60議会と十字路の拾い子
ノイジーローズ・ガルガチュアスの裏切り。
その報せは、世界と60議会に凄まじき動揺をもたらした。
三元帥の配偶者が、反統王連衡に与していたのだから当然といえば当然である。
疑いの目は本人のみならず家族へも向けられ、父親を始めとした家族全員が即座に逮捕された。
民衆の驚きと怒りと失望は大きくかつ根深く、魔界現界を問わず無計画な暴動騒ぎが散発するようになった。
アンガナス、魔女協会、ダカーヴォギー、もはやどこが標的となってもおかしくは無く、誰が裏切り者であってもおかしくはないという状況に陥ったのだ。
その焦燥と不安を、さらにヤザレの拝火教を始めとした、混乱と混沌を餌とする者たちが煽りに煽り立てた。
辻で、広場で、酒場で、集会所で、行政使府で、彼らは破滅を養分としてめきめきと力をつけつつあった。
ガルガチュアス一族を裏切り者として即座に処刑するよう要求する民衆の行進まで、王都では展開されたほどだった。
そのような混乱と狂騒の中にあっても、唯一アヴムオード女卿は民衆からの標的にはされなかった。
一時生死に関わるほどの重傷を負いながらも自らの手でノーグルーンを討ち取り、夫を捕縛したという事実によって、かえって民衆からは感心と信頼を寄せられていた。
だが、議員や貴族、有力者たちからは、容赦なく疑いの目を向けられた。
夫が敵の工作員であったことを長年見抜けなかったばかりか、そのせいで彼らにとっても重要な各領地の内情という情報が敵の手に渡り続けていたかもしれないのである。
自らの地位を守るためには、アヴムオードの能力と才覚に疑いありとして、彼女を責め立てる他はなかったのである。
それらを病床で受け止めた彼女は、ただ「申し訳ない……」と呟くばかりだったという。
その、小さく、弱く、痛々しい姿には衛兵たちですら目を背けた。彼女のそのような姿など、見たこともなく、見たくもなかった。
そこへ、クロスが訪ねてきた。
二人が顔を合わせるのは、実に12日ぶりである。
「フォーリーズ、詮議はもう済んだのか?」
「ええ、僕のぶんはようやくさっき全て終わったみたいです。ゼルタルスさんも今は大忙しみたいで」
ベッドの横に椅子を引き寄せて座る。
アヴムオードの負傷は、どれも深くはあったが回復可能なものでもあった。
それでも、たった12日間で体を起こせるほどになるというのは、驚異的な治癒能力と言ってよいだろう。
「すまないな、議会で演説してもらうはずが、延期に次ぐ延期で……」
「いえいえそんなことは! こんな時に自分の目的を優先しようだなんて、いくら僕でもそこまで恥知らずじゃないですよ! アヴムオードさんからも皆さんからも、十分以上によくしていただいています」
「いや……私の過失だ。もっと早く、どうにかできたはずなのに……」
暗い表情でうつむく。
クロスも困ったように鼻でため息をついた。
アヴムオードが自分を責めるのを、止めることはできないだろう。
「……お怪我の具合は、どうですか?」
なので、少し角度を変えることにした。
「ああ、だいぶ良くなったが……少し右肩と腰あたりが突っ張るな。縫い目も疼くし、医者が言うには後遺症として神経痛が残るかもしれないとのことだ」
「痛むんですか? 痛み止めならいつでも最高のものを魔女協会で──」
「いや、いい。これもまた栄誉だ。それに私もノジーも無事生きて今を迎えられているのだ……それだけで良しとしなくてはな」
顔を上げ、ふっと微笑んでくれる。
やっぱり、ノジーさんの話は楽しそうにしてくれる。
「……この顔のことも、そうだ。戦士としてこの上ない名誉の証であり、将帥としての誇りそのものだ。力の限り戦い、痛みにも疲れにも屈することなく守り抜いた戦功への褒章だ、隠すつもりなど、毛頭ない。だが、同時に、私はもう”女”では無いのだと、女としての己を捨てる覚悟を持たねばならないのだと」
