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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
在の章
195/208

神魔一体

時はやや遡り、魔女協会領シリネディーク城。

魔女協会長ストイル・カグズ・アッサルートの寝室にて、部屋主が執務をとっていた。

ベッドで寝間着のまま上体を起こし、書類を並べ、にかわで壁に貼り付けたインク壺にはペンが3本突っ込まれている。

その状態の中で彼女は書類の一枚を眺めながら──



「むぐむぐむぐむぐむぐむぐ」



──粥を食べていた。


「はい、お姉様、あーん」


両手が書類で塞がっている彼女の口に匙を運ぶのはアン・ロード。

何故だかとても楽しげというか、幸せそうだった。


「むぐむぐもぐもぐもぐ、討伐軍快進撃! ですって」


粥を飲み込みながら、やや呆れたように言う。


「討伐軍でもないし進撃でもないのにねぇ」


そうぼやきながら投げ置いた書類は、全国版の民間情報媒体、”一版紙”と呼ばれる新聞のようなものの写しだった。

廃材を薄く切り裏表に情報を書いて売り始めたのに端を発するこの情報媒体は、統王の教育改革に伴う識字率の向上と共通語の制定によって大きく普及し、いま民間では最も身近な情報源となっている。

つまりこれに書かれていることが、そのまま世間の一般人の知識や認識になっているのだ。

肝心の情報の正確さや信頼性で言えば、おおよそ7割ほどと言ったところか。

特に全国版は統王の意向や思惑が含まれることもある。


「ひっ、”光の魔女”は、敵の拠点のおおよその位置を、割り出した、ようですわ」

「あんまりやり過ぎてなきゃいいけど……」

「その、既に59名もの敵の協力者を、処刑したとか」

「どー考えてもやり過ぎてるわね……むぐむぐむぐ」


武装魔女隊の先鋒を率いる”光の魔女”は、少しでも自分に逆らう者がいれば即座に敵とみなして容赦なく処刑した。

民間人だろうが女子供老人だろうが速やかに捕らえ、痛めつけ、すぐさま吐くか助けを乞うならば良し。無実を主張し続けるならさらに痛めつけて殺した。

それは傍目から見ても明らかなる暴虐の振る舞いであり、行く先々でその所業は忌み恐れられていた。


だが、残虐に振る舞うからと言って必ずしも愚かとは限らない。彼女とその従者はともに人々を入念に調べ、怪しいという程度なら罰にはかけず、拷問と処刑は有無を言わせぬ確信的な証拠や論理破綻を見つけた上、クリン・ヴィ・カントの”魂感応”で確定させてから執行していた。

その思考、決断、頭の回転、手際があまりにも早すぎるがために、余人には軽率な暴虐と捉えられてしまうのだった。自分に逆らった者への処刑も、瞬発的であっただけで、理由を解きほぐせば納得できるものばかり。

そのような誤解が生じないよう、もっと慎重に、ゆっくりと進めてほしかったが……今更どうしようもない。彼女は怒り狂っているのだ。


「あいつら、お姉様に迷惑ばかりかけやがって……私たち後方支援に余計な負担をかけないでほしいですわ!」

「まあまあ、今は好きにさせてあげ──もぐもぐもぐむぐ」


そして、ここにも怒り狂う魔女が一人。


「お姉様は優しすぎますわ! こっちはまだ屯所の衛兵と統王からの正規軍の編成すら終わっておりませんのよ! 城下の修復と民生の維持と各方面への伝達で手一杯で、シリネディーク城のどてっ腹に空いた風穴すら放置したままでいるぐらいなのに!」

「でもルルの増援組はもう送り出せた──むぐむぐむぐ」

「そうですわ! そんな状態にも関わらず武装魔女隊の支援を最優先として物資も増援も欠けなどなく尽くして差し上げているというのに、あいつらときたら好き勝手好き放題しやがってェェェ……!」

「もぐんもぐんもぐん──でも──もぐもぐもぐもぐ」

「いっそのこと全ての供給を差し止めて残らず締め出してやろうかしらそれがいいわそれであんな奴らでも少しはお姉様のありがたみがわかるはずですわ骨身に沁みて」

「むぐむぐむぐもぐもぐもぐもぐ」

「いずれ私がお姉様の全てを奪って差し上げるんですものいまのうちにお姉様に迷惑をかけるような不心得者には徹底的に理解させてあげなくちゃお姉様の素晴らしさ素敵さ美しさ優しさ強さそして舌なめずりするような美味しそうさを咽び這いつくばらせながら叩き込んで叩き込んで叩き込んで叩き込んで叩き込んで──」

