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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
眼の章
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眼の魔女1

捻じ曲がった木々が生い茂る、道無き道を進む者一人。

土くれと雑草と虫けらに覆われた段差を踏み越え、木漏れ日をフードに受けながらも進む。

時によろめき、時にしがみつき、大きなザックと旅用のコートを引っ張るように歩き続ける。


その者はふと立ち止まり、コートのポケットから丸めた羊皮紙を二枚取り出した。うち一枚は、小刻みに震えているように見える。

まず震えていない紙を広げると、それは地図のようであった。地図には小石が一つ貼り付いており、それが現在位置を指し示しているようだった。


「まだまだか」

 

若さみなぎる、男の声。その者は、彼であった。

彼は地図を畳んでポケットに押し込むと、今度は震えている紙を広げた。

広げると、不思議と紙の震えは止み、代わりに白紙の余白に文字が浮き出た。

 

『こんにちはクロス。そろそろ最初の場所には着いた?』


繊細で絹糸のような、華麗で書き慣れた文字。

それを見ると、彼はため息をついて、フードの中に仕込んだ羽ペンを、腰から下げたインク壺に差し入れた。

 

『クロス・フォーリーズ、順調に任務を遂行中。今日中には到着予定』


紙の裏面にそう記すと、その文字は紙に飲まれていくかのように染み込んで消えていった。

彼は、クロス・フォーリーズであった。

 

『まだ怒ってるの?』


すさかずオモテ面に返事が浮き出る。


『いえ、全然怒っていませんよ。ヤブ蚊はひどいし今朝はガロウに遭遇して死ぬかと思いましたし物もらいも患いましたが、お師匠様に怒るだなんてそんな畏れ多いこと、一介の弟子である若輩に出来ようはずがありませんものねえ』

『その程度の愚痴ぐらいなら許すけど、仕事はちゃんとしなさい』

『わかってます』

『資料は全部頭に入れてから出発したんでしょうね?』


ペンの動きが止まる。

やや逡巡あって後、躊躇いがちに羽ペンは再び動いた。


『旅の準備でそれどころじゃありませんでした』


その文字が染み込んでから、オモテ面に返事が現れるまでにはやや時間があった。

空白の時間は、このタイミングではクロスにとって責め苦のようである。


『しょうがない子ね。相互紙でこっちから最低限の情報だけ送るから、それで何とかしなさい』


相互紙。

今こうして、せわしなく文字を飲んでは吐きを繰り返す羊皮紙の呼び名である。

一頭の羊から作った別々の羊皮紙を、その羊の魂で繋いで魔力を通し、羊皮紙に仕込まれたインクを自在に浮かばせも消しもする道具だ。


『すいません』

『謝る暇があったら歩きなさい。情報はこれから送るから、返信はしなくていいわ』


それを見て、クロスはインク壺を閉めた。

ペンをフードの内側に差し直すと、左手に相互紙を持ったまま再び歩き始める。

先ほどの地図からの見立てでは、あと2時間ほどは歩き通しである。








3時間が経ち、クロスは今一軒の小屋の前に立っていた。

小屋は一本の大樹に寄りかかるように立っており、木材は捻じ曲がって古めかしく、大樹に接した部分からは苔やツタが伸び移っていた。

何よりも、明かりとりの窓や煙突などの、外部と内部を繋げるものが全く無い。

そのせいか人がいる気配も、かつて使われていたような雰囲気も感じられなかった。


だが、確かにここには目的の人物がいるはずである。

クロスは一つ深呼吸をして、上部がひん曲がったドアをノックした。


「はぁい、開いてますよ」


小さく、それでも張り上げたものであるとわかる声。

応じる代わりに、クロスはゆっくりとドアを開けた。


まず目に入ったのは、壁と天井に隙間なく取り付けられた本棚だった。

建て増しのように次々と据えられたであろう本棚は無秩序に組み合わさりながら、ぎっちりと本を詰められている。

天井の本棚は鎖で縛られて本が落ちないようにされた上、更に何冊もの本が紐によって吊り下げられていた。

なるほどこれでは、窓や煙突など意味を為さない。全てが本棚で埋まっているのだから。


そして最奥の、うず高く積み上げられた本の山が置かれた机の前で、目的の人物が椅子に座ったままクロスに視線を投げかけていた。


灰色のローブ、つばの広いとんがり帽子に身を包み、くすんだ靴を揃えているのは、少女だった。

年齢はまだ10代前半だろうか、17歳のクロスよりも更に幼く見える。

しかし眠たげに半分だけ開かれた瞼に仕舞われた瞳が、彼女がただの少女ではない証となるのだ。


「どなた?」


動揺も狼狽も緊張も無く、いとも簡単に訊ねてみせた。

そのように堂々とされるとかえって相手が焦るというもので、クロスは少しばかり萎縮してしまう。

だが仕事を忘れはしなかったようで、左手でフードを脱ぎ、右手でコートの内ポケットから一枚の手紙を取り出すと──


「クロス・フォーリーズ、魔女協会の者です」

 