自らの顔の火傷跡に手を添える。
「平穏な、一人の人間として満足できる生き方など出来ないのだと。私は生涯戦場を駆け回り、剣と気勢を振るい、心を鋭く尖らせたまま生き、安らぎなど二度と感じることなく、独りで死んでいくのだろうと……諦めていた。この顔になる前から覚悟していたつもりの生き方だったが、こんなに分かりやすく、決まり切った形ではっきり突きつけられるとな……」
火傷跡を小さく撫でる手つきは、慈しむようにも、力なく諦めているようにも見えた。
「そんな私を、ノジーは女として扱ってくれた。私に戦場以外の場所を、家庭というものを、与えてくれた。私は……私は、ノジーの名前を呼ぶのが好きなんだ、今でも」
力のない微笑みだったが、それでも間違いなく笑みではあった。
「でも、驚いたよ……私が、あそこまでノジーを深く愛していたなんて。我ながら情けない……騙されていたとも知らずにのぼせ上がって、なんとも惨めな女じゃないか……」
「そんな、ことはないと思います」
自嘲するアヴムオードにぴしゃりと、強い口調でそう挟んだ。
そして「え?」と顔を向ける彼女へ、次々に言葉を突きつける。
「ノジーさんは、この12日間、協力的に証言を続けてくださっています。まるでこちらから敵に送り込んだ工作員であるかのように、積極的に情報を教えてくれているんです。敵の拠点、使用している経済網、人員配置、遡っての組織実態と様々で、そのおかげで”流木団”の団長を逮捕できましたし、連衡の資金源のかなりの部分を押さえることができました。それだけじゃなく、自分とノーグルーンの関係、そしてその身に受けた、数々のおぞましい実験の記憶まで……」
「実験……」
「“忌み子”治療のためのものです。その実験が回り回って僕の命も助けてくれた。まさしく、ノジーさんは全てを話してくださっているのです。恐らく、以前から準備していたのでしょう、自分が捕まった時のために、開示すべき情報を常に整理し続けていたに違いありません。僕たちが、反統王連衡を手際よく追い詰められるように。彼は自分が死んだ時に備えて遺書まで用意していて、その中身も全てを告白するものでした。しかもそれをザックさんに管理させていたんです。連衡の自分の手下やクランツにではなく」
「どうして、そんな」
「あなたがいるからですよ。始めはノーグルーンへの恩義と使命感で、奴の手先としてあなたに取り入っただけなのかもしれません。しかし、あなたへの愛は本物だった、偽りじゃなかった」
「そう、思いたいがな……」
「では、何故ノジーさんはモタグの裏切りを知っていながら、何も手を打っていなかったのでしょう? 何故僕が向けた疑いをあんなにあっさり認めて、ノーグルーンをあの場に喚んだのでしょう?」
アヴムオードは沈黙のみ返す。
「ノジーさんは、賭けたのだと思います。ノーグルーンとアヴムオードさん、どちらも裏切れないと気付いた時、運命に委ねたのです。どちらに転んでも、ノジーさんは勝ちも負けもしない賭け。彼の仕掛けた勝負に……僕たちは勝った。勝ったからには、望みのものを得るべきです」
「それが」
震えた声を、なんとか押し出す。
それは”強風”らしからぬ声であり、アヴムオードらしい声であった。
「それが、大罪を犯した夫でもか……?」
今、ノイジーローズ・ガルガチュアスは統王陣営に惜しみなく全てを曝け、最大限の協力を続けている。
だが、やはりその後は裁かれるだろう。裁かれねばならない。
それがヴンザッカ議員や犠牲になった衛兵、一般人たちの遺族へのせめてもの慰めとなるだろう。
そうして彼らは生き続けられる。重荷を背負いながらも、かろうじて前を向くことができる。