「はい! そこまで! 一旦やめ!」


てのひらで匙の先を押し留める。

彼方地の底へ飛びかけていたアン・ロードの視線がはっと正気? を取り戻すと、恥ずかしげに顔を赤らめて体をくねらせた。


「あら、私ったら……はしたないですわ、はしたないですわ、申し訳ございませんお姉様」

「相変わらず元気ねあなたは」

「そんなぁ」


照れながら体をくねらせる妹弟子に苦笑いを贈りつつ口を拭う。



「ところで──」



そして拭い終えた時には、空気が入れ替わっていた。

じゃれ合うような、雑談を交わし合う柔らかな雰囲気ではなく、鋭く尖った、真剣を突きつけ合うような緊張が、たったの一言で形成されていた。


「──例の件は?」


アン・ロードも体をくねらせるのをやめ、まるでアッサルートの秘書であるかのように厳かに答えた。


「手がかりがありますわ、証言を改めて詰めてみましたの。今度はこどもの外見に絞って」


二人は、秘密裏にある人物について調べていた。

ピッタ・ノーグルーンがスピュックス・ノスライエスとして魔道士会の弟子たちを教導していたある時期に連れていた10歳ほどの「こども」。時系列や年代的に、これは”フェルマーの子供たち”ではない。無論、クランツでもない。

では一体誰なのか? もしかすると、まだ生きているのではないか?

疑問に基づき、探し始めていたのだ。そのこどもを。

ひとまずはそのこどもについて、証言者に詳しく話を聞いて手がかりとするところからだった。


「こちらが証言です」


そう言って差し出された巻物を受け取り、開く。

そこにはこどもの外見について、証言者一人一人の証言が順番に書き連ねられていた。

順番に目で追いながら、感想を漏らす。


「共通してるのは、上背は120〜130cm、男性、小綺麗な身なり、歳は10ほど……生きていたら今頃は私と同じくらいかしら。面影が残ってくれているといいけど」


呟きながら、紙を一枚手繰り寄せ、ペンを掴む。

そして証言と見比べながら、似顔絵を描き始めた。

“屍の魔女”はいくつもの顔を見てきた。生者のも死者のも。そして人体の構造や解剖学にも精通している。

ただ単に証言の中央値を取っただけの似顔絵ではなく、証言に基づきつつ解剖学に則った似顔絵を作成できるのだ。

素早く、躊躇いなく、だが慎重に線を引き、情報をもとに描く。


「女の子だ、という証言もあるようですけれど……」

「子供の顔にはよくあることよ。大人は子供の性別を服装や髪型や声や立ち居振る舞いや清潔感で判断している。この子はもともと中性的な顔つきのようだし、”忌み子”のせいで表情も乏しく振る舞いにも活発さが無かったはず。勘違いするのも無理はないわ」

「それなら、本当に女の子で、男の子という証言の方が勘違いかもしれませんわ」

「たぶんその可能性は低いわね。女人禁制は魔道士会の不文律、いくら魔道士ではないこどもと言えど、女の子だったらもう少し連れ歩くのを躊躇うだろうし隠す素振りも見せるはず。禁書である『スゥガ・タムト写本』を所有している身で、不文律を犯すような危険に踏み切るかどうかは……まあ”分の良い賭け”って程度かしらね」

