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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
繋の章
202/208

微笑みと狼狽

「護身術ぅ?」


檻の中で首をかしげるアイラン・ヘルゼンデル。

彼女の目の前には、座って見上げる彼女の下僕こと、アレクがいた。


「そう、えっと、今後危ないことも起きるかもしれないし、何か僕にもできるようなものがあれば教わりたいと思って」

「なぁにぃ? わたしを守りたいのぅ? わたしの技で?」

「え、その、はい、一応……誓ったし……」


恥ずかしそうに顔を伏せるアレクにくすくすと笑いかける。

横座りで口を袖で隠しながら上品に笑う姿には、高貴さすら漂っていた。

それがどうにも、アレクには癪だった。


「もういいです! 忘れてください!」


照れ隠しに拗ねて見せながら立とうとする彼を「ごめんごめん」と呼び止める。



「あなたには真剣な話だものね? そうねぇ、あなたにも出来そうなのって言ったらぁ……」



顎に指を当て、天井を見上げながら考えを巡らせる。

継承されてきた“兵の魔女”の武技の中で、常人でもすぐに使えそうなものは少ない。

だが、無いわけではなかった。


「あれがいいかしらねぇ。ちょっと手出してみて?」

「? はい」


すっとなんの疑いもなく差し出された右手。

それの前腕部分をアイランは掴んだ。

鷲掴むようにというよりも、紙を掴むように、あるいはナイフを持つように親指と人差し指で挟むような手の形で。


その直後、アレクの腕に激痛が走った。


「痛ッ! でッ あででででで」


痛みに体をよじり、体勢が歪む。


「ほいっと」


そして、そのまま視界が回転し天地が逆さまになった。

一瞬の浮遊感の後、遠心力に従い背中から着地する。

投げられたのだと気付いたのは、全てが終わって背中が土を感じてからだった。


「いッててて……おーいてぇー……」


掴まれた腕をさすりながら立ち上がる。

立ち上がれば今度はアイランが見上げる側になり、痛がるアレクをくすくすと微笑ましく見ていた。


「い、今のは……?」


アレクにとっては初めての、不思議な感覚だった。

力で強引に投げられたのならば、体にかけられた力の強さや浮遊感によってあらかじめ「投げられる」とわかるものだ。

だが今のは、実際に投げられてもそうされていると気付かなかった。どちらかというと、自分の力で勢い余って転んだかのような感覚だった。

つまり体に力をかけられていないのだ。掴まれている腕も、それほど強く握られている印象は無かったが、とにかく痛かった。


「“拉ぎ指”って呼んでる技よん。さっきみたいに相手の腕を握るようにじゃなく、挟むように掴む。それから、親指は下から外側へ、人差し指は上から内側へ、ねじる。親指と人差し指の位置が上下逆ならねじる方向も逆よ」


右手を突き出し、手の形を実演してみせる。

親指が内側にねじり込まれ、人差し指が外側へ開くその形は、いかにも不自然で何だか不気味だった。


「こうやって二本の指で相手の骨を押しながらねじって、同時に肩を下げる。すると相手の肩も下がって体勢が崩れるから、あとは崩れる方向に、ほいっと」


くるっと腕を回す。さっきもこうやってアレクを投げたのだろう。


「コツは指で押したり握ったりすることよりも、ねじる方向を意識して動かすこと。そうすれば指は勝手に骨に食い込むし、相手も崩せるわぁ」


「ちょっとやってみて?」と最後に加えて腕を差し出す。

アレクの心臓がどきりと跳ねた。


アイランの腕を、掴む。

彼女に、触れる。

直接?

触って、いいのか?

そんなことしたら、そんなことしたら。

本当に、いいの!?



「じゃ、じゃあ、失礼、します」



どきどきと早鐘を打つ心臓を止める術もなく、恐る恐る手を伸ばす。

汗が滲み、瞳孔が開き、呼吸がわずかに速く、強くなる。

それら全てを、アイランは微笑みとともに見ていた。

差し出された片手は、エスコートされるのを待つ貴婦人の手のようだった。


指先が、わずかに袖の中に入り、肌と肌が触れ合う。

それだけで血流は激しさを増し、魂は震盪した。

さらに袖を押し上げるように指を滑らせ、ぎこちないながらも、アイランの手首を掴む。

緊張している手はぷるぷると震え、全く言うことを聞かなかった。


触ってる。

触ってる!