それが法であり、罰であり、決して消えぬ罪への報いなのだ。
永らえたと言えど、ノジーの命は依然風前の灯火なのである。
「そうです。あなたはもう、彼を手に入れている。あとは守るだけです」
「なんともはや」
ふっと再びアヴムオードから笑みがこぼれた。
「お前は、とんでもないヤツだったのだな」
クロスは、頭をかきながら照れ笑いで返した。
「冗談ではないぞ」と笑いながら肩を叩くアヴムオードの手には、少しだけ元気が戻っているように感じられた。
「ロスちゃん、俺かて妹の旦那を殺すだの拷問するだのなんて気ィは進まへんよ。だから今もそんなことはしとらん。しっかしこう民草が騒がしいとなあ。かばうのも限界ってモンがあるで」
「隠しようもなく私ら全員の失態だもんねー。今回ばかりは私でも手の打ちようがないや」
三元帥の会議室で、ナーヴァンドとゼルタルスとクロスが集まっていた。
遠くからは、外で民衆が騒いでいる声がくぐもって響いてくる。
裏切り者は議員と元帥の夫。その衝撃的な事実を前にして、行政に非難が集中するのは至極当然のことと言えた。
ここまで来るのすら、裏口からこっそりと入らねばならなかったほどである。
民衆の不安と怒りは今や出口を求めて巨大な渦を巻いている状態であった。
「でもしばらく! あとしばらく、ノジーさんへの起訴は待ってください!」
必死に頭を下げるクロスを前に、ナーヴァンドは困ったような表情を浮かべ、ゼルタルスは気まずそうな表情を浮かべていた。
「せやけど司法の連中も苛立ち始めとるんや。いつもだったらとっくに裁判にかけられとる頃合いやからな、協力者てことで特別に訴状差し止めしとくんもそろそろきついで?」
「制度の問題は代行勅で解決できます!」
「いくら勅って言っても、やっぱり父上が出すのと私らが出すのとじゃ重みが違うよ。結局、皆を納得させるか、完璧に抑止するしかない。アヴィーなしじゃ後者は無理だから、やっぱり前者でやる以外にない。強引なやり方は、この場合逆効果なんだ」
「アヴムオードさんの名前を使えば……」
「重傷の女傑の名前なんざ誰もビビりゃせんで! せめて立って歩けるようになるまではあいつの名前は使えん。今のあいつに無理もさせたかないしのう!」
三元帥は、どこまで行っても三元帥なのだった。
一人欠けば均衡を失い、選択肢が大幅に狭まってしまう。
魔界の兵権の三分の二がこの部屋にあっても、一人一人の人間の魂の奥底までほしいままにはできない。
それが統王が認めた世界の在り様であり、徳目であり、また枷でもあった。
枷の重みに耐えることはできても、我が物のように振り回し扱うことはできない。
二人と、魔女協会の使い走りだけでは。
「……わかりました」
呟くようなその声の中にあったのは、諦めではなかった。
「延期になっていた僕の演説、明日やります」
静かで、だが力強い宣言だった。
「申し訳ないけど、前見せてもらったあの内容じゃ、とても今の状況には……」
「原稿は無しでやります。ぶっつけ本番で、その時僕が感じたことをそのまま言葉にします」
「大丈夫かいな。下手ァ打つと火に油注ぐことになるで」
「まさに、それをしたいんです。ばらばらに燃えているくだらないぼやを束ねて一つの大火にし、それを敵にぶつけます」
「具体的には?」
「魔界全土、全兵力の大動員を呼びかけます。全ての兵を動かし、全ての戸を閉めさせ、あるいは開けさせて、全ての敵をあぶり出します」
「大粛清かいな。まるで血に飢えた暴君やな」
「でも民衆の暴動や動揺は鎮められる。全員に”次なる敵”を与えて忙しくさせることで、今ある問題に対する時間稼ぎになるね。そうすれば……父上の詔勅で恩赦を得るまでの猶予が生まれる」
「おいおい、乗り気かよ?」
