5 賢者の見解
◇
霧の中での儀式のとき、呪文を唱えるサリヴァンのもとを訪ねた亡者がいた。
『……もし、あなた。コネリウスの血を引くあなた……』
冥界の炎が宿る冷たい指が、剥き出しになった首元のあたりに控えめに触れる。
思わず体を跳ね上げたサリヴァンに、『しっ! 』と唇の前に指を立てたユリア皇女は、サリヴァンを見下ろして(フェルヴィン人として小柄な彼女でも、頭一つ分は背が高かった)、霧の中で見失わない程度に距離を取った。
『呪文を続けなさい……そう、返事は不要です。高祖母としての義務を果たしてあげる。……よくお聞き』
サリヴァンは二度頷いた。
『冥界へ向かったジーン・アトラスは、あの女の手のものに捕らえられました。役目を終えたジーンを連れ、すでに旅立ったのです。……いいえ、質問はだめ。
そしてもう一つ。ジーン・アトラスを捕まえたのは、アポリュオンです。あの醜いトカゲ虫は、寄生虫に侵されている。————呪文を続けて! 』
サリヴァンはあやうく止まりそうになった言葉に、次の言葉を繋げた。こんな重要な話を聞きつつ、語彙を駆使して神々を賛美することを両立するというのも、なかなか無いピンチである。
『……奈落の王アポリュオンは、亡者の魂に侵されている。もはやあやつは、その亡者の傀儡です。……いいですか、サリヴァン。この儀式は、冥界の穴を城ではなく、この場所へ繋げようというもの。とうぜん、アルヴィンの魂だけでなく、アポリュオンという神に連なる怪物も、冥界からここへと出てくるでしょう。それに奇襲をしかけるという作戦。……そうですね? ええ、今のわたくしは真実の意味でのメッセンジャー。冥界の神に命じられてここにいます。
いいことサリヴァン。あともう一つ。これが一番重要なこと。
『魔術師』は、アルヴィンの体をただの生贄で終わらせるつもりはない。
なぜって?
『魔術師』が『死者の王』を名乗っているからです。
あの女は、アルヴィンの体を使って『死者の王』を蘇らせようとしている。この有様は、そのための前準備段階にすぎません。
冥界の蔵から盗み出されたのは、『黄金の子』の遺灰。『死者の王』とは、最初の死者のこと。『黄金の子』のことです。
彼らを率いる頭目は、いまだ蘇っておりません。彼らは一つの目的をもって動いていますが、その目的は、『この儀式を壊せば叶わない』のです。
そして、これは命じられたことではなく、わたくしの勘。
『魔術師』の恋は、叶わぬほうがいい恋です』
きっぱりと、ユリア皇女は言い切った。彼女の感情の機微に従い、体から溢れた青い火花が彼女の瞳や髪から散る。
『故郷にはそれなりに愛着がありますのよ。恋にうつつを抜かしても、皇女としての責務を忘れたことは生憎とございませんもの。わたくしの恋は必要な恋だった。後悔はいたしません。フェルヴィンという国は栄え、あなたという子孫もいる。わたくしは確かに多くを殺してまいりましたが、その死体を無駄にもしなかった。あやつにはそんな『理由』はない。狂えるだけ恋に狂い、その道すがらに無辜の民を殺すでしょう。コネリウス・サリヴァン。……わたくしの子孫ならば、この怒れる高祖母に変わって、不埒者に天誅を下しなさい』
『命令よ』と慣れた口調で言い放ち、偉大な先祖が霧の中に消えるのを、サリヴァンはしっかりと見ていた。
◇
霧の中でのことに重ねて、サリヴァンは見解を続けた。
「城下で暴れていたアルヴィン皇子の動きは、陛下たちが口にするような、大人しい深窓の子息という印象ではありませんでした」
子息に『深窓』と使うのもおかしな話だが、アルヴィン皇子ならば、ふさわしい例えだろう。
サリヴァンは、アトラス王家の体格を脳裏に浮かべた。
レイバーン、グウィン、ヴェロニカ、ケヴィン、ヒューゴ……。ついでに、曾祖父であるコネリウスも組み込んだ。アルヴィンだけは、あの『炎の怪物』の姿しかサリヴァンは知らない。
フェルヴィン人の体格は、基本的にあちこちが大きい。これにつきる。
手足が長く、骨も太い。そこにぶ厚い筋肉が乗っている。しかし腰回りなどはくびれていて、『重くてのろま』な印象を感じない。あくまでもしなやかだ。