アイランの、腕に!

すべすべして、やわらかくて、少ししっとりして、ちょっとだけ、砂利の感触がする。

なんだか、すごく、妙な気分だ。心地いい手触りのはずなのに、何故かとてもやってはいけないことをしているかのような……

女の人の肌って、みんなこうなのか!?

姉さんはどうだったっけ。最後に触ったのは……あまりにも子供の頃で、思い出せない。

とにかく、どうにかなってしまいそうだ。

掴んだけど、いったい何秒経ったんだ。

ずっと掴みすぎて、彼女に嫌われたりしないか?

心音が、すごい。自分でもわかる。爆発しそうだ!

ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!

心臓止まれ!心臓止まれ!心臓止まれ!

いや止まったら死ぬ!

止まらなくてもこのままじゃ死ぬ!




「だからそうじゃなくて、こうよぅ」



さも当然かのように、アイランのもう片方の手がアレクの手を掴んだ。

握っている手の形を、教えた通りのものにするために。

彼の手を、握ったのだ。



(手繋ぎだ!?!?)



この瞬間、アレクの脳と魂の中身はその事実のみで満杯になり、収まり切らずに爆発した。

火山が噴火するように、顔が熱く、頭が熱く、そして紅潮した。


手を繋いだ。しかも、彼女の方から。


結果だけを見ればそれは事実である。

目的が異なるのだとしても、幾人もの命を奪い砕いてきたとは思えぬほどの繊細でなめらかな指が、彼の手に絡みついたのだ。

アレクにとって、これまでの人生で最高の瞬間と言えた。


「はい、この形よ。それじゃ──」


そこで、ようやくアイランは気付いた。

アレクが半分以上失神している状態なことに。

心ここにあらずと言った様子で、ただじっと絡み合う手を見ていることに。



「──はぶっ」



すぐさま、彼女はアレクの腕を噛んだ。

すぐに気を取り直した彼が「痛っ!」と顔を歪ませながら体をひねる。

ただの甘噛みだが、効果はあった。

口を離し、くすくすと笑いながら袖で拭う。


「ほぉらしっかり、ね? 指先に力を入れて、爪を立てるみたいに、ちからづよーく」


「は、はい」


彼女の指導にされるがままといったふうに従いながら、ぼんやりとした頭で何が起きたかを考えた。


いま

甘噛みされた?

アイランに?

彼女の唇が、歯が、舌が、触れたのか?


いや、そんなはずはない。

ありえない。

きっと夢だろう。

彼女にそうされたいという自分の願望が見せた、幻に違いない。

この人は妊娠していて、恋人もいるんだ。

なのに、なのに、そんなことしたら、そんなことが起きたら……



それはもう、好きってことなんじゃないか!?



彼女との間に、何もなくていいと言った。

彼女を自分のものにできなくてもいいと思った。

でも、でももしかしたら、あるのか?


チャンスが!




アレクの心の内で微かに、小さな炎が灯る。

それと同時に、少し大人びた浮遊感も。

もしかしたら、まだ諦めるには早まっていたのではないか。

今からでも遅くないのではないか。

誓いを曇らせるそれらの想いは、だがむしろ誓約を強化した。

彼女を守り、尽くす。そうすればご褒美がもらえるかもしれないのだ。

彼女の愛という、どのような天上の甘露よりも甘き褒美が。



「そう。で、肩を下げる」



今度は肩をがっしり掴まれて下げさせられる。

すると、座ったままのアイランの上半身が横に傾いた。

片方の肩だけが下がったことで体の均衡が崩れたのだ。



「で、ほいっと」



肩を掴む手が異なる方向へ力を加えると、それに促されてアレクの腕がアイランの腕を捻り回すように動いた。

それによって、アイランはこてんと横に倒れたのだった。


「そうそう、すごいじゃなぁい」


横に倒れたまま、犬歯を剥き出しに笑む。

アイランの手が肩から離れると、自然とアレクも手を離すことができた。

本当は離したくなどなかったが、いくつもの出来事と感情が入り乱れて湧き上がったせいで、つい体が外部の刺激に従ってしまったのだった。



「これが”拉ぎ指”よぉ。注意点は掴んだら即座に技をかけること。はめちゃえば痛みで好きに操れるけれど、ただ掴むだけじゃ簡単に振り切られちゃうからね。技の終わりは投げて頭から落とすのが一番いいのだけれど、投げれないなと思ったら、首とか目に一撃。素手だとそれじゃ殺せないけど、戦意は相当萎えてくれるわぁ」