「私だってアヴィーの旦那様を殺したいわけじゃないんだよ。彼を尋問したのは私だ。彼の気持ちは……よくわかるよ。他人が好き勝手無責任に『他の道があった』なんて言えることでも、本人にとっては、選べる道なんて僅かしかなかったのさ」
「同情は公私混同やって、アヴィーなら言いそうなもんやけどな?」
「何が悪い? 私たちは覇者の息子なんだよ」
にっこりと笑って見せるナーヴァンドに、とうとうゼルタルスも退けなくなった。
完全に開き直った弟に対抗できるのは妹だけである。
その当の妹はここにいないばかりか、もしいたとしても己自身をねじ曲げるかのように深く体を曲げて頭を下げながら言うだろう。「なんでもする、ノジーを助けてくれ」と。
それはむしろ、ゼルタルスにとっては愛すべき妹の愛すべき矛盾であるのだからして、兄として、聞いてやりたいとの気持ちが勝ってしまった。
「だぁーーもうわぁーったよ! 段取りやっとくからあとは好きにせえ!」
「ありがとうございます!」
深く体を曲げて頭を下げる。
クロスの場合、それは己をねじ曲げることにはならなかった。
翌日、クロスは一人で廊下を歩いていた。
60議会の建物内を、議場に向かって歩いていた。
道ゆく者達が、彼の顔を見てひそひそと話している。
職員たちだけではなく、議員たちも、清掃や荷運びの労働者たちまでじろじろと彼を見た。
「あの女の居候ですぞ」
「少年好きの悪趣味元帥めが、あれだけわしらに凄んでおきながら自分は男に骨抜きにされおって」
「彼は魔女どもを慰めて回っておるのでしょう? 優男に見えて、案外床達者なのかもしれませんぞ? ならば元帥殿を責めるのは酷というもの」
「あの女を懐柔するための、魔女どもからの贈り物というワケか。女どもというのは実に卑しい手を思いつくものよ」
「まさしく、汚らわしい連中よ」
「そう言うな、理性ではなく本能に支配されし哀れな生き物どもなのだ」
「獣の仕儀と思わば、可愛げも感じるというものですな」
「まさしく」
そのような最低の会話も、漏れ聞こえてきたのは一度や二度ではない。
彼らは普段アヴムオード女卿によって抑止されてきた鬱憤を、ここぞとばかりに解放していた。
そのやり方が陰口である、というのは飼いならされた者の控えめさか、大胆であるかのように振る舞いながらも後々の災いを気にする小胆さか、単に場の雰囲気に流されているだけか、本人らも自覚しない可愛らしさ故なのか。
いずれにせよ、今のクロスにとって一切眼中にないものであった。
彼の目的はただ二つ。
守りたいと思ったものを守る。
救いたいと思ったものを救う。
その傲慢とも言える固い決意と自我を前に、子犬の群れの囁きなど意識の中にすら入らなかった。
とはいえ、アヴムオード女卿の責任を追及する声は、無視できるものではない。
議員たちは連日、彼女を責め、彼女の夫を責め、元帥らを責めた。
それらに対し、返し続けてきたのは沈黙。
ナーヴァンドが水面下で色々と動いていても、公式には未だに何の声明も無かった。
それだけ、ガルガチュアス家から裏切り者が出てしまったという一大事は統王政権にとって大変な衝撃だったのである。
12日もの間、人々の混乱をただ乱れるに任せるしかなかったのである。
クロスは、それを終わらせに来たのだ。
生半な覚悟ではない。木っ端のくだらない陰口など耳に入れている場合ではないのだ。
「こんクソボケがぁぁぁあああーーーーーーー!!!」
議場に集った議員たちの会議は混迷を極めていた。
271名もの議員が怒号を響かせ、口汚く罵り合い、物を投げ合い、掴み合いの喧嘩を繰り広げていた。
それはもはや紛糾とも混迷とも言えぬ、狂騒だった。
会議というよりは戦場であり、議論というよりは祭りだった。
