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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
鉄の章
18/194

鉄の魔女3

「あれが高炉建屋。うちにゃ四基ある」


煉瓦組みの縦長の建物を指差すイーリと、その隣で頷くクロス。


「鏃型の縦長の穴が空いててね、上から焼き固めた鉄鉱と木炭と石灰を入れると、中がパンパンだからゆっくり溶けながら沈んでいくんだ。底に着く頃にゃあすっかり溶けてるから、取出し口に溜まったもんを掬い出しゃ銑鉄の出来上がり。まあその前に鉱滓を取り除くけどね」

「どういう素材で出来てるんですか? 煉瓦だけだと耐え切れないような」

「いいねぇ、やるじゃないの。炉の内壁は煉瓦だけど、防水用の泥炭タールを塗った上に、粘土、錬鉄、粘土の順で内張りしてある。熱に直接曝される粘土層には、ティガモア産の一番いいやつをわざわざ使ってんだよ」

「あれは水車ですか? この辺りに川は無いと思いますけど」

「ああ、ふいごを動かす水車だね。タルギンは地下水を汲み上げて、それを街中に張り巡らせた水路で運んでんのさ。水路の傾斜で水流を調整してやれば、じゅうぶん動力になるんだよ」


あれから一夜明け、クロスは朝早くから工房を案内してもらっていた。

昼頃には登城せねばならないし、朝方であれば炉の熱も低く、鍛治師のイーリにも余裕がある。

当然のことながら、胸に秘められた重要任務も忘れてはいない。


しかし今は、魔女の弟子としての好奇心を満たすべき時間であった。


「出来た銑鉄は、鋳物にするならあっちの鋳物工場に運ぶ。錬鉄にするならあっちの反射炉建屋に運ぶんだ。この運び作業が一番大変でね、危ない上に頻繁に運ばにゃならんから、いつでも多めに人足を雇っておくんだ」


手押し車を使って忙しなく往来する人足たちは裸に褌と履物という、これ以上は無いというほどの身軽な装備だった。

それもそのはず。手押し車には数十キロ分の溶けた銑鉄が詰まっている上に、鋼の内張りが施してある。

運ぶ荷が重いというのだから、自分は少しでも軽くなくてはならないのだ。


「あたしが女で良かったよ。あいつら放っときゃ褌まで脱ぎかねないからねぇ!」

「姐さんそりゃ無いすよ。俺らのデカいモンぶらぶら遊ばせてたら、走りにくくってしょうがないですから。ココチちゃんもいますし」

「はっはっは! うちの子に褌まで洗わせてる男は言うことが違うね!」


人足たちとイーリの間でどっと笑いが起きる。

職人の間で通じる独特の冗談なのだろう。

ココチがいつでも無表情な理由の一つが、なんとなくわかった気がした。


「んで、反射炉はこっち〜」


そして、何事もなかったかのように各自がケロッと元の仕事に戻る。

先ほどのやり取りが何ら特別なことではない、日常的な現象であるという証だ。


反射炉建屋は、建屋というほどのものには見えなかった。

高い煙突と低い炉。煉瓦で出来たそれを屋根で覆っただけのようである。

その屋根も、煙突にはかかっておらず、炉本体のみに被さっていた。


「こいつが反射炉。100年前の"鉄の魔女"が"源の魔女"と"石の魔女"と"風の魔女"と共同開発した代物さ。手前の燃焼室と、奥の炉床の二つの部屋に分かれてるのが肝でね、手前の燃焼室で作った熱を壁や天井に反射させながら奥の炉床に残らず送り込む! その炉床で銑鉄を熱するんだが、これが凄まじい温度でね、ホラ、あれ見な」


イーリが指差す方向を見ると、炉の横に立つ一人の青年がいた。

分厚い皮革コートの上に分厚い前掛け、分厚い手袋を身につけた異色の出で立ちである。

だが最も目を引くのは、首から下げている革製の耐熱マスクだった。

目にはガラスがはめ込まれており、口の部分には皮で覆われた正方形の物体が取り付けられている。

彼は長い鉄の棒を杖のようにして立っており、クロスに向かって「やあ」と手を上げて挨拶した。


「あいつはグランリル、うちじゃ一番の炉漕ぎだ。高熱で溶かした銑鉄から更に純度の高い鉄を取り出すために、横から炉に鉄棒を差し入れてかき回す。純度の高い鉄は粘り気が強いから、鉄棒を引き抜いた後、こびりついたモンを鉈でこそぎ落とせば、それが錬鉄だ。あの棒でグルグル練るから錬鉄って呼ぶのさ」

