1 『審判』(12/23 改稿)
屋敷の食糧庫を拝借し、慎ましい朝食を終わらせたころ、食事の後片づけに残ったのはサリヴァンと、そしてヒースだった。
「……サリー、顔色が悪い」
「お前こそ。昨日眠れなかったのか? 」
「足、痛む? 」
サリヴァンはため息交じりに、汚れた食器を手に取った。桶に水を汲んで洗い始める。
「歩くのに支障はないよ。お前のほうが、これから出かける予定なのに……」
「僕は大丈夫。慣れてるよ。サリーだって、昨日までベッドの中だったじゃない」
斜め後ろにあるヒースの口から畳みかけられた言葉に、サリヴァンは不機嫌を隠さずに振り返った。色白の顔が青ざめているように見えるのは、けして食堂の照明のせいではないだろう。
「足は痛い。確かに痛い。二日や三日で治る傷じゃないからな。でも今はお前のほうの話をおれはしたいんだけど?」
頭半分高い少女の顔が、『しまった』という形を取った。
「……なんかあったな?」
『あったか?』ではなく『あったな』と口にする幼馴染に、ヒースは顔を覆う。
「……なんでバレるの」
「長い付き合いだからじゃねえかな」
小さく笑って、サリヴァンは作業に戻ろうと向き直る。
「愚痴なら聴くぞ? 」
軽い調子でそう言ったサリヴァンは、聞こえだした涙声にギョッと目を剥いた。
「ど、どっ、どうし、どうした!?」
転んだ子供のように膝を抱えてうずくまる彼女は、『航海士ヒース』ではなく、『幼馴染のエリ』である。
サリヴァンは慌ててシャツで手を拭い、その肩に手を伸ばす。
自分より上背があって、同世代の少女よりも体格がいい彼女の肩は、掴んでみると驚くほど柔らかい。
ぱっと手を離したサリヴァンは、置き場に困った手を、とりあえず目の前にある頭に乗せた。
つるつると指通りのいい黒髪を何度か撫でて、少し悩んで抱え込む。
震える息が首の付け根あたりに当たったかと思えば、胴に腕が巻き付いた。
ぎゅう、と抱きつかれてしまっては、もうサリヴァンのほうから体を放すわけにはいかない。
彼女は素直なたちだったので、母アイリーンにこうして泣きついている姿を、サリヴァンは何度も見たことがある。
理由は、練習した呪文がうまくいかないだとか、喧嘩に負けただとか、怖い夢を見ただとか、そんなことだ。
笑うことも、泣くことも、怒ることも(あまりなかったが)、幼いころの彼女は我慢しなかった。
泣かなくなったのは、いつからだろう。
愛想笑いを覚えたのは。
我慢できるようになってしまったのは。
(……ちょっと後ろめたいな)
何かに苦しんでいる彼女を前にして、サリヴァンは変わっていないところを見つけて安堵している。頼りにされる喜びと、抱き合っている熱に対する背徳感と、どうでもいいことばかりに気を散らしている申し訳なさと、純粋な心配と……何がそこまで彼女を追い詰めたのかという困惑と。
(まぁ……それ全部ひっくるめた二倍くらい焦ってんだけどさァ! )
できるなら今すぐ泣き止んでほしい。けれど好きなだけ泣かせてやりたい。
午前中のうちにこの宿を発つ予定でいた。
いつこの食堂に人がやってくるか分からない。いざそうなれば、サリヴァンは、絶対に気の利いたことは言えないだろう。
そのとき、ふと、自分の影が目に入った。
顔半分、鼻から上だけ床から生えたジジが、じっとりとした黄色い目を覗かせて、何か言いたげにしている。
手のひらにびっしょりと汗が噴き出した。
(空気読めよ……!)
ジジは無言で、右手で指す。
(何? え? ……後ろ?)
首を回す。ジジは顎まで出てきて、音なく呟いた。
(もっと? もっと後ろ?)