あれ以来、連日この有様である。まるで全員がハン帝国以前の蛮族たちであるかのように、野蛮な精神を取り繕うことなくそのままぶつけ合っていた。
始めのうちは静かであっても、議題が二つ三つ進むと必ず裏切り者の話か三元帥の話が持ち出され、徐々に加熱して最後にはこうなってしまう。
統王政権を糾弾する者、擁護する者、そこへ加えてどちらでもない独自の思想を持つ者たちが加わり、制御不能な混乱と化していた。
アヴムオード女卿が少し不在にするだけでこれである。
ナーヴァンドはにこにこと笑みを浮かべながら、ゼルタルスはうんざりしたようにため息をつきながらそれらを眺め続けていた。
クロスも、それを眺めていた。
空席となったアヴムオード女卿の席で。
とはいえ、彼女が座していた場所ではなく、いつも自分が座っていた端の方にではあるが。
「統王様の声明を待たんかいダラズがぁ! ワシらにまで迷惑かかるやろがい!」
「罷免動議がまだ生きとるやろがい! あん売女だけでも辞めさせたったらちっとは通り練り歩いとるボケどもも落ち着くやろ言うただけやろがボケぇ!」
「全員縛り首だ! ただちにあの女も裏切り者も吊るせ!」
「他にも裏切っとる奴がいるかもしれんぞ!」
「じゃかぁしいわ! おどれが愛人つこて脱税してんの知ってんねんぞ!」
「誰が責任取んだよ!」
「くたばれクソ野郎ども!」
「奴らの次の狙いは!?」
「そんなことより縛り首だ!」
「まだ捜査は完了していないはずだ! 大人しく待つべきだろう!」
「うるせェェ! 待っとる間にまた奴らに襲撃なんぞされたらどう責任取ってくれんだよ!」
「自分の身は自分で守るしかねぇか!」
「終わりだ終わり! 解散解散解散!」
「バカヤロー!」
そこかしこで意味もない対立が続いている。
彼らの多くは元々独立勢力であり、力によって屈服させられ従っているだけである。
その裏にあるのは愛憎渦巻く人間関係。一つの国の一員としてまとまる以前からの、憎み合い、殺し合い、利用し合い、信頼し合っている関係をそのまま引きずっている。
そしてそれらの関係は、いとも容易く何かのきっかけで他の関係へと切り替わった。
信頼は疑いに、利害は憎悪に、彼らの心の奥底が今まさに衝突し合っていた。
これぞまさに、統王が魔界の直接統治を諦めた理由であり、この60議会が開かれた理由そのものである光景だった。
「死ねボケ!」
「我が祖父の恨みを晴らすぞ!」
「領地回復を要求する! 自衛のためだ!」
「金よこせ!」
「殺すぞ!」
「縛り首にしろ!」
「議会なんぞ女の腐ったような真似はもうやめじゃあ!」
「奴らを殺せ!」
「もう何もかも終わりだあ!」
「触んなカス!」
「静粛に!」
「ぶち殺されてえのか!」
魔界のかつての姿、かつての関係、その縮図がそこにあった。
ふと、ゼルタルスがゆっくりと立ち上がった。
それに気づいたのはナーヴァンドとクロスだけだったが。
彼は腰の剣を鞘ごと腰から外すと──
──議場中央の壇に投げつけた。
壇に鞘ごと突き立った剣は凄まじい衝撃と破壊の音で以って全ての喧騒を上書きした。
空間に響き渡ったそれはあらゆる人々の体をびくりと跳ねさせ、全ての声と、行動を中断させた。
そして一瞬の静寂と共に振り返る。鞘ごと剣が突き刺さった壇と、その剣を投げうったゼルタルスの方へと。
その一瞬を、彼は逃さなかった。
「やかましいぞ血袋どもがぁーーーーーッ!!!」
目は血走り、口元は力がこもり、額には青筋が立つ。
その形相と声はまさしく鬼神の一喝だった。
この瞬間、間違いなく彼は魔界の兵力の三分の一を支配する元帥だった。
「文句も泣き言も弱音も今更ビービーぬかしよってからに! こん中で一体誰がガル・ヴ・ヴィツを止めたんじゃ!? 一体誰がヴンザッカの野郎が裏切りモンやと気づいた!? 一体誰がノーグルーンのアホたれを斬ったんじゃ!? お前か!? お前か!? お前か!?」