「え、すごい危ないんじゃないですかそれ」

「おお危ないよぉ。ものすごい熱風が漕ぎ手を襲うから、ああやって完全防護するんだ。熱風を吸い込んじまわないよう、口の呼吸穴には水冷却の仕掛けがあるぐらいだよ。水で冷やされた空気を吸い込めるようにね」


説明の後、彼女は青年に向けて手を振った。


「グラン! 炉の様子はどうだい!」


答える前に、彼は耐熱マスクを被り、鉄棒の先端を器用に使って炉の横穴の蓋を開けた。

その瞬間に吹き出した熱風が、何mも離れたクロスの顔をも薙いだ。

火の魔法を使う魔法使いをして、思わず「あっちぃ!」と言わしめるほどの熱であった。


だが青年は少し横穴から炉を覗き込むと、蓋を閉めて涼しい顔でマスクを外した。


「もうちょいかかりそうです姐さん! 今朝は炉が冷えてましたからね!」

「上出来だよ! 今日あがる分は全部ゴロにするからね!」

「りょうかーい!」


クロスが顔を拭っているうちに会話は終わっていた。

炉の解説が再開される。


「取り出した錬鉄は赤いうちに集積加熱炉建屋に運ばれて一つにまとめてから、色々と手を加えていくのさ。反射炉番は誰よりも早起きして火入れをして、炉漕ぎもする、経験と体力が必要な重労働なんだよ」

「すごく手がかかるんですね」

「あぁ、でも反射炉には利点も沢山ある。高炉以上の高熱が出せるから鉄の純度を高められるし、何より石炭が使えるからねぇ」

「石炭?」

「石でできた炭だよ。魔界の炭鉱山で採れるんだがね、2代目"石の魔女"が『魔力炉で高熱の火種を生み出せば石炭を燃料として活用できる』ことを発見したのさ。高炉は木炭をかなり食っちまうからねぇ。石炭で動かせる炉を作ろうって所から、反射炉の開発が始まったんだよ」

「高炉には石炭を使えないんですか?」

「石炭は不純物が多くってね。高炉に使うと、その不純物が全部混ざって鉄そのものがダメになっちまうんだよ。だから熱だけを鉱物に送り込める反射炉にピッタリなのさ」

「じゃあ反射炉を大規模化して高炉の代わりに、なんてどうでしょう」

「うーん、そうしたいんだけどねぇ、見ての通り反射炉は手がかかるだろ? 生産の効率も高炉の方がずっと良いんだよ。それに反射炉を大きくし過ぎると、熱が全体に伝わりづらくなっちまう。ムラが出来て時間がかかるようになっちまうし、温度差が出ると炉も傷むのさ」

「なるほど。だから銑鉄は高炉で大量に作って、錬鉄は必要に応じて反射炉で精製するわけですか」

「おっ、やるじゃないの。まさにその通りさね」


頭を乱暴に撫でられる。

早くも、慣れたものだった。


「集積加熱炉建屋は錬鉄加工場と繋がっててね、あたしが昨日ガンガンやってた鍛冶場もその一角さ。鋼を作ったり、その鋼を鍛えて成形したり、赤熱した錬鉄に混ぜ物をしたりする場所だよ」


イーリの視線の先には、この敷地で最も大きな建物が建っていた。

これは石造りではなく木造であり、いくつも設けられた窓からは常に熱気が吐き出されているようだった。


「ゴロ錬鉄もあそこで作るんですか?」


ゴロ錬鉄。"石の魔女"ガニツ・グ・スゥレイがゴーレムに用いていた素材の一つだ。


「そうだよぉ。あれはあたしの発明品でね! 魔界の半眼浜の砂に石灰を混ぜて炙ったものを、赤熱した錬鉄に1:14の割合になるよう加えるんだ。すると粘り気が強くて、魔力の遮断性が高い錬鉄になるんだよ。作ったのはガニっちゃんが魔道士会とやり合ってる時でねぇ、なんとか力になってあげたくて、色々な混ぜ物を試したもんだよ」