「……お取込み中のところ、まことに申しわけありませ」「どぅわっ!? 」
◇
石畳を蹄鉄が打つ。けたたましい音を立てて進む御者のない馬車を牽くのは、四頭の黒馬である。
自動車が普及しつつある情勢のなか、フェルヴィン皇国では、いまだに馬車が主要な移動手段として重宝されている。
ぎしぎしと天井が軋む。大柄なフェルヴィン人にあわせて背が高い馬車は、遠心力でよく揺れた。
車内では、六人の人間がひしめきあっている。とくに王族兄弟三人は、広い肩幅と膝の置き場に苦心したあげく、小柄な末の弟と二人の魔法使いをたがい違いに配置することで、ようやく全員車内に収まることができていた。
一行が向かっているのは、馬車でも五時間かかる郊外にあるフェルヴィンの空軍基地である。飛べなくなったヒースの飛鯨船にかわるものを調達するには、そこしかないとグウィンは言った。
「……なにせ、この国には民間が所有する機体など無いに等しいものだからね。あっても中古品で、しかも国内での移動に限られる程度の整備しかしないんだ。整備できる技術者がとにかく少ない。『雲海』を超えられる強度と設備がある船は、国外からの貿易船か、軍用の機体くらいだね」
「閉じられた国はこういうときに困ってしまうね」と苦笑するグウィンに、ケヴィンが「そのあたりは、これから改善していきましょう」と眼鏡のレンズを反射させた。車酔いをしているヒューゴは、頬杖をついて窓の外を睨んでいる。
「……しかしまあ、目下の懸念は『審判』でしょう」
ケヴィンが頬をひくひくさせて言った。
「ソウデスネ」
サリヴァンはこめかみをひくひくさせて言った。
食堂に現れたのは、選ばれしもの二十二人のうちのひとり『審判』であった。
身の丈はジジより少し高いか。
目を引くのは、老人のそれのように白い髪。透けるほど薄い布を重ねた服を縛り付けるように嵌められた、金の装飾具。裸足の足。額の金輪。そして、青と金の色違いの両眼。
涙の痕が残るヒースはサリヴァンの胸から顔を上げて、ぽかんとしていた。
扉が開く気配はしなかった。その子供は確かに、とつぜん何もないところに『現れた』のだ。影が伸びて壁に射すように。
「我が名は『審判』」
抑揚のない声で、『審判』は言った。
「第19海層にて、アナタをお待ちしております」
そして音もなくお辞儀をする。
サリヴァンは、『審判』がまとう薄布がふわりと寄越した微かな風を感じた。
気が付けば、『審判』は普通に扉を開け、食堂を出ていった後だった。
「『審判』の考えは、さっぱり読めない」
眉間を揉むケヴィンに、ヒューゴでさえ同意の頷きを返す。
「そもそも『あれ』に考えなど無いのかもしれません。きっとみなさん、分かる感覚だと思うんですが、」
おもむろにヒースが言った。
「ケヴィン殿下。皆さまもご存じのはずです。『職務に忠実』で『存在意義を強調』し『神出鬼没』。魔人じみた特徴ですよ」
「ああ……言われてみれば確かに」
「片目は金眼だったな。『審判』も魔人なのか? 『愚者』と『宇宙』がすでにいるのに? 」
「『ひとつの役目に命を賭す』という点では、魔人は有用ですよ。始祖の魔女は、そう考えたのかもしれない。なるべく失敗がないように」
「それはちょっと違う気がするな。『ボクに言わせれば』だけど」
馬車の壁越しに、先頭を走る黒馬が言った。
「失敗が無いように魔人を起用する? ならボクとミケを選ぶわけがない。マリアとかベルリオズみたいなのを選ぶでしょ」
「そりゃそーだ」
サリヴァンがちょっと笑って呟いた。
「でも、ま、方向性は間違ってないと思うよ。『魔人っぽい』には大いに同意する」
ジジは軽い調子で言った。
「『審判』の無感動さは、かなり魔人のそれっぽいもの。ボクも語り部も、製造者は始祖の魔女だってことは確定してるわけだし、『審判』の現れ方は、さいしょっから頭数に入ってたとしか思えない。ボクはむしろ、アイツが人間だったときのほうが違和感あるな。ってことは、アイツも始祖の魔女謹製の魔人なんだろうさ」
「きみが言うと説得力がある」
「ありがとう陛下。これでも説得は得意分野でね」




