屍の魔女6
かつて統王は言った。
「専制君主とは奴隷に近く、その二代目は家畜に近い。暗君とはそれを全く理解していない者であり、暴君とはそれを理解し過ぎている者だ」と。
一代で世界を掴んでおきながら、誰憚ることなくそう言ってのける男。
クロスとアッサルートはこれから、それに会いに行くのだ。
市場と職人街を抜け、換勘場に差し掛かる。
王都の換勘場ともなると神殿のような大きさと門構えだ。
たとえ百輌の馬車であろうとも、難なく収容してしまうだろう。
そんな換勘場が、朝であるにも関わらず既に人で溢れ返っていた。
種々の野菜や穀物、肉、加工食がそれぞれに満載された車を引き連れた豪商風の者。
穀物の詰まった袋を担いだ、労働者然とした集団。
甕や野菜を乗せた荷車を引く、腰の曲がりかけた農夫。
皆、換勘場に押しかけ、手続きの進行を今か今かと待っていた。
今や、世界中どこででも見られる光景ではあるが、王都ともなると朝早くから繰り広げられている。
その横をすり抜けながら、クロスは感心したように数度頷いた。
食兌換制。統王が硬貨を廃止し、八等級に分かれる紙幣を新たな貨幣と定めた制度である。
その本旨は「食料を直接紙幣と交換する」というもの。
食料の種類や品質に応じて等級が割り振られ、定められたグラム数から該当する紙幣と交換できる。
五等級のボルター豆500gなら、五等級紙幣五枚と交換できる、という塩梅だ。
これは逆も然りであり、五等級紙幣五枚はいつでも、行政使府に申請して相応の食料と交換が可能である。
この経済制度の肝は、なんと言っても紙幣に有効期限があるという点であろう。
交換した食料は必ず腐るため、収めた食料の消費期限が紙幣の有効期限となる。
この有効期限を以って経済の流動性を高めると共に、日持ちする食品の市場価値を高め、保存技術の発達を促すのが狙いだ。
0.8%という少額ながら、手数料という形での税も課されており、交換を繰り返しての有効期限延長も、富裕者ほど額が大きくなるように設定されている。
物々交換の延長であるこの制度は、価値のわかりやすさと、統王の巧みな市場誘導によって、今や全世界に広がっていた。
換勘場は、収められた食料を鑑定して等級付けし、計量も行って紙幣発行札を渡す場所だ。
その紙幣発行札を行政使府に提出すると、いよいよ紙幣が受け取れるという仕組みである。
故に、大きな都市や町であれば換勘場は常に人で賑わっている。
運ばれてくる様々な種類の食品の品質を鑑定し、計量し、一貫した判断を下すには堅固な基準と優秀な目利きが必要だ。大量に運ばれてくる食料を捌く荷役も、数多く必要である。
そのための奴隷解放令だった。個人所有の奴隷を解放し、その殆どを官の新事業の人手として吸い上げる。
勤勉な奴隷は技能に応じて様々な役職に割り振られ、教育され、今では勘場役人の七割以上は元奴隷か、もしくはその家系の出身者であった。
ちなみに、収められた食料は統制庫という専用の倉庫に保管されている。
統制庫は換勘場とセットであり、必ず二つは隣り合って置かれている。
「朝からすごいですねー」
砂煙すら上がっている賑わいを見て、他人事のように呟く。
隣を歩く師の表情は何故か得意げだ。
「王都は毎日こうよ〜。3つある換勘場がいつも満員だから、今度4つめを建てるそうよん」
換勘場の混雑は、食兌換制が上手く機能している証でもある。
市場を安定させ食料品の高騰を防ぐのが難しい制度だが、統王はこれをほぼ完璧に経営していた。
公田や期限品の競売等の施策のみならず、税制や契約法、小作法等の法令を巧みに運用し、見事な均衡が保たれている。
王宮が近づくほどに、実感は増す。
都の中心、元々のドウン・マーグ宮を改築したものが、統王宮トルンデンモード。この世界そのものの中心である。
軍事色の強い、要塞か砦に近い構造だったドウン・マーグに行政府としての機能を与えた統王宮は、天守塔や二重城壁、六ツ櫓や衛兵詰所と言った軍事設備はそのままに、書庫や待合所、客間、書記室等々の行政設備や機関を備えているのだ。
その跳ね橋の前に、二人は到着した。
橋は下がっており、城門は開け放たれている。
衛兵の数も少なく、出入りする者の身体を検めるに最低限の人員がいるのみだ。
しかも、軽く手荷物を調べて、武器があれば預かる程度であり、アッサルートなどは杖すら取り上げられなかった。
意外と警備が手薄なんだな。
