胞の魔女3
『かわいいですよねぇ〜 うりうりうりりり〜』
マイダライモムシの背中を人差し指でしきりに撫でる。
肉厚で弾力のあるイモムシの背中は、いくらなぜても身を縮めなかった。
クロスはただ、どう反応してよいものか分からず、ひたすら無表情でその光景を眺めていた。
あれからクロスは地下室に案内された。
マンホールの蓋のような鉄板を、枝に似た形状の黒い地枝虫の群れが下から押し上げて開くと、そこには階段があった。
下った先は物置と食料庫の二つの部屋に分かれており、物置が実験室を、食料庫が台所と食事室を兼ねているようであった。
どちらの部屋も物は多いが雑然とはしておらず、きちんと整頓が行き届いている。
普段はどちらにも照明は置いていないようで、"胞の魔女"はその場で束ねた百草と油から即席の灯りを設えていた。
そうして、食料庫の食卓に共につくや否や、食事の準備ができるまでと称した怒涛のペット紹介大会が始まった。
彼女が体に取り込まず個人的な愛玩動物として飼育している、種々の虫たち。
道端で出会い「仲良くしたそうにしていた」から拾ってきたアバネカブトのピークン。
実験体の一つだったのが、愛着が湧いてしまい飼うことにした横転蜂のマイニィ。
村人の体に寄生していたのを取り出したら思いの外可愛い顔をしていたというトコヨウジのタック。
逃げ出して迷子になった実験用個体をやっと見つけたら番いになっていたので面倒を見ようと決意するに至った、ニジバメオトバッタのポットとビット、の4代目。
そして今は、野菜を買ったらくっついてきてたマイダライモムシのアーサーを愛でながら、披露しているところだった。
『ほら! ほら! 指に乗ってくれるんですよ!』
自分の人差し指の上をうにうにと這い進むイモムシに興奮を隠せない様子である。
愛しのアーサーを眺めながら、もう片方の手でクロスの肩をしきりに叩いた。
こうなってはもう「すごいですね」と判で押したように返すのみである。
『かわいいですねぇ〜。マイダライモムシは羽化をせず、一生を芋虫の形態で過ごす種なんです。脱皮を繰り返してどんどん大きくなるから、こんなにぷりぷりで大人しいんですねぇ〜。でも吐きかける粘液には毒があって、それで鳥や蜘蛛なんかを追い払うんです。私も浴びてみたいですけど、怖がらせるのは可哀想ですからね〜』
このように、解説を挟みながらひたすら惚気るばかりなのだ。
クロスは今までそのような自覚はなかったが、自分は虫が苦手な人間なのかもしれない、と感じた。
しかし唯一、横転蜂は気に入った。
まん丸と大きな、鼻ぐらいはある大きさの蜂なのだが着地が下手で、3回に1回は失敗してコテンと横転してしまう。
今もちょうど、クロスの目の前の卓上でコテンと転んだのを"胞の魔女"の指に助け起こされている所だった。
『あ、食事の用意が出来ましたね』
と、不意にそう告げると、ペットたちを腕に乗せて床へと移動させてやった。
『まだまだ紹介し足りないぐらいなんですが』
食料庫の奥へ向かって手招きをする。
数秒も経つと、その方向にある棚から再び地枝虫の群れが姿を現した。
今度は葉で作られた包みを二つ上に乗せており、波濤が如く包みを押し運んで卓に乗せると、速やかに物陰へと消えていった。
「あの、どうやってるんですか?」
地枝虫が去っていった物陰に視線を注ぎながら、疑問を投げかける。
"胞の魔女"は左袖から繰り出した蟻たちに葉の包みを解体させながら、答えた。
『虫操術っていう魔漏法の一種です。魔力の影響を受けやすい一部の虫なんかは、誘導することができるのです。特に私は生まれつき魔力を細かく扱うのが得意でしたから、地枝虫ならどんな群れも思い通りに動かせます。でも本来はすっごく高度で難しい魔法なんですよ〜』
普段そのような機会に飢えているのか、魔女というのは己の専門分野については饒舌だ。
水を向ければ必ず飛びつく。まるで生け簀の魚のようである。
だから、王国がなくなっても学会を開くのかもしれないな。
