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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
眼の章
3/182

眼の魔女3

「眼を制するというのは、相手の魂を制するということです。視覚のトリックや眼に関する魔法は、相手の魂に接触しようとするものが殆どの、非常に高度な術になります」


夕食の卓に共についたまま、熱心な講義が続いている。

ゴラ肉の燻製、青ニンジンとバオ麦と川魚のスープ、チーズ入りパン、ボルター穀醤。これらの料理を用意している間、そしていま食べている最中もずっとこのように話し続けていた。

張り切ったご馳走の甲斐もあって、クロスの舌と胃は十分に楽しんではいたが、彼女の知識と言葉の豊富さにただ感心するばかりで食事に集中する余力などはなかった。

初めはささやかな円卓を挟むように座っていた両者だったが、今ではケリーの椅子はクロスのすぐ隣にまで迫っている。


「しかし中には、肉体の構造を利用した単純な魔法もあります。例えば盲点拡張法です。人間は眼玉の中の薄い膜が光を受け取って、その像を視神経を通じて脳に送り、脳から魂へと伝達されることで視覚を認識します。しかし視神経の束がある部分には眼玉の膜が無いので光を受け取れず、見えない部分になっています。それを盲点と言うのですが、位置的には視界のやや外側にあるので、魔漏法でそれを少し広げてやれば──」


ぱちん、とクロスの頬に軽い衝撃が走った。驚いて眼を開いて大きく仰け反ってしまう。

その反応を見て、小さな講師は微笑みを浮かべた。


「──こんなふうに、視界の外側からの攻撃への反応を遅らせられます。咄嗟の護身術として便利ですよ。大丈夫ですか?」


小さなてのひらが、彼の頬を打っていたのだ。

盲点以外の視野がほぼ補ってしまうため、日常生活で盲点は問題にならない。

それが習慣として肉体と魂に染み付いているため、それを少し広げられても差異を感じ取られないのだ。


「あっ、はい、大丈夫です。でも、魔漏法っていうことは、自分の魔力を消費しちゃうんですか?」

「この程度なら、食事等の日常生活で十分に補給可能です。連続して使えば一時的に消耗はしますけど」

「へぇぇ、魂の損傷も無いんですか?」


頷く彼女の頭の動きに合わせて、黒い短髪もさらさらと揺らめく。


「ちょっとやってみましょう。魔漏法は心得ていますよね?」

「えっ」


自分の顔を指差しながら、ケリーは先ほどの術を使うよう促した。

突然の実践にやや戸惑いながらも、"原初の目"の力を宿した右目でじっと見つめられてしまっては、抗い難いように思えてならなかった。


「えーと、こう、かな?」


魔漏法──魂の内に守られている自身の魔力を、魂の壁を部分的に薄くして滲み出させる方法──によって魔力を取り出し、肉体へと通す。その魔力を、血液を指先から絞り出すようなイメージで指先から放出した。

