シュブ=ニグラスの再解釈 ~観測という概念より~ 上
ちょっとエッチなシュブ=ニグラスについて、いったんウィキペディアより引用します。引用後に要約するので読み飛ばして貰って構いません。
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概要
豊穣の女神・母神という性格を持ち、ヨグ=ソトースの妻であるとも言われる。創作者はクトゥルフ神話の開祖であるハワード・フィリップス・ラヴクラフトであり、彼の『闇に囁くもの(The Whisperer in Darkness)』において崇拝儀式の文句に登場している。深い森の奥で、異星種族とそれに仕える人間によって行われるこの儀式は、西洋において悪魔崇拝とみなされた魔女の集会、いわゆるサバトそのものである。「山羊」がシュブ=ニグラスを象徴するのも、古代宗教において豊穣の象徴と崇拝され、キリスト教によって悪魔、サバトの中心とされたモチーフに由来する。
表だって扱われることはなかったものの、シュブ=ニグラスは以後もラヴクラフトの作品において度々言及され、またラヴクラフトと交流のあった作家の作品にも登場した。ラヴクラフトとヘイゼル・ヒールドの合作『永劫より(Out of the Eons)』においては古代にムー大陸で崇拝されていたと言及され、ゼリア・ビショップとの合作『墳丘の怪(The Mound)』においては地底世界クン・ヤンの住民に崇拝されている。いずれにおいても豊穣神、母神としての性格を残しており、『永劫より』においてはナグとイェブなる子神をもち、『墳丘の怪』においては「洗練されたアシュタロトのようなもの」と形容されている。
ラヴクラフトは友人との書簡や私書に冗談を差し挿むことを好んだが、J・F・モートン宛の手紙などにも「イア!シュブ=ニグラス」の文句を混ぜ、同じくモートン宛の書簡において自らの創作した神々の系図を載せている。それによるとシュブ=ニグラスはアザトースからナイアーラトテップ、「無名の霧」と共に産み出された「闇」から出で、「無名の霧」から出でたヨグ=ソトースとの間に恐ろしき双子ナグとイェブを儲けたとされる。
なお、オーベッド・マーシュの一部の子孫の間では[1]長女のウトゥルス=フルエフルの名が知られている。
ダーレスによる体系化
オーガスト・ダーレスによってクトゥルフ神話が体系化されると、シュブ=ニグラスは〈旧支配者〉の一柱、「地」を象徴する存在の一員と位置づけられた。また、ラヴクラフト時代の神話を受けついで豊穣を司り、仔を産み続ける地母神とする設定も残っている。ヨグ=ソトースのみならずハスターの妻であるとされることもあるが、これは『墳丘の怪』における「名づけられざるものの妻」との記述が、のちにダーレスの作品でハスターが「名づけられざるもの」と称されていることと結びつけられたことが由縁。
体形
存在そのものを扱った作品が少ないため、その姿については判然としていないが、ブードゥー教とシュブ=ニグラス崇拝をからめたD・J・ウォルシュJrの『呪術師の指環(The Ring of Papaloi)』にはシュブ=ニグラスの神像が登場する。山羊のような生き物を表したものの、はっきりとした違和感・不自然さを持っており、何本かの触手があって、見誤りようのない冷笑的な、しかし人間的な感情を持った像であるとされている。
クトゥルフ神話をテーマにしたテーブルトークRPG『クトゥルフの呼び声(The Call of Cthulhu)』における設定では、その姿は泡立ち爛れた雲のような肉塊で、のたうつ黒い触手、黒い蹄を持つ短い足、粘液を滴らす巨大な口を持つとされる。
変身
人間の女性に変身可能だが変身すると脳まで人間のものになるので、思考も人間レベルに制限され感情に振り回されてしまいがちになり、そうなった時に人間に変身していたハスターと[2]恋愛ドラマを繰り広げている。
眷属
黒い仔山羊と呼ばれるシュブ=ニグラスの落とし子が存在[3]し、関連書籍によってはそれが信者にとっての貴重な蛋白源となったことが崇拝の源になったとも紹介されている[4]。
ヨグ=ソトースとの間にナグとイェブを産み、その系譜はクトゥルーやツァトゥグァに繋がるとしている。また男神としての側面もあるらしくマイノグーラと交わりティンダロスの猟犬たちを産ませたとされている[5]。
その他
サバトのイメージによって形づくられた元々の性質から、実在する自然崇拝や黒魔術に馴染み易い。
