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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
【第7海層】ネツァフ列島群『海洋国家マールセン公国』

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88/226

幕間:とある政略結婚の話(裏)

 

 ブォフォッ!


 シオンの目の前で、赤い飛沫が飛び散った。

 飛び上がったシオンは、それでもしっかりと、椅子の上で体ごと斜めに傾いて、スープの波を回避していた。

 向かいに座る少女の強張った顏が、ニンジンと赤カブのスープを滴らせたまま固まっている。

 目の前に差し出されたナプキンで、無意識に顔を拭きはしたが、見開かれた緑がかった茶色の瞳は大きく動揺に揺れていた。

 いつもの彼女なら、スープを溢しただけで「ああっ! ごめんなさい! 汚れなかった? 大丈夫? 」なんて、大慌てで後始末に取り掛かる。

 そんな彼女が、自分のお下げ髪を命綱のように握りしめてブルブル震えているのだから、これは尋常なことではなかった。


「……どうしたの? 」

「あうあうあうあう……」

「だいじょうぶ? 」


 シオンはまなじりをいっそう下げ、椅子から立ち上がって、その肩を叩いた。

 はっとした彼女は、子犬のように「きゃっ」と跳ね上がると、唇を抑えてがくがく頷く。へたくそな作り笑いが、手のあいだから漏れている。


「あの……うん、だ、だいじょうぶ。うん……」

「そうは見えないよ!? 」

「あ……うん、ちょっと具合が悪いかも……シャ、シャツが汚れちゃったし、寮に戻ろうかな」

 そう言った彼女の逆の方の肩に、手が置かれる。


「そうした方がいい」


「……アイリさん」

 シオンは、背中から覆いかぶさるようにして肩ごしに腕を伸ばしている背の高い上級生を振り返り、何度か瞬きをした。


「ミイ、私が送っていこう」

 彼女……ミリアム・クロワは控えめに頷いて、席を立つ。

 上目遣いに、シオンはアイリ……アイリーンを見た。


「じゃあアイリさん。またあとで」

 アイリーンは、赤茶の瞳を細くしてニタリと笑う。

「ああ」



 ☆



 領地ミネルヴァは、『魔法使いの国』の中心部に近い内陸に位置し、領土の五分の一が湖という水のくにである。山岳で形成された、盆地に水をたたえるウルラ湖には、東の岸辺に巨大な石造りの城を有する。

 群青の屋根、白い漆喰と、赤レンガの壁。

 五芒星のかたちに配置された五つの塔、その中心に鐘楼と大時計を有する『大塔』を有する。


 名を、『ラブリュス魔術学院』。


 国内最大の名門校であり、在籍生徒数は5千人にも上る、大学校である。

 年のころは、下は幼年学校の5歳から。上は上限なく、学びたければ何歳でも。

 在学期間は、一年だけの基礎魔術クラスの生徒から、幼年学校から大学校までの最長20年。


『知恵』を象徴する紫に、黄金の稲妻と交差する白いラブリュス、そして銀色のフクロウが描かれた旗は、この領地ミネルヴァ、ひいては、ラブリュス魔術学院の権威をあらわす絵図である。

 その旗がいたるところにひるがえる城下町、ウルラ湖沿岸は、生徒たちの下宿や、学院関係者たちの店や住居がひしめきあい、広大な学園都市を形成している。


 城内にも、学生寮が併設されており、城下に別邸がない小貴族を始めとした裕福な子息から、下宿することができない貧困層の奨学生まで、身分差なく同居していた。



 シオン、アイリーン、ミイは、寮生仲間である。

 シオンの同室者が一学年下のミイと友人だった関係で、シオンと仲のいい上級生のアイリーンがくっつき、学内でよくつるんでいた。


 長い黒髪に、涼やかな切れ長の目元をしたアイリーン・クロックフォードは、学内でも指折りの『変人』として知られている。


 あだ名は『ラブリュスの女帝』。


 学内でも指折りの才女でありながら、指折りの問題児としても名をはせる、ラブリュスに君臨するカリスマガキ大将は、二つ年下のシオンの、身元引受人の娘という間柄でもある。


 王都アリスで、『銀蛇』という老舗工房を構える老杖職人、ニル翁は、アイリーンの養父で、行き場の無い孤児だったシオンを、この学院へと入学させてくれた大恩人であった。



 ✡



 その日は午後休となっていた。

 城の南東にある寮に帰ると、派手な紫色をした短髪が、階段を上った先の入口の前に立っているのが見えた。


「……ステラ先輩? 」

「やあ! 待ってたよ。『ラブリュスのプリンセス』」

「そのプリンセスってのはやめてくださいよ」


 独特のハスキーな太い声で、ステラはフフフと笑った。182㎝の長身から伸びる長い足を伸ばし、ほんの一歩でシオンの前にまで距離を詰める。ちなみに15歳のシオンは、155㎝である。