それは眼に見えない力であったが、受け手である上に魔女であるケリーには何らかの感覚として捉えられたようだった。


「違う違う、そういう感じではなくってですね、こう、胸筋で自分の心臓を弾き飛ばして相手の目玉に放り込むようなイメージです。そういう感覚で力を込めてみてください」

「えぇ?」


なんとも頓狂なイメージの指示に困惑しつつも、取り敢えずは実践を試みる。

これで上手くいっているのか、クロス本人からしてみれば不安ではあった。

故に、確かめてみようと、魔力を彼女の左目に放り込みつつ右手を頬に向けて素早く伸ばした。

はたくのではなく、触るように伸ばした手であったが、それは結局止められてしまう。

伸ばされた右腕にケリーが抱きついて止めたのだ。


「上出来、です。その感覚を忘れちゃダメですよ?」


先のような微笑みではなく、にっこりと大きな笑みをたたえる。

頬に触れるのは上手くいかなかったが、どうやら魔法そのものは成功だったようだ。


「さ、それではさっさと食べちゃいましょう。この後は狩りがありますからね」


かかえた右腕を解放し、席を立つ。

見ると、ケリーの食器はいつの間にか空であった。

熱のこもった講義を行いながら、食事も手早く済ますとは実に器用だったが、それ以上に彼女の言葉が引っかかる。


「え? 狩り?」


この小さな"眼の魔女"様が立派な魔女であるのは今や疑いようも無いが、見た目は10代前半の少女である。

部屋中に押し込められた本という生活の様からも、狩りのため野を駆けるというのはかけ離れた印象だ。


「人前にあまり姿を見せないガロウが、ここ数日近隣の村人たちによって目撃されています。まさかとは思いますが、人に害をなすつもりならその前に止めないといけません」


クロスはここに来る途上でガロウの群れに遭遇したことを思い出した。

遭遇した、と言っても遠目に数匹が通りがかるのを見ただけであったが、確実に気付かれてはいただろう。

魔界由来の獣の一種であり、高度な知能と結束力を有する肉食動物であるが、そのぶん貪欲でもある。


「なにより、村人たちがあんまり不安がるとガロウ以上の害になりかねませんからね」


彼女の口調は淡々としたものであったが、その言葉が意味するものはクロスには図りかねた。

しかしひとまずは、急いで料理を食べ進める。ケリーが食器を片付け始めたからだ。




『"眼の魔女"は他の魔女とも広い交友関係を持っているわ。そもそも魔女王国の興りは、初代"屍の魔女"と"眼の魔女"との友情から始まったのよ。歴史の授業じゃないから詳細は省くけれど、魔女協会は魔女王国時代の記録を引き継いでいるから、今でも系譜ぐるみでの付き合いや研究上の協力関係にあるものが多いのよ。