体を起こしながら解説してくれるが、アレクの頭に入ったのは半分程度だった。


「それで、これを応用しながら素早くやるとぉ」


再び手を差し出したので、アレクも倣って差し出す。

ちょうど握手になるような形で、互いの手が絡み合った瞬間、アレクの体は回転していた。

掴まれた手に感じた痛みを声に出す暇すらなく。

そして彼の体は一回転して、着地した。

ただし立っていることはできず、崩れ落ちて両膝を地面についてしまったが。


「こーゆーこともできるのよぅ。どう? すごいでしょ?」


得意げににっこりと笑うアイランの表情を見上げながら、男は幸せを感じた。

自分は今、なんて幸せなのだろう。

全身に残る痛みと疲労と息切れの中にあってすら、アレクは力なく微笑みを返したのだった。



「じゃあ、もうちょっと練習しましょ? まず握りの形を──」



上機嫌にアレクの手を再び取るが、突然言葉を中断。

異変を感じた動物のように大きく振り返る。

一切の言葉を発することも、一切の気配を発することも、一切の身じろぎも全て静止。

少しの間それが続いた後、再び突然振り返った。

そして大きく身を乗り出してアレクの体を掴むと、まるで猛獣のような力で引っ張る。

一瞬にして彼の体は引き寄せられ、鉄格子に押し付けられた。


「な、何を」


押し潰されかけたカエルのような声を上げた直後、木々の葉が揺らめく音に混じって、風切り音が降り注いだ。

それらは木に、馬車に、馬に、そしてアレクが先ほどまでひざまづいていた地面に突き刺さった。

それらは、何十という数の、黒い矢だった。

鏃から柄まで真っ黒な矢に、小振りなオオスバルの矢羽根。


魔女の矢だ。




「敵襲ゥゥーーーーーーーー!!!」




遠くからノックタックの手下の声が響く。

遠くの方で、慌ただしく、アレクの仲間たちがばたばたと動くのが見えた。

そしてそれらを囲むように、茂みから飛び出し、襲いかかる黒い影のような形の軍勢も。

武装した黒衣に身をまとったそれらの軍勢は、混乱している男たちを薙ぎ倒す、女たちだった。


「ぶ、武装魔女隊……!」


アレクもその存在は知っていた。

遂に、追いつかれたのである。

アイランの仲間に。


それじゃあ──



「ダメよ」



アレクの耳元で囁くその声は、張り詰めていた。

いつもの笑みを浮かべながら放つ声ではない。

真剣で、切実な言葉だった。


「いま、ここを出る訳にはいかない」


彼には、理解ができなかった。


「どうしてですか!? 助けが来たんですよ、あなたの! 僕がエスコートして、アイランを連れ出す時が来たんですよ!?」

「それは今じゃない。わたしは、ここから出ない」

「なッ」


言葉に詰まる。

怒号と干戈の音はまだ遠くで轟くのみだが、一瞬後にもここまで広がってくるだろう。

ここでこうしているのは、あらゆる危険に対して無防備だ。


「ねえ、アレク。お願い、まだ彼女たちに助けられるわけにはいかないの」


馬も射殺されている。

彼女が檻から出ないというのならば、馬車を動かすことすら困難だ。

どうする、どうする、どうする。

アレクの頭は混乱と詰め込まれる情報と状況で、爆発寸前だった。

視界と魂が回転し、答えの見えない迷路を彷徨う。

それも、尻に火のついた状態で。



「お願いよアレク、わたしはまだ囚われてないといけない。ここから連れ出して、わたしの力を、ほんの少しだけ、分けてあげるから」



アイランの手が鷲のように、彼の腕を掴んだ。

その瞬間、アレクはそこから熱い鉄が自分の体の中に流れ込んだかのようだった。

