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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
繋の章
203/208

問いかけにこたえ無し

クロスはため息をついた。

アヴムオード邸客間のベッドに腰掛け、重荷を束の間降ろすかのように。

息の深さは、そのまま負う荷の重さを表していた。

遠くから微かに聞こえてくるのは歓声とも怒声ともつかぬ、群衆たちの声。

いまは衛兵たちが取り囲み守っているため、声以上のものは滅多にぶつけられなかったが、彼らは飽きることなく弾劾の声を上げていた。

「ガルガチュアスを殺せ!」「裏切り者を吊るせ!」と、当人のいない館に向かって喚いている。

だが、遠くからいくつもの壁越しに聞こえるのは、判然としない騒がしさと、振動だけだった。


あの群衆の中にも、連衡の工作員が紛れているのだろうか?

恐らく、それはないだろう。

扇動した者はいたかもしれないが、それもきっと連衡とは関係あるまい。

この街、いや、魔界全土での連衡の動きは全てノジーが掌握していたのだ。

彼が語っていないものについて、連衡は無関係なのだろう。

だからこそ、気が滅入った。彼らは自らの意思か、自然発生した”潮流”に押し流されてああしているのだ。

こうなってしまった世界をなんとかするなんて、この中で守りたい人たちを守るなんて、本当にできるのだろうか?

ナーヴァンドとゼルタルスは疑いも迷いもなく、この混乱を収めようと精励を続けている。彼らは心の底から信じているのだ、自分の妹と父親のことを。

シロサも議員連中を焚き付けて、魔界全土での武装化が円滑に進むよういくつもの法案を作って提出している。

モルーモニングの”民主派”も派閥を超えた協力体制を率先して構築し、日々法案の修正議論に明け暮れている。

ノズラクロウを筆頭とした”アヤの貴人たち”ですら、治安維持活動に積極的に協力している。


でも、僕は……



頭の中で、ノジーさんが語った言葉が何度も何度も反芻のように巡り回った。

看守たちを気絶させてまで、僕だけに聞かせた言葉。



『ヤヴァセナティの古城、そこにクランツちゃんはいる。そこに、君の彼女も連れてったはずだよ。あの子はあらゆる意味で求めているんだ、”兵の魔女”を、アイラン・ヘルゼンデルを』



ヤヴァセナティ、それは地名ではない。

かつて魔女たちの他にも、カシッド・イルの継承者を名乗る集団が存在した。

それが秘密結社ヤヴァセナティ、名の意味は『疑問と回答』。

その名の通り、彼らはカシッド・イルについての秘密と技術を探求し、そこから世界そのものへの疑問を掘り出して、答えを見つけようとしていた。

何故太陽は存在するのか? 何故水は形を変えるのか? 何故空には星があるのか? 何故自分たちは存在するのか? 何故命が、この世界に必要だったのか? 何故知性が、魂が生命にとって必要だったのか?

彼らは世界の真理を残らず知りたいと願い、考古学と物理学と神秘学が合わさったような研究を続けていた。その拠点の一つがヤヴァセナティの古城。人目を避けて建てられた、研究のための城。

戦乱による結社そのものの崩壊によって既に打ち捨てられ、今では荒れるに任されている場所のはず。

クランツは、そんな場所で、一体何を……




クロスはもう一度ため息をついた。

場所はわかった。だが、あまりに遠過ぎる。

古城があるのは現界、それも遥か南西部だ。

今から大急ぎで向かっても、到着するのは一ヶ月後。

何が起こるのだとしても、絶対に間に合わない。

『大ルーン画』の召喚魔法を利用することも考えたが、それこそ解き明かして使えるようになるには一ヶ月ですら到底足りないだろう。

せめて『スゥガ・タムト写本』でも無いことには……






…………いや、ある。


方法が。


しかし、いくらなんでも。

あまりにも不可能だ。

それこそ天地をひっくり返そうとするほどの無茶だ。

271人の議員全員を説得することの1万倍は無理だ。

こんなの、あまりにも、ひどい策だ。


でも……




思考に沈みかけたクロスを引き戻したのは、窓をコンコンと小さく叩く音だった。

びくりと体を震わせて窓の方を見ると、筒を背負った鷹のポランが窓辺に立っていた。

なんだか、少し既視感のある光景だった。


「はいはい」と立って窓を開けると、ぴょんと部屋の中側の窓辺まで跳び入る。

そしてクロスの顔を見上げて、一声。

ひとまず優しく抱き上げて再びベッドに座り、ポランを膝の上に座らせて筒の蓋を開いた。

そこから引き出されたのは、やはり、一枚の相互紙だった。


やっとだ!