 "眼の魔女"はその最たるものの一つ。だから他の魔女についても訊ねてみるといいわ』









辺りはとっぷりと暮れ、満月が照らす野林を二人は歩いていた。

夜鳴き鳥の声や虫の声が微かに、それでも途切れずに耳を打つ。

先頭を行くのはケリー。普段の灰色のローブととんがり帽子に加えて、長丈の簡素なケープと、それを留める首元の金のブローチを身につけ、野歩き用の杖を携えている。

その後ろを行くはクロス。旅装の外套を身に着けたままで、左手からランタンを下げていた。


「何かアテはあるんですか?」


満月の月明かりで視界は良好である。ランタンは灯りとしてではなく、火種として持ち歩いているものだ。狩る対象を見つけた時のために。

しかし何はともあれ、見つけなくては仕方がないのだ。


「目撃情報の多い西側に向かっています。でもガロウは賢いですから、痕跡を見つけるのは難しいかもしれませんね」

「痕跡を隠すようなら、どうして人前に姿を見せるんでしょう」

「わかりません。何か事情があるのかも」


杖を振って適当に空気中の魔力をかき回しながら進んでゆく。

自然界にごくありふれてはいるものの、活用できるほどの濃度は無い魔力も、魔物を探知するには役立つのだろう。


「そうだ、"原初の目"を使えばすぐに見つかるんじゃないですか?」

「ガロウが相手なら"見返される"可能性があります。位置を気取られて危険に陥るのは、こちらの方です」


とんがり帽子の先端が痙攣するように震える。

かき回した魔力の流れを敏感に感じ取っているのだ。

生物には毛ほども感じ取れない潮流を。


「まあ、それでも対処は出来るでしょうが、不利を覆すほどの大きな力を"原初の目"からもたらすのは、全てに勝る危険ですから」


ガロウが厄介な生物である、"原初の目"が恐るべき力を秘めている、どちらも事実なのだろう。

しかしやはり、クロスには疑問があった。再び問いはしなかったが。

聞かされた答えに、未だ納得を尽くせていないのだ。


「ケリーさん、そのブローチは?」


故に、話題を変えることにしたのだろう。

夜の森を会話もなく歩き続けるには、二人とも若すぎたのだ。


「あ、これは当代の"光の魔女"さんからもらったんです。"眼の魔女"の継承祝いにって」


襟元で月光を浴びて輝く金色のブローチを撫でる。

眼をかたどった意匠と金の輝きは、他の衣服の地味な色合いの中では際立って目立っていた。


「私は紺銅製でいいと言ったんですが、お祝いは金だって聞かなくって」


言葉とは裏腹に、彼女は愛おしそうにブローチを見下ろしていた。

小さく、細い指が慈しむように目玉の意匠をさする。


「"光の魔女"とは親しいんですか?」

「ええ、まあ、研究の内容も似ているので、よく協力し合うんです。明るくて、楽しい方ですよ。協会長からは何か聞いていますか?」


協会長。クロスの師でもある9代目"屍の魔女"ストイル・カグズ・アッサルートだ。

彼女の言いつけで、クロスは魔女協会の第二団に属する魔女全員に会いに行かなくてはならないのである。

学会の招待状を渡すために。


「いえ、特には」

「そうですか……まあ、会う時になったら教えてくれるでしょう」

「うーん、そうだといいんですけど」


とんがり帽子の震えが止む。魔力をかき回していた杖の動きが止まったからだ。


「私から言えるのは、彼女はいい人だ、ということだけです。それだけは決して忘れないでください」


声色の真剣さから、クロスは得体の知れない不安を感じ取った。

しかしその不安も、新たな現実的な事実の前に霧散するのである。


細く、それでいて長い高音。獣の遠吠えが鳴り響いたのだ。


歩を止め、咄嗟に身構える。かなり近い。だがかき回した魔力に反応が無かった。

その上──



「ガロウの声じゃない!」



金のブローチを外して掲げる。

その時、ブローチは月明かりの反射光ではなく、自ら光を放った。

真昼のごとき光は、満月の下に於いてですら闇であった陰を照らし出す。


そこから現れたのは、痩せた狼であった。

それも一匹や二匹ではない。少なくとも十を数えるだろう。

涎を垂らし、歪みきった眼で二人を睨む狼の群れが、のっそりと近付いていたのだ。


「飢えた狼の群れ!?」

「なるほど。どうやら、ガロウに一杯食わされたようです」


遭遇したのはガロウではなく、内に秘めた魔力も乏しい、単なる狼の群れ。

より危険な相手ではなかったが、危険であることには変わりがない。

特に、痩せて飢えた狼の自制の利かなさは、動物というよりも災害に近いものである。


「この群れを私たちに排除させるために、人前に姿を現していたんでしょう。こうまで飢えていては、ガロウへの上納を怠るでしょうからね」


ブローチを振って光を消し、髪に挿す。

クロスはと言うと、カンテラを前方に掲げて歩み出ようとしていた。


「ここは任せてくださいな」


しかし、ケリーの右手がそれを押しとどめた。


「ケリーさん、狼たちはまだ様子見をしてくれているようですが、一斉にかかられてはひとたまりも……火で先手を打って牽制しないと」