議員たちを次々と指差していく。
あまりの剣幕と意外性に体を強張らせたまま、指差された者たちはただ首を振るばかりだった。
「連衡の連中がオレのかわいい妹を騙して喰いモンにしくさってた時、てめえらは何してた!? ここで手前勝手なわがままばかりぬかしとっただけやないか! やれ自領の警備が不安だの、経済が不安だの、補償が不安だの、ただビビっとっただけやないかい! そんな腰抜けどもがどの面ァ下げてアヴムオードを弾劾しとんねん、あいつの願いを踏み躙る権利があるだなんて思い上がっとんねん!」
ナーヴァンドがかくっとうなだれて頭を抱えた。
「ほんまはここでてめえら全員撫で斬りにでもしたいんやけど、だがお前らが抱く不安自体はわかる! 理解できるわ! せやから自制のため! オレの剣は今そこに捨て置いた! これでオレがこれ以上の癇癪を起こしてもお前らの首を刎ねは出来ん! 安心せえ!」
議場中央に突き立った剣を指差す。
議員たちはただ、間抜けのように眺めるばかりだった。
冷や汗を垂らしながら。
「お前らを辞めさせたりもせん! 安心せえ! 親父にアカンわと上奏もせん! 安心せえ! 改易や取り潰しもせん! 安心せえ! 減俸もせん! 安心せえ! 奴らに好き勝手もさせん! 安心せえ!」
ゼルタルスの声にこれほどの力があったことを知る者は、この空間には二人だけだった。
家族であるナーヴァンドと、シロサ議員のみ。
だからナーヴァンドは頭を抱え、シロサは腹を押さえて大笑いをこらえていた。
「せやからな、せめて黙れ! 今からここの、この、かいらしい坊ちゃんがお前らに話があるっちゅうからな!? 他のことはなんーーぼでもしてええから、せめて静かに! ええ子で静かにして、最後まで! 話を聞くんやぞ!? わかったな!?」
議場はしんと静まり返っていた。
アヴムオードの怒りに触れた時以上の静寂が、議場を満たしていた。
「わ か っ た な ! ?」
「もういいよ、兄上」
ついにナーヴァンドが口を挟んだ。
この議場で彼が口を利いたのは、本当に久しぶりのことだった。
「あぁ!?」
「これ以上は、彼も話しづらくなっちゃうでしょ? 感動的な演説だったけど……今日の主役は、彼だから」
「せやけどなあ!」
「アヴィーなら、これ以上はしない」
言葉と共に、鋭く睨み上げる。
ナーヴァンドとてゴン・ガンクの男。
普段どれだけ柔和であっても、その奥底の本性は、常にその紳士的な仮面を脱ぎ捨てる機をうかがっているのだ。
「……わかったッ!」
弟のその表情に、ゼルタルスは絶大な信頼を寄せていた。
彼が信じているのは人たらしたる弟の外面ではなく、その奥にある冷静たる情熱なのだ。
どっかりと席に座り直すと、クロスへ目配せする。
ほぼ同時に、議場のそこかしこで安堵の息が静けさのまま吐かれた。
クロスは会釈の後に席を立つと、中央の壇上に向かって歩んだ。
その足取りは緊張も萎縮もしておらず、ただの街道を歩んでいるかのようだった。
議員たちの視線にさらされ、注目されながらも、いささかも怯んでいなかった。
まるで彼らそのものを、人と認識していないかのように。
壇上に立ち、突き刺さっている剣の鞘を抱えるように掴み、腰を入れて引き抜く。
それを、とりあえずは腰のランタンの金具に引っ掛けてぶら下げた。
先端が床にごつ、とぶつかったが気には留まらなかった。
全員が注目する中、大穴の空いた台越しに、人々を見渡す。
それから、息を吸い込んだ。
