屍の魔女2
『クロス、あなた王都に来なさい』
裁判も済み、モル・ニスから発つ準備をしていた時、前触れなく師よりそう申しつけられた。
「大トカゲ車の準備ができましたよ」
扉を開け、ひょっこり顔を出したクリンにも呼びつけられる。
片手を上げて「あい」と応えると直ぐに引っ込んだが、相互紙への返事はまだしていなかった。
予定ではこの後、北上してデルグンドラ諸侯に見え、"腑の魔女"と"鋤の魔女"を探すつもりだった。
デルグンドラ諸侯らが治めるディゴ荒野地方は広大で、魔女も多数滞在している。
彼の地に於いて資源は乏しく、人々の気性も荒いため、さっさと済ませてから王都にとって返し、のんびり観光でもしようとの算段であったのだ。
それが、先に王都に来いと師に言われてしまったのである。
『どうしてですか?』
当然、訊き返した。
『流れで統王にあなたのこと話したら、会ってみたいそうよ』
『わかりました今すぐ行きます』
かくして王都行きが決まった。
「えっ、王都行くの?」
見送りのために大トカゲ車の傍に来ていた"光の魔女"が素っ頓狂な声を上げる。
クリンの方は無言で、御者に金を握らせに行った。
「ええ、統王様が会ってくださるそうなんですよ」
その声は弾んでいた。憧れの人に会える期待と喜びに、表情は自然と綻ぶ。
「ふぅぅぅーーーーーんん」
対する"光の魔女"は明らかにわざとらしく、含みをもたせて口を尖らせた。
「あたし統王見たことあるわよ」
「えっ、いつですか?」
「"魔女問答"のとき。先代の"腑の魔女"に連れられて、遠目だったけど多分見たわよね? ねー?」
「私には計りかねます」
御者と打ち合わせながらも的確に相槌を返すクリン。
それだけで嬉しかったのか、"光の魔女"は満足そうにむふふと笑った。
「ま、でも、後で『あれが魔界王だ』って言われなきゃ分かんなかったけどね。ハッキリ言って普通の男だったわよ。ゴン・ガンク族にしちゃ細身だったし」
「統王様は奇形ですからね。角も後ろの一本だけが無くて、三本角なんですよ」
「へー。てことはやっぱりあれが統王だったのね」
魔女問答とは、統王と7代目"屍の魔女"の問答を、故事として残したものである。
統世史書に詳細な記述があり、魔女王国が統王に降伏するに至った経緯が著されている。
「どんな話が聞けるのか、今から楽しみでしょうがないですよ。統世史書はもう全部諳んじれますから」
「物好きねえ。歴史なんて、吹けば飛ぶような妄想と大して変わらないじゃない。天核教の連中の世迷言よりは、事実かもしれないって点でまだマシって程度だわ」
「話がつきましたよ」
これまた絶妙なタイミングでクリンが割り入った。
「王都まで行っていただけるそうです」
準備が整ったことを知り、荷物を背負って姿勢を正す。
"光の魔女"とクリンの方へ向き直り、恭しく礼をした。
「グーニィさん、クリンさん、お世話になりました。また学会でお会いしましょう」
二人は笑みを返す。クリンは優しく笑み、"光の魔女"は子供のように破顔した。
「こちらこそ、お世話になりました。どうかお元気で」
「協会長によろしくね! 届け物ちゃんと渡しなさいよ!」
笑みには、笑みで返さねばなるまい。
クロスも笑みを向け、はっきり「はい!」と応えた。
そうして、大トカゲ車はクロスを乗せ、王都へ向けて動き出した。
二人は手を振ってそれを見送り、クロスは"光の魔女"から預かった届け物を改めて見せ、ポケットに押し込んだ。
王都へは一週間の道のりとなるだろう。
大トカゲ車はモル・ニスの街から西へ2日進み、関所を超えた後は峠道を北へ3日進む。
それから、再びスロヴ平野を西へ2日進むと、まずは宿場町に到着する。
ここから南西方面へ1日半行けば、王都に辿り着くのだ。
「あんちゃん、着いたよお!」
御者の声で居眠りから飛び起きる。
毛布や棉布など敷き詰め、木組みの屋根まで張っていた荷台から顔を出せば、そこに広がるはタルギンにも劣らぬ城壁の連なりであった。