硬直した体は反りながら痙攣し、声にならぬ叫びが絞り出される。

凄まじき熱さが体に流れ込んでくる。神経が言うことを聞かない。

だがその熱さは体に拒絶反応を起こさせることなく、むしろ同化するように広がり、馴染んでいった。

熱さはある、体の反応が暴走しているのもわかる。だが痛みという形で拒絶してはいなかった。

その感覚が体の隅々まで、毛先から爪先、毛細血管の一本一本に至るまで行き渡った時、アレクはこの熱を制御できるとの確信を得たのだった。


「ふーッ、ふーッ、ふーッ」


鼻息は荒く、見開かれた目は充血し、四肢には血管が浮かび、顔は紅潮し、毛は逆立つ。

その極限の興奮状態の中で、彼はすべての理性を取り戻していた。


「ふぅんッ」


死んだ馬と馬車を繋ぐ馬具を力任せに引きちぎり、代わりに己が両手でひっ掴む。

そして、まるで猛獣かゴーレムのような力強さで、馬車を曳き、歩いた。

地面に突き刺さる足の力強さたるや、ほんの数歩で靴が破れるほどだった。



「ふぅッ、ふゥッ、ふおおおおおおおおお!」



まるで暴れ牛か何かのように、遮二無二馬車を曳き、あまつさえ走り出した。

咆哮を上げ戦場へ突進してゆく様は、まるで火の玉だった。






「アァ〜〜〜ッハッハッハッハッハッハ! ついに追いついたわよ○○○ボケども! あたしのクリンに手出ししたこと、たっぷり後悔しながらのちり死ねやァァーーーッ!!」

「野垂れ死ぬ、でございます光陽様。もっとも、このような状況では野垂れる暇も無いでしょうが」


近くの丘の上で、”光の魔女”ことクルーラー・グーニィが戦いを見下ろしていた。

お気に入りの従者と、先鋒を買って出た時につけられた新しい従者たちと一緒に。


「細かいことはいーのよクリン。見なさいよ、敵は総崩れ! 包囲奇襲が効きまくってるわ!」

「敵の規模や配置を把握する前に攻撃されて……知りませんよ、逆撃を被っても」

「なぁーーーに、そん時ゃ『焼き尽くせ! 息の根とめるくん18号』でただの肉に変えてやるわ。なんたってあたしはクルーラーなんだからね!」


その時、大トカゲに乗った伝令が駆けつけ、颯爽と彼女たちの傍に飛び降りて跪いた。

この伝令は魔女ではなく、死人のようだった。



「隊長! 申し上げます──」


「超元帥よ」



報告をあげる前に、その相手からよくわからない単語を突き出されて思わず「は?」と口走ってしまう。


「超元帥よ超元帥、隊長じゃなくて、超・元・帥!」

「は、はぁ」

「はぁとは何よ生意気ね死人のくせに! この超元帥様に逆らうってゆーの!? あんたにかかってる魔法全部光輝魔法で解呪(ディスペル)するわよ!」

「はっ、し、失礼いたしました超元帥殿!」

「よろしい! で、何の用よ!」

「『焼き尽くせ息の根とめるくん18号』の──」

「『焼き尽くせ!』」

「はい?」

「『焼き尽くせ』じゃない、『焼き尽くせ!』よ。名前はしっかり丁寧に、間違いなく呼ぶもんよ!」

「光陽様は5文字以上の人名をまともに憶えたためしがございませんけれどね」

「あたしはいーのよ! クリンは黙っててちょうだい! ほら、『焼き尽くせ!』言ってみなさい」

「や、焼き尽くせー」

「あんたタマ蹴られてもそんな声で怒んの!? しっかりと、ビシッときめなさいビシッと!」

「や、焼き尽くせ!」

「ハイ良し! んで、何の用? あんたのせいでちっとも話が進まないわよ!」

「も、申し訳ございません。『焼き尽くせ! 息の根とめるくん18号』の準備が整いましてございます。丘を登るのに少々手間取っているようで、到着にはあと3……いえ2分ほど要しますが……」

