屍の魔女3
なんとはなしに、気まずいような沈黙が流れていた。
黙々と書類に目を通し、時折何かを書き込んでは新しい書類に移るを繰り返すカギマノ。
体を縮こまらせて小さな椅子に座り、ただその様子をじっと眺めているだけのクロス。
今この部屋にいるのは、この二人だけ。
部屋を埋め尽くす豪華絢爛な装飾品や小物、調度品がその沈黙を紛らわせてくれればいい。
だが現実には、彼らは静かなものだ。せいぜいが、木ペンがインク越しに紙や木札を擦る音程度である。
この状況を作り出した当の本人であるアッサルートの姿はない。
「統王と打ち合わせに行く」と言って出て行ったきりだ。
「おい」
やがて、注視されるのに我慢ならなくなったカギマノから声をかけた。
怒ってはいないが、鬱陶しそうな声ではあった。
「集中出来んだろ、こっちは仕事中だぞ」
カギマノはゴブリンの中では大型種のようで、身長はクロスと同程度ある。
しかし肥え太った体から押し出される声は常に詰まり、目の下には深いシワが刻まれている。
骨格からして実年齢は50代だろうが、緩慢な動きと深いシワやたるみからは、遥か老齢を思わせた。
「その、客間へ案内いただけるものと思っていたのですが」
埒が明かぬと見て、注視していた意図を述べる。
口答えされるとは思っていなかったのか「あぁ!?」と凄まれたが、数秒後には明確な答えがあった。
「ストイルのやつが戻ってきた時、弟子はどこだと詰問されたくない。だからやつが戻るまで、そこで大人しく待っていろ」
クロスは両眉を引き上げて驚いた。
目の前のゴブリンが、師のことをストイルと名前で呼んだのだ。
どうやらただ単に雇い雇われの関わりでは無いようだった。
「師匠とは、以前からお知り合いなんですか?」
気になったことは必ず訊ねる。その性質は、旅の中で彼の本質へと変わりつつあった。
カギマノは「あぁ? どうしてだ?」と再び凄みはしたが、苗字ではなく名前で呼んだことを指摘すると、失敗を悔やむかのように、歪めた顔に手を当てた。
「くそっ、油断した。全くあいつの弟子だな」
捨て台詞を吐きながら、再び書類に視線を落とそうとするが、彼は既にクロスの興味の対象となってしまった。
「師匠とはどこで会ったんですか?」
魔女の詰問を避けたい一心で弟子を留め置いたのが、明らかに仇となった。
視線は切られるどころか熱すら帯び始め、カギマノの集中を削ぎ落とす。
そんな状態が十数秒続き、カギマノは観念したように書類を投げ置いた。
「あいつとはオレがまだ奴隷を商ってた頃に出会った!」
口調はやけくそであったが、投げやりではない。
言葉を軽く扱わないのは、昔気質の商人である証だった。
「三角連衡の乱の直前だった。奴隷の商いは既に禁じられてたんだが、当時のオレは実に阿呆でね、能天気にルネイ地方のヒト特需に浮かれてた。魔界の戦奴隷が特に高く売れてな、三日で半年分の稼ぎになったよ。そこにあいつと、あのおっかない骨のデカブツが乗り込んできたんだ」
骨のデカブツ。間違いなくエルガンのことだろう。
「あいつはオレに杖を向けて、今にも魔法を撃ちそうな剣幕で脅してきたよ。今すぐ奴隷商売をやめるか、九つの欠片に分かれるか、どちらか選べってな」
「どうしたんですか?」
「もちろん帰れって言ってやったさ! その程度の脅しにビビってちゃゴブリンは務まらねえ。そしたらあいつは『やっぱりね』なんて抜かして杖をどけると、椅子を引っ張って俺の前に腰を下ろしやがった」
忌々しげに語りはしても、やはり怒りは感じられなかった。
「そして『話し合いましょう』だってよぉ。ハッ! このオレ様に向かって、話し合うだと? 商売と交渉はゴブリンの本能だ。何百年も前から、オレらのご先祖様は各地を回って、商才だけで生き延びてきたんだ。それをお前と大して年も変わらんような小娘がいきなり乗り込んできて、話し合おう、なんて言ってきたんだぞ? オレぁほくそ笑んで、鼻でも笑って、受けてやったよ。さっさと言い負かせて、半べそかきながら暴れまわる様を楽しんでやろうと思ったよ」