「さすがですわ、お姉様……」


目を輝かせるアン・ロードに、ペンを走らせるアッサルート。

今や魔女協会長を衝き動かしているものは、義務感や責任感だけでは無かった。

自分の子供のために、この子が生きる世界のために、少しでも良いものを残さなければ。

その愛と使命感が、彼女を必死にさせていた。

クロスに対して抱いている親愛や慈愛とは全く異なる、自分でも形容し難い感情と衝動がペンと黒インクを走らせていた。


紙が擦れる音と、ペン先が紙をへこませる音だけが響く。

線と線が繋がり、面と面が隣り合い、明確な像を浮かび上がらせていく。

ペンは走り、ペンは止まり、視線は往復し、まぶたは震えた。



「できたっ」



そうして数分後には、一人のこどもの顔が描き上がっていた。


「これが」


アン・ロードが完成した絵を覗き込む。

切り揃えた艶やかな黒髪の少年は、確かに女子と見まごうばかりだった。

さぞ美しい青年に成長し、今では見る影も無い中年になっていることだろう。

しかしこうしてみると、やはりピッタ・ノーグルーンの縁者ではないようだ。

顔つきや骨格が全く似ても似つかないのがよくわかる。

だからこそ実感できる、この似顔絵は非常によくできていると。

これなら、いける。

こどもの捜索にも希望が出てくるというものだ。


「次はこの似顔絵を使って、このこどもの足跡を追って行きましょう!」


張り切るアン・ロードだったが、アッサルートの顔色は優れなかった。

難しい顔をして腕を組み、時折顎を押さえながら「う〜ん」とうなっている。



「い、如何しましたの? お姉様……」

「や、あの〜〜〜、う〜ん、いやこの顔どこかで……」



考え込むように眉間にしわを寄せ、ひたすらうなる。

頭の奥底までを引っくり返し、魂の中身を残らず掻き出して記憶を探る。

この奇妙な既視感。もしやただの記憶の混乱だろうか?

整った顔立ちというものは似通った部分が多い。だから他人の顔と混同してしまっているだけなのだろうか?

実際、こういう美形は世の中にはいくらもいる。クロスもその一人だ。

それと勘違いしているだけなのか?



「……ん?」



そう思い始めた時、一つの記憶が引っかかった。

正確にはその記憶の景色のさらに隅、視界の端にわずかに映っただけの像。

だが問題は、その像がいた景色の記憶だった。


「あっ」


思い出した。

彼女は知っているのだ。

このこどもが、何者か。

思い至った気付き、それと同時に、汗がじとりと吹き出した。



「アン! すぐに伝書鳥を出して!」



突然の剣幕にアン・ロードの体がびくりと跳ねる。

だが驚き、狼狽えながらも、聞き逃しはしていなかった。


「あ、宛先は?」


アッサルートは寝床のシーツをぎゅっと握った。

彼女の最悪の予感は、いつも当たってしまう。

それを自覚していればこそ、体に力も込もった。



「ダカーヴォギーよ……!」










「ただいま戻りましたー」

「おかえりなさーい♪ ってあれ? クロスちゃんだけ?」

「ええ、三元帥の会議が長引いてるので、私だけ先に帰ってそのことをノジーさんに伝えるようにと」

「大変だねー。ひとまずクロスちゃんもお疲れさまっ」


アヴムオード邸に一人戻ったクロスを出迎えるノジー。

相変わらず少女のように爛漫な姿だ。魔性とすら言っていいだろう。


「恐れ入ります。夕食は帰ってから私室で摂るとのことです」

「わかったよ、ザックに運ばせとくね。ところでアヴィーから聞いてない?」

「? 何をですか?」

「なんか証拠品ってことで絵と像が届いてるんだけど、あれどうしたらいいの?」

「ああ! エントランスに置いといてください。一旦預かっているだけなので、明日には衛兵の方が引き取りに見えられるはずです」

「わかったー」


会話を交わしながらともにエントランスを歩き進む。


絵と像、ガル・ヴ・ヴィツの拠点から押収した『マルコフ帝の苦惨像』と『ヤシャヤーティ・アティナッパの大ルーン画』のことだ。今現在はこの屋敷にある。


「今はどこに置いてます?」

「んー? とりあえず美術倉庫に入れてるよ」

「不躾ですけれども、ちょっと見させていただきたいのですが構わないでしょうか? ナーヴァンド殿下が話されているのを聞いていたら是非一度見てみたくなってしまいまして……」

