岡目八目
「では、順序立てて話をまとめるぞ」
定位置でアヴムオードが声を張った。
三元帥のいつもの会議室で、三元帥とクロスがいつもの場所に座っていた。
ヴンザッカ議員の死から、二日が経っていた。
クロスが議場で演説を行う日はとうとう明日に迫っていたが、無視できぬ問題はいくつもあった。
「ヴンザッカは、連衡の”調達屋”の一人だった。少なくとも調達を行うための隠れ蓑として奴の名義は利用されていた。買収に用いる美術品だけではなく、資金洗浄、投資代行、アンガナスを破壊した大量の兵器も、材料の一部は奴が買い付けていた」
「ゴルゴリン・ゴブリンからも裏が取れたよ。ヴンザッカは豆問屋の息子でしかも議員だからね、新事業開発のためだってことで大量の美術品や物資を用立ててたみたい」
「ゴルゴリンも裏切り者の一味なんか?」
「それは……多分ないんじゃないかな。彼らが連衡に協力しようって意思があったら、たぶんガル・ヴ・ヴィツの議会襲撃は成功してたと思う。そうと知らずに協力しちゃってて、裏取引を使ってたから歯切れが悪かっただけだね」
三元帥の会話は日常的な口ぶりではあったが、決して不真面目ではなかった。
「問題は奴が調達したものが何に使われたか、使われようとしていたかだ。特に美術品は、複数の議員に対して贈られたようだ。ユザマウク、モザヴィア、キーンケット、スーマヴァニア、モルーモニング、あとノズラクロウ──は突き返したようだ」
「まさか全部の議員の自宅に押し入って調べるとはね、妹ながらに恐れ入ったよ」
「兄上に大量の苦情処理を押し付けてしまったことは謝罪いたす。申し訳なかった」
「いいよいいよ、みんな結局は納得してくれたからね。なんたって議員が殺されたんだから」
賄賂の美術品を誰に贈ったのか、そのような記録を残すほど連中も馬鹿ではない。
だが何を買い付けたのかはヴンザッカが記録していた。
ならばそれらの品がどの議員に贈られたのかを調べる方法は一つしかない。
全ての議員の自宅や持ち物件に兵を派遣して、家宅捜索を断行したのである。
当然、一切の事前連絡無しで。
「ノズラクロウ以外に対してはひとまず収賄容疑で拘束してはいるが、ほとんど一方的に送り付けられて始末に困っていたものが大半だ、大した罪にはならん。だがおかげで大方の筋が見えてきた。連中は派閥の長のみに絞って取り込み工作を行っている。どうやら魔界の中枢にはあまり大きく枝を広げるつもりはないらしい」
「撹乱さえできれば十分ちゅうことかい」
「ああ、狙いはあくまで現界、あるいは父上だろう」
「ヴンザッカを始末したんも撹乱の一つなんか?」
「それについては、フォーリーズ殿から話してもらおう」
突然話を振られたような形だが、クロスは驚きも狼狽えもしなかった。
まるで準備していたかのように、軽く視線を巡らせてから息を吸い込んだ。
「まず、議員を殺したのは撹乱や口封じのためではないと思います。彼の死によって私たちは真相から遠ざかるどころか、近づきましたから」
「尻尾切りしようとしてヘタ打っただけやないか?」
「いえ、それは考えづらいと思います。暗殺自体は非常に計画性が高いですし、証拠の始末に当てられるはずだった時間で、遺体を部屋の中央にわざわざ運んでいる」
「どこかへ容疑を誘導するためにあえて都合のいい証拠は残した、てことはないかな?」
「その可能性もあります。ただ、今回の犯人に関して言えば……おそらく、証拠自体はいくらでも残しておいていい、と判断していたのではないでしょうか。選り分けることなく、全て残そうと」
「どうしてだい?」
「デ・タンダの忍びを使っていないからです」
ゼルタルスが腕を組みながらうなった。
証拠を消すことを前提として、標的を自宅で殺害するのならば、仕事が確実で迅速なデ・タンダの忍びを使えばいい。
ノジーさんから聞いた限りの彼らの手腕と思想に、今回の殺人は当てはまらないのだ。
静かに標的の喉を切り、速やかに証拠の回収だけをして脱出。
彼らならばそうするであろう。証拠を全て消したいのならば屋敷に火を放つという手もある。