「どうしてゴロ錬鉄っていう名前なんでしょうか?」

「56番目の試作品から作ったからさ!」


はっはっは、と大声で笑い飛ばす。

これにはクロスも少しだけ笑った。

想像していた以上に些細な理由だったからだ。


「見ていくかい? 面白いよぉ。まさに工房の花形だね!」

「ええ、是非」


が、錬鉄加工場に向かって歩き始めた途端、イーリの名を呼ばわる声が後ろから響いた。

聞き覚えのある声であり、イーリなどは振り向く前から笑顔を浮かべていた。


「ギンちゃーん、どしたのさ?」


建屋の間の通りをのしのしと歩いてくるのはイレーギンだった。


「御使者殿を迎えに来たのだ。今から私と共に登城していただく」

「あれ、もうそんな時間かい?」

「予定に空きができたのだ。父上が早めの会見を御所望なのでな」

「え〜今からがいいところなんだがねぇ。あと一時間ばかり待てないのかい?」

「総督をお待たせするわけにはいかん。多忙な身であらせられる」

「なんだい、融通の利かない男だねぇ」


あっという間に、険悪な空気が流れた。

睨み上げるイレーギンに、見下ろすイーリ。

双方ともに気が強く、頑固な職人気質である。

些細なことで火花が散るのは、石と鉄の宿命と言えた。


「大丈夫です。私なら、今からでも謁見に伺えますとも太守閣下殿」


なんとか両者をなだめるためにクロスが言葉を差し挟む。


「イーリさん、案内は明日以降でも大丈夫ですよ。元々、何日もかけて案内するつもりだったんですよね?」

「まあ、あんたがいいなら、それでいいけどね」


片眉を上げながらも、なんとか了承した。

これ以上険悪な雰囲気になる前に出発するため「ささ、急ぎましょう太守閣下殿、わざわざお迎えに来てくださるとは恐縮です」などとおだてながら、イレーギンを急かす。

クロスの思惑も功を奏したようで、沈黙と睨みは保ちながらも、太守閣下は踵を返して歩き始めた。

その後をついていくクロスだったが、横目でココチを見つけると、目配せで頷き合った。


彼らは昨日のエルガンとの会議を思い出していた。


『まずは情報を集めなければならん。ドワアフは気難しい種族だし"鉄の魔女"も気立てはいいが頑固でもある。重要なのは太守が本当に"鉄の魔女"を愛しているか、"鉄の魔女"にはその気があるのかだ。前者はクロス、後者はココチちゃんに確かめてもらう。太守に対しては二人きりの状況を作った上で直接訊ねろ。ただし"鉄の魔女"に対しては、慎重に、回りくどくそれとなく探っていけ。直接訊くのは恐らく逆効果だろう』

『どうしてですか?』

『離婚について負い目を感じているはずだからだ。もし恋愛感情があったとしても、娘から直接訊かれれば負い目から咄嗟に隠そうとするだろう。かといって異性であるクロスに打ち明けるとも思えんしな。慎重に、まずは調べることからだ』