版築工法の壁を幾層もの強化煉瓦で覆い、その隙間を鉄で埋めた高さ30mもの壁が都市一つを丸ごと囲む。
城門は大きく、分厚く、楼の一つ一つには微細な意匠が隅々まで施されていた。
鉄が反射する光は、壁全体を鈍色に輝かせ、その堅牢さをこれでもかというほどに示している。
王都スロウ・マーグ。
スロヴ文化圏随一の都市に手を加えて作り上げられた都は、文化の中心地であると同時に、現界最大の軍事要塞だった。
だが、どのような壁と門も、結局は衛兵を置くものである。
クロスの乗る大トカゲ車は、他の車と同様、列に並び衛兵の検査を受けた。
とはいえ、門は5台の大トカゲ車が並んで通れるほど広く、数十両の車が渋滞せず通り抜けられた。
それは最早門というよりはトンネルと呼べるほどの分厚さであり、見上げると天井にカンテラが吊るしてあった。
衛兵の装備も革鎧や平服ではなく板金鎧であり、兜や脛当てまで身に着けている。
武器は長槍と腰に下げた手斧であり、流石に剣は佩いていない。
しかし門の大きさと数から言って、衛兵だけでもかなり大規模な組織であるのは明白。
その全てに、板金鎧、兜、脛当て、槍に近接・投擲用の携帯武器まで装備させているのだ。
それはまさに、統王の御世の繁栄を象徴していた。
「わぁあ」
そして、その程度の象徴などは、この都には溢れ返っていた。
どこよりも大規模な街並みには、数階建ての建物が所狭しと詰め込まれている。
かといって雑然とはしておらず、石材を主として、木材、煉瓦に鋳物等の様々な建材が組み合わさったデザインには統一性があった。
全ての建物には人々の生活の痕跡があり、道行く者らの身なりは労働者から富裕者まで清潔であった。
「水の広場まででいいのかい?」
御者の言葉に「はい、お願いします」と答える。
大トカゲ車は大通りに入り、街中を進んだ。
スロウ・マーグはスロヴ語で「人々の巣」という意味であり、元々は円形で蜘蛛の巣状に区画分けされた都市だった。
そこに統王が碁盤の目状に区画分けされた外縁部と城壁を付け足し、全体の道を調整したのが今の王都である。
その際、蜘蛛の巣状の中心部と碁盤の目状の外縁部の境界線にいくつか、居住に適さない余った土地が生じることがわかった。
通常ならば放っておいて民衆が好きに使うに任せるものだが、統王はむしろ余った土地を更に広くとって広場に仕立て、それぞれに都市基盤の機能を持たせた。
水の広場はそうした場所の一つであり、街全体に張り巡らされた上水の要衝の一つだった。
そこへ向かいながら、往来する人々をただ眺める。それだけでも、今のクロスには十分に楽しめた。
天核教の巡礼者、鼻輪をつけた爬虫人、焼き菓子を買い求めるボーグル、小物雑貨屋の前で群れをなすアーゲルンの聖職者たち。
現界ゆえ人間が最も多かったが、ここ王都はまさに人種と文化の坩堝。
一人一人が全く異なる衣服や装飾品に身を包み、文化ごとの行動を取りながらも、殆どが同じ言語を話している。
それは些か奇妙な光景でもあった。
「あんちゃん、王都は初めてなんかい?」
まじまじと街の様子を眺めるクロスを察して、御者が声をかける。
その声は、やや自慢げであった。
「ええ、すごい場所ですね。どこもこんな感じなんですか?」
対するクロスは実に無邪気である。普段とは、明らかに異なっていた。
「ああそうだよ! 俺もいろんなとこ回ってっけど、やっぱりここは別格だねぇ」
御者の声はますます得意げに弾む。
「大抵の都市にゃ、何とか人街、みたいな種族毎の区画があるもんだけど、ここにゃあそういうのがねえんだ。それだけでも大したもんだよ! 飢えてる人間を見かけた事もねえし、どこもかしこも綺麗なもんさ」
確かに、と首肯しつつも、これ程とは、との驚きも覚える。
表通りの活気だけではない。裏通りや細道の至る所から、炊煙や縦長の煙が上がり、作業の音が響いてくる。
立働く者たちは、荷役や人足といった重労働者までもが、瞳に活力を漲らせ、様々な表情を見せていた。
