屍の魔女5
「捕えたわ!」
アッサルートの声が石室の静謐を裂く。
続いて、呪術師が手に持った籠を魂保管器に向ける。
その口は常に上オルキシュ語の祝詞を唱え続けていた。
魂保管器を囲む三人の魔法使いは魔力を伸ばし、魂を包んでいた。
崩壊は既に始まっている。急いでこの魂を、活性化させた骨に移さねばならない。
魂が覆うべき魔力は、もう骨に込めてある。
「"トンテアの籠"に入れた。5秒かけて移すぞ」
盲目の呪術師が告げる。事前の打ち合わせ通りだ。
魔力で形作った、魂を一時的に入れておく容器をオルキシュの呪術師は"トンテアの籠"と呼ぶ。
三人の魔力で作った籠を、呼吸を合わせて運び、肉体へ移す。
それは親指の爪にどんぐりを乗せて運ぶような繊細さを要する作業だ。
つまり、屍術を行う精密さすら持ち合わせていないアッサルートには、かなり荷が勝つ。
「魔力が強うございます。もそっとお鎮めを」
隻腕の老呪術師が静かに、それでいて緊迫した声色でたしなめる。
こんな大事な場面でも思うようにできない不甲斐なさに歯を噛み締めても、魔力の出力は安定しなかった。
だが焦れば焦るほどに、魔力は揺らぐ。
魂を囲む魔力の籠が均一でなければ、境目から魂が零れ出る。
もしそうなれば、ただ実験が失敗したというだけではない。
オルキシュたちの期待を裏切り、伝承を傷つけ、何よりこの巨人を死なせてしまう。
集中しろ。
心を振り絞れ。
死者のためじゃない、いま生きている者のためにやるんだ。
古代の魔女が守り抜き、後世に託した思いを、私が成就させる。
この魂を、生還させるんだ。
籠が空中を動き始める。
ゆっくりと、呼吸が乱れぬよう、籠がほつれぬように。
水を満載した椀を零さずに運ぶつもりで、ひたすら集中する。
一秒一秒が異常に長く感じるのは、その集中の故だ。
「やった!」
そして遂に、魂を骨の中に押し込んだ。
一人の魔女と二人の呪術師が一斉に石棺に駆け寄る。
次は外から魔力を当てて魂を圧迫し、肉体深部の魔力にしっかりと押し付けるのだ。
それは粘土を押し伸ばして、球を包む作業に近い。
二人の呪術師は棒状の頭飾りの一つを抜き取り、骨へと向ける。
アッサルートは指先を向けて魔力を放ったが、その様子を見た隻腕の呪術師が、自分の持つ棒飾りを差し出した。
「これを使われよ」
一刻を争う事態である。質問も議論もなく、彼女はそれを受け取った。
そして呪術師がやっているように、それを骨へ向けて魔力を迸らせる。
すると、アッサルート本人にも思いがけないほど、よく安定した出力の魔力が飛び出した。
それはまっすぐ骨の奥に潜り込むと、均質な力で魂を魔力核へ押し付ける。
「どういうこと?」
思わず、目を見開いて独り言を放ってしまった。
無用な会話をする余裕がある場面では無いのだが、ここまで魔力の出力が一定だったことは、彼女の人生で一度もなかったのである。
「導索と呼んでおります、古の上オルキシュより伝わる呪具です。力の強すぎる呪師が祈祷を行う際にて、風が雷に、潮が大波に変ずるを防がんがため用いました。今はこのように、魔力に強い推力を持たせるためにも用いております」
説明を聞いて、すぐに理解した。要するに濾過器と収束器の役割を同時にこなすものだ。
独自の魔法体系が生み出した実用道具。原始的な迷信と儀式の魔法だ、と魔道士会も魔女協会の主流派も、オルキシュの呪術師には見向きもしなかった。
だが、これはかなり便利な道具である。これは小型故に一度に扱える魔力の量も少ないが、もしこの機構を、例えば杖なんかに仕込められれば、自分も安定した魔力が使えるかもしれない。
「気に入ったわ、これもらえないかしら?」
「後ほど正式にお譲りいたします。順調に次第が済んだ際の謝礼として」
話しながらも、呪術師は新たに導索を引き抜いて骨に向ける。
魂は肉体の奥へと押し込められ、魔力核と接着されていく。
