眼の魔女4
「クロスさん、起きてください」
体を揺すられ、青年は目を覚ました。
眉間にしわを寄せながら薄目を開けると、ケリーの顔にまず視線が向く。
強く揺さぶるために身を乗り出して体重をかけていたのだろう。灰色の右目が、寝ぼけた双眸を覗いていた。
「あぁふ、おふぁようごはいまぁぁぁぁ」
伸びと欠伸と朝の挨拶を同時にこなすクロスの姿に、微笑みを返しながらも背を向ける。
体を伸ばすと、寝床にしていた本棚から足首がはみ出て、両腕が壁に押し当てられた。
昨日、狩りから戻るなりケリーは「疲れました」と言ってすぐに寝てしまった。
それが、今日になるとクロスよりも先に起きているのである。
"原初の目"の力を目の当たりにした今となっては、疲労するのも頷ける話ではあったが。
「はやく起きて片付けてくださいね。今日は朝から弟子が来るんですから」
母親のような小言を聞き流しながら、上体を起こし、毛布を畳んでカバンに押し込む。
吊るされた本に頭をぶつけながらも寝床本棚を壁の中に戻し、魔女協会本部での日課である煤払いをここでも始めようとする。
そこで、ポケットの中で相互紙が震えたのに気付いた。
『おはようクロス。そっちはどう?』
相互紙を開くと、やや性急な催促が書かれていた。
カバンからインク壺と羽ペンを取り出し、すぐにやり取りを始める。
『ぼちぼちです。"眼の魔女"は魔女学会に出席してくれるようですよ』
『それは何よりね。あの子どんな様子かしら?』
『真面目でしっかりしてて、驚かされっぱなしです。今は弟子が来るからって言って片付けをしているようです』
「あれ、クロスさん、どうしたんですか?」
本棚の裏から洗濯カゴを取り出したケリーに声をかけられた。
「ん、師匠から連絡がきたので」
「アッサルートさんからですか」
「そうですそうです」
「ちょっと代わってもらっていいですか?」
洗濯カゴを置き、まだ少し眠たげな眼で見上げる。
クロスからしてみれば、断る理由もない。
洗濯カゴには洗濯物が満載であったが、この程度ならば彼とて手慣れたものである。
「ええ、いいですよ。どぞ」
羽ペンを差したインク壺と相互紙を手渡す。
彼女はそれを受け取ると、机にそれらを並べてせっせと挨拶から書き始めた。
その熱心な背を見ながら、洗濯カゴを持ち上げて外に出る。
朝の風は少し強い。洗濯物が吹き飛ばされるほどでは無いものの、木々の葉を揺らし木漏れ日溜まりをゆらゆらと漂わせる。
天気は快晴で、物干しには絶好の日和であった。
近くの小川から引き込んである小水路から桶に水を溜め、そこに衣服を放り込んで洗濯石で擦る。
力を込め、それでいて繊維を傷つけないという熟練した手つきであれば汚れはあっという間に落ちる。
両の手があるのならば、魔法を上回る便利さを発揮することも多い。
洗濯もその一つであり、魔力の業に習熟した魔女を技術で容易く上回れる、この家事がクロスは大好きであった。
よく洗った衣服を絞り、再度洗濯カゴに移し、広げて物干し竿に吊るす。
半分ほどを吊るし終えた所で、ふと、木陰からこちらを覘くいくつもの視線に気付いた。
「ケリー」
用心のため、洗濯石と鉄製洗濯バサミを拾い上げながら、屋内の"眼の魔女"へ呼びかける。
湿った洗濯石であっても、鉄と打ち合わせれば火花を生ずるはずである。
「はいはい」
しかし、ケリーが無警戒にドアから姿を現した時、用心は杞憂へ変じた。
木陰から五人もの少女が飛び出て、満面の笑みを浮かべながら彼女のもとへ走り寄ったからだ。
歳はケリーよりも更に幼く、身なりからして近隣の村娘と思われた。
「せんせい! おはようございます!」
「おはようございます!」
「おはよお!」
「はい、皆さんおはようございます。ナシルさん、よだれが出てますよ」