全ての人々が明日の不安を思う事なく、ただ目の前の現状を享受して生きていける世界。
世界中に存在するあらゆる文化を放り込んでビクともしない都。
一代で世界を統一し、全てを変えた男が手ずから作り上げた都市。
目の前に広がるのは、まさにクロスにとっての理想であった。
早く会いたいとの気持ちが募る。恋する乙女が如く、高鳴る心臓を鎮められなかった。
「さ、着いたよォ」
大トカゲ車が車道の端に停まる。
礼を述べ、荷物をまとめて降りると、トカゲ車は一旦広場に入ってから、別の車道へと折れて行った。
水の広場は中央の大噴水と溜池から、周囲一帯の上水道へ水を送る場所だ。
圧力を作り出すために高く噴き上げられている噴水と、八方へ伸びる水路の溝型の起点、そしてその広さから、待ち合わせ場所としてしばしば利用されている。
「あ、クロスぅ〜、やっほ〜」
当然、そう使うためにここへ来たのだ。
大噴水の飛沫止めの近くから、手を振って歩いてくる魔女が一人。
大きな魔女帽に、肩と胸元が露出した黒い厚手のドレス、そして膝上までスリットの入ったロングスカートを揺らし、笑顔を振りまく。
「お久しぶりです、お師匠様」
彼女こそ現魔女協会会長、シリネディーク城主、屍術の革命者、髑髏の手、『死人の軍勢』総帥にして9代目"屍の魔女"ストイル・カグズ・アッサルートである。
「いやん、久しぶりね〜。元気だったかしらぁ?」
あくまで礼を取るクロスを全力で抱擁する。
年齢は既に40を超しているはずだが、肌の張りツヤといい、声色といい、体つき顔つきといい、20代前半にしか見られない。
艶かしいドレスと大きく目立つ魔女帽を見事に着こなしており、吊り目を柔らかく曲げ、瑞々しい唇から甘く囁く姿は魔女そのものだ。
「ええ、なんとか」
と、クロスは言ったつもりだったが、実際はもごもごと意味をなさない呻きになった。
抱擁で顔が胸に埋もれたためであった。
「ちゃあんとお仕事できて、私も鼻が高いわ〜。よちちち〜」
その抱擁から解かれても、今度は頭をなでられる。
公衆の面前で赤子のように扱われる恥ずかしさもあったが、好きにさせてやるのが一番良いと経験から知っていた。
こういう時は制止しようとするのではなく、質問するのが有効である。
「あの、お師匠様、統王様に会えると聞いて来たのですが」
頭をなでる動作が止まる。不機嫌になったわけではない、整った顔には相変わらず笑みが浮かんでいる。
「ええ、会えるわよ〜。でも明日ね。統王には私から伝えておくから、今日はゆっくり休みなさいね?」
クロスにとって、アッサルートは師匠であり、母親のような存在でもある。
彼女も弟子を愛したが、それは母親というよりは叔母に近い愛であった。
それは自覚があり、クロスもまたそれを知っていた。
「えっと、宿はどこです?」
「こっちよ〜、ついてきなさい」
今度は手を振りながら離れていく。
行動がいちいち素早い人であり、クロスは慌てて後を追いかけざるを得なかった。
アッサルートは商店街に入り、裏道へ逸れ、第二換勘場広場を抜け、少し住宅地に食い込んだところで止まった。
「あれ、ここって」
赤と黄色の顔料で塗り立てられた派手な玄関。
高さよりも奥行きと横幅で、大きく場所をとって威圧する店構え。
どこよりも大きな看板は両脇のランタンに飾られている。
そこに書かれている文字は大きく、太く、力強く、そして乱暴だった。
『ゴルゴリン・ゴブリン連合商会』
その本部である。
「ただいま〜」
一切臆することなく突入するアッサルート。
あまりにも堂々としていて、ついていくのが遅れてしまった。
建物の中は、商会の本部というよりも古物商の小売店のようだった。
所狭しと並んだ棚には様々な品が陳列されており、小さなものは耳飾りから、大きなものは兵車まで取り揃えてあった。
それら棚の林の最奥のカウンターに、一人の老いたゴブリンが座っていた。
彼はアッサルートが店に入ると、虫の鳴くような声で「おかえりなさい」と告げる。
その視線と指先は常に手元の算術盤へと向けられていた。