その余波か摩擦か、小さな雷が幾度か走るものの、無事魂を肉体と魔力の間に固着させられた。
アッサルートは、続いてポケットから数匹の虫を取り出した。
それらを一息で握り潰して殺すと、導索を向けて魔力を飛ばし、魂を押し出す。
魔力で虫らの魂を分解し、捏ね合わせ、意思なきエネルギーの断片としてから、それで巨人の魂の損傷を塞ぐのだ。
小さな虫が持つごく弱い魂は、損傷を塞ぐ素材として適しているはずだ。
"胞の魔女"クルギャの魂は無数の虫の魂より生じたものである。
魔力によって虫たちの魂を捏ね集め、形としたものに"原初の目"を乗せるというのが、そもそもの実験だった。
結局、土をいくら押し固めても石にはならぬように、虫の魂の集合体そのものは魂として不成立。
"胞の魔女"の魂は、偶発的に発生した断片が、虫の魂の集合体という保護の中で育ったに過ぎない。
だが、土は石には成り得ないが、石の傷は塞げるのだ。
いま、巨人の魂が守っている魔力は少ない。魂無しで一時的に骨に定着させられる程度の量だ。
ならば虫の魂を送り込み、魔力で誘導して傷を塞いでも、魔力漏出が起こることはない。
虫の魂が巨人の魂の損傷を塞ぐ。
魔力で接着剤を押し込んで馴染ませれば、完全に同化して魂の一部となってくれるだろう。
導索のおかげで作業も早く、骨への負担も少ない。
そして最後の仕上げだ。
導索を持った右手を振り上げ、体の中心部めがけて振り下ろす。
袋と綿越しに火花が弾け、骨の隅々に振動が走る。
雷に打たれたかのように袋は震え、骨は痙攣した。
そうして、袋を纏った巨人の骨は跳ね起きた。
思わず飛び退く魔法使いたち。
アッサルートは足がもつれて転びまでした。
彼らは感じ取っていた。巨人の骨から迸る魔力を。
それを以って周囲を探っていることを。
呪術師二人は体を震わせながら、その場に屈み込む。立ってなどいられない。
彼らが今目にしているのは、神話そのものなのだ。
石棺から足が上がり、石の床に叩きつけられる。
袋と、中に詰めた綿のおかげで膨らんで見えるが、本体は巨大な骨だ。
露出した頭骨が周囲を見回すように動き、両眼から放ち続けている魔力網が景色を読み取る。
そうして周囲を確認した巨人の骨は、尻もちをついたアッサルートへと歩み寄った。
興奮やら恐怖やら、アッサルートの表情は硬直していた。
目を見開き、目の前の光景をただ見ていた。
巨人の骨は彼女の前に立ち、見下ろす。
その両眼の虚空と、見開かれた目が見合ったような気がした。
そして、巨人の骨は手を伸ばした。
思わず息を飲み、床を掴む指先に力が入る。
袋と綿に覆われた巨大な手は、小さな魔女へと伸ばされ──
──その頭を、優しく撫でた。
ただの屍には、不可能な芸当。
知性ある生物だからこその行動。
成功だ。
アッサルートは込み上げる歓喜を、涙と、天へ衝き上げる両拳と、歓声で表現した。
巨人の骨はこの時のことを、後にこう語った。
「かわいいなと思ってな、撫でたくなった」と。
ストイル・カグズ・アッサルートとエルガン・ナッカランの出会いであった。
「ほら、ほら起きなさいクロス!」
毛布を杖でばしばしと叩かれる。
乱暴な起こし方ではあるが、痛いほどではない。
クロスはのっそりと体を起こし、眠たげな目を、外出準備万端の師に向ける。
「お師匠様、おふぁようごはいます」
ひとまず、挨拶。
それからあくび。
質問は三番目だ。
「あの、どうしました?」
カギマノに用意してもらった部屋は、言われていた通り確かに狭かった。
寝床一つと、あとはその寝床二つ分のスペースしかない。
彼女はそのスペースにわざわざ体を押し込んで、天井に頭がぶつからないよう背まで丸めている。
だがその表情は、遊びに出て行く直前の子供のように、期待で輝いていた。
「統王に会いに行くわよ! 今すぐ!」