「ご紹介に与りました、クロス・フォーリーズと申します。魔女協会長ストイル・カグズ・アッサルートの弟子で、彼女の養子でもあります。まずは、この場を設け、受け入れてくださった皆様に感謝します。どこのトカゲの骨ともわからない子供一人の言葉を、こうして聞いてくださっている。皆様の真心と親切なくしてあり得ないことです」
静寂と、視線。
先ほどまでとは打って変わって、彼らがよこすのはそれだけだった。
それこそが、求めたものだった。
「挨拶はこれぐらいに……今日私が言いたいことの半分は、つい先ほどゼルタルス元帥殿下が先んじて申し上げてしまいました。なので残りの半分の話をしたいと思います。
皆さんはそれぞれが……それぞれの国や種族の歴史、文化、生活、利益を背負ってこの議会に臨んでいる。重責を担いながら、自分らしくいられない時もあるでしょう、したくない妥協をせざるを得ない時もあったと思います。その全てを、こんな若輩者の私が理解できるはずもありませんが……
きっと、対立は避け得ないのだと思います。私たちは、あまりにも、長く長く戦いすぎた、殺し合いすぎた。背負っているものの重さと大きさを、ぶつけ合いすぎた。
そして、最後に、統王に敗れた。ここにいる全員が」
ナーヴァンドもゼルタルスも静かだった。
議員たちの間に走る無音の緊張を、静かに見守っていた。
「ハーバントという脅威に、全員が屈した。何故なら、私たちがお互いに憎み合っていたから、殺し合っていたから。一人一人が、一人一人のまま強大な敵──恐怖に蹂躙されてしまった。でも幸運なことに、その私たちを倒し征服した敵は良いヤツだったんです。そのおかげで今の豊かさと平和がある、ここで好きなだけ声を荒げても殺し合いにまで発展しない世界がある。
でも、それはただ単に私たちが幸運だっただけなんです。もし私たちを倒したのが統王ではなく、もっと悪いものだったら? “偉大なる広野王”だったら? 虐殺者マルコフ帝だったら? “最初の暴君”セゼミル王だったら? 物語にあるドラウゴンだったら?
それが、今私たちが直面している敵です。反統王連衡は私たちを分裂させ、かつてのように対立させようとしています。その次の世は……荒廃と戦乱の先にある五分五分の賭けです。苦難と苦痛、悲劇と惨劇を越えた先にあるのが悪なのか善なのかすら、意思によっては決められない。そんな時代が”また”到来するのです。
“誰か”は勝てる、そうお思いの方もいると思います。戦乱の果てにハーバントが勝利者となったように、今度こそは自分が勝利者になれるかもしれない。それなら混沌の時代も悪くない、と。”賭け”という言葉に消極的な印象をお持ちの方ばかりではないでしょうから。
しかしそのために何が犠牲になるでしょう? 統王は自らの父親と兄を追放し、ゴン・ガンクとして死なせることを拒否しました。心から信頼した者たちを次々と自らの手で処断せねばなりませんでした。その上で尚、正気で居続けることを求められました。
心から愛する女性が襲われ、死にかけたその時でさえ……
まさしく『王とは奴隷に近く、その子は家畜に近い』。世界が動くための機械部品の一つのようなものに、進んでなりたいと言うのならば、それもよいでしょう。
しかし、考えていただきたいのです。私たちは……世界は、魔界は、また負けてもいいのでしょうか? この世界を譲り渡していいのでしょうか? 少なくとも魔女たちは、私たちは、私は、『いいわけがないだろう』と答えました。だから真っ先に魔女たちは立ち上がりました。この世界を壊すのではなく、守るために。その回答を、皆さんより少しだけ早く返したというだけなのです。
今からでも遅くありません、皆さんも答えましょう。奴らが、連衡が突きつけてきた問いに、ようやく答える時が来たのです。本当はもっともっと前から存在していた問いに、答える時が来たのです。
団結か、混沌か。今戦うか、後で戦うか。守るか、手放すか。はいか、いいえか。是か、非か。