「しょーちしたわ! ご苦労さん、下がんなさい!」

「はっ、失礼致します」


一礼して下がる死人を脇目に、ふんふんと鼻を強く鳴らしながら仁王立ちで戦場を見下ろす。

どうやら、彼女とて戦場の熱で相応に興奮しているようだった。

彼女の眼下では、今まさに魔女たちが剣や斧を手に、男顔負けの雄叫びを挙げながら戦っている。

ほとんどの魔女は戦の経験などなく、公然と自らの手で人を殺めるようになるなど思ってもみなかった者たちばかりだろう。

だがこれまでの道中、”光の魔女”の血塗られた行軍は彼女たちの躊躇いや不安を薄れさせ、麻薬か疫病のように闘志と高揚を伝播させ醸成させていた。

その集大成をここにぶつけたのだ。殺戮への抵抗を削ぎ取られた魔女たちは、己の怒りと憎しみをそのままの形でぶち撒けるのに何らの障害も感じていなかった。

彼女たちにとって、目の前でうごめくものは既に人ではなく”敵”なのだ。


いきおい、その気勢の激しさにノックタックの手勢たちは大いに怯んでいた。

奇襲の混乱、現れるのは悪鬼羅刹の武装魔女、ノックタックはただちに全隊解散し、各々目的地を目指すよう下知していた。

抵抗を試みるわずかな者たちも囲い込まれて討たれ、あるいは魔力干渉によって肉体を内側から突き破られ倒れていった。



「なぁーんか歯応えのない連中ねー。柔らかくあるべき肉はステーキだけだわ! これじゃせっかくのあたしの新兵器も活躍させてあげられないじゃない!」



だが、その中を、一つの人力車が断ち割るように駆け抜けていた。

本来馬や大トカゲが曳くような車を、およそ人が曳いているとは思えぬ速度で牽引する一条の稲妻。

それが混沌の戦場にある種の秩序をもたらすかのように、場を裂き進んでいた。


「おっ、なぁにあれ。なんかおもろいのがいるじゃないの」


“光の魔女”もそれを見つける。

魔女たちが暴走人力車を止めようと襲い掛かるが、魔力干渉は何故か強力な魔力防護によって弾かれ、立ちはだかるのも無謀と言えた。

剣や槍、斧で攻撃を試みる者もいたが、片手で武器や腕を掴み止められるのみならず、なんらかの武術のような不思議な技で投げ飛ばされるだけだった。

乱戦の只中で矢を撃ち込むわけにもいかず、暴走人力車は既にほとんど戦場を横断しかけていた。



「超元帥様お待たせいたしました! 新兵器、只今罷り越しましてございます!」



後ろからの声に素早く振り向くと、彼女はその顔立ちに一切似合わない、卑劣で下種な笑みを浮かべた。

「“新兵器”呼びでいいんですね」とのクリンの声を肩で受けながら。






「んがああああああああああ!!!」


アレクは走っていた。

叫んでいた。

どうしてそうしているのか、そうせねばならないのか、自分でもわからなかった。

わかろうとしようとすらしなかった。

ただ彼の魂が、肉体が、命じるのである。

「走れ、邪魔者はどかせ」と。

沸騰する水が自ら弾けるのを止められないように、雷が自ら落ちるのを止められないように、彼は決して止められなかった。

まさに自分自身が巨大な火の玉と化したような感覚。

そうなったからには、そのようにしなくてはならない。

それが今の彼にとって全てに優先する常識だった。


魔女の一人が横から躍り出て斬りかかる。

その腕を掴み、即座に”拉ぎ指”。

いつもであれば、その技が異様な正確さで以って完遂されたことに自分で驚くのだろう。

だが今の彼には、そんなことすら気にかからない。

ひたすら進むのみ。魂だか意思だか本能だかわからないしどうでもいいが、そういった何かに導かれるままに!


「わああああああああああああ!!!」


まさに、アレクと彼が曳く馬車は、戦場を駆け抜ける閃光だった。


となれば、本物の”光”が黙って見ているはずは無いのである。



突然、アレクは己の足を地面に突き刺して止まった。

感じたからである、熱さを。

だがこれまでのような、内から湧き上がり渦巻きながら広がる熱ではない。

体の外側から向けられている熱さ。それが外から、体の中に潜り込んできている。

まるで寄生虫か何かのように、熱さが──光が、体表をうごめき、這いずり回り、わずかな隙間を見つけて体内に入り込んでいる。

光であるが故に何ものにも止め得ないそれはいとも容易く魂に、魔力に到達し、取り囲み、覆い、袋の形を成して──



「うぐッ!?」



──ただ引っ張った。


抗うようにアレクは踏ん張る。

見ると、ノックタックの手勢たちがばたばたと倒れていっている。

なんの致命傷も負ってはいないのに、突然体から命だけがするりと抜け出してしまったかのように、ぷつりと糸の切れた人形のように事切れていっている。


光の袋は、今もアレクの魂と魔力を引き抜こうとしている。

あらん限りの力と熱を込め、全身から汗を迸らせて抗い、ようやく拮抗する力。

今の彼には見上げる余裕などさらさらなかったが、その光の源は丘の上、荷車の上に据えられた巨大な魔導兵器にあった。



「ハァーーーーッハッハッハッハァーッ!! 見なさいこの威力! 光と魂の相互作用的現象を利用した超・兵・器! まさに天と日輪の贈り物よ! お前らに贈れるのは、あたしからの誕生日プレゼント、”死”だけだけどねェーッ!!」