「あの人も数寄モノだからね〜。いいよ、いまエントランスまで運ばせちゃうから、折角だし一緒に見よ?」

「恐れ入ります、ありがとうございます」


クロスが頭を下げる間に、メイドを呼びつける。

そして数言指示を言伝ると、恭しく去って行ったメイドはすぐさま十数人に増えて戻ってきた。

その全員で、身の丈の三倍ほどにも及ぶ大きな絵画を運んで。


「そこに置いといて、そうそこ、壁に立てかける感じで。額縁気をつけてねー」


壁に立てかけるようにして置かれた絵画には布が被せられていた。

ノジーが「みんなありがとー! 戻っていーよー」とにこやかに命じると、運んできたメイドたちとザックは皆一礼して去って行った。

次は被せてある布を取り払うのだが、布を固定している紐が高すぎて届かない。

ノジーが「んしょ、んしょ」と手を伸ばしてぴょんぴょんと飛び跳ねても届かない。

ので、代わりにクロスが垂れ下がっている紐を引っ張ってやった。

紐は引っ張るだけで簡単にほどけ落ち、紐が外れたらば布は着物のように勝手にはだけ落ちた。

かくして、絵はついにその全貌を柔肌のように露わにしたのだった。


巨大な絵は、そのほとんどが暴風雨か嵐か竜巻のように引かれた激しく荒々しい線で描かれていた。

粗く無骨で、しかし力強いタッチ。目のような大きな黒い円が宙に浮かび、そこから迸る竜巻のような硬く直線的な渦の線が絵の全体に走っている。

この渦巻線は風なのか雷なのか、津波なのか火炎なのか、ただ激しい力を表す象徴。そしてその線に沿うようにしてびっしりと、謎めいた文字や数字や記号が書き込まれていた。

そして右下には、それらを受け入れるかのように、あるいは圧倒されているかのように、諸手を挙げひざまずく一人の人間の後ろ姿が描かれていた。


高額な美術品というので優雅かつ華美な絵を想像していたが、ここに溢れているのはもっと野性的で、力強く、そして啓示的な何かだった。

虚飾など無い野生と自然と、法則の持つ絶対的な世界の力。そこには奇妙な神秘性すら存在し、暗く単純な配色はかえって人ならぬものの深遠さすら感じさせた。


「本当、すごい絵だよね」


見上げながらしみじみと呟くノジー。


ナーヴァンドから既に聞いていた。

モーグナーという頭が十七個もある怪物を討伐した英雄ユゴサシに、その褒賞として空と水平の神ローが大ルーンを授けた。これによってユゴサシは神々の列席に加わり、ローの妹の娘を娶って永遠の命を手にしたのである。

ヨボク神話に於けるその大ルーンを渡す場面を描いた絵画はいくつもあるが、大体は厳かな宮殿のような場所で、王のように着飾った人間の姿のローが何らかの宝として描写した大ルーンをユゴサシに授けているというようなものである。大ルーンというのがどういうものかは神話でも描写されていないので、各々の描き手がそれぞれに何か貴い宝と解釈して描いていた。

その中にあって、ローも大ルーンも直接描かず、裸同然のみすぼらしいユゴサシの後ろ姿──それもひざまずき乞い願うかのように両手を広げ掲げている──を隅に置いたこの絵はまさしく異色。

ちっぽけな人間へ神の力が叩きつけられているかのような絵は、ありがたいものというよりも、恐ろしいもののようであった。

この新解釈の”大ルーン譲渡”の絵は、当時の美術関係者ほぼ全員に衝撃を与えた。

苦難に満ちた人生を歩み、生贄として捧げられたもののローの思し召しで命が助かったと思ったのも束の間、恐ろしい怪物と戦わされることになってしまう、運命に翻弄され続けた英雄ユゴサシ。

そんな彼がようやく報われる瞬間が”大ルーン譲渡”なのである。厳かで壮麗で感動的な題材として度々用いられてきたが、この絵が世に出た以降、ほぼ使われなくなってしまった。それほど、美術の歴史にこの作品は大きな波紋を起こしたのである。

かの伝統写実派の巨匠ムゼリアスは「負けた、私は負けた、この印象はどの写実よりも写実だ」と悔し涙を流しながら筆を折り、マザザーム美術商会頭取マザⅦ世は「この絵に値札をつけるのは簡単だ、だがこの絵の真の価値には私の持つ全ての美術品を束ねても届くまい」と公の場ではっきり明言したほどである。


そういった薀蓄を全て抜きにしたとしても、実際に見上げる絵の迫力は凄まじいものだった。

まさしく百聞は一見に如かず。力と謎と荒々しくも奇妙な吸引力に満ちた筆致からは、何かはわからないが、何か強い感情を読み取ることができた。



「これを描いた人は、何者なんでしょうか」



並んで見上げながら言葉を交わす。


「正体は一切不明。使った名前も偽名なんじゃないかって」

「こんなすごい一点物の絵画、値段なんかつけられませんよ。賄賂としては適さないんじゃないですか?」

「あはは、間違いなく足がつくだろうねー。あまりにも有名すぎるもん」

「何を考えて、連中はこの絵を手に入れたんでしょう」


ふぅ、とため息をつくクロス。

冷静で落ち着き払った声とは裏腹に、その心臓は高鳴っていた。

そのせいで出てしまったため息だった。



「ところで、この絵に描かれている文字だか数字だか記号だかですけど、実は私以前これによく似たものを見たことがあるんですよ」

「へぇー、どこで?」



「“界の魔女”さんの家で」



沈黙。

二人は並んで絵を見上げている。

ノジーは相変わらず優しい笑みを湛えたままで、クロスの顔には少しばかりの緊張が浮かんでいた。



「全部を憶えているわけではないんですが、確かによく似ています。並びや構成は全然違いますけど、この不規則性、そして円を囲むように配置されている点、見憶えのある不思議な記号……間違いなく、この絵は召喚魔法の魔法陣です」