明らかに鬱陶しそうな、気怠げな態度であったが、アッサルートは構わず前進し、カウンターに手を置く。
「カギマノいるかしらぁ? 前話してたうちの弟子、連れて来たわよん」
笑みと柔らかな口調は崩さなかったが、態度には威圧が滲んでいた。
老ゴブリンはため息をつく。算術盤を操作し、記帳に記録する手は止めないままに、目だけをジロリと動かす。
小さな体にはめ込まれたかのような大きな目玉が数秒だけ、クロスの姿を捉えた。
「どうぞ、頭取がお待ちです」
眼鏡を直し、消え入りそうな声で告げながらカウンター下に手を伸ばし、取っ手を引く。
するとカウンター裏の壁がカラクリ仕掛けで開き、ちょうど躙り口のような形となった。
「お邪魔〜♪」
自分の服装を気にも留めず、上機嫌でそれを潜る。声色はなんだか楽しげですらあった。
クロスは老ゴブリンに一礼し、ゆっくり後を追う。
躙り口の先は木造の回廊になっていた。
木の廊下に、天井。外壁には部屋への出入り口が据えられ、内壁の内部は物置になっているようだった。
外壁の部屋への出入りは引き戸であり、天井は低く道幅も狭い。
更に、一つの部屋を通り抜けた先にも回廊があり、部屋と回廊が交互に組み合わさった迷路のような構造だった。
アッサルートはその迷路を苦もなく進んでいく。
行き交うゴブリンたちを跨ぎ、時に飛び越え、一秒たりとも躊躇しなかった。
ゴブリンの岩窟を木造建築で再現したような迷路の中を、止まることなく突き進む。
「カギマノ〜」
そして、最後の引き戸をノックも無しに開いた。
「おぉい!? ノックをしろノックを!」
その先で、慌てて書類を後ろに隠したのは、一人の太ったゴブリンだった。
片眼鏡に山高帽、宝石をあしらった貴族服を身に着け、パイプなど洒落たものを喫っている。
腕は太く、腹は出て、首は顎から張り出した、赤鼻のゴブリン。
「紹介するわねクロス。こいつがゴルゴリン・ゴブリン連合の頭取、カギマノ・ネヘヤンクよ」
「ど、どうも初めまして」
挨拶し、礼を示すと、カギマノは片眼鏡を直しつつ身を乗り出してクロスを見た。
それはまさしく、品を鑑定する商人そのものの目つきだった。
「カギマノ〜、私の弟子をそんな風に見たらぶっ殺すわよ♪」
「ああ、昔の癖だ、気にするな。こいつがお前の弟子なのか?」
「ええそうよ、王都に滞在する間はここに置いてあげてね〜」
思わず「えっ」と声を漏らしてしまった。
てっきり商会が別の宿屋を用立ててくれるのかと思っていたら、まさにここが寝ぐらなのだと言うのだ。
しかも話しぶりからして、それは以前から決まっていたらしい。
「人間用の新しい客間は用意してあるが、急造だったからな。手狭かもしれんぞ?」
「だぁいじょうぶよ。こう見えて結構旅慣れた子なのよ〜?」
着々と話が進んで行く中で、思わずアッサルートを呼び止めた。
振り向き、首を傾げながら「なぁに?」と、さも当然のように訊ねられる。
「あの、ここに住むんですか?」
「どうしたのぉ? ゴブリンは嫌い?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけれど、王都にも、魔女の方々いらっしゃいますよね?」
「彼女たちに迷惑かけるわけにはいかないでしょう? 必要な用事もないのに押しかけちゃあね〜」
「オレならいいのかよ」
カギマノの愚痴めいた割り込みは完全に無視された。
「大丈夫、ちょっと金にがめついカス野郎なだけで、悪い人じゃあないから♪」
「奴隷はもう商ってないって……」
曇りも淀みもない満面の笑みの向こうで、カギマノがぶつくさと呟く。
「は、はぁ」
クロスは苦笑いを張り付かせながら、頷くしかなかった。
「じゃあ決まりね〜。前から決まってはいたけれどねっ」
腰に手を当て、びしっとポーズを決める。
子供じみた振る舞いに恥ずかしさすら覚えたが、カギマノはパイプを喫い直すばかり。
これが、彼の師匠。そして当世最高峰の魔女の一人の、偽りなき姿だった。