彼らのやり方よりは確実に手間のかかる魔法で殺したり、大きな物音をさせるというミスを犯したり、わざわざ遺体を動かすなど、決してするまい。
それらが起こったということはデ・タンダの忍びによるものではなく、忍びによるものではないということは、目的はおそらくただ単に”殺すこと”のみだろう。
「誰が、何のためにやったのか、ていう疑問に戻っちゃったね」
はにかんで見せるのはナーヴァンド。
嘲ったり呆れているのではなく、期待による笑みだった。
クロスは少しだけ答えづらそうに、ほんの少しだけ視線を下へ傾けた。
「何のため、かはまだわかりません。でも、誰が、なら少し思い当たる相手がいます」
「ほーん」とゼルタルスが感心したように声をあげる。
三元帥の注意と関心は今、その全てがクロスへと注がれていた。
「おそらく、犯人はアーゲルン人です」
ナーヴァンドが頭をかいた。
「確かに、彼らなら訓練さえ積めば魂破壊もできるだろうね。連衡に加わってるカーギ・カリンも大部分はアーゲルンだろうし……」
途中で止めた言葉の先はわかっていた。
「でも根拠はあるの?」だ。
「僕は、この手口を前にも見ているんです。ディゴ荒野の総督府領のイェザリ派寺院で。あの時の犯人は”魂感応”を使って、白昼にも関わらず誰にも姿を見られることなく寺院に放火したんです」
「アーゲルンてンなことできんの!?」
「周囲の人の意識を少し逸らしたり、視線や注意を誘導して死角を作ったりしたようです。”鋤の魔女”さんが仰るには十分可能だと」
「へぇー、今回もそうしたってことかい?」
「ええ、おそらく部屋に踏み込んだ使用人たちが遺体を見つけて衝撃を受けている間に、その横をすり抜けて立ち去ったんだと思います。元々彼らの意識と視線は遺体に集まっていたはずですから、あとは”魂感応”で少しだけ注意力や集中力や動揺を強めてやればいい」
「なるほどね、と、いうことは」
「はい、使用人たちが部屋に踏み込んだ時、犯人はまだ現場にいたと思います。ドアの近くに隠れていたんでしょう」
「はえー、つまり人が来るのをむしろ待っとったんやな。だから素人でも余裕綽々で脱出できたんか」
「そういうことになります。遺体を部屋の中央に動かしたのも、部屋に入って真っ先に全員が遺体を見つけられるようにするためでしょう。遺体を見つけるまでの間、彼らの意識や視線は無作為に動き回ります。魂感応を仕掛ける間も無く見つかってしまう恐れがあったんです」
ナーヴァンドも立ったまま腕を組む。
「でもそれだと、使用人たちはドアを開けてその場に留まることになる。まさか全員が揃って部屋に踏み込んだわけでもないでしょ。その場に突っ立って、入口を塞がれてたら、いくら魂感応で注意を向けられないようにしてすり抜けるって言っても、体が接触しちゃうんじゃない?」
だが、クロスは即座に答えられた。
「あの屋敷はペットを飼っています。クマオちゃんという猫です」
「そうだね」
「ペットを飼っている家では、それなりに起こることです。椅子に座って本を読んでいる時、没頭している中で突然肩に何かが触れる。咄嗟に猫がやってきたのだと思い、頭を撫でようと手を伸ばしたら、猫ではなく妻の手だった。明らかにペットではない感触が明らかにペットには触れられない場所に触れたというのに、それがペットだと誤認してしまう。家の中でペットと触れ合っている時間が人間相手よりも長ければ長いほど、相手からの接触を無条件でペットだと思い込んでしまう」
「おお! オレの二番目の女房も後ろから触たらよう猫や間違えられるわ!」
合点が入ったようにてのひらに拳をぽんと乗せるゼルタルス。
ナーヴァンドの方は、突然兄の惚気を挟まれてやや苦笑いを浮かべていた。
「だから犯人は普段猫の世話をしていたメイドたち相手に、視界の外から触れる際自分を猫だと錯覚させたのだと思います。それも習熟した”魂感応”ならば可能でしょう。実際の調書でも、こう発言している方がいました」
ポケットから折り曲げられた紙切れを取り出す。
調書の一部を写したと思われるそれを広げ、読み上げた。