『すごいのです。確かに母さんなら隠そうとするのです。どうしてわかるのですか?』

『調略は武門の嗜みだ。それよりクロス、お前には太守の気持ち以外にも確かめてもらわなきゃならんことがある。太守の気持ちより先に、そちらを調べてもらいたい』


「着いたぞ」


作戦を思い出しているうちに、到着したようだった。

イレーギンに伴われていると、面白いように人波が開いていったのだ。

結果として、昨日の約束よりも三時間ばかり早く到着したことになる。


タルギンの城は集中式城郭という、二段構えの防壁と盛土の上に直方体の天守塔が立っている構造であった。

年季のある石積みの城であり、乱世を乗り切った城らしい、居住性よりも実用性のある城だった。

城は堀に囲まれており、街を巡った水が行き着く場所のようである。周囲にはこの堀に釣り糸を垂らしている人々も見られた。

換勘場(かえかんば)や統制庫、行政使府といった行政機能は周辺施設へと外部化されており、この城は総督府兼屯所としてのみ機能させているようだ。

総督との会見は、恐らく天守塔、ではなく、一段下の城郭内の接見室で行われるだろう。


イレーギンにいざなわれ、潜り戸を通って城内へ入る。

一つ目の城壁を超えた先はまだ屋外であり、至る所に衛兵が立っている。

練兵も行われており、皮鎧に身を包んだ衛兵たちが、指揮官の掛け声に合わせて盾を構え、槍を振るっていた。


「練兵を見るのは初めてかな御使者殿」


道中で初めてイレーギンに声をかけられる。

その色は僅かに弾んで聞こえた。


「ええ、『死人の軍勢』には不要なものでしたから」

「それは羨ましい。生きている兵は、常にこうして技術と士気を保っておかねば、いざという時に使い物にならぬからな」

「地方都市の衛兵とは思えないほど精強ですね」


おもねる心積もりは無く、本心からの感想であった。

誇っているようなイレーギンの語り口に引っ張られたものではない、と言えば嘘にはなるが。


「彼らは何と戦うんですか?」

「主に犯罪や害獣、災害などだが、最近めっきり減ったとはいえ山賊の脅威にも備えている。コギ谷を襲った嵐、ナッグを襲ったエレメンタルの大群の話を聞いて、ここの兵たちも気が引き締まっている所だ」


イレーギンの足が止まる。練兵を重ねる兵たちに視線が注がれる。

兵たちの挙動に注視するようでいながら、その向こうの遠くを見るような目でもあった。


「そうでなくとも、我らはかつて同胞同士で殺し合ったのだ。かつて自ら犯した過ちを繰り返さぬためにも、俺にできる全てをこの地に注ぎたい」


しみじみと語った後、鼻をこすって一度だけクロスへと笑いかけた。

再び歩み始め、二段目の城郭へと向かう。


「皮肉なことだが、この地を征服に来た統王様のおかげでタルギンは再興した。世界統一で国境線が解放され、再び鉱山から鉱石が集まるようになり、秩序が回復した。世の中は不思議なものだな御使者殿。誇り高き行いが悪しき結果を招いて人々を苦しめることもあれば、禍々しい屈辱が良い結果を生み出すこともある。天のなさる行いとは奇妙としか言いようがない」


