5 After Dark
総合900ポイント突破、ありがとうございます。はじめての数字で震えております。
243人もの人のマイページに更新が表示されると思うと、なんだか不思議な気分です。
なお今回タイトルを『タマシイレボリューション』にしようと思ったけど、やめました。
亡者から蘇り、最初に求めたものは鏡と紅で、最初にしたことは、まず化粧だった。
歩き出す前から、美貌を褒められて育った。
すくすくと、天女のごとくと謡われた。見目麗しさを買われ、時の天帝にも御目通り叶ったこともある。
妻がいた。
特別美しいわけでもない、小太りな女だったが、甘く透き通る声をした女だった。
十四と十で、家のために引き合わされた縁だった。
「比翼の鳥となりましょう」と、口先だけで言葉を交わした。
十七のころ瘧鬼(※熱病を司る神)に見初められ、美貌の肌にあばたという影を負った。
妻は、美しい声で笑った。
「これでずいぶん扱いやすい夫になりました」と、笑って、笑って……「よく生きてくださりました」と、言って、閨にひざまずき、男の頭の上で涙をこぼした。
まことに比翼の鳥になった。
二十八のとき戦が起こった。
二十九の夏、息子を二人、立て続けに亡くした。
三十二の冬、五番目の娘が、嫁ぎ先で自害した。婚礼から二月と経っていなかった。
三十五の春。
敵軍の将の捕虜に落ちる。
あばたが醜いと、左の顔に火をかけられる。
翌夏、仲間の手のものにより、這う這うの体で故郷へと戻る。
療養をし、季節を一巡りしても、家に帰る許しが出ない。
妻からの文に、想いがつのる。
最後の文には、束ねた七人分の髪と、妻の紅が入っていた。
「疫と魔と避けましょう」と、妻の柔らかな手が、おのれの目元に紅を差す。
閉じた目蓋の裏、忘れられぬことが多すぎる。
帰りついた屋敷の焼け跡には、家なき者たちが居付いていた。
乾いて晴れた青い空。
その下にただよう腐臭。
河原に並んだおびただしい磔の中から、妻の襦袢の色を探してさまよう、幽鬼のような我が身の足。土の色。
乾き、縮んで痩せた妻の尖った爪の形。目蓋から溶け出した目玉。空洞の暗さ。
そこに群がる卑しい虫や鳥獣どもの血の色。
その美貌は天女のごとくと謡われた。
あばたのうえに火傷を負い、左の視界と妻子供を失ってからは、戦場を駆ける姿、鬼神のごとくと謡われた。
八十二まで生きた。
―――――人生の大半を費やし、憤怒と復讐を誰より親しい朋とした。
この四人の亡者たちは、無垢なる怒りによって集い、繋がっている。
その核を、人類でいちばん最初に『怒り』を知った人物に託すというのは、男にとって非常におもしろみを感じる試みであった。
生前でもこんなに楽しいことは無かった。
『魔術師』が……いや、星の娘が、冥王の宝物庫から盗み出した『黄金の人の遺灰』は、豪奢なつくりの陶器の小瓶に収められていた。
卵のような純白に、入れられた墨は瑠璃。柄を縁取る金銀と金剛石。
宝石をあしらった蓋は、冥界の炎で溶かした金泥で、厳重に封印されている。
懐にしまいこみながら男が思ったのは、「こんなものか」という感想だった。
神の宝物庫にこめられた小瓶は、たしかに美しかったが、生前いくらでも見たものとそん色なかったからだ。
星の娘は「そんなものですよ。見た目に騙されてはいけません」と言って笑った。
若い娘のくせに、やけに枯れた声をした娘である。低い声色は、酒焼けした老婆のようだった。
仕込みは完璧といえた。
材料となるのは、『混沌の泥』を含む語り部の『銅板』。その主人である人間の持つ『怒り』。
『混沌の泥』によって、炎になって吹き出した怒り。そこに、『遺灰』を注いで、『黄金の人』を復活させる。
そうして顕れる『黄金の人』が、優れた指導者であっても、腰抜けの原始人であっても、どちらでも良かった。
ただ期待しているのは、『黄金の人』の持つであろう『怒り』である。
その『怒り』が、この世界全てを焼き尽くすことを、男とその仲間たちは心から期待していた。
◇
哂う。
この世をあざ笑う。
小瓶が割れ、『花』に注がれる。
この世界を焼き尽くす、最初の種火とならん。
―――――アァ、なんて素晴らしい!