そう、クロスはぼんやりと考えた。
『具体的には地枝虫は環形動物なんですが、外骨格な上に管状の空洞部が1cmもあって単体ではほとんど動けないんです。だから常に群れを作って、各個体が連結して、その連結部を関節とした群れ単位で動くんです。そのために神経節が剥き出しになってて、連結によって網状の巨大な神経網になってるんです。わかりますか? 剥き出しの神経網ですよ? いつもはこれを感覚器官としても活用してるみたいですが、そこから特異な魔力パターンを送ってやれば、ほら!』
左手を物陰に向ける。
それとほぼ同時に、物陰から地枝虫の群れが湧き出てきた。
"胞の魔女"が左手をくねらせると、その動きに合わせて群れもくねくねと踊るように曲がった。
『神経に私の魔力を通すんです! 仕組みとしては、私の一部である虫さんたちを操るのと殆ど同じなんでしょうね。魔力の通り道である神経が剥き出しだから、地枝虫は取り込んでなくても操れるんですよ』
左手を動かすのをやめると、群れは物陰へと戻っていった。
「ということは、自然界の微妙な魔力の揺らぎにも操られうるんですか?」
『稀にですが弱った地枝虫の群れは虫エレメンタルの発生源になったりもしますね。膨大な魔力の集積点から影響を受け過ぎてしまうことはあります。でも普段は、匂いとか、音とかと同じように、外部の情報を知る方法として魔力という媒介を利用しているだけなんですよ。美味しそうな匂いに惹かれる羽虫と同じように、美味しそうな食べ物の魔力に惹かれるんです』
「地枝虫の食べ物って?」
『土ですよ』
蟻が葉の包みを分解し終える。
そこから現れたのは土の塊、ではなくて、何やら色々練りこんだ正方形のパンであった。
『さ、食べましょうか〜』
"胞の魔女"は襟を掴むと、ぐいと左右に引いた。
上衣がはだけ、前が開く。露わになったのは白磁の肌ではなく、檻と蠢く虫どもだ。
胸部の格子は開くようになっており、クワガタムシが器用に留め具を外すと、虫たちの群れが戸を押し出てきた。
群れは触手のような塊となり、全ての個体が蠢きながらも、確実にパンへと伸びる。
あたかも湧き出る泉の如く次々と虫が湧き上がり、形を成し続けているのだ。
そしてパンはタコに捕えられた魚のように絡め取られると、そのまま群れと共に"胞の魔女"の胸の内へと引き込まれていった。
あっという間に虫たちに覆い尽くされ、早くも鋭い顎を持った虫に分解され始めている。
その様を格子越しにまじまじと覗いていると、少し恥ずかしそうに、"胞の魔女"が体を横に向けながら前を閉じた。
『そんなに見られると、その、照れちゃいますよぅ』
視線を伏せ、帽子の鍔を両手で下に引っ張って顔を隠す。
その恥じらう様に、クロスは原因不明の申し訳なさと気まずさを感じ取ってしまった。
「あ、え、すいません。こ、このパン、何が入ってるんです?」
空気が濁ると質問に逃げる。
それは自覚なき癖であった。
『栄養食です。小麦とバオ麦を混ぜた生地に、羊肉の燻製と叩いた大麦粒と青ニンジンとブージャックの葉と人間の皮膚片と解して刻んだハバニレの木皮繊維と蒸したタダン茸と7種の花蜜を練り込んで、焼いたもので……この子たちには最高の栄養、なんです……』
気恥ずかしさがまだ抜けないのか、顔を隠したまま答える。
彼女の胸からは、ばりばり、がさがさ、という常よりも剣呑な音が絶え間なく響いていた。
「えっ」
クロスは、過ちを自覚した。
そう、これは詰まるところ虫のエサなのだ。
だというのに、その事実を知っていながら、パンの正体を訊ねてしまった。
もし知らなければ、数口いただいてから残すこともできただろうに。
知ってしまったからには、一口であろうとも食べることはできなくなってしまった。
数欠片を千切って捨てようかとも考えたが、恐らく看破されるだろう。
彼女の目は、耳は、鼻は、通常の位置には無い。全身の虫、全ての目と耳と鼻が、彼女のそれと同一なのだ。
そしてこの食料庫は、余すところなく彼女の支配下にある。