少女の一人がよだれを拭い、皆が快活に笑う。
娘たちはケリーの周囲に集まって、姉妹のようにはしゃいでいた。
「あの、これって」
おずおずと声をかけると、ケリーはとんがり帽子を傾けてクロスを見遣った。
「皆さん、今日はお客さんが来ています。魔女協会から来たクロス・フォーリーズさんです。ちゃんと挨拶をするんですよ」
「はぁい」
少女たちが遠慮がちにクロスを見る。照れや不安からか、ケリーのローブの裾を掴んでいる子もいた。
咄嗟に、手に持った洗濯石と鉄バサミを体の後ろに隠す。
「おはようございます」
「おはよう、ございます」
「はじめまして・・・」
「おはよ」
それぞれ個性的な挨拶をしながらも、ちゃんと頭をぺこりと下げる初々しい挨拶には、受ける方もつい頭を下げてしまった。
「や、どうも、クロスです。おはようございます」
そんな様子を、魔女は小さく笑いながら見ていた。口元を袖で隠しながら。
「さ、皆さん中へどうぞ。ボルタークッキーが用意してありますよ」
「わあい!」
「きゃー!」
クッキーという単語が出るやいなや我先にと中に突撃してゆく少女たち。
一瞬のうちに二人だけが外に残され、中からは早くもクッキーを分け合う、興奮した相談が響き始めた。
魔女の肩揺れが微かに大きくなる。
「あの、お弟子さんってもしかして」
答えをほぼ知りながらも、確かめずにはおれないのである。
「ええ、あの子たちが私の弟子です」
「やっぱり」
「さて、それじゃあ私はあの子たちの相手をしないといけません。洗濯が済んだらあなたも是非どうぞ」
そこまで言うと、さっさと中へ戻って行ってしまう。
取り残された者は、やや逡巡はしたものの、ひとまずは洗濯を続けることにした。
数十分後、洗濯と小水路の軽い掃除まで済ませて小屋に戻ってみると、少女たちはせり出された本棚を机として、書き物をしていた。
皆が真剣に熱中しており、入室者には気付いていないようだった。
その静けさにあてられ、クロスまで息を殺して忍び足をしてしまう。
そんな彼を、奥で椅子に座っているケリーが手招きした。
彼女の隣には既にもうひとつ椅子が用意してあり、少女たちの間を静かにすり抜けると、借りてきた猫のようにゆっくりと座る。
「今は読み書きを教えています」
ケリーがひっそりと耳打ちする。
クロスはうんうんと頷く。
「この子たち、教堂には通ってないんですか?」
「もちろん通ってますが、教堂では共通語しか教えませんからね。魔女王国時代の魔女たちが遺した文献は、主にカシッド・イル語で書かれています」
「カシィ文化圏発祥だったんですか魔女王国って」
「初代"屍の魔女"はそもそも初代"眼の魔女"の師から薫陶を受けただけの、小作一家出身でしたから。初代"眼の魔女"を守るために、屍術を使って領主に反乱したのが魔女王国の興りなんですよ」
「へぇぇ」
魔女各々に魔女名を配し、代を数え始めるのは、魔女王国が成立してからである。
「せんせい、できた!」
少女の一人が羊皮紙を持って嬉しそうに駆け寄る。
小さな先生は右手で羊皮紙を受け取ると、左手で少女の頭をなでながら紙に書かれた文字に目を通した。
「ええと、Kal-beava neeshelan でいいのかな。ラシャ、これはどういう魔法なの?」
「んと、んとね、ちょうちょが窓から入ってくる魔法なの」
少女はクロスの方に視線を泳がせながら、そう話した。
いつもはいない存在がどう反応するのかが気になるのだろう。
本人は、反応も何も、ただ座り続けるのみだが。
「まあ、素晴らしい魔法ね。でもここは窓が無いから、あの入口からで構わない?」
目線を合わせながら、入口の方を指差す。入口のドアは開きっぱなしである。
閉めようと思えば閉められただろうが、弟子たちが来ている間は明かり取りのために開け放しているのだろう。
