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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
終節【星よきいてくれ】

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5 降霊術

 


 束ねた髪の先を握り、ぴんと張ったそこに刃を当てた。ジャリッという感触とともに、乾燥パスタ一人ぶんほどの髪束が落ちたが、サリヴァンは顔をしかめてナイフを置く。

「……これ、けっこう頭皮が痛いな」

「だからそう言ったじゃん。大人しくたち切り鋏でジャキッとしちゃえば良かったんだ。神様も供物になる髪を何で切ったかなんて気にしやしないよ」

「……フェルヴィン製の鋏ならいっか」

 すかさず、椅子に逆向きに座ったジジが、帆布を切るための大きな鋏を差し出す。


「片手じゃ無理だ。お前がジャキッとやってくれ。結び目の間を切るんだぞ。あと、なるべく一本も落とさないように。十一年溜め込んだ魔力だ」

「分かってるし、こんなにギトギトに油を塗ってあったら落ちません」

「頼むぞ」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ちょっと失敗してもキミは十分男前だから」

「ほんとに頼むぞ! 」

「まかせて。ボクの器用さは折紙付き……あ」

「あって何だよ!? 」


 ふと、閉じていた扉が蝶番ちょうつがいの悲鳴を上げながら、ひとりでに開いた。条件反射のように立ち上がった二人は、そう広くもない寄り合い場を見渡す。

 ジジがそっと扉を閉めた。

 扉の外は風一つ無く凪いでいて、濃い霧がみっしりと世界を白く染めている。


「……ただの風か? 」

 そう呟いたサリヴァンの言葉尻には、まだ疑念が滲んでいた。



 ◇



 切った髪は、火口ほくちにするのと同じ手順で、油を塗り込んだ上から蝋で固め、一本のロープのようにして、ベルトに挟み込んだ。

 何度か素振りをし、袖口から『銀蛇』が淀みない動きで顕れるまでの動作を確認する。

 両刃の短剣から始まり―――――片刃、片刃の長剣、両刃の長剣、錐のように細い刺突剣、厚い刃の双手剣、短槍、長槍……さらには死神の大鎌のようなものまで。

 霧を裂くように、刃の軌跡が生んだ白い線が、閃いて輝いた。


 襟から湯気が立つほどに体を温め、首筋をざらりと撫で、頭が軽いことに気が付く。

 軽く首を振ると、耳に差し込んだピアスが、チリチリと澄んだ音を立てた。

 霧の向こうに向ける瞳のくろが強い。

 白く吐き出された吐息に、腹の内で燃えるものが込められている。

 すべてを閉ざして、瞼を閉じる。

 それは短い黙祷だった。


 夜明け前。


 埠頭に拵えたのは、白いクロスをテーブルにかけただけの簡易的な祭壇だった。そこに、潮風で錆びかけた燭台を置き、花を飾り、わずかな宝石と、皿に山盛りにした塩を置く。擦り切れた石畳には、貝殻を使った鳴子をしきつめた。

 サリヴァンは『銀蛇』ではなく、石を割ってつくった剣を手に取った。蘇芳色の刃が篝火にぬるりと赤く輝き、熱せられた鉄に似た光沢をみせている。


 サリヴァンは極めて伝統的な手法を模倣して、祭壇の前に立つ。

 皇子たちもまた、サリヴァンの二歩後ろに立ち、祭壇の前に拝している。


 サリヴァンは、今度は吐息の色さえ殺してみせながら、瞼を閉じた。

 霧に遮られ太陽はまだ遠いようであるが、海の端には、もう太陽が手をかけているだろう。その光が届くのがずいぶん遅いというだけのことだ。


 太陽も、月も、星も無い。

 それは今から儀式を行う魔術師にとって、「水が無いままパンを焼け」というようなものだった。

 ならば、水のかわりに別のものの力を借りるしかない。


そら支えし偉大なる祖神の姉妹たち、波のニンフの娘たち。アトランティデスよ、血族に加護を与えたまえ……」

 塩を掴んで、ざらりと祭壇に広げる。何かを描くような手が、ナイフに触れて血を流した。白い塩粒を染めるように踊る手指の先にある顔は、文字通り傷口に塩を擦りこむことに苦痛を感じていない。

 祭壇に、血と塩の粒でなる図が描かれる。


 『円』は『囲い』。二重ふたえの円となれば、それは『調和』を司る。

 『三角形』は『循環』。それを二枚重ねた六芒星は、『循環』に加えて『浄化』も司る。

 六芒星の中に描きこむ一文字一文字にも意味がある。それらを組み合わせ、魔術師は『あちら』へと語りかける。


 ジジは、祭壇の向こう側に立っていた。

 海を背に、尖った銅板の欠片を握って、その断面を肌に食い込ませた。


「オルクスのしもべ……————ヤヌスの許しを……—————トリウィアの導きを……—————」

 けして大きな声ではない。しかし、聞こえない距離でもない。

 サリヴァンのくぐもった声は、霧中に取り残されるように遠ざかる。海を背にするジジは、ミルクのような闇の先、霧のうねりで瞬いて見える赤黒い光を見つめた。


 唐突に、強く、生温なまぬるい海風が霧をさらう。

 空の向こうで、鳥に似た甲高い音がした。

 サリヴァンは、まだ絶え間なく呪文を呟いている。塩が傷口に融けだし、傷を苛む。血で汚れたクロス、赤く染まった結晶、今にも風に攫われそうな篝火から伸びる細い煙―――――それらが白い暗闇の中に、ぽっかりと漂流している。

 ジジは、なおも強く銅板を握った。その瞳は見開かれ、闇に孤立しながらも、微動だにせずすべてを見届けていく。

 魔人の鋭敏な耳が、霧の向こうから鳴子を避けてやってくる足音をとらえる。


 霧に滲んだのは、か細く、薄い『青』だった。

 たどたどしいほどに躊躇いのある足取りとともに、ぽっかりと『青』が、霧を掻き分けてやってくる。


 サリヴァン以外の目が、その存在に気が付いた。


 冥界の青い炎は、親指ほどしか無い。

 ああ……と、最初にか細く声を上げたのは誰だったのだろう。それきり、誰も声を漏らしたりはしなかった。


 ほんの少しの間だった。

 彼は、霧の奥に、まっすぐ見つめ返してくる兄の姿に動揺したに違いない。


「……アルヴィン? 」

 カラ――――ン……。

 後ずさるかかとに蹴られて、貝殻の鳴子がひとつ転がった。


「アルヴィン! 」

「アル! 戻ってこい! 」


 カラ、コロ、カラコロカラカラカラ…………——————。鳴子の音が遠ざかって、青い炎も霧の向こうに消えていく。

 白い闇が再び祭壇をのみ込み始め、吹き荒れた海風が凪いだ。

 燭台で、溶けきった蝋燭の軸が、糸杉のように細く伸びて消える。



 彼らに見えたのは親指ほどの青い炎。—————そして、石畳の上でたたずむ裸の足首が一揃い。

 右足は脛の半ばまで、左は、踵すらなかった。

 心臓の位置に燃えていた青い炎が、網膜に焼き付いてチカチカと目が眩む。


 白いヴェールの向こうを見つめる三対の目は、それぞれに揺れていた。



「まだ終わってないぞ」

 魔人が笑いながら言った。



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