水準の底上げだけじゃなく、共通語を普及させるためにも教堂を各地に置いたのは知ってるだろ? その範を示すということでね、実は俺は教堂で共通語を学んだんだよ」
「えっ、そんなこと統世史書には全く……」
「勉強に手一杯で、記録を残すのを失念していてね。後になってから客観史料を探させたら、思いの外手間取ったんだ。だが次の版には載るはずだ」
共通語は、世界中の数多の言語学、音韻学、生理学、民俗学の専門家を200名ほど集めて作らせたものだ。
わかりやすく、整理され、可能な限り多くの種族に発音が可能な、馴染みやすい言語。
統王は街道を整備し流通路を確保すると共に、この共通語を教堂によって全世界に広めたのだ。
教堂で学ぶのを強制はしなかったが、数十年もすると教堂での知識は新たな常識となっていった。
「なんだか、面白かったよ。俺だけじゃなく、老いも若きも、男も女も、雁首並べて懸命に黒石板と睨めっこしてるんだからな」
最初の教堂は、学者たちによって教師を作るために開かれた。
解放奴隷の中から志願者を募り、共通語開発に携わった学者から学ばせる。
それから、彼らを世界中に派遣し教堂を建てた。更に、統王御用達の商家には直接教師を派遣して共通語を教えた。
そういった中で、統王が民草や奴隷たちに混ざって、必死に共通語を学んだのだと思うと、その光景はなんだかおかしく思えた。
失礼にあたるかもしれないが、クロスは統王につられて笑みを浮かべた。
両者は小さく、ふふふ、と抑えた笑い声を交換し合う。
「こんな面白い話、歴史の闇に埋もれさせるのはもったいないだろう?」
「ええ、確かに。吟遊詩人が新しい曲を10は書きそうです」
「詩人と言えば、ストイルと俺とのことは、もう噂にはなってるかな?」
「あー、どうでしょう。私も王都には来たばかりですし。ゴルゴリン・ゴブリンの頭取は知ってたみたいですが」
「カギマノ・ネヘヤンクか。古い付き合いだからな。奴のことは知ってるか?」
「いえ、昨日会ったばかりで。弟が乱に加わっていたっていうことと……」
言いながら、新たな疑問が湧いた。
次にぶつけたかった疑問は他にあったが、咄嗟に、新しい疑問を先に投げかける。
「どうして、カギマノさんを重用したのですか? あの人の弟が乱に加わって亡くなったのですから、統王様を恨むかもしれません」
新しい問いに、統王は考える素振りすら見せず、即座に口を開いた。
「奴が嘘つきなのは知っている。ゴブリンは大抵そうだがな。奴が父親から稼業を継いで財を成したのは、本人から聞いたか?」
「はい」
「では、実際には継げるものや財産など何もなく、借金だけを背負わされたのは、知っているか?」
「……いいえ」
「だろうな。ゴブリンは決して自分の弱みを見せない。努力を他人に見せず、生粋の強者然とした振る舞いを貫くのが、流浪民だったゴブリンたちの処世術だ。見栄っ張りとも言うがね」
窓からちらりと外を見遣る。
高い城から見えるのは、前庭と、城壁と、その奥の街並。人々毎の人生が息づく都市の風景だ。
「奴の父親は奴隷商稼業を継いだ男で、よせばいいものを、欲をかいてある銀鉱山経営に出資した。ダアナ鉱山と言ってな、無計画で杜撰な経営に、いい加減な地質調査で、みるみるうちに収益が減っていった。その時点で損切りしたならば借金を背負う羽目にはならなかったが、既に投資した金が惜しくて、拘泥し、本業の経費を削って借金までした。あとは分かるな? 投資した金は戻らず、鉱山は閉じ、経費を削ったせいで本業も立ち行かなくなった。そして、自分だけあの世へ逃げた」
ゴブリンの信仰では、金銭は死後の世界へは持ち込めない。
財産は全て"カジナテ判事"に剥ぎ取られて現世に送り返され、死者は"テヌの野"で自由に暮らす。
つまり、死ねば借金もなくなり、死後の世界で自由に暮らせるのだ。
ただ、借金を残せば、後から来る親族にそれを咎められ、和解するまで永遠に罵られはするのだが。
「残された二人の息子のうち、弟は奴隷商の本業から逸れたのが失敗のもとだと考え独り立ちしたが、借金を背負った兄は、もはや奴隷商の稼ぎだけでは返し切らぬと悟った。奴は、必要に迫られて奴隷以外を商うようになったのだ。日々、試行錯誤を繰り返し、地道な集客に、接客、営業、扱い慣れぬ品の目利きに何度も失敗したが、奴にとってその経験が大きな糧となった。雑貨、骨董、服飾、食品、建材、様々な商売に手を出し、法を必死に学んで活用し、なんとか稼ぎを黒字に持っていった」
ゴルゴリン・ゴブリン連合商会本部は骨董や雑貨で溢れていた。
商会の本部にすら品物を並べ、訪れる者に売り込まんとする貪欲さ。
あれはまさに、ゴブリンの店だった。
「奴は、経験から真理を学び取った。ただ漫然と受け継いだだけの者には決して知り得ないものだ。その悟りから、奴は自分の息子には稼業を継がせないと明言している。息子らにとっては、利益というのはあって当たり前、黒字は成って当たり前の存在だ。何もせず、生まれついて、自動的に利益が出て当然であり、その利益がどういう構造から成り立っているのかを知らない。だが、奴は──カギマノは骨の髄までそれを思い知っている。だから信用できる」
統王の言葉には確信が宿っていた。
完全に、カギマノという男を理解し切っているという自信がありありと感じられた。
「他に、訊きたいことはあるか?」
クロスは、問いをぶつけるための息を吸い込んだ。