二人は変わらず絵を見上げている。

このエントランスには、今や二人しかいなかった。



「この絵を最初に扱った美術商は、作者の印象を『魔道士だと思った』と。魔法使いでも火術士でもなく『魔道士だ』って、つまり魔道士会に所属したことのある正規の魔法使いの可能性が高い」



言葉を続けても緊張や心臓の高鳴りは一切収まらなかった。



「そんな一介の魔道士が、何故召喚魔法の術式なんていう実在するとすら思われていない魔法を知り、絵として書き記すことができたのか。自分一人で0から生み出せるような魔法じゃない、”参考”が必要だったはず。少なくとも”界の魔女”さんがその”参考”を握っているという情報を何かから得なければならない」



あの”界の魔女”ですら召喚魔法は完成させていない。

理論や発想、”実在しうるという事実への知識”を彼女は持っていたが、それだけで成る魔法ではない。



「そんな情報は誰も持っていなかったし、世界中のどの本にも論文にも記されていません。ただ一つ可能性があるのは、公には誰も読んだことがない書、『スゥガ・タムト写本』だけです」



スゥガ・タムトが如何にしてその知識を得たのか。

彼もまた探求の道のどこかで”角枝分かれし神”と邂逅したのか。

あるいは”界の魔女”の家を訪問しそこから手がかりを得たのか。

だが何にしても、唯一の可能性は『スゥガ・タムト写本』しかない。

それがどれだけ馬鹿げた結論であろうとも、可能性はそれしかないのだ。



「お師匠様から聞いています。『スゥガ・タムト写本』の作成を手伝ったのは、一人の男だと。写本の内容を知り得た魔道士で、これほどの深き知見と知識と知性を具え、クランツに写本を渡し、この絵を描くことができたのは、この世にただひとり──」





「──ピッタ・ノーグルーン(授かりし大ルーン)だけなんです」





渦巻く大ルーンは力の象徴。この絵に描かれているのは力の奔流であり、正確には大ルーンなるものは描かれていない。

しかし絵の題名は『大ルーン画』なのである。

この絵は召喚魔法陣を神より授かった理の力として表現し、記録にとどめたものなのだ。



「どうして、そんな話を僕にするの?」



呟くような、流れるようなノジーの声。

クロスもついに、覚悟を決めた。



「ヴンザッカ議員は、モタグに殺されるとわかっていました。怯えながら家に逃げ帰り、馬を用意させ、手紙を書いていました。死の直前に、連衡の盟主クランツに宛てた手紙を書いていたんです。でも、どうやって渡すつもりだったんでしょう? クランツ本人がダカーヴォギーにいるとは思えない。もちろん普通の馬車便や伝書鳥なんかも使えない。デ・タンダの忍びに頼むつもりだったとも思えない、自分を殺しに来るであろう暗殺者はデ・タンダである可能性が高いんですから。当然使用人にも頼めない」



緊張と心音は覚悟に塗り潰されていく。



「となれば、手紙は誰か"同志"に託すしかない。自分と同じような立場で、接触がそれなりに容易で、ある程度秘密を共有する"もう一人の裏切り者"です」


「なかなか大胆な推理だね」


「そうでもありません。奴ら連衡は大量の美術品を闇取引によって入手していました。美術品の闇取引はとても大変で、相当な知識と労力と、美術への深い造詣が必要だそうです。おそらくモタグ一人では無理でしょう、もちろんヴンザッカ議員にも。彼の屋敷は豪奢ではあってもあくまで成金趣味、実家の家業も豆問屋で事業形態も功利主義的。そもそも連衡が、そこまでを任せるほどヴンザッカ議員を信用するとも思えない」



絵から視線を外し、ノジーの方を向く。

彼はまだ、絵をずっと見上げていた。

まるで天を仰ぐかのように。



「調達屋ヴンザッカと反統王連衡の間に、もう一人誰かがいた。調達した物資に直接渡りをつけ、物や人の動きを支配していた人物。このダカーヴォギーに於いては、むしろその人物こそがガルやモタグを凌駕する責任者だったのかもしれません。ヴンザッカ議員はその人物へ手紙を託すつもりだったんです」

