再会
ヤヴァセナティの古城より11km離れた打ち捨てられし山小屋。
鬱蒼とした森の木々に囲まれ、藪をかき分けながら獣道を進まなければ辿り着かない、大自然の中孤立した人工物。
最早近在の住民ですらその存在を知らず、半ば苔むして自然と同化しつつある家。
その中に、クランツは倒れ込んだ。
荒く息をつく彼の横に、今度は擬皮を脱いだままのスル・ヤグが倒れ込む。
「ここも危のうございます。手の者が探っております故、安全な道がわかり次第、直ちに移動しまする」
疲れも油断も見せず、辺りを見回しながら立つ黒装束の老人。
さきほどは闇の中から手裏剣を放ってクランツとスルを助けた黒い影である彼の名は、イード。
デ・タンダの忍び衆の頭目たる男である。
デ・タンダ人はアーゲルンを征服したハーバント家のコードラン王に大部分は投降した。
だがそれをよしとしない一団が里を捨て逐電し、人跡未踏の秘境へ移り住んで新たな里を拓いたのである。
投降したデ・タンダ人たちも彼らのことはアーゲルンとの戦で死んだのだと庇い立てて秘したため、新たな里は隠れ里として50年以上もの間、誰にも存在を知られていなかった。
その中で、彼らは忍び衆の組織と伝統、技と文化を保ち続けていたのである。
鍛錬を重ね、自給自足し、秩序を守って、営々と忍びとしての力を蓄えてきた。
だが彼らは決して、隠れ里に引きこもり続けていたわけではない。
斥候や忍びを放って巷に送り込み、世界の情勢を常に見定めてきた。
時に商人に、時に旅人に、時に人足に、時に使用人に、身分と姿を如何様にも変え、あらゆる場所に潜り込んだ。
そうしてついに、彼らは出会ったのだ。反統王連衡に、クランツに、ノーグルーンに。
傲慢な征服者に叛き自主独立の気概を守る。その信念を置くべき場所を、彼らは見つけたのである。
クランツが作る混沌と自由の世界、ある意味で彼らはそれを目指してアーゲルンの調和と団結に抗い続けてきたのだ。
イードは、そんな隠れ里を築き上げた一団を率いた人物だった。
まさしくこの老人の言葉こそが、隠れ里の総意となるのである。
「はぁ、はぁ、わかった。でも、少し休もう」
息を切らしながら体を起こし、床に座り込むクランツ。
イードはそのような情けない姿に決して呆れたような素振りも、ため息をつく姿も見せるような男ではなかった。
ただ黙って、隠れ家の安全を確認するために奥へと一人進もうとする。
「這々の体とは、まさにこのことですな」
その時、一つの気配と同時に、一つの声が発された。
即座に武器を抜いて身構えると、同時にクランツもスル・ヤグも立ち上がって身構える。
彼ら全員の視線は、奥の居間に据えられた、一本の柱に注がれていた。
声がした方向である、その柱へと。
「誰だ!」
「お忘れですかな? 無理もありますまい、暫く聞かせておりませんでしたから」
柱の陰から、その姿が現れる。
まるでつい今しがた、そこに出現したかのように。
「お前は……!」
「壮健なようで、まずは何より」
モタグ・バンバトーチ・レインダーマン。
カーギ・カリン源司教であり、反統王連衡幹部の一人であり、裏切り者。
三人は直ちに裏切り者への攻撃を開始しようとした。
だがその瞬間、モタグが人差し指を立てながら上衣の片側を広げて見せる。
そこにびっしりと貼り付いていたのは、大量の魔石だった。
しかも臨界寸前といった様子で発光しており、あとほんのひと押しで起爆・誘爆するだろう。
そうなれば、シリネディーク城で協会長アッサルートの身に起きたことの再現だ。
全員が一瞬のうちに、逃げる間もなく個人の判別が不可能な姿に成り果てるだろう。
「ノーグルーン師はまさに天才ですな。あらゆる魔石を、その状態や魔力形質に関わらずたちどころに爆発物に仕立て上げられるようになるとは、間違いなく革命的発見だ」
一瞬のうちに、状況は千日手と化した。
攻撃を中断し、ただ睨み合う他はなかった。
「お前……どうしてここにいる? 魔界にいたはずだろう」