「だが」と続く。
「いざ話し始めたら、真っ先に『奴隷より儲かる商売がある』なんて言い出しやがった。この瞬間には、もう悪い予感がしたね。一瞬のうちにオレが"聞く方"にされちまったんだからな。まあそれでも、話す中身次第じゃあいくらでも喝破できるし、実際そのつもりだった。いくら魔女見習いだからっつっても、相手はただの小娘なんだからな」
アッサルートは三角連衡の乱の直後に"屍の魔女"を襲名し、魔女協会会長となっている。
つまりこの話の中では、単なる魔女見習いだ。
「その小娘が、だ。魔界はカガチ穀倉帯のバオ麦の収穫伸び率と、サキュバス族への共通語と酪農技術の普及率に伴う生産高の伸び率の、めちゃくちゃ詳しい数字を出してきたもんだ。それで、今年は魔界のチーズとバオ麦が余って値が落ちる。ボルター豆は間に合わないが、この二つなら今からでもかなりの量を確保できるだろうと宣った」
目を閉じ、苦々しい顔で当時を思い出す。
その表情だけで、この話の結末が大体わかるようだった。
「なんでそんな大して金にならん三等級の品物を買わにゃならん、て言っちまったのが、運の尽きだったぜ。あいつは薄気味悪く笑って、はっきりと言い切りやがった。『もうじき戦になる』ってな」
驚いたのは当時のカギマノだけではない。現代のクロスもである。
この話が事実ならば、師は三角連衡の乱を予見していたことになるのだ。
「こうも言った。『統王もそれに備えている。彼は今のうちに、魔界の食糧をできるかぎり現界に集めておきたいはずだ。あんたがその役をやれ』と。もし本当なら、かなり美味しい話だ。二束三文で手に入れたチーズと麦が、いくらでも宝物に化ける。投資としちゃあ最高に近い。だが問題は、戦なんて起きるのかってことだ」
当時、既に世界は統一されている。
故に戦となったら、それはつまり内乱だ。
「それに関しちゃあ、オレも情報を持っちゃあいたが、確信は無かった。というより、起きて欲しくなかった。オレには弟がいてな、こいつがまた、オレに輪をかけたような阿呆でよ、反統王の連中とつるんでやがったんだ」
カギマノがため息をつき、天井を見上げる。
パイプを口に運び、深くまで吸い込むと、吹きつけるように煙を吐いた。
「オレの親父は魔界の奴隷商でよ、人狩りどもから村人や流民や落武者を買っては、方々に売り飛ばしてオレらを育て上げた。オレは店を継いだら奴隷だけじゃなくて、好き放題に儲かりそうなもんを扱いまくったが、弟は親父のやり方を守って昔ながらの奴隷商に拘ってなあ。統王の奴隷解放令を、伝統への侮辱だっつって、怒りまくってた」
煙が漂うのをじっと見つめている。
その向こうに何を見ているのか。
それは彼にしか知り得ぬ事柄であった。
「なあクロスよ、商売で重要なのは、結局は人よ。人がいなけりゃ金なんざなんの意味もねえ。そして金がなくとも人はいる。極端な話だが、金も、商売人も消え去ったとして、客だけは絶対に消えねえ。そこ、まさにそこが、商売で一番重要なことだ。経済がぶっ壊れて、国がひっくり返っても、人はそこに残る。需要は絶対になくならねえ」
パイプの灰を濁牙の灰皿に落とす。
「オレぁ、そのことに気付けた。だが弟はしがみついた。もし気付ければ、オレたちゃ無敵だってわかったのにな。何が起きたって客は消えねえ。客が消えねえなら、いくらでもやり直せる。平気な面して変わっていけるのによ、現実ァ厳しいなんつう訳知り顔の思考停止にハマっちまったのよ。だから、もし乱が起こっちまったら、弟は生き残れねぇと思ってたよ」
ゴブリンは国を持たない。昔から、各地を放浪しながら商売で身を立ててきた種族だ。
それ故に軽輩と侮られ、排斥されることもあったが、少なくとも自由ではあった。
だが、群雄割拠の時代があまりにも長く続き、国境間の移動が難しくなった時に事情は変わったのである。