クロスはなんとかして、このパンを食べずに済む方法を模索しなくてはならなかった。
そういった窮地に、彼が咄嗟にとる行動は一つである──
「そ、そうだ、さっきの暗号。あれってどういう意味だったんですか?」
──質問だ。
帽子の鍔から手が放され、ぶるんとしなりながら元の形へ戻る。
椅子の上で足を縮め、帽子を放した手が今度は膝を抱えた。
『薔薇は"兵の魔女"の印章、木の部位名は出動段階や任務の性質を表します。葉は臨戦、枝は移動中、幹は待機、根は独自判断で行動中、そして木口は『後始末のために待機』です』
"兵の魔女"。
招待状を届けに赴く13の魔女の一人である。
「……コギ谷でも"兵の魔女"の名前を聞きました。一体、なんなんですか? 何者なんです?」
『招待状、あるんですよね?』
「ええ、まあ」
思わずコートのポケットを押さえる。
"兵の魔女"宛の、魔女学会への招待状もそこに収まっていた。
『作られた命は、私だけではありません』
顔を上げて向き直り、あえて自らを曝しながら、言い放つ。
偶然か故意か、右目の位置にはちょうどキンパクコガネがいた。
その金色の輝きが、何故か"眼の魔女"を思わせた。
寝床の中、周囲の闇から響くかさかさという枯葉擦れのような音を聞きながら、クロスは眠れずにいた。
寝返りを打てば実験器具置き場の足にぶつかるような、この物置の狭さのせいではない。
実験動物である虫たちの這い回る音や羽音のせいでもない。
普段の入眠時刻より2時間も早い就床だったからでもない。
この旅に、不安を抱いたからであった。
不安の原因は"胞の魔女"と交わした会話にあった。
"兵の魔女"については、様々な噂が巷では流れています。
暗殺者。鮫と人の末裔。魔女の抑止力。魂喰らい。薔薇と双剣。処刑人。哄笑する聖者。
そのどれもが正しく、どれもが誤りと言えるでしょう。
彼女は、彼女は、私の妹です。
幾つもの代を重ねようとも"兵の魔女"の本質は変わっていません。
私の母が生み出した、ひたすら戦い、ひたすら食らうための魔導生物。
それが"兵の魔女"。私の次に生み出された実験体。
ただ、生み出された目的は"原初の目"のためじゃない。
緊迫した情勢と周辺勢力との軋轢の中で、魔女王国を守るための武器。
一体で『死人の軍勢』と並び立つほどの力を持った、純粋な暴力。
最高の兵士。そのために生まれた生物でした。
こんな話があります。
三角連衡の乱で戦に敗れ、散り散りになって逃走したルネイ国人衆の生き残った代表者27名。
その全てを"兵の魔女"はたった2ヶ月で探し当て、奔走し皆殺しにした。彼らの妻子や兄弟姉妹、老いた父母までをも。
彼女は全員の首級を紐で繋いで先代の"屍の魔女"に捧げ、それを忠誠の証として統王に献上するよう進言した。
とても、悲惨な光景だった。
首級の中には、ただ巻き込まれただけの無関係な一般人の首もあったの。
31代目"兵の魔女"アイラン・ヘルゼンデル
母の最高傑作の一族、その末裔の名前です。
あなたの道の途上に立つ、一つの名前です。
"胞の魔女"の言葉を思い出していた。
彼女の言葉が真実であるならば"兵の魔女"は相当に危険な人物だ。
そのような怪物に、クロスはたった一人で会いに行かなければならない。
手紙を渡さなければならない。話さなければならない。仕事を見届け何らかの学びとしなくてはならない。
まるで虎の巣穴へと使いに出されるようなものである。
"兵の魔女"に相対する。それは万人が最も避けるべき事態であると思われた。
しかしクロスが今最も心配しているのは別のことであった。
それは、それほどの者が派遣されるような事態が、ここで起きるかもしれないという懸念だった。
そして"兵の魔女"について話している時の、クルギャの様子も気にかかっていた。
虫たちの雑音が恣意的に組み合わさった声に過ぎない。
本質的には、今も周囲で鳴り響いている音と同一であるに過ぎない。
だというのに、彼女の声には深い憐れみが込められていたのだ。