クロスはそう心を躍らせながら、相互紙を開き、ペンとインクを準備する。

そして待ちきれないとばかりに、急いで紙にペンを走らせた。



『お師匠様!』



吸い込まれた文字は、やや経って見覚えある流麗な文字になって返ってきた。



『ハァーイ、久しぶりね。用意が遅れてごめんなさい』



間違いなく、まごうことなく、ストイル・カグズ・アッサルートの文字であった。



『お体は大丈夫ですか? そちらの様子はどうですか? エルガンやみんなは元気ですか?』

『ちょっと落ち着いて、私も話したいことはいっぱいあるわ。まず治療は順調、もう執務に支障がないぐらい回復してる。城と、城下のみんなは、なんとか落ち着いてるわ。忙しくさせてるのがかえっていいみたいね。エルガンと武装魔女隊からは、三日前に、ついに敵の尻尾に食いついたって報告が来たところよ』

『追いついたんですか! 結果は?』

『こちらの戦死者は0、討ち取ったのは79人、ただトゥッピ・ノックタックは取り逃がした。”兵の魔女”の救出もまだよ』

『そうですか』



少しの落胆が、文字に表れていた。

ごく僅かな、葛藤の匂いも。



『そっちはどう? 大変な騒ぎだって聞いてるけど』



アッサルートは、それを追及しないことにした。


『ええ、もう、大変な騒ぎです。アヴムオード元帥の夫君が反統王連衡の大幹部で、でも黒幕はピッタ・ノーグルーンで、魔界全土の挙国一致が議会で進んでて、武装化と厳しい取り調べと厳戒態勢が敷かれてて……とんでもない情報量と目まぐるしい展開にさらされて全員の頭と魂が破裂してます』


もっとも、後半の事柄はクロスが起こしたものであるが。

混乱と狂騒、そして暴力。それらはある意味では魔界らしい文化交流だった。

無論、泰平の世で巻き起こっては困るものではあったが、この状況が奇妙に馴染む感覚もあった。

やはり、何かに騒いで、体と魂を全力で揺り動かすのが魔界人の性に合っているのだろう。

皆が皆、振り回されながらも、奇妙にそれを受け入れ安心しているかのような不思議さがあった。


『手紙はちゃんと届いた?』

『ええ、届きました。よくわかりましたね、ノイジーローズ・ガルガチュアスが裏切り者だって』


協会長アッサルートがダカーヴォギーのクロス宛てに送った手紙にはノジーが裏切り者であることが書かれていたが、それが実際に到着したのはノジーが逮捕された翌日であった。

しかしそのことを、クロスはアッサルート本人には報せていなかった。

きっとこれからも、そんなことを言いはしないのだろう。


『似顔絵よ。昔、先代に連れ回されて王都の有力な廷臣や財界人のとこに顔見せと挨拶してた時、ガルガチュアス家で見かけたのよ、たぶん”忌み子”治療される前のノイジーローズをね。それが後にノーグルーンが連れ歩いて治療した子どもだった』