曾祖父コネリウスもまた、老齢であっても、背中が厚く盛り上がっている。見栄えのする姿である。
格闘技、とくに、レスリングのような寝技を駆使する戦い方ならば、あの太くしなやかで長い身体は、非常に有利であるはずだと、サリヴァンは考えていた。
実際、間近で見たヴェロニカ皇女の戦い方は、足を払うことが髄所に組み込まれた動きだった。
すり足で距離を取り、一気に間合いを詰めて手を下す。転ばせて、その肉盾で圧し潰す。または、手刀で急所を突く。
レスリングというより、レスリングのベースになった甲冑術のような動き。ヴェロニカ皇女にとっての格闘技が、非常に実践的な護身術の意味を帯びているからだろう。
対して、アルヴィン皇子は。
奇しくもそれは、ジーンが指摘したことと同じであった。
「アルヴィン皇子の動きは、どちらかといえば、おれに近いものでした。つまり、剣の型があった。攻撃を受けた時に反射的にしていた次の動きを意識した体勢や、攻撃のあとにできる、剣筋を読むために引く間合いを計る癖。そう思ったら納得できます。
よくよく見れば、利き手側をよく体の前にして構えていたようにも思います。左手は、体の軸を取るのに後ろへ引いていたし、踏み出す時に腰を大きく使ってた。体幹を意識して動くのは、訓練しないと」
「ああいうのは、一度習得すると意識しないと隠せるものじゃあない。体に浸み込んで離れないからね」
グウィンが操縦席から言った。
アルヴィンをよく知るグウィンがあの戦い方を見ていれば、サリヴァンよりもっと早く気が付いただろう。
「先ほどのことで、皇子の『中』にいるのはアポリュオン……の中にいる亡者だと、ほぼ確定して良いかと」
「そうだな。剣術家の亡者か……『魔術師』のようなものが、他にもいるということだね」
「『魔術師』単独の犯行だと、思わせておきたかったのかもしれません」
「……だとしたら、おれたち全員がこうして生き延びているのも、あちらの作戦のうちなのかもしれない」
「こう考えることもできます。『魔術師』以外は、見る者が見れば身元が分かりやすい人物だから、隠さずにはいられなかった、と」
「どちらも、という可能性もあるな」
「じゃ、最初から目的は、アルヴィンの体だったってことか? 」
「ヒューゴ、変な言い方をするなよ」
「だって実際そうだろ? 」
「正確には、『銅板で蘇ったアルヴィンの体』だな」
「そうですね。おそらく銅板を手に入れるほうがメインでしょう」
「じゃあ……銅板を手に入れるためだけに、こんな……一つの国を亡ぼすような手段を取ったのか」
「…………」
言って、グウィンは大きくため息をついた。ケヴィンは額を抑え、ヒューゴは口元をひくつかせて腕を固く組む。
サリヴァンもまた、天井を仰いで、しばし黙り込んだ。
「……狂ってる」
グウィンが、らしからぬ声色で吐き捨てた。
「……作戦はそのまま変わりません。アルヴィン殿下の体を、あの『花』から引き剥がす」
サリヴァンは、一人一人を視界に入れながら言った。グウィンも軽く首をまわし、視線を交わして頷き合う。
この作戦の要は、飛鯨船を操縦できるグウィンと、魔法が使えるサリヴァンだ。グウィンは『魔の海』を超えるほどの腕ではないが、それでも、西へ東へと空を行く機動力はじゅうぶん武器になる。
「でもきみの魔人は……ジジは大丈夫なのか? 」
ケヴィンが窓の外をちらりと見て言った。
「そのあたりは、おれが微調整します。あいつもおれも、こうなることは想定の範疇でした。ジジのあの能力は……」
サリヴァンは少し言葉を切った。「……あいつの力は、強力すぎて、あたりに被害が出る可能性もあった。ベストな使いどころでした。ジジも安心しているでしょう」
「でも、彼がいないことには始まらない」
「そこは何とかします。遅いか早いかの違いですから、対処は考えてある。あいつの主人として、もっと悪い場合の対処法も、何度も考えてきました。うまくいきます」
「……必ず」サリヴァンは最後に、そう付け足した。
今月中には、第一部完結予定です。