「それが、僕だって?」



覚悟を決めたはずなのに、さすがにどきりと心臓が一度跳ねた。

だが、怯むわけにはいかない。



「あなたならば、全て可能なはず。ゴルゴリン・ゴブリンに闇取引をさせることも、美術品の目利きや密輸も、そして議会の情報を得ることだって。何故なら、あなたは──」



一瞬、躊躇った。

これから言おうとしていることに、これから起ころうとしていることに。

しかし、それは一瞬だけだった。



「──あなたは、”忌み子”だから」



声には決意と覚悟と、確信があった。

言葉そのものからは、いくらでも言い逃れができただろう。

だがノジーはゆっくりと振り向いた。

微笑みを湛えたまま。



「よく、わかったね」



ぐっと息を呑む。

何故だか冷や汗が一筋、額を伝った。

微笑みを浮かべる少女のような人物、その佇まいと自然体な立ち居振る舞いに気圧されたのだ。

いとも簡単に観念したという不気味さもあった。


それを振り払うように、クロスは声を張る。



「ヴンザッカさんの手紙の文面、残されていた裏帳簿の中身、モタグもガルも徹底的に”もう一人の裏切り者”の存在は隠してきました。その存在が浮上した時、その人物はもしやクランツの配下なのではなく、むしろ対等な存在なんじゃないかと思ったんです。魔界方面を完全に任せてしまえる人物。統王様にとっての三元帥のような存在。あのクランツがそのように扱う人物は”忌み子”以外にあり得ない」



クランツと会い、言葉を交わしたことがあるのはクロスだけ。

故にわかることがある。三元帥ですら思いもよらない事実だ。

彼は全てに影響したいと願いながら、”忌み子”だけはその影響から外れることを認めている。

いや、むしろそう望んですらいるのかもしれない。

全てを予見してしまう男が予見を諦められる存在、それに対して抱く想いは尊敬を超えて崇拝に近いものがあるだろう。

故に、魔界方面を任せる相手は寄せ集めの幹部などではない、真の意味での”同志”だけのはずだ。



「ノジーさん、あなたの才覚は……ずば抜けています。こんな立派な屋敷を作り上げ、使い切れないほどの財を蓄え、妻を支え、なのに少しも嫌味なところがない、朗らかで気さくで愛らしい、素敵な人だ。誰もがあなたを好きになってしまうでしょう」



事実、クロスもノジーのことは好ましく思っていた。

おそらくは今現在ですら。



「でも、昔のあなたはそうじゃなかったはずです。あなたのご兄弟のこと、調べさせていただきました。三つ下の弟さんがダカーヴォギーに住んでいらしたので、話を聞けたんです。すると、あなたは昔はもっと物静かで落ち着いていて、表情も感情も乏しかった、と。今のあなたになったのは、父親に連れられての2年間の留学から帰った後からだ、と」



つらつらと述べていくその中にあってすら、ノジーのことは嫌いじゃなかった。

アイランをさらった憎むべき一味のはずなのに、憎めなかった。



「“ユーグ・ナバ誘拐事変”についても改めて調べさせていただきました。マンマート復興派の隠れ家の場所は匿名の通報者による手紙でわかったものでした。そもそも連中がノジーさんをさらったのは、恐らく故意でしょう。一階の子供部屋にいた子供らをさらったら直ぐに窓から逃げればいいのに、わざわざ玄関にいたあなたをもさらって正門から連中は逃げていった。救出に来た誰か、おそらくは統王様の縁者の一人に近づくため、あなたとノーグルーンはマンマート復興派を利用して、まんまとアヴムオード元帥の懐に潜り込んだ。だから、最初は怖かったんですね? 『僕たち人質まで殺されるんじゃないか』って」



最後のはただの冗談としてノジーが放ったものだろうが、そういうところにも己自身が意図せずまろび出てしまうこともあるものだ。

ただのこじつけに過ぎないとしても、より有力な説があるならば補強にはなった。



「けれど、仮説に過ぎなかった。容疑をあなたに絞り込めるほどじゃなかった。だから……この絵を見ていただいたんです」



クロスにとって、当然初めて見る絵である。

だがもし仮説通りならば……


「人の心を動かす芸術というものは……意図せずして魂を揺り動かし、その中に固く秘していたはずのものをまろび出させてしまう。その人にとって重要な意味を持つ品であれば尚更です。あなたは先ほどこう言った、『本当、すごい絵だよね』と。私に同意を求めたんです、しかも『すごい絵だね』でもなく『すごい絵でしょ』でもなく『すごい絵だよね』と、しみじみ感じ入りながらおすすめするかのようでした。まるで自分の物であるかのように」