定着し、帰化するゴブリンが増え、その場の文化に同化するようになっていったのだ。
民族を捨て、文化を捨て、自由を捨て、自分のものではない文化を受け入れて尚、よそ者として扱われる。
その繰り返しを経て、ゴブリンたちは自衛のため新たな商業民族主義を作り出し、年々過激化していったのである。
支えなきものが、自らこしらえた軛に、必死になって縋るのだ。
「だから、オレはその場では提案を蹴ってやった。後でこっそり打診するつもりでな。あいつもそれは分かってたみてえで、やけにあっさり引き下がった。そして三日後に、魔女協会に文を送ったら、魔界のチーズとバオ麦1tずつの買い付け証書と、ここの土地権利書を送りつけて来やがったよ。『今すぐ逃げろ』って書かれた紙切れつきでな。ストイルとオレの関係は、そっから始まったのさ」
忠告に従い彼が王都へ発った6日後に、ルネイ国人衆は現界の大手奴隷商家たちの支援を得て挙兵した。
ルネイ地方での奴隷相場の高騰は、そのために人員をかき集めていたのである。
宣言なき挙兵によって、単に金儲けに来ただけの多くの日和見だった奴隷商たちも、否応なくルネイ国人衆の勢力に巻き込まれていくこととなった。
留まって奴隷の利を貪り続けていれば、自分がルネイ国人衆のために協力を強要される奴隷となっていたのである。
「弟は自ら進んで加わって行ったんだがな。本当に阿呆なやつだった。あの統王に勝てるわきゃ無いのによ」
「弟さんは、その」
「死んだよ。"兵の魔女"に首を刎ねられてな。ま、身から出た贋貨だわな」
クロスは少し心配になった。
話が事実なら、このゴブリンにとって統王は弟の仇である。
その統王と自分が会おうとする状況に、この男は協力しているということになるのだ。
師匠の知り合いとはいえ、本当に信頼して良いものか、疑うのは当然であった。
それを目敏く察したのか、カギマノは掌を向けた。
「おっと、そう心配するな。もう昔のことだし、当時だって恨みにゃ思っちゃいねえよ。そもそも統王の魔界統一や現界遠征じゃ大勢人が死んでんだ。今更恨んだってしようがあるめえが」
パイプに再び葉を入れ、卓上の燭台から火を取る。
それから数度断続的に空気を吸い入れ、葉に火を定着させると、再び煙が上がり始めた。
「それに、ストイルと統王は良い世の中を作ってくれたぜ。魔女協会領の軍と禁軍に大量の糧食を提供できたお陰で、今じゃあゴルゴリンは大陸央部一円を牛耳る大商会だ! 統王はトルマ岩塩の専売権をくれたし、食兌換制も上手いとこ機能してる。大したもんだぜ」
ぐふふ、と満悦の笑みを零す。
その見た目は、暴利を貪る成金そのものだ。
「お前の師匠はな、大したタマだぜ。タマはついてねえがな。うまーく男を乗りこなしやがる。死人ども一人一人と交渉して、契約して、健全な経営をしてるんだから、オレがかなう相手じゃあなかったな。そんなやつが迎え入れた一番弟子の男なんだ。統王が会ってみてえと思うのも、無理ないかもな」
「それに」と意地汚い笑みを浮かべて鼻息を荒げる。
明らかに、何か含みのある言い方だった。
「統王の野郎、ストイルに惚れちまってんだもんなァ」
「えっ」
「むかーしの噂だ、むかーしのな。ま、あの野郎、子供が60人、側室が28人いるっつうんだからな。色を好むような男なら、欲しくなってもしょうがねえかもなあ」
くくく、と潜めた笑いを流し、途中でむせて咳き込みながらも笑い続ける。
統王が惚れっぽい上に、一度惚れればとことんまでやり抜く、というのは有名な話であった。
王都ではいくつも彼の恋愛遍歴を時に茶化し、時に切なく綴った詩が歌われ、酒場や劇場を賑わせているほどだ。
もしやその一つに、自分の師も組み込まれているのだろうか?
新たな好奇心と共に、新たな羞恥心が湧き上がった。
その様子を見て、カギマノはこれ幸いと頷いて、投げ置いた書類を拾い上げ再び目を通し始めた。
およそ40分後にアッサルートが戻ってくるまで、二人はずっとその調子であったという。