「『クマオちゃんが横を通っていったと思います、肩に何か触れたように感じました』取調官が『猫はその時倉庫でミミアさんが毛の手入れをしていました。それに猫がどうやって立っているあなたの肩に触れたんですか?』と問い詰めると『じゃあたぶん隣の人とぶつかったんです』と」
「思いこまされとったっちゅうことか、ぶつかったのは猫やと」
「はい、注意の大部分が遺体に向いている最中の出来事でしたし動揺もしていたでしょう。無論そうなるように仕組まれたわけですけれど、そこにつけ込まれたんです。ただ……」
少し表情を曇らせるクロスに「ただ?」と問うナーヴァンド。
しかし実のところ、彼が言わんとしていることは既に察してはいたのだった。
「ただ、物証や確信はありません。全てただの状況証拠、調書の証言もただ気が動転していた、で片付けてしまえる。デ・タンダでもアーゲルンでもない”普通の”暗殺者である可能性を除外し切れないんです」
ナーヴァンドは沈黙し、ゼルタルスは頬杖をつきながら改めてため息をついた。
そしてアヴムオードに視線をやる。「お前はどう思う?」と訊ねながら。
彼女は首を少しだけ傾けると、きっぱりと言い放った。
「正しい推理だ」
と。
「私は感心した。イェザリ派寺院での手口と今回の手口が同一であるというのは整合性の取れた仮説だ。確かに証拠は無いが辻褄はいちいち合う。それに、ここ数週間アーゲルン人が複数出入りしているとの情報があった民家に既に踏み込んだのだが、もぬけの殻だった。そしてその建物の名義が、ムヴァストス・ググナトーチ・モナウカーナ、連衡幹部の一人モタグ・バンバトーチ・レインダーマンがかつて使っていた偽名だった」
「なんや! 有力な証拠があるやんけ!」
「実行犯についても目星がある。ヴンザッカを殺すという重要な行動を担うことができ、非常に高い”魂感応”の技術を持ち、そしてヴンザッカがその姿を見るだけで書き物机を引っくり返してしまうほど恐れ慄くであろう人物」
「まさか」
ナーヴァンドの表情が険しくなる。
「モタグ本人だ」
一瞬の張り詰めた緊張が走った。
ゼルタルスですら、鋭く目つきが尖った。
モタグ。
カーギ・カリン原理主義過激派の大物であり反統王連衡の幹部として指名手配されているアーゲルン人、源司教モタグ・バンバトーチ・レインダーマン。
奴が直接手を下したというのならば、事件はまるで異なる意味を持つ。
本丸が、近いのだ。
「だが、そこまでだ。踏み込んだ民家に手がかりはなかった。ヴンザッカの屋敷にはまだ何かあるかもしれないが、時間がかかるだろう」
そう言って放ったため息が、緊張を解した。
ゼルタルスも頭をかいて、ナーヴァンドに視線を送ってみる。
「私は、うーん、まあ、例の高額美術品二点の裏は取れたね。ゴルゴリン・ゴブリンがウーインの闇商人から買い付けたのを、ヴンザッカが買って、ガル・ヴ・ヴィツのところにって感じ」
「手詰まりかいなぁ。議員連中の様子はどないや?」
「いやもう虫の巣を突いたような混乱ぶりだね、ヴンザッカが殺されて、あることないこと噂が流れて、全議員に家宅捜索が入って、何人かが引っ張られたってなるとまぁースゴいもんだよ」
議会の緊張は日ごとに増すばかり。
皆不安を募らせ、自らを守ろうと攻撃的になる。
それぞれがそれぞれの領内の安全を守り、自分の立場を守るため、他の全員となりふり構わず対立するようになっていった。
今日に関しては掴み合いの喧嘩にまで発展したほどだ。アヴムオードがなんとか威圧して抑え込んだが、放っておけば間違いなく乱闘になっていただろう。
無論、議員が抱える不安の下にあるのは民衆たちの不安だ。
不安と恐怖に駆られる民衆をなんとか安心させねば立場が危ういがために、議員にも圧力がかかっているのだ。
世界はまさに、擦り切れる寸前。そんな人々の前での演説を控えて、クロスまで心が微かながら常にざわついていた。
「議会解散を本気で唱え始める連中まで出て来始めた、さすがに議場の外でだけど」
「うーむ少なくとも殺しの下手人ぐらいは挙げなあかんな。犯人はモタグやって公表してもうたらどうや?」