ウィリアム・ラムレイの『アロンソ・タイパーの日記(The Diary of Alonzo Typer)』においては「ヴァルプルギスの夜」の魔宴で崇拝され、ダーレスの作品においては「仔を産み続け、なべての森のニュンペー(ニンフ)、サテュロス、レプラコーン、矮人族を支配せん」とのネクロノミコンの記述が見られる。ラムジー・キャンベルの『The Moon-Lens』においてはサバトやアシュタロトにくわえ、世界各地の山羊の崇拝、ヘカテー崇拝とも結びつけられている。ロバート・ブロックの『無人の家で発見された手記(Notebook Found in a Deserted House)』はシュブ=ニグラスを扱った作品ではないものの、古代宗教であるドルイド信仰とクトゥルフ神話の融合を扱い、また作中に登場する樹木状の怪物が山羊のような蹄をもっていることから、シュブ=ニグラス崇拝を扱ったものと見なされることが多く、シュブ=ニグラス崇拝とドルイド信仰を結びつけている(ただしこの樹木状の怪物は作中では一貫してショゴスと呼ばれている)。
別名
•「千匹の仔を孕みし森の黒山羊(The Black Goat of the Woods with a Thousand Young)」
•「狂気産む黒の山羊」
•「黒き豊穣の女神」
•「万物の母」など
↑ここまで
以上が引用です。つまりこの外なる神は、以下のような存在であると言えるかと。
1, アザトースより生み出された闇より誕生
2, 西洋における悪魔崇拝と、召喚の儀式が酷似している
3, サバトのイメージから作られた性質より、実在の自然崇拝や黒魔術と馴染みやすい
4. 「山羊」が象徴で、豊穣を司るとされる
5. 色んな相手との間に子供を設ける
6. 表立って扱われたことはない
7, 姿は山羊を彷彿とさせる要素があるらしいが、描写としてはまちまち
こんなものでしょうか。ニャルラトホテプと違って、今回はアザトースを論に用います。アザトースというのは前回のニャルラトホテプとか、宇宙の副王ヨグ=ソトースとか今回のシュブ=ニグラスのお父さんのことです。魔王と呼ばれてるくらいすごくて、例えば宇宙はアザトースの見ている夢らしいですよ。その辺りの再解釈はまた今度やります。
というわけでここから論に入らせていただきますが、その前に一度量子力学上の「観測」という概念について言及します。
みなさんは量子力学というものをご存知ですか? ナメンナそのくらい知ってる! という方もいれば、率直に首をかしげる方もいるかもしれません。
量子力学は有名どころを持ってきますと、「シュレディンガーの猫」なんかの話がよく挙げられます。ただこの「シュレディンガーの猫」、実は量子力学の批判に使われていることは、知っている人の半分くらいしか知らないという話もあります。嘘です比率は適当に言いました。
批判に使われる、というのはどうなんだ、と思われる通り、量子力学というものはとても胡乱な物理学分野です。根本的な原理が分かっていないため、数世紀前さながらに、突き詰めると宗教の香りさえ漂ってきます。
つまりどういうことか。有名な実験を例に、できるだけ簡単に説明させていただきます。
そもそも量子力学というものは、高校などで習う原子サイズ未満の粒の力学です。原子は原子核と電子の集合ですとか、それをさらに分けると素粒子ですとか、そういう話です。
そんな極小粒を考える量子力学ですが、有名な実験に「二重スリット実験」というものがあります。電子銃から電子を発射して、向こう側の写真乾板に到達すれば板に模様が付きます。ただしその前に二本の隙間が入った板が邪魔していて、電子はその隙間をくぐって板に到達する必要があります。端的に言えば、その模様の付き方でもって量子とは何なのか、というのを判断する実験です。
量子は波であるという説と、量子は粒である、という二つが当時主流で(というと多少語弊がありますが、分かりやすさ重視で進めます)波であれば二つの波が重なりあったりして板には縞々模様ができます。逆に粒であれば、隙間は二本ですから二本の模様が板について終わりです。
そんな訳で始まりました「二重スリット実験」。結果は縞々だったので、電子は波ということになりました。ですが模様は粒粒の名残があるので、粒であり波であるという妙な結論になって研究者たちは困惑しました。
そんな中である研究者は思いつきます! 「せや! ちゃんと観測機つけて、粒の動きがどうなっとるんか確かめればええやんけ!」そんな訳で観測機をつけてもう一回実験しました。
二本の模様が付きました。これは粒の結果です。
研究者たちは大混乱です。誰かが見ていれば、それだけで実験結果が変わってしまうのです。しかし観測というのも量子という極小の粒で考えると、十分に干渉と言えるのでは、と考える研究者がいました。