階段を登るイレーギンが零したこの言葉に、クロスは素直な驚きを覚えた。

話に聞いていたドワアフという種族の言葉とは、とても思えなかったからだ。

頑固で傲慢、気難しい職人気質で、自らを顧みることなく欲望のまま邁進する。

少なくとも、目の前を歩くこの人物に、それらの常識は当てはまり切らないと思われた。


タルギンは伝統を曲げ、誇りを擲って、謙虚さと屈辱に身を浸しながら統王に降伏した。

彼はそれを恨むことも恥じることもなく、自らの血肉として受け入れている。

クロスは確信した。彼こそ、まさに今の時代のタルギンの申し子であり、それを受け継ぐべき人物なのだと。


「太守閣下、私は未だ道半ばですが、それでもこれまでの旅を通じて分かったことがあります」

「何だ?」

「閣下は自らの意思で自分が何者かを選択なされたのです。それが尊いのであって、天に弄される謂れはありません」


双角族とドワアフ族は、ともに190年は生きる。

イーリとイレーギンの実年齢は、おおよそ60〜80歳と言った所だろう。

で、あるならば、タルギンが降伏した時、彼もここにいたはずだ。


クロスの言葉にイレーギンが応えることはなかったが、その背中と歩みが物語っていた。




数分歩き、二人は応接室の扉の前に到着した。

イレーギンが横目で覚悟と準備を促し、クロスも目配せをしながら頷く。

それを合図に扉が開かれ、まずはクロス、その後に続いてイレーギンが入室した。


応接室は、まさに玉座の間、といった様相であった。

広々とした空間に、等間隔に並んだ燭台、玉座へと続く敷物に衛兵。

そして奥の数段もの土台の上に、錫と宝石で飾り立てられた絢爛な座が据えられていた。

座の上で深く埋もれるように腰を下ろしてもたれかかるドワアフこそ、タルギン家当主にしてタルギン領総督。


バンギン・タルギンⅧ世その人である。


「父上! 魔女協会の使者をお連れしました!」


クロスを追い抜き、まずは前に出たイレーギンが声をかけた。

座の上の小さな主は、体を揺すりながら身を乗り出し、しわがれた声を張り上げる。


「お前が、魔女協会の使者とやらか。余はタルギンの守護者、バンギン・タルギンであるぞ。余に対し、申し開くことはあるか?」


クロスは即座に跪き、貴人に対する礼を取った。

地方領の総督程度に対して取る必要のある礼ではなかったが、相手の言動から必要であると察した。

老いぼれたシワの奥に秘められた瞳の、脂ぎった輝きがそうさせたのだ。


「お初にお目にかかります。私は魔女協会学会取次役の──」

「名乗りなど聞きとうないわ!」


言葉を遮って放たれた大声の色が、怒りの大きさを感じさせた。


「此度のこと、魔女協会はどう落とし前をつけてくれるのだ! ナッグの無知な田舎者どもにも腹が立つが、余に断りもなく立ち去る"胞の"軽率にも腹が立つ!」


クロスはまたもやエルガンの言葉を思い出していた。


『お前に調べてもらいたいのは、太守の父親、総督であるタルギンⅧ世の怒りの度合いだ。奴が何に対して、どれだけ怒っているかは今後の方針に大きく影響する。奴は伝統と折り合うことで生き延びた。一門の純血の伝統に関しては抵抗するフリは見せるだろうが、最後には折れる。問題は奴の遺産の行き先と利益だ。自分を裏切った魔女協会の一員に、自分の遺産が将来転がり込むとなれば、全力で抵抗するだろう。魔女協会への怒りが"鉄の魔女"への怒りに転化されれば、最悪人死が出る。だからクロスよ、奴の怒りをまずは探るのだ』


「総督閣下、ナッグの領民の行為に関しては、既に地元の代表者たちから謝罪があったはずです。新たな条件下での経済協定策定も、行政使府を交えた三者協議で進行していると聞き及んでおります」


まずは探る。エルガンの言葉通りに、あえて論点をズラした反論をする。

行政使府は統王が各地方領に配した行政府であり、統王法に則った行政の執行と維持、管理運用を統王に代わって実施する機関である。

故に行政"使"府と呼ばれている。統王の使いである行政府なのだ。

全ての領主はこの行政使府の監督のもとでのみ権限を有するのだが、日常的には民衆に対する行政サービスを行う役所であり、実用的な利便性のあるものである。

各行政使府には頂点的な役職が無く、判断は法に基づいて現場役職者が行い、責任は全て統王本人が負うものとなっている。


「酔っ払いのバカどものことなど問題にはしておらん! "胞の"助力無しでは、今後ナッグからの税収が下がる一方となるのは目に見えておるわ!」


跪いているため、バンギンの顔は見えない。

故に言葉そのものを内心で噛み砕く他はなく、この時クロスが考えたのは「なんだ、こいつ知ってたのか」であった。

"胞の魔女"のおかげでナッグが繁栄していたことを、この総督は知っていたのだ。


「それだけではないぞ! "胞の"は縫製技術の伝承を余に約束しておった。ゴルナラの木は皮を剥がし、茹でて叩いて水にさらして軽く炙れば、良い繊維になるから、とな。ゴルナラの木皮織が実現しておれば、タルギンの新たな特産として余の富に寄与したは確実。それを、これでは一方的に反故されたも同然ではないか!」


最も厄介な自己中心主義とは、理を得た時に実現する。

"胞の魔女"にも非がある、という主張には一理があるだろう、とはクロスにも感じられたことであった。

ただ、彼女を追い出したのは、バンギンが治める地域の民衆である。一方的に責めを負う道理は無い。

"胞の魔女"本人が、追放を自ら進んで受け入れていなければ、ここで反論も出来ただろう。

だが本人の意を汲むのであれば、反論は控えなければならなかった。彼女は自ら去ったのだから。


お節介で優しくて誰の力にもなろうとしてしまう"胞の魔女"らしいトラブルだ。

それに巻き込まれた形ではあるものの、クロスの心中を温かいものが優しく吹き抜けた。

この騒動を解決したいと望むための動機が、また一つ増えたのだ。


「閣下、恐れながら、私は単なる学会取次役で、招待状の配達人に過ぎません。この場で魔女協会を代表するに相応しい人物とは言えないでしょう。そのような私に、一体何をお望みでしょうか?」