あの一瞬ノジーが浮かべた感情をクロスは見逃さなかった。

あの時、彼の佇まいと表情と声色にこもっていたのはただひとつ、”懐かしさ”だった。



「つまりこの『大ルーン画』と『マルコフ帝の苦惨像』は、誰かを買収するためじゃない、あなたとノーグルーンが自分たちのために手に入れたんです。ただ『苦惨像』の方は先に別口で入手してしまっていた、だから余り物として連衡の隠れ家に保管されていたんです」



ノジーの表情は変わらない。

微笑みの奥にあるものが見えない。



「ただ、一つの誤算が生じた。それはモタグ──モタグ・バンバトーチ・レインダーマンが、あなたがた反統王連衡を裏切ったということです」



ぴくりと、ようやく眉が一瞬だけ動いた。

それは一瞬かつ微弱だったが、確かに心の動きだった。



「彼の動きは奇妙でした。私たちが大きな問題もなく調査を進められてしまっていること自体、おかしいことです。あなたたちは何十年もの間隠れ続けてきたというのに、何故か急にガルの逮捕を契機にトントン拍子に秘密が崩れていきました。しかしモタグが裏切ったと考えると、辻褄が合います」



だがクロスの表情は時とともに、口数とともに鋭さを増していった。



「モタグの役割は、恐らく宗教を隠れ蓑として、物資や人員を留め置ける拠点を確保し続けることでしょう。当然、闇取引で手に入れた美術品の保管も彼の担当だった。なのにガル・ヴ・ヴィツが逮捕されたとき、何故か襲撃犯の隠れ家にあなたたちに繋がる美術品が置かれていました。本来は別の場所で保管していたはずです。あなたたちの所有物なのですから、あんな場所に置いておく意味がありません。もっと安全な場所に置いておくはず」



二人だけのエントランスに、クロスの声はよく響いた。

その音だけが、響いていたのだ。



「恐らく、モタグは手違いを装ってこの絵と像を、ガルが逮捕される日にあの場所へ送りつけたのでしょう。もしかするとガルが逮捕されるよう仕向けたのも彼かもしれません。そうして私たちは、この絵と像を手に入れた。その後でヴンザッカ議員を殺し、彼の家を捜索させ、絵と像、そして連衡と、あなたとノーグルーンを繋ぐ手がかりを私たちに提供したのでしょう」



きっと、以前から計画していたのだろう。

突然の思いつきで実行できることではないし、突発的な翻意に任せて編み出せる策ではない。

モタグは、恐らくずっと前から、連衡を裏切るつもりだったのだ。



ふぅーーー、とため息とも深呼吸ともつかない、長い息の音が響いた。

風船がしぼむかのように、ノジーの口から吐き出されるのは緊張か諦めか虚飾の仮面か。




「本当、やってくれたねモタグちゃん」




クロスは背筋が冷たくなったのを自分自身ですら感じ取った。

ノジーの言葉に、一切何の感情も無かったからだ。

喜びも怒りも悲しみも諦めすらもない、透明な言葉だったからだ。

これで完全に確信した。

この人こそが、ノーグルーンによって作られた最初の”忌み子”なのだと。



「でも……わかりません。ノジーさんを治療したのは、ピッタ・ノーグルーンなのでしょう? その恩義に報いるためか、脅迫を受けていたのかはわかりませんが……どうしてなんですか? アヴムオードさんのことをこの世界で一番大事だと、あの言葉が嘘だったとは、どうしても──」