少女は先生の問いに四度頷いて意を示した。
「それじゃ、Kal...Kal-beava neeshelan!!」
クロスの前では見せたこともない大仰な姿勢を取りながら、これまた言ったこともない呪文らしき言葉を大声で唱え、両手の指を入口へと向ける。
すると彼女の指先からは光が迸り、真っ直ぐ入口に向かって一筋の道を描きながら飛び出した。
子供らはその光に気を取られていたが、クロスは魔女の右の瞳が一瞬だけ白目を覆うほど拡大したのを見逃さなかった。
「わあ!」
光が放出されてから10秒も経つと、色とりどりの蝶の群れが小屋に押し寄せた。
二十匹は下らない群れは、風に揺れる花びらのように小屋の中で舞い踊る。
子供たちは飛び跳ねながら、捕まえようと両手を振り回した。
クロスが訝しげな視線を蝶たちに向けていると、ケリーがそっと耳打ちする。
「こうやって彼女たちに魔法を作らせながら、カシッド・イル語を教えるんです」
「なるほど。でも、これはどうやったんです?」
「魔鳴法で光を集めて飛ばしただけです。蝶たちは"目"で誘導したものですが」
Kal-beava neeshelan。「四枚羽よ来たれ」。
魔法に於いて呪文というのは魔法の名前であり、必要な要素ではない。
「これからこの魔法を使う」という周囲への表明や注意喚起として、魔法の名前を呼びながら実行する場合はある。
だが大抵は、既知の者から無知の者へのこけおどしであった。
「でも、これなら楽しく勉強できますからね。自分の考えた魔法を、先生が現実にしてくれるんですから」
「せんせい! みてみて!」
少女の一人が捕まえた蝶を見せようとやって来た。
差し出された手が広げられると、小さな掌の上で一羽の蝶がじっと静かに佇んでいた。
「まあ、とても素敵ねラシャ」
そう言って、蝶にふっと息を吹きかけると、捕まってなどいなかったかのように元気な羽ばたきを見せながら飛び立つ。
「ke leder」
入口を指差し、そう言い放つと、蝶の群れは渦を巻きながら合流した。
そして、指先に従うようにして螺旋を描きながら外へと出て行く。
その様子を、子供らは憧れと輝きに満ちた目で見送っていた。
「とっても綺麗な魔法でしたね。皆さんで、もっともっと素敵な魔法を作りましょう」
手を叩きながらそう言えば、子供らは一様に「はあい」と快活に返事をして、再び書き物に向かった。
和気あいあいと、楽しげに魔法の名前をカシッド・イル語で作っていくのだ。
それが実現した時の様子を思い描き、心を躍らせながら。
そんな彼女らの姿を、満足げな笑顔でケリーが見守っているのだ。
四時間の後、"眼の魔女"の弟子らは帰途についた。
様々な奇想天外な魔法を作り上げ、花を生やし、菓子を作り、ゼリーの海で小屋を満たした。
花火を上げ、瞳の色を虹色にし、体を浮かせ、動物たちを呼び集めた。
どの魔法も"原初の目"が生み出し、そして消し去っていった。
その後はお茶会を開き、雑談をしながら唯一の男子であるクロスをからかったり、村で気になってる男の子との恋話や、家での悩み事の相談や愚痴披露を繰り広げていた。
茶と茶菓子に舌鼓を打たせ、昼食前になると、余った菓子をそれぞれ手土産に持たせて帰らせた。
魔法の修行というより、それは遊びの集いであった。
「いやあ、驚きましたよ」
弟子たちが食べ散らかしていった茶菓子の屑を片付けながら、クロスは呟くように言った。
「あの子たちの誰かが、次の"眼の魔女"を受け継ぐんですね」
呟くようではあったが、言葉そのものはケリーに向けられていた。
彼女は本を棚に戻しながら、無言の背中と本を置く音で以って応えた。
「私より若い魔女の弟子なんて、初めて見ましたよ。あんな子供のうちから教えるものなんですね」