それも"兵の魔女"に向けての。
ふと、毛布がわりにかけていたコートのポケットから振動を感じた。
即座に振動の原因を察したクロスは、カンテラに火を灯し、ポケットから相互紙を取り出して開く。
『クロス、首尾はどうだ?』
エルガンからの連絡だ。
時間を持て余していたところである。すぐにインクと羽ペンを用意した。
『だいたい順調です。今は"胞の魔女"さんの家の地下に泊まっています』
『そうか。伝言はどうだ?』
『伝えました』
『よくやってくれた。彼女は相互紙を持ってなくてな。虫が食っちまうんだそうだ』
これに返事を書こうとしたところで、続けて文章が浮き上がった。
ペン先を止めて、新しい文字を読む。
『それで、どうだ? 感想は?』
この文字の奥で、意地の悪い悪戯心を芽生えさせているのかと思うと腹も立ったが、こういう時には冷静にすかしてやるのが有効だ。
『驚きましたね。あれを見ながら話をしていると、生物って一体なんなんだろうっていう不思議な気持ちにさせられます』
とはいえ、この言葉は本心でもあった。
『他の生き物の群れに埋もれながら意思を保ち魔女を名乗る生物があって、一方では虫より強固で確かな石の体を持ち、淀み無く話せたり独自の魔力源まで有するゴーレムが無生物として扱われる。生きる、生きている、ていうのはどういうことなんでしょう?』
文字が紙に呑まれる。
暫くの間、返事はなかった。
だが、羽ペンをしまおうとした時に、紙には再び文字が現れた。
ゴツゴツとした、硬く、直線的な悪筆であった。
『ある意味では俺も、作られた生物だ。遺跡に保存されていた魂をそのまま使った、と御主人が言ってはいるが、結局その前の記憶が無いんだからな。俺自身がそれを事実だと確信できることは決してあるまい』
だが、一文字一文字、ていねいに書かれていた。
『しかし、俺には武がある。そして血がある。俺が流させた血、俺が想い、俺を想う者たちの体に流れる血がある。たとえ俺自身に血はなくとも、血潮の熱さを感じることはできる。御主人や魔女たち、そしてお前のもだ』
文字の大きさは一つ一つが違っていた。
しかしだからこそ、全ての字を一つずつ書いているのだとわかった。
『何よりも重要なのは、その血の熱さを俺が感じ取っているということだ。感じ取ることができているんだよ、骨とおがくずと鉄で出来ている、俺にもな。結局は、それが『生きている』ということなのだと思う。そしてだからこそ、俺は俺の意思で敵を殺すことができるのだろう。生きていない者は、何も殺せんからな』
硬骨で自己肯定的だが、愚かではない。
如何にも武人らしい考え方だな。
クロスはそう感じた。
『自分はどうあるべきか? それを選び取る。その行為自体が生なんだろうよ。生まれついた形や本能を否定しようがしまいがな』
思わぬ収穫に気付いた。
クロスの中の不安が氷解しつつあるのだ。
『ありがとう、エルガン。でも…』
『ん?』
『ちょっと気持ち悪いよ』
紙越しで軽口を叩けば、骨を打ち鳴らすような軽快な笑い声が聞こえてくるような気がした。
シリネディーク城で殆ど毎日のように聞いていた、エルガンの笑い声が。
『そうだな、俺のガラじゃない。"啓の魔女"あたりの役目だ』
『それより城の様子はどう? じいやはまだ動いてる?』
『おう、お前がいなくなって寂しがってるぞ。あいつめ、俺まで揺り籠に入れようとするのだ』
『そりゃあ、じいやの部屋より大きな揺り籠が必要だね』
『笑い事ではないぞ、このままでは御主人の部屋に忍び込んで子守唄まで始めかねん』
小さな笑いが、虫の雑音に紛れて物置の暗闇に吸い込まれた。
『それは見てみたい。じいやに抱っこされるお師匠様』
『ふむ、よく考えてみれば、俺もそれ見たいかもしれんな。明日はじいやに歌集でも贈ろうか』
二つ、三つ、と笑い声が小さく響く。
夜が更けきるまで二人の他愛無い会話は続き、クロスが疲れて寝入ってしまう時には、心中の不安はすっかりと失せていた。