「それは危険だ。奴を追う手がかりがない以上、そのような公表をしてしまえばモタグを捕らえるまで状況が持続してしまう。民心を安らかにすることができなくなるだろう」
「そもそもホンマに黒幕はモタグなんか? ヴンザッカを殺ったからって奴が糸を引いてたとは限らんやろ」
「状況的には直接指令を出していたのはガルだと思うけど、モタグの役割と思惑は全然わかんないね〜」
「脱落したガルの後を引き継いでいるのがモタグなのでは?」
「なーんか違和感があるんよなあ。そもそもヴンザッカは"調達屋"なんやろ? 議会の内通までさすのは奴一人に依存し過ぎやないか? そんなことしとったら主導権が連衡からヴンザッカに移ってまうやろ」
「ヴンザッカは脅迫されていた可能性がある。だからこそ恐怖しながら逃げ帰り、慄きながら死んだのだろう」
「でも死ぬ前に書いてた手紙の文面では、何か約束を結んでいたふうだったよ。それを反故にされて始末されたのなら、その約束についての情報がどこかにあるはず」
「証拠を消さなかったのもやはり気になる。あるいは脅迫なり約束なりの証拠だけ消したのか……」
あーでもないこーでもないと三元帥たちは論じていた。
彼らの言葉はどこか浮ついており、確信なき故の不安定さが表れていた。
誰かの論を否定しても、その否定にもさほど自信があるわけではない。
そのためか、進む者、留まる者、退く者という役割までが機能を失い議論は空を漂った。
クロスも、沈黙を守りながら考えていた。
何かがしっくり来ない。何かを見落としている。
それも、自分だけが知っていることで。
モタグの目的、動機。僕たちをいま混乱させているのはそこだ。
なんのために殺した? なんのために証拠を残した? 裏切り者はヴンザッカだけだという結論に誘導するためか? 彼は生贄に捧げられた哀れな子羊なのか?
きっとそうなのだろう。だが、何かが違う。そこから考えてはダメだ。
モタグの思惑は結論とすべきであって、推理の材料としてはいけないような気がする。
何が起きたのか、情報そのものを整理しないといけない。
思考に沈みうつむいて頭を抱えるクロス。
その耳に、情報は常に容赦なく注ぎ込まれていく。
「『マルコフの苦惨像』についてはともかく、もう一つの絵画の方はどうなんだ?」
「えーとなんだっけ、『ヤシャヤーティ・アティナッパの大ルーン画』か。大ルーン譲渡っていうヨボク神話の一場面を題材にした絵だね、作者はこの一作しか描いてない謎の人物で、最初に買い付けた美術商が『身なりが魔道士だと思った』って証言した以外にはなーんも情報なし。渦巻く大ルーンにはびっしりと変な記号やら文字やら数字やらが大量に書き込まれてて、なんだか妙に人を惹きつける謎めいた魅力がある絵画だよ」
「それと苦惨像は誰に贈りつけるつもりやったんや?」
「さぁー。ただ最後に仕入れた美術品だからこれまで名前が挙がった議員への贈り物の可能性は低めだね。これもそうだけど、美術品はどれもモタグの偽名名義の建物を経由して運ばれてるっぽい」
「全部モタグがやってたちゅうんか?」
「まっさかあ! 美術品の闇取引と密輸はすっっっごい手間がかかるんだよ。大きさや形を自由にできないからその都度品物にあわせた輸送方法やルート取りを考えて、人員を手配して、計画を練って、毎回別々の次善策を用意して、支払いも足がつかないようにしてってとてもモタグ一人じゃ無理だね」
「どんな荷物も馬車やトカゲ車、人力で運ぶ他ないからな。箱詰めしたとしても、美術品は目立つし脆い。ノジーもよく愚痴をこぼしている」
あっ。
そうか。
いや、でも、まさか。
いくらなんでも。
でも……辻褄は、合う。
「すいません、あの」
おずおずと手を挙げて声も控えめに上げる。
だがそれだけで、三元帥たちはぴたりと議論を止めてクロスに視線を注いだ。
「今回のこと、黒幕はモタグだけじゃなくて、もう一人いると思います」
三元帥は誰も口を挟まなかった。
ただ静かに、続きを待った。
そしてクロスは、意を決したように、息を吸い込み、言葉を吐いた。
「“解放魔導の会”理事──ピッタ・ノーグルーンです」