かくいうクロスも、師から魔法の手ほどきを初めて受けたのは六歳の時だった。
それでも、それが普通であるとは思っていなかった。
自分は病気だから、自分が特殊な事例だから、魔女協会でのこれまでの暮らしの全てが、そう動機付けられていた。
「クロスさん」
一際大きく、本の背が木製の棚を叩く音が響いた。
「私の師は、29歳で亡くなりました」
背を向けたままで、表情を伺い知るのは叶わなかったが、声色は淡々としており、動作にも淀みは無い。
しかしクロスは手を止め、彼女の背を見つめた。
「21代目は25歳で死亡、20代目は31歳で、19代目は22歳で、いずれも事故ではなく自然死しています」
人間の寿命は最大で120歳程度と言われている。
統王によって民族認定されている種の中で最も短命なものでも、50年は生きる。
「6代目は魔界原種のゴルナ族でしたが、62歳で亡くなっています。少数民族ながら230歳は生きる種なのに、です」
魔女そのものが殊更に短命であるという話は聞いたことがない。
魔力というエネルギーは魂に守られながら、少量ずつ消費されていく活力であり、それも食事等で日常的に補充されるものである。
肉体の衰えがある故に、肉体に守られる魂も弱まり、魂に守られる魔力の消耗も早まって死すのが寿命とされる。
が、肉体の衰えも魂の耗弱も無しに魔力だけが急速に消耗し、枯れ果てても死に至る。
魂の発達不良や傷によって魔力が漏れ出し続けている、というのが最も多い事例であったが──
「"原初の目"のせいなんですか?」
「恐らくは」
──魂の内部で魔力を消費し続ける存在も、原因となり得た。
「私はあとせいぜい10年と言ったところでしょう。だから、後進の育成も早いうちから手をつけねばなりません。先代もそうしていました」
クロスは言葉を失った。
絶句したりショックを受けたりしたのではなく、どの言葉からかけていくべきなのかを計りかねたからだ。
彼女は変わらず、背を向けたまま本棚を整理している。平静そのもので。
「あの子たちは、知ってるんですか?」
「あなたが今知ったのに、あの子たちが知っていると思いますか?」
「確かに、そう、ですけど」
魔女協会本部で17年間を過ごした上、その半分以上を協会長の弟子として学んだ。
魔女の弟子としては、当然ながらあの子らより先輩にあたる。
「でも、あんまりじゃないですか。100年も寿命を奪うなんて」
ケリーの手が止まる。
「そうですね、酷すぎます。何も知らない子供の命を100年も奪って、それを使命だ運命だと嘯かなくちゃなりません」
手を止めても、彼女は振り向かなかった。自分の今の顔を見せたくなかったのである。
余人の視認に堪えうる自信を、完全には持ち切れなかったのだ。
「私は、人殺しになるんです」
だが、その言葉とともに振り向いた時には、さざなみ一つない静穏なる表情であった。
それを見て、クロスはようやく、"眼の魔女"が刻んできた歴史の一端を感じ取った。
一代毎に、一人毎に、伝統と使命が嵩んで重くのしかかる。
削られた100年の命は、新たな100年分の重みとなって加算され、次代に託されるのだ。
"原初の目"は力であり、力であるが故に呪いである。
自らの定位置である椅子へと歩み、腰掛ける。
彼女の足取りに乱れは無く、とんがり帽子を手にとって被り直す仕草にも震えは無かった。
「でも、希望もあります。何故だかわかりますか?」
その声は、あたかも生徒に教え諭す教師のようであった。
先ほどの子供たちにかけるような猫なで声ではなく、冷徹で、威厳すら漂わせる声であった。
クロスは小さく、首を横に振る。
「それは私が魔女だからです」
帽子のつばを掴んで傾け、お互いの顔をしっかり視認できるようにする。
