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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
終節【星よきいてくれ】

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5 Angel ※2020/3/7 追加投稿。

2020/3/7 追加投稿。タイトルは『アンヘル』と読みます。

(……ああ、暗い)

 アポリュオンは空を仰いだ。

 なぜこんなに暗いのだろう。空はどこだろう。夜はまだ明けないのか。


 太陽を見たのは一度きり。

 生まれたばかりの太陽は、あまりに目映く、美しかった。

 気付けば、光のひとすじが銀色のやじりとなり、その胸を貫いていた。

(我が名は奈落の王アポリュオン。太陽から一番遠いもの)


 怪物にして、天使アポリュオン。生まれたのはむかしむかし、冥界より深く古い場所。

『混沌』から別れた時空蛇が大地や空を生み出したあと、その深い地の底から地上の神々へ、預言を授けるものとして生まれた。

 しょくの夜、地の底から出でて、預言の言葉を口にする異形の女神。

 怪物へと転じたのは、太陽神の弓に射抜かれたその瞬間から。


 星を呑んだ時空蛇は、やがて自らが視た未来に絶望して眠りについた。

 役割を失った古き女神をしいした太陽神は、預言の力を引き継いで新たに君臨する。

 たけつらぬく燃える銀の矢が、その胸を貫いた。


 そのまま冥界より深い奈落へと堕ち、鱗は剥がれ、美しい髪は抜け落ちて、生きながら腐る。異形の姿は深淵に溜まった混沌の泥により、醜い怪物へと転生した。

 かつての女神たるその身には、餓鬼が群がり、許しを乞う。


(この身に夜明けが来ることはない)

 かなしい。さみしい。おそろしい。

 アポリュオンには、その気持ちがよくわかる。

 奈落の底でアポリュオンは、飢えた亡者どもの悲哀を慰め、王となった。救われぬものたちの王となった。


 天は彼女を憐れんだ。

 怪物へと堕ちた。もはや姿は戻らぬ。

 哀れな女神は怪物へと転じても、心を失わず、自ら使命を探し当てた。

 さまよい、嘆くばかりの亡者たちにとって、どんな場所にしろ導くものがいることは、希望であり、幸いなことである。


 天は定めた。

 『混沌の夜』がやってくる。

 地上には嘆きが溢れている。

 人間どもをこらしめよ。

 膨れ上がった財を、溜め込んだ富を、虐げられたものの嘆きを、排されたものの怒りを、その一切を食らい尽くして更地にせよ――――。


「……なぜあの亡者を救った? 」

 笑いを含んで、赤毛の戦士は言った。

 かたわらの巨馬は、穴のような黒い目で地に伏すアポリュオンの羽の残骸を、はなづらで食んでいる。

「ひとたび亡者となれば、哀れむ魂のひとつにすぎない」

「『お前にとっては』だろ? ……困っちまうなぁ。勝手なことされちゃア」

 言いながら、男は喉の奥であざ笑っていた。

「……まア、俺たちゃ最初から神様なんてものの力は借りるつもりは無かったんだ。潮時ってことだなァ」

「貴様……このアポリュオンは奈落の王で――――」


 戦士は大声で嗤った。いっそ快活なほど明るく、しかし瞳の奥に残忍な光を湛えて。


「てめぇも一度、喰われりゃいいさ。愛する臣下の腹ア収まるなんざ、暴食の怪物にゃ、お似合い、お似合い。ははは、はははははは―――――」



 ◇



 冥界に、打ち捨てられた骸があった。

『……むごいことだ。終末の天使を、このように――――』

 丘の上からでも、その巨体はよく見えた。

「……止めないのか? もしくは回収するだとか」

 石の草木が生える地で、アイリーンは寒そうに両手を擦り合わせ、かたわらに立つ翁に問いかける。


『回収してどうする? 今、神であるわしらがそうすると、地上の審判に手を出したとされるだろうよ。ましてやわしは、前科のある神ゆえな。ほほほ』

「知恵の神ならば、知恵を絞って助けてやりゃいいのに」

『そうもいかんさ。これは人間たちの試練じゃからのう』


 まだ腐臭を放つに至っていない、瑞々しい死体だった。

 逞しい背中をさらし、昆虫に似た顔は横を向いてねじ曲がっている。むしり取られた翼のあとが、濡れてテラテラと光っていた。

 その翼は、ぶつぎりになって、岩場のあちこちに破れ傘のように転がっている。


 アイリーンは下唇を噛んで、両手をきつくコートのポケットに押し込んだ。


「どんどん生まれていくぞ」

『ほほほ。辛抱、辛抱』

「……愛弟子があいつらに食われてたりしたら、覚えてろよ」

『あの勢いだ。すぐ終わる』

「…………」


 歌声が聞こえてくる。


 ――――崇め湛えよ。我らがあるじ。

 ――――奈落の王にしてしょくの王。大いなる食事に感謝せよ。

 ――――飽食は我らがつとめ。目玉を捧げ、前菜に指のソテー。脊髄のスープ。森と家畜のサラダ。腸詰の血煮込み。手足のロースト。デザートは脳髄のゼリー寄せ。

 ―――――食らえ、食らえ、食らえ。

 ――――崇め湛えよ。我らがあるじ。

 ――――いなごの王にして神の毒。混沌の蛇のきょうだいよ。

 ――――あらゆる食事は赦された。

 ―――――我らいまこそ飽食に耽るとき。

 ―――――目玉を捧げ、前菜に……。


 無数の蝗たちは、奈落の王の遺骸をみ、飲み込み、謡う。

 腹が満ちたものから翅を広げ、地上へと飛んでいく。


 ――――崇め湛えよ。我らがあるじ。

 ――――奈落の王にしてしょくの王。

 ―――――大いなる食事に感謝せよ。



 預言の女神は、終末の怪物に。

「……そして最後がこれか。なぜお前は『魔術師』に利用されるようなヘマをした? 誇り高き王であったはずなのに」

 〈ほら、もう行きますよ〉と、旅の神が先へとうながす。

 〈最初の王宮はすぐそこです。冥府は広いんですから、さっさと行かないとヨボヨボのお婆さんになりますよ〉

「ああ、分かってる。今行くさ。わたしはわたしの、()()()()()をしないとね……」


 歌声が響いている。

 最後の節は、少し悲しげだった。


 ――――誰も知らない。

 ――――誰も知らない。

 ――――喰い尽くされて、残らない。

 ――――腹の中では文句も言えない。

 ――――食らえ、食らえ、食らってしまえ。

 ――――あらゆる食事は赦される。

 ――――我らの怒りが赦している。

 ――――飢えも渇きも満たされない。

 ――――我らの怒りは尽きること無い。

 ――――最後は皿も飲み込んじまえば、なんにも残らない。

 ――――それがいい。

 ――――それがいい……。



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