バンギンの鼻息が落ち着くのを聞く。


「そなたに申しても詮無きこと、か」


そこそこに喚き散らして、ひとまず落ち着いたのか、しわがれた声に相応しい音量へと戻っていた。


「事情を聞こうと"鉄の魔女"を2日間呼びつけたが、全く音沙汰無しだったのでな、もうよい、下がれ」


さては、と思い横目でイレーギンを見る。

彼は一切動じていない様子で、ただまっすぐ自らの父親を見据えていた。


「イレーギン、送ってやるがよい」

「はっ」


視線を前方に戻して立ち上がり、礼をすると、その肩をイレーギンが掴んだ。

そのまま共に、応接室から退室する。


「太守閣下」


誰もいない廊下で、クロスは先導するイレーギンに声をかけた。

これまでと同様に、彼は振り返ることなく「何だ」とのみ応える。


「総督はあなたに、イーリさんを呼びに行かせていたはずです」


反応は無い。ただ歩くだけである。


「庇ってましたね? イーリさんのこと。私に浴びせられた言葉と同じものが彼女に浴びせられると思うと、心の歯止めが効きませんでしたね? 場合によっては暴力沙汰に発展し、もしそうなれば彼女が傷つく、と」


歩みが止まる。

クロスは振り向きざまに襟首を掴まれ、壁に押し付けられた。

見開かれたイレーギンの目が眼前に迫る。その白目には赤い筋が走っていた。


「俺を脅迫する気か」


声色には明らかに怒りが混じっていた。

ああ、やっぱり、ドワアフなんだな。

喉を圧迫される苦しさの中で、クロスはぼんやりとそう思った。


「ち、ちが、ココ、チ、さん、が」

「ココリッチ殿が?」


首の拘束が僅かに緩まる。

その隙に、なんとか捲し立てるしかなかった。


「ココチさんから聞いたんです。イーリさんのことが好きなんですよね? それもずっと以前から。あの子は自分の母親に幸せになって欲しいんです。あなたもそうなんでしょう? だから、ココチさんに約束しました。協力するって」

「協力だと? どういうことだ!」


また俄かに首を絞める力が強まる。

舌を出しながら手首を叩き、喋れないことを示すと再び力は緩んだ。


「イーリさんとの婚姻を、支援すると言っています。実は、これは魔女協会としての決定なんです」

「なんだと」


完全に手が放される。

クロスは咳をしながら上体を屈め、なんとか呼吸を確保しようとしていた。

対するイレーギンは驚きを隠せない様子で、数歩引き、視線を泳がせていた。


「目的はなんだ。何故魔女協会がそんなことをする!」

「魔女、の、生活品質 ひゅうぅ! 生活品質の向上が、協会の責務、です。それと、ナッグ騒動に関して、閣下の、お力添えを」

「やはりそんなことだろう! 卑怯者め! 俺のみならずあいつをも愚弄する気か!」


上体を起こし、壁に背を預けてなんとか立つ。

呼吸を可能な限り整え、確実に聞こえてくれるように絞り出し、クロスは言い放った。


「あなたは、イーリさんを、幸せにしてやりたい、とは、思わないんですか? 私は、思っています。魔女たちは、皆、ままならない、自分だけの不幸を、持っています。それが魔女の宿命なんです。あんまり、じゃあ、ありませんか」


イレーギンは聞き入っていた。

当惑の故にでもあったが、それ以上にクロスの纏う雰囲気を悟ったからであった。


「魔女は、より良いものを目指して、学問を修めます。つまり彼女たちは、今の自分を肯定できていないんです。可哀想じゃあ、ありませんか。あまりにも、酷すぎるじゃありませんか。これだけ、これだけ世の中のために尽くしているのに」


今まで出会ってきた魔女たちのことを思い返す。

ストイル・カグズ・アッサルート

ケイネリー・ガロウズ・ホルグラック

ガニツ・グ・スゥレイ

クルギャ

皆、苦しみを抱えていた。それでも自分なりの答えを、幸福を探して生き抜いている。

魔女以外に居場所がない故に魔女となった者たち。世の中から拒絶された人々の末裔たち。

クロスはいつしか考えるようになっていた。

ナッグでの一件をきっかけに、思うようになっていた。


「確かに、協会としては、見返りを求めています。でも、彼女には幸せになってほしい。彼女たちを幸せにすることについては、私は真剣(マジ)に考えている」


精一杯の力を振り絞り、イレーギンを睨みつける。

巨漢のドワアフ、街の治安を一手に引き受ける猛者が、その視線にたじろいだ。

壁にもたれかかって何とか立っている、細腕の青二才の覚悟と眼光に、明らかに気圧されていた。


「もう一度訊きます。イーリさんを幸せにしたいんですか? したくないんですか?」


壁から背を浮かし、一歩歩み出ながら、問う。

思わず後ずさったイレーギンの、唾を飲み込む音が聞こえた。


お互いにとって、返答など最早不要だった。

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