彼女の右目には赤と灰色の純然たる力の色が滾り、左眼には静かだが断固たる力の光が宿っていた。
「ただ"原初の目"の器を求めるだけなら、知識など要らなかった。ただ"原初の目"を封じるだけならば、魔女になる必要はなかった。単なる女であれば十分だったのに、ただの一代たりとて、魔女を辞めた者はいなかったんです」
左眼に宿った力には、右目の光に抗うかのような意思の強さがあったが、その瞳の黒さには表層の力を超えた歴史すら存在した。
「何十、いえ何百と続いた"眼の魔女"は誰一人として諦めませんでした。だから私も諦めません。『どんな小さな一歩であろうと必ず前には進み続ける』。この受け継がれた誓いは神聖さすら帯びるほどに古く、堅固さを得るほどに擦り切れているのですから」
十代の半ばまで生きているかどうかという少女が見せる表情としては、余りにも固く、決意に満ち、熟練した強さがあった。
初々しい若さから来るものではなく、経験と歴史に裏打ちされた眼であった。
年上であるクロスにも読み取り切れぬ、覚悟の顔であった。
「なぜ学ぶのか? それはより良くなるためです。必ず"原初の目"には対処します。勝利してみせます。その決意と狂気、歴史と刹那こそが、私たち魔女の本質です。ぶれない矛盾、それこそ私たちの誓いであり力です」
そこにいるのは十代の少女ではない。遥か数え切れぬ程の時を一つずつ数えてきた"眼の魔女"そのものなのである。
椅子に座し懇々と魔女を説く姿には、決然とした情熱と、整然とした冷徹が同居していた。
「"石の魔女"、"鉄の魔女"、"光の魔女"、"群の魔女"、"胞の魔女"、"兵の魔女"、"界の魔女"、"鳥の魔女"、"腑の魔女"、"鋤の魔女"、"軍の魔女"、"史の魔女"」
クロスは息を呑んだ。
自らの師より託された使命の意図を掴みつつあったが故に。
「彼女たちに会い、よく学びなさい。手紙を届け、仕事に触れ、その全てを飲み込んで、全員が魔女学会の場に集った時、あなたは何かに変わっていることでしょう」
帽子の鍔を引き、目を一度隠す。
「その時を私は心待ちにしていますよ、"十字路の拾い子"さん」
そして、再びクロスに見せた顔は、屈託のない、あくまで少女然とした満面の笑みであった。
クロスがそれに反応を示す前に、笑顔のままの彼女の右目が見開かれ、瞳孔が分裂していた。
直後に、クロスは馬車の荷台に座って揺られている自分に気付いた。
旅装も整い、隣にはザックも置かれ、左手には地図を握り締めている。
日はまだ高いが、一瞬であの小屋からここに運ばれたとも思われなかった。
慌てて持ち物を確かめても、何か変わったような所もない。
「……ひどいことするなあ」
足を外に投げ出したまま、荷台の藁束に倒れこむ。
無理矢理追い出すように送り出すのが魔女流なのだろうか、などと考えながら。
あと12人の魔女と、12通の手紙。
この旅が終わった時、何かに変わっているだろう、との言葉が反芻される。
十字路に捨てられ、魔女に拾われ、死人に囲まれて育ち、欠けた魂の傷を押さえながら生きてきた。
何を肯定することも、何を否定することもなく、水を注がれるならそのままに、酒を注がれるならそのままに受け入れる杯のように知識と技術を受け入れてきた。
そうして、ただ何となく時が過ぎていくのだろう。それも自分は受け入れられるだろう。
考えるともなしに、そう考えて人生を過ごしてきていた彼が、何者かになるための旅。
それがこの旅の目的なのだろうか? 師の望みなのだろうか?
ともあれ、使命を遂げることだ。
使命を遂げた結果を考える必要はない。自分はその結果を受け入れられるだろう。
「あ、そうだ」
まずは、師に報告をすることだ。
ポケットの中で震え始めた相互紙を掴みながら、クロスは体を起こした。