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ジジはポケットから筒状の箱を取り出して、導火線に火をつけて後ろ手に放った。
転々と、しばらく坂を転がった筒は、破裂音と共に空に向かって小さな赤い火玉を打ち上げる。
「……仕方ないなぁ。今回限りだよ」
ジジは誰かに言い聞かせるように独り言を言うと、ため息をついて帽子を取った。
重ねがけした『知恵』が、『魔術師』にその人物を表わす単語を教える。
「……あなたが、『愚者』? 」
ジジは視線も向けなかった。ジジのコートの裾がゆらめき、黒い靄になって『魔術師』をくるみ、ミイラのようにきつく拘束する。
ジジはアルヴィンのほうに顔を向けた。
「皇子サマ、これがわかる? 」
アルヴィンはびくりとつま先立ちになった。心臓の青い炎が、一回り大きくなる。
ジジは地面に接着された『魔術師』の身体から軽やかに降りて、たじろぐアルヴィンに歩み寄る。
「ほら。あんたのだ」
まだ真新しい表面が、アルヴィンの炎に照らされて、金粉をまぶしたエメラルドグリーンに輝く。銅板の欠片は、ジジの手のひらの上で、待ち望むかのように熱を持っていた。
「受け取りなよ」
青い炎が小さくなる。
差し出されても、アルヴィンには受け取る手が無い。
「これは、キミの語り部の左手だ」
銅板の断面と同じ色をした瞳が、アルヴィンを見る。
「―――――この手は、ずっとキミを待ってる」
ゆっくりと、アルヴィンの足が前へ進んだ。
強い風が吹く。頭の上に楕円の影がかかる。
近付く飛鯨船から、ケヴィンが身を乗り出して叫んでいる。
「―――――ゥヴィン! アルヴィン! 」
青い火影が、ついにジジの顎にまで届きそうなところまで近づいていく。
その青い炎を手で囲み、ジジは祈るように目を閉じた。
姿は霞むように揺らめいていく。
乾いた地面をこするほど長い黒髪がほどけ、アルヴィンの炎に煽られたようになびいて……―――――。
―――――夢のような瞬間だった。
伏せられた睫毛の上で下がった眉。
微笑みの漏れた唇が言う。
「『アルヴィン様……』」
(……ああ、こんな顔をしていた)
「『……言ったでしょう? だってミケは、』」
(そう、こんな声をしていた……)
「『—————アルヴィン様のことが、世界でいちばん大好きなんですから! 』」
『銅板』が赤く熱を持った。
『ミケ』と、その名を口にすることもできないままに叫ぶ。
炎が弾ける。魂すら燃やす叡智の炎が、アルヴィンを飲み込んだ。
その手が、地面に落ちる前の銅板の欠片を拾って、今度こそしっかりと握りしめる。
「僕もだよ。ミケ――――――」
◇
《 ピッ 条件を達成しました 》
《 システムの解凍を進めます 》
《 93%……94%…… 》
◇
「オイ! 何があった!? アルは無事か!? 」
「危ないぞケヴィン! 中に入れ! 」
巻き上がる熱風に、眼鏡が白く曇っている。
ケヴィン・アトラスは呆けたように、その赤と青の奔流が空に立ち昇るのを見つめていた。
今のケヴィンにとって、周囲は無音に等しい。ぐっさりと、心臓に温かな刃を突き立てられたような気分だった。
痛みはあるのに、不思議と、ケヴィンの精神はそれを受け入れようとしている。
理屈ではない。
魂が、この光景を受け入れている。
「ああ…………僕らの弟は……生まれ直すのか」
グウィンが操縦する飛鯨船は、やや離れたわずかな平地部分に着陸した。
ハッチにいたケヴィンを押しのけるようにしてヒューゴがまず飛び出し、収まりつつある光の柱へと、坂を駆け降りていく。
「アルー! 」
最初に見えたのは、逆光でより黒衣の影が増したジジの後ろ姿だった。白い顔が首を回し、振り向いて片手を振り上げる。
ヒューゴが、ケヴィンが、グウィンがその場に到着したとき、光は収束を迎えたところだった。
カチャリと、赤銅色をした鎧のプレートが鳴る。
流れる水のような意匠の施された鎧だった。
少年の形にぴったりと沿った鎧は、関節や、首のあたりから、青い光が漏れている。鎧そのものも、炎を編んで創ったかのように時おり陽炎のように揺らめいた。
頭は無い。
揺れる青い火玉が、兄たちのほうを見た。
言葉も無く視線が交わされる。
アルヴィンは腰を折り、微笑んだ―――――ように、兄たちには見えた。
(……行くね。兄さん)
アルヴィンは軽く地面を蹴って、赤黒い空へと舞い上がる。
生まれ故郷を眼下に望み、ぐるりと視線を巡らせると、城へと頭を向けた。
その空へ張り付く真紅の花は、アルヴィン自身の怒りを種火に、ここまで育ったものだ。
―――――キィィイイイイン、と、炎の鎧が清涼な音を立てる。
あの真紅の花が、アルヴィンの『怒り』を種火にしたのなら―――――この『鎧』のもとになったのは、まぎれもなくアルヴィンが抱いた『希望』そのものだった。
ミケから手渡された『希望』が、アルヴィンに手足を与えている。
かつて、アルヴィンは怒りを持つことを恐れた。
理不尽なものには、感情に蓋をして耐えることを選んだ。
その結果がこれならば。
(……僕がやらなくちゃいけないんだよね。ミケ……)
拳を握る。
この拳は、語り部の手だ。何かを記すこともできれば、『花』を殴りにいくこともできる。
……こんなとき、物語の中の英雄なら、迷わず『花』を壊しにいくのだろうか。
(いいや、『物語の中』なんて、もう関係ないんだ。……僕がやらなくちゃ)
陽炎が揺らめく。
火花が散る。
(これは、僕の結末なんだから)
夜明けが近い。