◇
サリヴァンは、杖職人としての日々で、鍛冶神の炎で炙られて視力が落ちた。
鍛冶神は、隻眼と弱視と不具の足で知られる神である。その加護を得るということは、その欠陥のどれかを貰い受けるということでもある。
(足でなくて良かった)
心底そう思う。
目の悪い魔術師は、『視えないものを視る眼』—————神秘を見る眼が発達しやすい。足よりも目の方が、リターンがあるだけマシだった。
今は、ふつうに視えるものなど役に立たない。
役に立つのは、『視えないものが視える眼』のほうだ。
サリヴァンは飛鯨船から飛び出した。
体温が上がっているので、素肌に張り付く『銀蛇』があたる部分だけが冷たい。
後ろ首の突き出た背骨から二又に分かれ、肩甲骨を沿うように肩の裏を巻き、手首まで伸びている。いつでも一息で取り出せる位置だ。
眼鏡を外しているので、視界はぼやけて、ゆっくりと流れていく。それでも、優れた魔術師には、目で見えるもの以上のものが、見えることがあった。
(……空気が淀んでいる。まさか話に聞く瘴気とかいうやつか? )
赤黒いヴェールが、幾筋も『花』から不気味に伸びて、手招くように揺れている。
飛鯨船には、入念に『隠遁』の術をかけてある。船体に直接描いているので、そうそう破られることはない。
『準備を怠ったものから死ぬのよ』
師の言葉を噛み締めていた。
現状、できる以上の準備はできていたと自負できる。作戦も、あれこれと予想外の事態があったわりに、なんとか形を保ってはいる。
けれどそれが、次の瞬間には破綻するかもれない。
目の前で『花』が八分咲きになろうとしていた。
……ほんの十五分前までは、六分咲きだったというのに!
『焦りは敵だ』
(――――ああそうだろうとも! 知ってるよ! )
拳にした腕を後ろに引く。引き絞られた背筋が、骨の内側に音を立てて電流のように熱が奔った。握りしめた手の中に、魔力で編まれた粒が集まって長剣をつくる。
「―――――鍛冶神よ! 我が身に焔と大いなる鉄と、槌の加護を! 」
馴染みの神ならば、この短い文言でも聞き届けてくれる。
祈りの言葉を捧げながら、腰に下げた十一年分の魔力の塊に火をつける。
真紅の炎の指が、むしり取るように髪束を呑み込み、灰が黒く曇天の空へと見えなくなった。
サリヴァンを包み込むように広がる炎のかたちは、大きな両の手のひらのようにも、翼のようにも見える。
六芒星に絡めとられた卵に向かって杖先を指し、呪文を叫ぶ。
「”願いは彼方で燃え尽きた”—————」
叫びながら、脳裏に『すべてをなんとかする方法』が閃いた。
「―――——ッ! ”やがてっ! この足が、止まること”! 」
(たのむ、これが最後だ! 『ジジ』———-ッ! )
『任せて』
ぼやけた視界の中で、霧散した卵の霞が、そう囁いて遠ざかる。
弱りつつある視力が、遠ざかっていくその身体に宿る魂に、黄金色の煌めきを見せている。
自分の色は、鍛冶神の加護の赤だ。飛鯨船には、紺碧の光が三つ。
そして霧に包まれた中に、澄んだ青天のような蒼い光が一つ――――。
唐突に、その『蒼』が大きく弾けた。
サリヴァンの目には、『蒼』に重なる『白金』が視えている。『蒼』を補うように身を寄せる『白金』は、ジジであってジジではなかった。
語り部の加護が、欠けたアルヴィンの魂を補っていく。
次の瞬間には、強く吹き付ける風と空気の熱が体に戻って来た。
風が渦を巻いている。
地上の冷たい風と、天空にわだかまる熱風とが、空の雲を掻き回している。
渦の中心はあの『花』だ。雲を呑み込み、何かが始まろうとしている。
ぞくぞくと肌が粟立った。
花の直下で、蜃気楼を纏ってゆらめく王城は、焼けた鉄のように赤く照らされている。
その周囲は、頬を流れる汗を一瞬にして白く変えるほどの熱気があった。
塩で肌がざらつくだけに留まっているのは、加護があるからであろう。
―――――祈りを重ね、先へ。
尖塔の間際まで近づき、サリヴァンは手をヒサシにして見上げる。『花』は徐々に、赤ではなく、さらなる熱を放つ、目に痛いほどの白へと染まっていく。
周囲は明るく照らし出され、首都ミルグースを……『黄昏の国』と呼ばれるフェルヴィンを……白々とした昼間の景色へと照らし出す。
曇天の空はすでになく、明るい群青の空に、とりどり粒ぞろいの星々が転がっていた。
右に剣を掲げる。
反らした首筋に清涼な風が当たり、目を向けなくても、そこに立つ者が誰か分かった。
炎の鎧は白金に輝いている。
「……皇子。呪文を言うには、声がいる」
青い炎が不思議そうに傾く。
「魔法使いが魔人を使うとき、呪文が必要なんだ。それの一番短い呪文は、魔人の『名前』だ。これは魔人自身への強制力はない。次に、もっと大きな仕事を任せるときには、ソイツ自身を構成している、長い方の『呪文』がいる。ソイツ自身の魂でもある『呪文』だ。
今、おれには、あの『花』をどうにかしようっていう策がある。
でもそれは、おれじゃなくて、あなたの言葉が必要なんだ。
アルヴィン・アトラス。『ミケ』にもう一度会えると言ったら、おれに協力してくれるか? 」
あと二話です。