憎み合っていてもいい、対立していてもいい、信頼し合ってなくていい、ただ自分のために本当に何が最善かを、考えてほしい。
ただ少なくとも、この若造が皆さんへ確実に申し上げることができるのは一つだけ。
『立ち上がるなら、仲間が多いうちに』。」
それは静かな演説だった。
戦意を高揚するような、興奮を煽るような言葉ではなかった。
しかし、皆が聞き入っていた。
「私たちは──私は、もう負けるのはゴメンです。愛する人々が危険にさらされるのをこれ以上は許せない。
だからこそ、今ここに提案します。三元帥麾下での魔界全勢力の武装化に動員、それと反統王連衡への宣戦布告を。
皆さん、戦って、守りましょう。この魔界全てを」
「以上です」と締め括る。
まず返ってきたのは、やはり静寂だった。
一切の色なき静けさに、無音のうちに、様々な議員たちの感情がこもっていた。
当惑、不安、恐れ、静かな高揚、集中、少なくとも彼らの心に何かを与えることには、成功していた。
すっく、と、突然一人が立ち上がった。
群衆から最初に突き出たその姿には見覚えがあった。
シヤーシヴァ・ノズラクロウ。
一体何をするのか、どうするのか、俄かに注目が集まる。
その中で、彼は──
「エイ、エイ、応!」
──拳を、高く掲げた。
「エイ、エイ、応!」
普段の彼を知る全員が驚きに目を剥いた。
拳と共に上げている鬨の声は、低く轟く、戦さ場の武者が立てるような声色だったからだ。
「エイ、エイ、応!」
それを、繰り返していた。
クロスを見ながら、拳を突き上げ続けた。
「「エイ、エイ、応!」」
やがて、観念したように隣のナルベルも立ち上がって、同じように鬨の声を上げた。
そんな彼に睨まれ、促され、ヴルーナヴも加わる。
「「「「エイ、エイ、応!」」」」
そこに、シロサも加わった。
とても楽しそうな無邪気な笑みを湛えて。
「「「「「「「「「エイ、エイ、オー!!」」」」」」」」」
そうなると、他のゴン・ガンク六家の議員たちも加わらざるを得なかった。
そこへ、遅れをとってはならじとドワアフが加わり、アーゲルンが加わり、小身貴族の議員たちが加わった。
『『『『『『『『『『エイ、エイ、オー!!!』』』』』』』』』』
少数民族の代表者たちが加わり、非貴族の団体代表が加わり、宗教関係の議員が加わり、あらゆる派閥・政治思想を違える者たちが声と拳を揃えた。
「エイ、エイ、オー!!!!!」
それは一つの合唱へと拡大し、また収束していった。
271人の代議全員が、鬨の声を轟かせ、拳を突き上げていた。
憎み合っていた者、殺し合っていた者、政権に不満がある者、異端的思想を持つ者、全員が高らかに謳い上げていた。
それら全てを、クロスはその身に受けていた。
びりびりと肌に響く空気の震え。
それを感じながら、クロスは、ゆっくりと、壇から降りた。
腰から下げた剣を、再び台の大穴に挿し直してから。
「団結か混沌か、か」
響き渡る合唱にかき消されながら、ナーヴァンドがぼそりと呟いた。
頬杖をつき、細めた目でクロスを見下ろしながら。
「矛盾が両立した時、戦が始まる」
今ここに、混沌が混沌であるままに初めて団結した。
歴史的快挙の結果がどうなるのかは、天ですら知らない。
この日、ノズラクロウによる動議という形で、ある議題が可決された。
60議会に加盟せしあらゆる勢力は三元帥の指揮下で武装化し動員。
戦時とみなした緊急事態を発令し、その敵を反統王連衡と定めて公布。
魔界にある全てを使い、全てを探り、全てを光の下に引きずり出す。
ありとあらゆる権限が解放され、たとえ民衆を抑圧しようとも敵を見つけ、戦い、勝利を目指す。
どんな犠牲が生じようとも。
戦争が、始まったのである。