銃座のような形をした、鉄と木、それといくつものレンズと輝石の組み合わせで構成された機械に乗り込み、舵のようなものを握りながら”光の魔女”は高笑う。

自分の肩を掴もうとする従者を動物の威嚇のように牽制しながら。


機械には目のような意匠から砲口のようなものが伸び出て、戦場に向けられていた。

そこから蛇か鎖のように伸びている光は全て、ノックタックの手下にのみ繋がっており、彼らの魂と魔力を引き抜いては取り込んでいた。

まるでそういう怪物か妖怪、あるいは神であるかのように。



「でーもなぁーんか一所懸命なヤツがいるわね? でも大丈夫の中丈夫の小丈夫! 一周回って超丈夫! そぉんなヤツにはぁ──」


舵から手を離し、陶製のスイッチをぽちぽちと押していく。

その度に、機械は楽器のような多彩な音を奏でた。


同時に、取り込まれた魂と魔力が魔石によって分離され、絞りかすの魂は後部から廃棄。

抽出された魔力は撹拌されながらプリズムへ送られ光と熱へ変換される。

それらは砲身の根元、目の意匠の裏にある伝導室に蓄積され……



「──焼尽砲発射ーッ!!」



砲口から、解き放たれた。

凄まじい閃光と熱の余波にクリン以外の誰もが顔を背けて体を丸めた。

大笑いしている”光の魔女”はいつの間にか眼鏡の代わりに遮光ゴーグルを装着している。


「どォーよこれぞ『焼き尽くせ! 息の根とめるくん18号』の真骨頂! 対生物の”吸光”に対物の”焼尽砲”! このあたしに向かうところ敵なぁぁーーーしッ!」

「何故か再現できなくて19号と20号と21号はうんともすんとも言いませんでしたけどね」

「よく言うじゃない、昔の男のことは忘れろって! 今こいつがちゃんと動いてりゃいいのよ!」


上機嫌で笑う”光の魔女”。

熱と光が降り注ぐ先では味方の武装魔女たちですら退いて遠巻きに眺めるだけだった。

あまりの光に何も見えないが、距離を取っていても感じるこの熱量、敵は消し炭すら残っていまい。

実に、末恐ろしい魔女だ。

彼女によって恐怖に鈍感にさせられた武装魔女たちを以ってすら、彼女の業には驚きと畏敬の念を禁じ得なかった。

味方ですら怖いと感じるのに、もし敵なんかに回したら……

そう思えば、先ほどまで殺していた憎むべき相手にすら幾ばくかの同情まで湧き上がってしまうほどだった。



「ぬンがアアアアアアアアァァァァァァ!!!」



が、それは不要な同情だった。

打ち立った光の柱の根元から、なんと暴走人力車が飛び出したからだ。

そこかしこから焦げた煙を振りまきながらも、保ってなどいられないはずの形を保って。



「光と魔力には相関性がある、つまり、光は遮断できるのよん、魔力と同じく、『強力な魂』で」



人力車の檻の中で、アイランは繰り出していた橙色の光を巻き取るように引き戻した。

“焼尽砲”の光、その大部分は防がれていたのだ、橙色に燃え盛る魂の光によって。


「さ、アレクちゃん、もうちょこっとだけ、頑張れる?」

「あぐァ!」

「いい子ね、本当に、いい子」




「ぬわァァーーんじゃとゥ!?!?」


丘の上で”光の魔女”は顔を歪め、目を剥き、声を荒げた。

“光の魔女”が、クルーラー・グーニィが、失敗など、進歩なしなど、起きてはいけないことだった。


「クソダサ野郎がッ! もっぱつよ!」


舵を掴み、照準を改めて定めようとする。

その肩をクリンが掴み止めた。


「ちょっ、クリン!? もうちょいなのよ!? あと一発だけ! ね!? ね!?」

「いけません光陽様、デ・タンダの魂の揺らめきを感じました。やはり逆撃が来ます、撤退なさるべきです」

「あと一匹なのよ!? あいつで完璧なの! お願い、もーちょっとだけでいいから!」

「ダメです。それに──」


手に力がこもり、指輪のプリズムが小さく輝く。


「──貴女様は、もう完璧ではありませんか」


クルーラーの体から力が抜け、「あふん」と陸揚げされた魚のようにぐにゃりと座席からこぼれ落ちた。