「……最近、きみの親友はどう? 」

「取材ですか? 」

 声をひそめるステラに、シオンはぴしゃりと言った。

 ステラは苦笑いして、シルバーの指輪がいくつもついた両手をひらひらさせる。唇の右端と、両耳たぶに七つずつついた金属のピアスは物々しかったが、笑った顔には憎めない愛嬌があった。


 ステラは、自他ともに認める学園一の人気者である。

 古風な校風のため、とても目立つ外見をしているが、教師にもファンが多い人気DJだ。午後の毎日三十分の生放送ラジオを実現するまでの武勇伝は、いまだ生徒の間で語り継がれている。

 放送は始まってから一日も休んだことが無く、偏りがひどいものの、成績も良い。

 ラジオそのままの人柄をした彼女は、ラジオの存続に命をかけている。

 そのため、ときおりこうして特定の生徒に『探り』を入れることがあった。


「……いやね、今日のラジオのお便りが、どうもきみの親友のことのようだったから」

「親友ってどっちのです」

「その様子じゃ、ラジオは聴いてなかったんだね。あ、責めてるわけじゃないよ? 食事時は静かにしたかったり、おしゃべりしたいこともあるだろ? ……そんな目で見るなよ。話を聞きたいのは、ミリアム・クロワのほうだよ」


 シオンは「あっ」と思ったが、顔に出すのは控えた。


「どうやら彼女のお便りと見せかけて、彼女を騙ったものからの投書だったようなんだ。食堂で派手にスープをぶちまけたって聴いたけど、そのあとどうだったのか、知りたくてね。こっちの落ち度だ。傷つけたかもしれない」