『昔って、それたぶん20年ぐらい前じゃないですか。よく憶えてましたね』

『ふふん、伊達に魔女の長はやってないわ』


相互紙の向こう、ベッドに座ったままアッサルートがにやりと笑う。

後ろではアン・ロードが目を皿にして呪い殺さんばかりに念を送っていた。

見たことも話したこともない、姉弟子の弟子。それは彼女にとって、明確に”敵”だった。




少し、会話が途切れる。

アン・ロードの念が成就したわけでも、それで気が散ったからでもない。

双方が双方とも、切り出しにくい話題を持っていた。

そしてそれは、言いにくくとも必ず言い出さなくてはならないことだった。



『ちょっと、話したいことがあるの』



先に一歩を踏み出したのはアッサルートの方だった。

紙の上でためらいがちにさまよっていたクロスのペンが、ぴくりと震えて止まる。

それから、飛びつくように『なんでしょう?』とできるだけとぼけて返した。



『私、赤ちゃんができたみたい』



だがこれには、今度は全身が跳ねた。

驚きは既にノズラクロウ邸で済ませてきたが、やはり本人からの言葉となると重みが違った。


『お相手は、その、もしかして』

『ええ、コードラン、統王よ。医者たちも”腑の魔女”も、間違いないだろうって』

『統王様は、ご存知なんですか?』

『手紙を送ったわ。もうじき公表されるそうよ』


養母アッサルートの懐妊、産まれるのはクロスの義理の妹か弟か。

何はともあれ、言うべき言葉は一つだけだった。


『おめでとうございます!』


それを見たアッサルートは涙ぐんで、鼻をせせった。

経験したことのない、許容量を超えた幸せが溢れ出たのだ。

その後ろで、アン・ロードはあわあわと狼狽しながらハンカチを差し出していた。


『ありがとう、本当に』


噛み締めるような言葉。


今しかない、そこにクロスは機を見出していた。



『それで、お師匠様、ちょっとお願いしたいことがあるんですが……』



ハンカチで涙を拭いながら、アッサルートはその文字を見た。

そのあとに続いた言葉に、涙も引っ込むほど顔をしかめて。




『『向進論』の原本って、どこにあるかわかりませんか?』









「なに? クロスが?」



自らの居室で、統王──コードラン・ヴァルグホーン・ハーバントは振り返った。

その視線の先で跪いているのは”禁忌の守り手”の一人。

スゥガ・タムトが自ら著した『向進論』原本の管理を任された集団の一員である。



「理由は聞いたのか?」



統王の声は幾分か怒っているようだった。

無理もあるまい、この巷が騒がしい中、せっかく愛する者を迎える準備を進め、しかも彼女の懐妊まで判明したところで、その養子が不埒な申し出を行なっているというのだから。

『向進論』の原本は統王ですら半分までしか中身を知らず、その場所については半分どころか一切を知らない。

それほどまでに厳重に管理し、誰であろうとこの時代の者は触れてはならないとした禁忌だった。

それを求めようというのである。よりにもよって、これから身内になろうという人間が。

良い感情など、抱くはずもなかった。



「はっ、当代の”兵の魔女”を救出に向かうために、召喚魔法を使いたいとのことです」



召喚魔法?

いや、それよりも。



「つまり、知っているのだな? 彼奴等の居場所を」



誘拐された恋人を助けるために召喚魔法を使いたい、そのために『向進論』原本が必要。

写本の方を用いてノーグルーンが召喚を行使したために、原本の方にも召喚魔法を扱う術が書かれていることが知れてしまった。

それを頼って、どこかに召喚を行いたいというのなら、その地点は既に知っていなくてはならない。

そうでなければ不可能なほどの、大胆な要求だ。


「協会長殿が詰問し、明かさなければ叛逆を疑われかねないとまで脅したそうですが……」

「自ら、助けに向かいたいということか」

「そのようで……如何いたしましょう?」

「話したくないならばそれでいい。手荒な真似はするな」


ひとまずそう告げて、椅子に座る。

そして、顎に手を当てて思案を始めた。


その頃を見計らい”禁忌の守り手”は、跪いたままに口を開いた。


「恐れながら申し上げます」


統王は顎に手を当てたまま視線をやっただけだったが、止めはしなかった。

それが、先を促すことになった。



「ピッタ・ノーグルーンは、数々の置き土産を残しました。召喚魔法だけではなく、『向進論』に記されていたと思われる禁忌を数多く、衆目の前で惜しげも無く披露し、またその一部を知るノイジーローズがご子息らに対してあの本の中身を知り得る限りとはいえ明かしております。禁忌は、ついにその一部が破られたのです」

「守る意味はもう消え失せたと?」

「いいえ、その逆でございます。ノーグルーンは図らずも自ら証明しました、かの知識が世界に対しどれほど恐ろしい凶器になり得るのかを。これ以上の漏洩の危険性は……何としても、防ぐべきかと」

「……全ての発端は、たった一人の男の狂気と、一冊の本か」



統王はため息をつかずにはいられなかった。

とてもささやかで、小さくて、世界の片隅でひっそりと起きた出来事。

それが、いま世界の全てを破壊しようとしている。

世界とは、人間社会とは、それほどまでに脆いのだと、知っていたつもりだった。多くの歴史が証明していたはずだった。

だが実際に目の当たりにし、その渦中に身を置いているとなると、ため息の一つも漏れ出てしまうのは無理からぬことだった。


とはいえ、統王には異なる感情もあった。

愛する者を救い出したい、その純なる想いを叶えてやりたいという思いだ。

多くの子の父であり、多くの孫の祖父でもある彼の、切なる希望だった。

出来ることなら、と。




「……メンデルを呼べ」


「……はっ」




守り手も、最早何も言わなかった。

さらに深く頭を下げてより強い敬意を示すと、闇の中へ消えてゆく。

一人残った統王は、額に手を当てて再びため息をつく。




「見張りを誰が見張るのか、か……」




その呟きも、答えもまた、闇の中の静寂そのものだった。

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