「雨が四日降っていません。火を使えば延焼します」

「だからって!」


強く反論しようとしたその時、クロスの背筋がびくりと震えた。

感じ取ったからだ。小さな魔女の右目の奥にあるものを。


「クロスさん、ただの子供と見くびりましたか?」


彼女の右目が開かれている。

未熟な魔法使いのクロスにもありありと感じられる。

"原初の目"の蠢きが、空間に存在するあらゆる波を捉えている。



「私は"眼の魔女"ですよ」



右目の眼窩に人差し指が差し入れられる。

指は目の奥へと潜り、引っ掛けるように曲げられると、親指の動きと合わせて目玉を摘んだ。

そうして、微かな水音と糸を千切るような音と共に彼女は自らの目玉を引き抜いた。

突然の行動に、クロスが呆気にとられる暇すらなかったであろう。


「気に入ってたんですが……」


引き抜いた目玉を軽く掌の上で転がしてから、躊躇せず握り潰す。

空洞となった右目の穴からは風が通るような音すら聞こえ、かつてそこにあった瞳がたたえていた光は微塵も残っていなかった。


「な、なにを」


やっとのことで絞り出したクロスの言葉を意に介するでもなく、存在しないはずの右目で狼の群れをねめつける。

空洞にある闇そのものが覗くかのように、それらが狼たちの視線と交わると──



──狼たちが突如悲痛な鳴き声をあげてのたうち始めた。



対して、狼のごとき唸り声をあげたのはケリーの方であった。

まるで狼そのものであるかのように、群れへ一声吠えかける。

それを合図としたかの如く、全ての狼たちの右目が作物のように引き抜けた。

引き抜けた目玉は浮遊し、その全てが、まるで意思を持つかのように、空中を飛んで一点を目指す。

ケリーの右目がかつてあった空洞へと。


目玉たちは空洞へたどり着くと、圧し合い、融け合い、混ざり合い、眼窩を広げながら押し入っていく。

その全てが彼女の空洞へと収まり、回転するように撹拌されながら、形が整う。

数秒後には、空洞は空洞ではなくなり、灰色の瞳に溶岩か火花のごとき赤色と黄色が散った目玉がそこにあった。

広げられた眼窩も元の形へと戻り、初めからそうであったかのように、新たな目玉を受け入れている。


「この目、寄生虫がいるようですね」


自分の頭を杖で軽く叩くと、無数の突起をそなえた小さな蛆のようなものが右目から零れ出た。

地に落ちたそれを容赦なく踏み潰し、念入りに擦り付ける。

そしてギョロリと、新品を試すかのように右目だけを回転させた。


狼たちは既に戦意も飢餓も忘れていた。

恐怖に慄き、情けない声をあげながら、統率も何もなく逃げ散っていくのがせいぜいであった。

この場に集った狼たちの全てが、一瞬のうちに隻眼となったのである。


「これで、あの群れはこの森から出ていくでしょう。彼らの目を増殖させて胃に送り込んでおきましたから、暫く飢えもしないはずです」


ブローチをケープに留め直し、右目をこする。


「クロスさん」


そして、振り向いた。まるで別人であるかのように。


ガロウも狼も、恐ろしくなどはなかった。

しかし、彼女が振り向いた時、クロスの体は硬直していく死体のようにびくりと震えた。


「これは、ほんの僅かな力です。"原初の目"にとって、まどろみの中で寝返りを打つような微かな蠢きです」


言葉も出ない。ただ言葉を聞くのみである。


「私はここに居ながらにして、統王の目を脳まで陥没させることも、あらゆる生物を失明させることすら可能なのです。全てを滅ぼす力がここにあります」


ゆっくりと、抱きとめる直前であるかのように両腕を広げる。



「欲しいと思いますか?」



答えを言えない。ただ口をぱくぱくと動かすのみである。

目の当たりにしたものが、想像していた力とは異なっていたからだ。

漠然と、ただすごいものだと思っていただけだったのだ。


「それが普通の反応です。即答するような異常者が少なからずいる限り、目は閉じられ続けます」


広げた両腕を下ろし、ただ持たれていただけのランタンをひったくるように取る。


「さ、帰りましょう。狼が去れば、ガロウもまた潜むようになるでしょう」


ランタンを奪われたことで、かえって正気を取り戻したのか、クロスはケリーの後から足を動かし始めた。

行きとは打って変わって、帰りは沈黙が二人の間に流れていた。

夜鳴き鳥と虫の声が、月明かりの下でやたらと響く。

踏みしめる草と土の音すら鮮明なほどに、沈黙はただひたすらに貫かれた。




『"原初の目"は女性だけが受け止められる、という言い伝えがあるわ。

 男性に受け継がせた例は無いし、継承の方法も秘伝だとかで絶対に教えちゃいけないようだけれどね。

 魔女王国が魔女王国として成立した理由も、そこにあったようだ、ていうのは私の師匠の弁だけれど。

 とにかく、"眼の魔女"にとって"原初の目"はとても複雑な存在なのよ。だから、失言にはくれぐれも気をつけなさい』

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