それを抱きとめながら素早く「撤退を。本隊の位置まで退きます」と下知する。

死人の伝令がただちに走り、新兵器を乗せた馬車が丘を駆け下りる。


「ひとまず、追いつき、勝利しました。今日のところは十分でしょう。それに……」


ぐったりとしているクルーラーから、視線を動かす。

その先にあったのは、戦場から凄まじい速度で去っていく暴走人力車だった。



「……”兵の魔女”様は、今は敵の下におられたい御様子」






アレクがようやく止まったのは、10分も駆け続けて、林の中で倒木に引っかかった時だった。

「おつかれさま」とアイランに再び体を触られて、吸い取られるように力と熱と興奮が抜けていったのだ。

その代わりとばかりに湧き上がったのは、恐ろしいほどの疲労感、そして筋肉の痛みだった。

崩れるようにその場に倒れ、もう自分の意思では全く動けなくなっていた。



「ありがとうアレク、おかげでなんとかなったわぁ」



格子の間から激励が投げかけられる。

彼女の顔を正面から見たかったが、荒い息とともに「ふぁい」と応えるのが精一杯で、覗き下ろされるがままになるしかなかった。


そのまま数十秒が過ぎる。

沈黙を望んだからではなく、呼吸を整えるのにそれだけかかったからだ。

そしてそれを、アイランの方も待っていた。


「ね、ねえ、アイ、ラン」

「んー?」


ようやく絞り出せた言葉も、途切れ途切れであった。


「どう、して……? 帰れ、たのに」


当然の疑問だった。

彼女は伸ばされた助けの手を、自ら蹴り払ったのである。



「アレク、知ってるでしょ。わたしは帰るだけなら、いつでもできた。荒々しい男たちがわたしをどうやって犯そうか考えるだけの無謀さをまだ持っていた時でもね」



微笑みとともに降り注ぐ声の透き通った涼やかさは、まるで女神の慈愛のようだった。

小さき命の一つに過ぎないアレクには、ただ受け止めるのみ。



「あなたに全ては話せない。でも、わたしには必要なの。今のこの状況も、あなたも、この檻ですら」

「“兵の魔女”、だから、なんですか?」

「……暗殺、のためじゃないわ。これは任務とも役目とも肩書きとも無縁で、それらより遥かに重要なもの。そこにあなたが居てくれるのも、きっと意味があることだわ」

「お腹の、子の……あなたの、愛する人の、ためですか?」

「そうよ。そのために、わたしはあなたを犠牲にするでしょう。あなた以上のものであっても、そうする」

「そう、でしょうね……」



痛む体に力を込め、呻き、吠えながらも、手をつく。

体を起こし、今度は膝をつき、気合いを入れ直して、立ち上がった。

よろける体、震える足。だが断じて、檻や馬車に寄りかかったり手をついたりはしなかった。

彼自身のか細い意地の総力をかけて、彼は己の足のみで立ち、アイランと向き合った。



「そのために、必要なのは……力なんかじゃない」



目を見据える目。

揺れる瞳は、苦痛を押さえ込もうと懸命であり、全力だった。



「ええ、そうね」



アイランの潤む瞳の中にあるのは、純粋なるものだった。

少なくとも、この視線の交錯にあるのはそれだけだと信じた。

交わる線は互いを引き寄せ合い、それ以上の言葉など必要としないまま、触れ合った。

すでに言葉は尽くされた。言葉によって理解可能な部分を、二人は完全に埋め切ってしまった。

あとは、触れ合うのみだった。


数十秒の熱い接触から、互いの唇が離れる。

アレクの固い唇の間から息が漏れ、アイランは犬歯から滴る唾液を拭わず落ちるに任せた。

うつむく二人の額がこつんと当たる。

そのまま、彼は言うべきことを、完璧な声、完璧な調子、完璧な音律で奏で上げた。




「アイラン……ありがとう」




彼女は、くすりと笑った。

女神の祝福さえあれば、もはや迷いも疑問も恐れも無かった。

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