 そう言うステラは、いつになく沈んでいた。


「ステラは、真剣にラジオに取り組んでいる。誰かを傷つけるような放送は絶対にしてはいけないんだ」


 シオンは、今度こそ顔に出した。

「……食堂まで一緒でした。ミイは、アイリさんと、先に寮に帰ってるって……」

「中は確認したよ。ミリアムは寮に帰ってない」

「そんなぁ」


 そのとき、寮の扉が開いた。

 茶色の髪に、厚ぼったい眼鏡をかけた少年が顔を出す。片手に携えているのは、いつものように変身魔術の専門書がずっしり入ったカバンだろう。


「あれ? シオン、女帝様といっしょだったんじゃ? 」

「フランク」


 シオンは、もう一人の親友の登場に、ほっと息をついた。

 シオンより頭一つ半も背の高いフランクは、ステラの姿を見止め、穏やかに会釈する。


「やあ、こんばんは。レディ・エコー」

「やあこんばんは。フランク・ライト卿。ミリアムを探してるんだけど知らない? 」

「ミイに何か? 」


 フランクは眼鏡の奥の目を丸くする。

「彼女なら、一度着替えに帰ってきましたけど……すぐ出かけていきましたよ」

 シオンはすかさず尋ねた。「アイリさんは一緒じゃなかった? 」

「帰って来たのは一緒だったかも。でも、一緒に出ていったかは分からないな。今日は午後休で寮に人が少なかったから、目撃者にも期待できないと思うよ」


 おっとりとした外見からは予想できないほど、フランクは淀みなく、ステラが必要としているだろう情報を口にした。

「ミイがどうかしたの? 」


「フランク、今日のラジオ、きみは聴いてた? 」

「ああ、聴いてたよ。あれだろ? 貴族の女の子が婚約者についてってやつ」

「そう、それが―――――」


「あー! 」ステラがとつぜん大きな声で遮った。

 その指は、黄昏に染まりつつある窓の外を指差している。


「おい女帝! 」

 ステラは叫ぶやいなや、窓を開いてそこから身を投げた。

 シオンが窓の外を見ると、上級生用の黒いカラスのようなマントが翼のように広がり、滑空しながら、中庭へと降りていくところだった。

 ステラの、スミレのような紫色の頭が、落下の衝撃も見せずに芝の上に着地し、弾丸のように奔り出す。

 その先には、薄墨に染まりつつある中庭に埋没するように、黒髪を靡かせた人物が静かに歩いていた。


 ステラのタックルでごろごろ地面を転がったアイリーンは、腕を振り上げて「この声でか女め! 何をする! 」とわめいている。


 シオンは深く息を吐き、窓枠から乗り出していた上半身を引いた。

「……さすが、上級生だな。……あれ? フランク? 」


 消えた親友の姿に、シオンは首をかしげた。




 ✡



 空き教室で、ミリアム・クロワは、身を固くしていた。

 目の前に立っているのは、この国の王子さまである。

 しかし、もし彼が一国の王子でなくても、ミリアムはカチコチになっていたに違いなかった。

 なぜならエドワルドは最上級生の25歳で、誰もが憧れる美男子だったからだ。


「これを、きみに」

 エドワルドが差し出したのは、桃色のリボンがかかった白い小箱であった。

 木目が美しい小箱は、オルゴールと言うには平べったい。


「……実はこれを、きみにずっと渡したくて。受け取ってくれないかな……? 」

 少し申し訳なさそうに、エドワルドはプレゼントを差し出した。

 ミリアムは王子と目を合わせないようにうつむいたまま、そっと、プレゼントを手にした。


「ありがとう」

 王子が微笑み、棒立ちになるミリアムを軽く抱きしめてその旋毛に口づける。

 そのまま呆然とするミリアムを置いて、風のように空き教室を出ていった。


 はっと我に返ったミリアムが、手の中の箱を見る。高鳴る心臓を慰めるように胸元に手をあて、深呼吸を繰り返し……。


「……ミイ? 」


 一番聞きたくなかった声に呼ばれ、ミリアムの心臓は再び大きく高鳴った。

 入口から、ゆっくりと窓際まで歩いてくる少年は、ミリアムより頭二つ分も背が高い。

 厚ぼったい眼鏡の奥で、明るい緑色をした垂れ目が、ミリアムをまっすぐ見ていた。


「……ふ、フランク」

「どうしたの? みんな探してたよ」

「な、なんでもないんです。ただ、少し体調が悪くって、休んでて……」


 ミイにはフランクの顔が見られない。胸の内で、(ああ……)と深く落胆の溜息を吐く。耳まで赤くなっているに違いないのだから。


 フランクは、「ふーん」と、頭を掻いたようだった。

「もう夜になるし……寮に帰った方がいいよ」

「は、はい。分かってます」

「……一緒に帰ろうか」


 そう言った彼の顔を、そっと下から覗き見る。

 フランクはもう入口の方へ歩き出していて、眼鏡のつるが引っかかった耳だけがちらりと見えた。


(……ああ。どうして私ったら、もっと……)

 ミリアムは歯噛みする。フランクの二歩後ろを歩きながら、握りしめた小箱の中身を、どうしようと考えた。

 これを渡せば、あのラジオがミリアムのことだと言っているようなものだ。


(どうしよう……)



 フランク・ライトは、振り向く気配が無い。

 ミリアム・クロワは、命綱のように、自分の赤いお下げ髪を握りしめた。



 ―――――さて。

「この二人がどうなったかは、後の物語が証明している」


 アイリーン・クロックフォードはそう呟くと、寮のベットに寝そべりながら、杖を振って明かりを消したのだった。



エドワルド=ロォエン

✡魔法使いの国の皇太子。匿名ちゃんにこっそりチケットを手渡しできてニッコリ。


匿名ちゃん

✡本名をミリアム・クロワ。サマンサ辺境伯領で村娘をしていたが、父の死をきっかけに自身が高貴な血筋の妾腹の娘であることを知る。身バレ防止のためにぼかしたものの、実態はもっと複雑で、とことん出生をぼかしていくスタイルの実父の手により、配下の貴族の養子に入り、そこからサマンサ辺境伯の跡取り息子へと輿入れが決まる。サマンサ辺境伯は、代々王家の影として最も忠誠を誓ってきた御家柄である。腹違いの兄が二人いる。

とつぜん胸に秘めていた自分の悩みが全校に放送暴露されて、夕食のスープを吹いた。


匿名ちゃんの婚約者

✡本名フランク・ライト。サマンサ辺境伯、ライト家長男坊。じいちゃんっ子の田舎育ち。乗馬と箒の早駆けが特技。最近の趣味はハーブの鉢植えの世話。悩みは婚約者とうまく家族になれるかちょっと不安なことと、祖父の腰の具合。温和だが大味。「なんとかなるよ」が口癖。


婚約者のルームメイト

✡東シオン。小さくてかわいい女顔。彼女持ちだけど誰も知らない。普段から同い年のフランクのことを兄のように慕っている。


✡アイリーン・クロックフォード

友達のミリアムの悩みをきいて三秒で、「そうだ。投稿しよう」と思った。

シオンとの身長差がニ十センチくらいあるので、こんどの卒業ダンスパーティーではタキシードを着ようと思っている。


ステラ=アイリス

✡趣味をごり押して毎日三十分の生放送ラジオを実現した。放送は始まってから一日も休んだことが無い。成績に偏りがひどいものの、わりと才女。182センチ69キロの長身。趣味はピアス集め。真面目で古風な校風のため、とても目立つ外見をしているが、人柄はラジオそのままなので友達は多い。

身バレしそうな情報はぼかしたり、過激なコメントはマイルドに伝えたり、エンターテイメントを徹底した姿勢が多くの教師陣にも受け入れられている。

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