──少女に差し出した。


「"眼の魔女"様ですね? これを、あなたにと」


かくん、ととんがり帽子がずり落ちかけた。少女が首をかしげたのである。

不思議そうな素ぶりというより、それは鳥が何かを凝視するために片方の目を向けようと首をひねる様に見えた。


「フォーリーズさん」


視線と同様、落ち着いた声が射抜く。


「そこからじゃ、受け取れないですよ」


少女の言葉にやや拍子抜けしたように眉を上げる。

しかし、反論するでもなく、その言葉に従って距離を詰めると、手紙は恭しく受け取られた。


「そろそろだと思ってました」


呟きながら、ペーパーナイフで封を切り、机に置かれた片眼鏡を取って左目に押し当て、手紙を広げる。


「魔女協会第二団51期魔女学会招待状、23代目"眼の魔女"ケイネリー・ガロウズ・ホルグラック……うん、間違いないです」


中身を読み上げ終わると、少女──ケイネリー・ホルグラックは手紙を机の上に放り投げた。


「それじゃあ、フォーリーズさん。面倒かもしれないですけれど、決まりだから我慢してくださいね」


そしてクロスに向き直ると、その顔を見上げ、両肘を椅子の肘置きに置いたまま両手を組み、呪文を読み上げるようにはっきりとした通る声で、


「私は"眼の魔女"。眼の魔女ケイネリー・ホルグラック」


そう、名乗った。


クロスが小さくお辞儀をして「恐れ入ります」と返答すると、「ご苦労様」と返ってくる。

これで仕事は終わりである。


「フォーリーズさん」


しかし、まるで呼び止めるように、続いて言葉が放たれた。

同時に彼女が飛び降りるように椅子から立つ。その身長はやはり、クロスの3分の2程度であった。


「なんでしょう?」

「あなたのことは聞いてます。"十字路の拾い子"、"シリネディークの弟子"でしょう?」

「……はい」

「魔女協会長のお弟子さんをこのまま追い出す訳にはいかないわ。お茶と軽食を用意しますから、寛いでいってください」


そう言って本の山に手を突っ込むと、壁の本棚の一つ、極端に背の低いそれが部屋の中央までせり出してきた。

よく見ると上には毛布がかけられており、ちょうど長椅子のようになっているのだった。


「それでは、お言葉に甘えまして」


あっさりと申し出を受け入れる。

荷物を下ろして本棚椅子に座ると、眼の魔女はカップと茶葉を取りに別の本棚へ向かった。

本棚の本の奥に、様々な日用品を隠すかのように置いてあるのだった。


「ホルグラックさん」

「ケリーでいいですよ」

「ケリーさん、実際助かりました。街道から森に入ってからは歩き通しで」

「まあ、それは。統王街道から歩いて、5時間はかかったでしょう」

「カルエーネの町から馬車に便乗させてもらったんですけど、ここまで森の道が険しいと思わなくて」

「ア・ドゥヌの村からなら600m手前まで道が引いてありましたのに」

「本当ですか。しまったなあ、あのまま馬車に乗ってればよかった」


雑談を交わしながら、お茶が用意されていく。

封のされた水桶が地下室から引き上げられ、ポットとカップに水をかけて洗い、水を入れる。

ポットに手をかざすと、中の水は一瞬で沸騰して注ぎ口から湯気が溢れた。

クロスにとって、魔女協会本部で育つうちに何度も見た光景だった。


「それで、この後はどの魔女に招待状を届けに行くんですか?」


グラム茶の乾燥粉末をカップに入れ、お湯を注ぎ、皿に乗せて差し出す。

クロスはそれを受け取りながら、少し苦い顔をした。飲まずして茶の味を思い描いたのではない。


「いや、それが、ここが最初でして、まだあと12通残ってます」

「まあ」


すさかず軽食も差し出される。

グリ麦と小麦の生地に木の実を練り込んだクッキーのようだった。


「それじゃ、いただきます」


齧ってみれば、素朴な麦の味に木の実の微かな甘みと渋みがそっと手を添えているのがわかるだろう。

啜ってみれば、薄味ながらもさっぱりとしたエグさの少ない香りが満ちるのを感じるだろう。

向かいの、先ほどまで彼女が座っていた椅子に再び座したケリーに、カップを持ち上げながら目配せをして、味に満足していると示す。

長椅子のようになった本棚椅子のおかげで、カップや軽食の置き場所にも困らなかった。


「そう、そうなの、そうですかぁ」


当のケリーは何か納得したように、何度も頷いている。

その度に、とんがり帽子の先端が遊ぶように動き回っていた。


「フォーリーズさん」

「クロスでいいですよ」

「クロスさん、やっぱり今日はここに泊まっていきませんか?」


カップを運ぶ手が止まる。ゆっくりと皿に置き、本棚椅子に乗せ、両手を両膝に合わせた。


「どうしてですか?」


警戒しているようではなかったが、その答えも既に半ば察しがついているような問いかけだった。


「あの"(かばね)の魔女"が初めに私のところにあなたを送った心算があるのなら、私の方にも応じた遇し方というのがあるのです」


聞きながら、クロスは道中で師より伝えられた"眼の魔女"の情報を思い出していた。


「あなたには是非、私の仕事をご覧になっていただきたいと思うのです」




『"眼の魔女"は後を継いだばかりの子供ながら聡明で思慮の深い、魔女のなんたるかをよく学んだ子よ。

 あなたの最初の実地研修の相手としてこの上なく相応しいだろうから、しっかり基本を教わってくることね』

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