「召喚魔法は何も盟主殿やノーグルーン師の専売特許ではございません。盟主殿が大切になさっていた本は読めませんでしたが、その本を読んだあなたの魂は、深く探らずともなぞるだけで読み取れましたのでね。どうやら”忌み子”には情報を魂の奥へ保管しておけぬという弱点があるようですな、それでは人々の支配者など、とても務まりますまい。それに如何な禁術とはいえ所詮は魔法、カーギ・カリンに伝わりし”術式封じの禁則魔法”と組み合わせたらば、召喚魔法の経路構築をも阻害は可能です」
「私たちは囚われている、ということか」
広げていた上衣を閉じる。
クランツは構えを解いて自然体となったが、スル・ヤグとイードは変わらず警戒を払っていた。
「モタグ、もし裏切り者が出るならば、お前からだと思っていたよ。でも……ひどい裏切りだ、あんなタイミングでは、統王ですら受け入れてはくれないだろう」
モタグの裏切りは、あまりにも遅過ぎ、またあまりにも早過ぎた。
裏切るならばもっと前、『蘇書状』が発される前、アンガナス大破壊が実行される前、指名手配が発布される前、いくらでもすべき時があった。
これら全てが歴然たる過去となってしまった今、たとえ翻意したとして誰にも許されはしないだろう。
その上でまだ裏切る心算が残っていたならば、敢行すべきはもっと後。
クランツと連衡が追い詰められ、やぶれかぶれのヤケを起こして大暴走、勝利を捨てて執念のみで世界にへばりつき不快な染みであり続けようとする。
その染み落としの役割を担う者として裏切れば、たとえ許されなかったとしても、裏切り自体を高値で売りつけることができる。
厄介な反抗者に対してのトドメになりうる裏切りならば、統治者にとって大いに価値がある。
そういった適した機会からは、彼の裏切りは全く外れていたのである。
「だからあなたの虚を突けた。裏切るはずのない瞬間での裏切り、さしもの盟主殿も耳にした時は驚かれたでしょう」
モタグは、今や完全に孤立していた。
「……何故だ? 一体どうしてだ? 何故そこまでして、この計画を台無しにしたいんだ?」
「台無しだなんて、私は盟主殿の計画を支持しています。あなたには是非、このまま突き進んでいただきたい」
「ふざけているのか? お前は、どういうつもりなんだ」
ふん、とわざとらしく鼻で笑うモタグ。
露悪的で、嘲笑的で、敵対的な笑みだった。
まるで心底から軽蔑しているものを、さらに見限るかのように。
直後、鎖のついた金属製のものを投げて寄越す。
スル・ヤグとイードが瞬時に反応するも、危険性は無いと判断してクランツが受け取るに任せた。
「これは……」
受け取ったものを手のひらに置いて眺める。
それは海銀製のペンダントのようだった。
古めかしく、重厚で、だが緻密な意匠が施されたもので、中央にはカーギ・カリンの紋章を囲んでいる七ツ星が大きく彫り込まれていた。
「代々受け継がれた家宝『八礼』、我が家の当主の証です。ここにはこれを渡しにきました。それがあれば、私に従い世界に叛いた教徒や司祭、学徒や家人たちカーギ・カリン過激派全てを率いていけるでしょう。今の盟主殿にとっては貴重な戦力となるはず」
クランツには理解できなかった。
できるはずもなかった。
だからこそ、モタグの顔をただ、見た。
「レインダーマンの地盤、権威、力、全てそっくり、あなたに差し上げる。私からの三行半代わりとお思いください、反統王連衡からは、正真正銘私一人”だけ”が裏切るのです」
「では、ごきげんよう」と締めくくり背を向ける。
その背中に「待て」と声を掛けた。
「モタグ、目的は、なんだ?」
立ち止まり、沈黙と背中を晒して立つ。
スル・ヤグとイードがいま攻撃したならば、魔石を起爆させる暇すら与えず殺せるかもしれない。
だが二人はそうしなかった。
そしてモタグは、それでも良いとすら思っていた。
「ヴンザッカは、哀れな男でした」
ヴンザッカ議員。
彼を殺した。
彼の目の前で自らの裏切り行為を語り、自分が今からすることを語り、怯えた彼を屋敷まで追い込んで、恐怖を味わわせたまま殺した。