そう思いながら城門を通り抜けると、簡素で広々とした前庭の奥に王宮が見えた。
石造りの城壁に囲まれた王宮は高くそびえ、華美な宮殿というよりも、やはり城塞然としている。
彫刻や意匠は凝っており、階段の手すりから屋根瓦に至るまで職人の手が入っていたが、黄金などの金属装飾はほぼ入っておらず、銅や鉄の補強具がはめ込まれている程度だ。
王都で最も高い建物だけあってかなり目立ちはするが、全てを手に入れた男の居城とは思えぬほど、地味な色合いの宮殿だった。
その様から、ついた呼び名が鈍色宮。これに比べれば、後ろに控える後宮の方が遥かに明るく派手である。
二人は石畳を進み、正門から登城。
宮仕え人が行き交う廊下を進み、上を目指していく。
元城塞だけあって内部は入り組んだ造りになっており、途上幾度も道を曲がり、階段を上がった。
やがて、大広間の門に到着した。
門は固く閉ざされた上、四人の衛兵に守られており、見るからに立ち入りが禁じられている。
それはそうだ。中は今、統王と文武諸官に役職者たちが集った朝議の最中である。
終わるまでは、急報の伝令以外立ち入り禁止が原則だ。
なので、廊下の壁際にはベンチが据えられている。
大広間が閉じられている間、控えの間で待ちきれない者や、次の謁見者が待機するためだ。
アッサルートとクロスは並んでそこに座る。
アッサルートは体の力を抜いて足まで組むほどの余裕ぶりを見せるが、クロスは内心穏やかではなかった。
この衛兵と門の向こうに、統王がいるのである。
偉業を成し、伝説を作り、身一つで世界をまとめ上げた男。
まるで、物語の登場人物に直接会えるかのようだ。
胸が騒ぎ、どうしても落ち着かない。貧乏揺すりをしたり、肩を上下させたり、呼吸を意識してみたり、まるで子供だ。
「クロス」
見かねた師が声をかけると、息を止めながら振り向かれた。
その表情の固さから、緊張は明らかだった。
「ナッグ騒動の時の話なのだけれどね、実は私、統王に求婚されちゃった」
キャッと笑いながら話す師に、クロスは顔を歪めた。
嫌悪や忌避を抱いたのではなく、文字通り顔のパーツそれぞれが異なる方向へ動き、歪んだのである。
頭に浮かぶのはカギマノの下卑た笑い。あのゴブリン、平然と嘘をついたのだ。
統王と師の関係が、昔の噂程度だなどと。
「カギマノさんから聞いてましたけど、本当だったんですか」
「実は二回目なんだけれどね〜。この歳になってからまたされるなんて思ってなかったから、つい嬉しくなっちゃって友達みんなに話しちゃったのよ」
「二回目だったんですか!」
つい語気が強まる。
「一回目は三角連衡の乱の後に、師匠に連れられて顔見せに行った時よ〜。17か18歳の時だったかしらね? "屍の魔女"になるより妃にならないか? って言われて、あの時は師匠も苦笑いしてたわ」
「え、お師匠様は、どう思ったんです?」
「んー、あの時は子供だったし、ゴン・ガンク族や統王本人のこともよく知らなかったから、戸惑ったわよね。どう答えればいいかあわあわしてる内に、師匠が『大事な後継者だからご容赦を』なんて言ってくれたのだけれど、まあ、いたいけな小娘をからかったのかなあ、なんてあの時は思ったわ」
「それが、なんでまた、今になって?」
「そりゃあもちろん、私が"屍の魔女"を辞めるからじゃないかしらん?」
「えっ」と漏らして硬直するクロス。
「言ってなかったかしら? まあ、言ってなかったわよね〜」
アッサルートは笑みを崩さなかったが、咳払いをすると、体を捻って上体ごと弟子と向き合う。
姿勢を正し、魔女帽を正し、両手を下腹部に重ねると、そこからびしりとクロスの鼻先を指差した。
「クロス! 正式辞令よ。今回の使命を完遂後、あなたを魔女協会会長、シリネディーク城城主に任命します。魔女協会領領主については後ほど統王より直々の辞令を待つこと」
「えっえっちょちょちょちょっと待って、待ってください」
「知の長久と万民の安穏を祈り、ここに髑髏を授ける。Makkat al shuzze baincat」
クロスの狼狽を完全に無視して、その頭を鷲掴む。
紋章に描かれた、髑髏を掴む手のように。
衛兵の一人が一切の表情を変えぬまま、拍手を贈った。
「はい、完了よん」
「はいじゃないですよ! どういうことなんですか?」
当然の疑問を投げかける。
アッサルートは既に姿勢を崩し、足を組み替えていた。