「そうだよ」



途切れた言葉を遮ったのはノジーの声だった。

次は、彼の番だ。



「ノーグルーン先生は、僕の恩人なんだ。クランツちゃんも……かわいい子だしさ」



気付くと、微笑みはいつの間にか消えていた。



「父さんが、”忌み子”の僕を治せないかって、先生にお願いしたんだ。先生はその時は難しい顔をしてさ、でもすぐに引き受けたんだよ。僕は、いい実験台だからね」



魔道士会にて教鞭をとっていた当時のピッタ・ノーグルーンにとって、それは大きなチャンスだった。

『スゥガ・タムト写本』に記されていることを実践し、実験する。

“忌み子”であることを隠し、我が子の命をダメもとであろうと救いたいという親心。

その上であれば、どんな実験も許される。どんな実験も認めさせられる。どんな実験も秘密を守らせられる。

彼はその機会に、結局は飛び付いたのだろう。


そして、その研究結果が弟子のフェルマーへと受け継がれ”フェルマーの子供たち”が生まれ、”光の魔女”の治療に応用され、最後にはクロスの治療に用いられた。

全ては繋がっている。”忌み子”の系譜、その始祖が、今目の前に立っている。

ノイジーローズ・ガルガチュアス、彼こそが最初の”忌み子”なのだ。




「ノジィィィィイイイイイ!!」




静寂を引き裂く怒号一つ。

それと同時に、エントランスのあらゆる場所から衛兵たちが飛び出した。

正門から、窓から侵入し待機していた部屋から、床下から、武装した兵士たちが飛び出しあっという間に二人を囲んだ。

彼らの携える槍と盾は全て、ノジーに向けられた。


そして、それらを割って奥から進み出る。

衛兵の海を割って進むことができる者。

この屋敷に兵を潜ませる許可を出せる者。

事の真相を、恐れながらも知りたいと願える者。



アヴムオード女卿だ。




「やあ、アヴィー、おかえり」




何事もないかのように声をかけるノジーに、アヴムオードは全神経を集中していた。

見開かれた目は充血し、握った両拳は震え、爛れた顔半分と爛れていない顔半分はどちらも違う形に歪んでいた。

その表情を言い表すことができる言葉などは……この世に存在しないだろうと思えた。



「ノジー……ノイジーローズ・ガルガチュアス、お前には、巷逆罪の容疑が、かけられている」



その声は今にも怒り出しそうなのか、泣き出しそうなのか、わからなかった。

クロスですら、触れた瞬間に爆発してしまいそうな彼女の姿には、何も言葉が見つからなかった。



「連、行する……神妙に──」

「ねえアヴィー」



だがノジーは声をかけた。

すがるようにでも乞うようにでもなく、しなだれかかるように。

その様に、あの女傑アヴムオードすらも、一瞬怯んだ。

生まれてから経験した事のない感情が、彼女の心と魂を剥き身の少女へと変えていた。


そんな妻に向けて、ノジーは、微笑んだ。

いつもと同じように。




「すごく、楽しかった。愛してる、この世の何よりも」




直後、火花が弾け、小さな稲光が走った。

地震のように屋敷全体が揺れ始め、かたかたと調度品が鳴る。

魔力灯が激しく明滅し、衛兵たちに動揺が走る。

ただならぬ事態、はっと気付いたクロスが腰のランタンを見ると、その炎は普段よりも明るく輝き、傾いていた。時空子が反応しているのだ。


まさか、これは──



「絵だ!」



叫び、指し示す。

立てかけられている『大ルーン画』の絵が、絵柄が、動いていた。

描かれた大ルーンの渦巻が回転し、文字や数字や記号が回転に沿いながら規則的に滑り動いていた。

火花と小さな稲妻は全て、そこから放たれていた。



なんてことだ、この絵はただの、召喚魔法を書き留めた記録というだけじゃない。


この絵が、これ自体が、召喚魔法を行使するための装置、構造なんだ。


召喚魔法は──既に完成されていたんだ!



狼狽する衛兵たち。クロスが絵を注視し、アヴムオードが睨み上げる。

そしてノジーは、身を任せきっていた。

この絵に、現象に、己が背を預けきっていた。




ずるりと、絵から足が伸び出る。

続いて手、続いて顔、最後に胴。

絵の奥から、絵をすり抜けるようにして、一人の人間が現れた。

その者はノジーの背後に屈むように着地すると、ゆっくりと影のように立ち上がる。

かけた眼鏡を直しながら。



「貴重な被験体と絵だ」



既に地震も火花も収まっていた。

絵も元通りの配置だった。

そして皆が、ノジーを除く全員が、その男を見た。

起きた出来事を理解できぬままに。



「正気の者に渡すには惜しい」



ユビニック・ノスラエス。

スピュックス・ノスライエス。

ヤシャヤーティ・アティナッパ。

ピッタ・ノーグルーン。

数多の名を持つ魔道士。

どれが彼本人を示すのか。

どれも彼本人ではあり得ないのか。


影か霊のような男が、影か霊のように立っていた。

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