そもそも、我々人間にとって観測とは、目でもって見ることが主流です。その目が何を感知しているのかと言えば、光。そう、光も量子の一種なのです。つまり、観測するだけでその量子は否応にも「光という他の種類の量子」の影響を受けたことになります。
日常の世界においては、いかに光に照らされても眩しい程度ですが、電子にとっての光の量子は同じくらいのサイズでぶつかってくる他人のようなものです。つまり、観測そのものに大きく影響を受けてしまうような世界がこの宇宙には存在するのですね。
ただやはり観測という些事が大きく物事に影響を及ぼすというのは、我々人間にとって納得しがたい話です。特に量子は粒であり波である状態が重なり合っていたりするものですから、訳が分かりません。「シュレディンガーの猫」は半々の確率で生死どちらかになる猫は、我々が観測するまで生と死が重なり合ってる……訳ないじゃん! という批判なのですね。そんなわけで量子力学は好きな人と嫌いな人が結構分かれます。
さて、長々と量子力学の勉強をしてもらいましたが、この辺りで今回の本論に移りましょう。つまり、我らが闇の地母神、シュブ=ニグラスについての話です。ここで先ほどの要約を持ってきます。
シュブ=ニグラスは「アザトースより生み出された闇より誕生」しました。つまり家系図的には、アザトースの息子あるいは娘が「闇」で、その娘がシュブ=ニグラスということになります。
いやいや待てよと。「闇」って何やねん神様でもない単純な闇て、と。
一歩譲って闇からシュブ=ニグラスが生まれたことはいいとしましょう。生物だって気づけば地球にいましたから、自然発生することもありましょう。でもまず「闇」を生むっていうのがそもそも妙な話です。
宇宙空間において、闇なんてものはありふれたものです。恒星の光がなければ、宇宙は常に真っ暗な闇でしょう。何もない状態であれば常に「闇」であり、そして「無」のはずです。それを殊更「闇」を産んだと表現するとなると、何か秘密があるのではと勘繰りたくなります。
では、いったん闇が何なのかという話をしましょう。コトバンクより引用します。
「 光のささない状態。暗いこと。
思慮分別がつかないこと。
知識がないこと。
先の見通しがつかないこと。
世人の目にふれないこと。」
他にもいくらかありますが、今回は関係ないので割愛します。光がない状態は当然として、思慮分別がない、知識がない、見通しがつかない、世間の目に触れないなどの意味があります。
ここで指摘させていただきたいのですが、光云々はさておくとした場合、「闇」とは未知、もっと言えば不観測のことを指すのではないでしょうか。
では、誰が観測しなかったのか――もっと言えば「不観測」を行ったのか。前提に立ち返ってみましょう。「闇」を産んだのはアザトースです。この宇宙を夢見る混沌。白痴盲目にしてこの宇宙の中心に泡立つ魔王アザトースが、シュブ=ニグラスの母体である「闇」を産みました。
ですが「闇」を産んだというのは妙な話、というところからこの話はスタートしました。ここで皆さんはお気づきになられたかと思います。
アザトースは、白痴“盲目”なのです。
……お分かりになられたでしょうか。ここで、一つの仮説が立ち上がります。すなわち、魔王アザトースが「観測をやめた」=「不観測を行った」ことで、観測下にあった「無」が「闇」という“未知”のニュアンスを含んだ存在に変化したのではないか、というものです。
量子力学における観測の概念を確認することで、観測そのものに物理的な影響がある話を先ほどしました。そして今回「不観測」を行い盲目となったのは、人間とは比べ物にならないほど強大な存在であるアザトースです。光以外にも多くの物事に、観測だけで干渉していたはずと言えます。
しかしアザトースは目を閉じ、盲目となりました。それは観測下の「無」を不観測下の「闇」という未知に変換させる行為であると解釈できます。
これはつまり「闇を産んだ」と同義の行動ではないでしょうか。
……何だかだんだん核心に近づいてきたような気がしてきます。ともあれ、これでシュブ=ニグラスの母体である「闇」の正体が分かりました。
つまり「闇」とは、「アザトースの不観測であり、アザトースの未知」であると言えそうです。では次に、「アザトースの不観測であり、アザトースの未知」とは何なのか、という話をしていきたいと思います。
引用元
シュブ=ニグラス(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%96%EF%BC%9D%E3%83%8B%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9
闇(コトバンク)
https://kotobank.jp/word/%E9%97%87-429045