「どういうって、当然でしょう? 私の弟子あなたしかいないんだから」
「かっ、"屍の魔女"はどうするんですか?」
「そういえば抜けてたわね。えーと、汝の骨と目にかけて死生に抗し友への誓いを繋がん。nacula daniess!!。はい」
再び頭を鷲掴みにする。クロスはそれを振り払った。
「私男ですよ? 魔女の長になんて、とても」
「もうそんなこと気にするような時代じゃないわ。あなたは頭も人柄もいいし、今回の仕事もとてもよくやってくれてるじゃないの。あとは度胸と経験を積んで、幾人かの魔女たちの支持があれば立派に務まるわよ」
「そんな、支持なんて。それに私まだ17歳ですよ?」
「私もそれぐらいの歳に"屍の魔女"を継いだわ。まあ、今のあなたより学問の知識は豊富だったけれどね。でも、既に、魔女からの信頼はあなたの方がずっと厚いわ」
そう言って差し出したのは、四通の封筒だった。
封は破られ、中身も空だったが、差出人の名前はどれも見覚えがあった。
「これは」
「"眼の魔女"、"胞の魔女"、"石の魔女"、"鉄の魔女"からの推薦状よ。あなたを次の協会長にする判断への賛同書とも言えるわね。皆、一言頼んだらすぐに送ってくれたわ。"光の魔女"なんかは、興味無いなんてきっぱり言ったけれどね。皆、あなたを信頼しているのよ」
心に、何か熱いものが込み上げてくるのを感じた。
間違いなく、その事実に感動を覚えている。
その感動に押されて了承してしまいそうだ。
本当に、お師匠様は上手い。
「ま、本音を言えば、私が魔女協会会長としてやれることはやり切ったしぃー? あなたの成長も思ってた以上に早いから、さっさと責任から解放されて自分の研究や生活に打ち込みたいの〜。だから、後宮入りしてみるのも悪くないかな、なんて思ってるのよね〜」
言葉の力を抜くタイミングも絶妙だ。
これでは、うんと言いたくなってしまうじゃないか。
「でも、私は"忌み子"ですから」
「だからそんなこと気にしないって──」
「いえ、あの、違うんです。今の私は、ただの"忌み子"なんです。魔法使いとしても人間としても半端で、何も成し得ていません。少しだけ小賢しくて、少しだけ魔法が使えて、少しだけ家事ができるだけ。私はまだ"屍の魔女"でも協会長でも領主でも無いんです」
"光の魔女"のことを思い出していた。
自分が何者であるかを、自分を含めた全てに捻り刻み込もうとした、彼女の罪過を。
"胞の魔女"のことを思い出していた。
朧な未知より生まれ出でていながら、自分が何者であるかを知り尽くし、何をすべきか理解していた彼女の正しさを。
何者かにならぬまま、地位と力を手にする訳にはいかない。
揺らがぬ自分が欲しい。それでいて変化を躊躇わない自分が欲しい。
それらは両立するはずだ。それらは必ず手に入るはずだ。
だが今ではないかもしれないのだ。
「お師匠様と、皆さんのお気持ちはありがたいです。でも、まず私は旅をやり遂げたい。その結果を自分で見届けてから、お引き受けできるかどうかを見極めたいんです」
真っ直ぐな瞳を向けられ、アッサルートは穏やかな、少し困ったような、それでいてどこか誇らしげな笑みを浮かべた。
そう思えているだけで、魔女協会会長という地位に相応しいのだというのが彼女の考えであったが、それを口には出さなかった。
「わかったわ、あなたが望む通りにしましょう」
「ありがとうございます。それと、その、すいません」
「謝らなくていいのよ。あなたは、私の、自慢の弟子だわ」
弟子の頬を優しく撫でる。
クロスは恥ずかしそうに俯きながらも、その手を振り払いはしなかった。
衛兵の一人が、また表情を変えぬまま拍手を贈った。
その時、大広間の門が開け放たれた。
衛兵たちに続いて、文武諸官に役職者たちが犬の群れのように次々と廊下に出てくる。
アッサルートは手を離し、大広間の方へと向き直った。
何名かの者らが通りすがりに挨拶をしていく中で、2分もすると全員が退出していった。
「中へどうぞ」
諸官を見送った取次ぎ役が、二人に入室を促す。
「それじゃ、行きましょ♪」
真っ先に立ち上がったアッサルートが微笑みかける。
彼女はいつでも笑っている。いつでも、笑っていたいからだ。
クロスは覚悟を決め、気合いを入れるように膝を叩くと、ベンチから立ち上がった。
向かう先は大広間、兼謁見の間。
いよいよ、統王との対面である。