その時、モタグの心の中にあった偽らざる感情は──
「あなたも、哀れだ」
──憐みだった。
小屋の奥にある薄暗闇の中に、モタグは消えた。
もうそこに彼はおらず、残されたものすら無かった。
海銀製のペンダント以外は。
「如何いたしますか?」
警戒を解かぬままイードが訊ねる。
手のひらのペンダントが、力強く握り込まれた。
「……モタグに居場所がバレている、今直ぐ移動だ。目的地を定めず、とにかく退却し続けるぞ」
その声は震えていた。
恐怖でも悲痛でもない。
怒りによって。
「それから、反撃する。全員の首を、杭に晒してやる」
顔を上げた時、そこにあったのは忘れ得ぬ憎悪と怒りそのものだった。
「クロスちゃん!」
武装魔女隊に伴われて広場の空洞に到着したクロスを待ち構えていたのは、また聞きたいと願い続けた、聞き覚えのある声だった。
即座に気がつき武装魔女たちをかき分けて最前列に飛び出すと、こちらに駆けてくる人が一人。
その姿が何者であるのかは一目でわかった。見間違えるはずのない、幾度も思い浮かべた姿。
彼女は、その姿と寸分も変わっていなかった。
「アイラン!」
アイラン・ヘルゼンデル。
両手を広げ、飛び込んできた彼女をしっかと抱き留めた。
今のクロス・フォーリーズには、飛び込む彼女を受け止めることができた。
久しぶりの再会に二人は人目も憚らず抱き合い、くるくると回る。
まるで世界にこの二人以外存在しないかのように。
あるいは世界という渦巻きの中心が自分たちであると確信しているかのように。
熱と力と情念の込もった抱擁の横を、武装魔女隊が気にせず通り抜けていようとも、遠くでアレクがため息とともに肩を落としていても、二人は互いの存在を確かめるように互いの感触を交わし合っていた。
クロスも、アイランも、全てを待ち焦がれていた。
服越しでの感触、息遣いの音と暖かさ、心音や脈拍ですら愛おしい。
心に喜びを基調とした温もりが注ぎ込まれ、安堵と包容の快さが魂を満たし、脳を蕩かせた。
ああ、つくづく、自分は──
そのような実感と共に、二人はどちらからともなく腕を解いて向き合った。
背中に回していた手は、腕や肩に添えられていた。
密着を保ったまま、二人は鼻先が微かに触れ合う距離で互いの表情を見た。
アイランは込み上げるようなたまらない笑みを浮かべ、目を潤ませていた。
クロスはそれを全て見逃すまいと、真剣に口を固く結び目を開いていた。
「アイラン、”兵の魔女”じゃなくなったって──」
その中で、先に口を開いたのはクロスの方だった。
「ええ、そうなの、やっと、やっと終わった。私が、私自身になったの」
涙を指で拭いながら、震える声を絞り出す。
その姿は、クロスがこれまで見てきた”兵の魔女”とは、アイラン・ヘルゼンデルとは異なるものだった。
「今の私はもう、あの時のアイランじゃないかもしれないわ。でも、それでも──」
「何を言うんですか」
それが、たまらなく、可愛いらしかった。
「愛してます、アイラン。旅が終わったら……僕と結婚してください」
決定的な、言葉だった。
顔を綻ばせるアイランのずっと後ろで「けけけけけけっこ──」と叫びかけた”光の魔女”がクリンに口を押さえられてじたばたと暴れていた。
アイランは、再び体をクロスに寄せる。
ただし今度は、耳元に口を寄せるように。
そして、囁く言葉を以って、返事とした。
「おなか、あなたの赤ちゃんがいるの」
満月のように目を丸くして、再びアイランの顔を見る。
それから、つい視線を下へ向けてしまい、またアイランの顔を見る。
驚きの表情は、一瞬だけ戸惑いの表情を経て、そして、心からの喜びのそれへ着地した。
「アイラン!」
また、力強く抱き締める。
愛する妻を、そして愛する我が子を。
「ああ、クロスちゃん」
アイランも、抱き締めた。
愛する夫を包み込み、そして耳元でまたも囁いた。
「すき」
この短い言葉こそが、全てだった。
ここに、ひとつの愛は結実した。




