5 シリウス①
タイトルイメージ元→ いろんな『シリウス』って曲。
ここから交互に、アルヴィンサイドとサリヴァンサイドを描いてエンディングまで行きます。
赤黒い空には、鳥一匹も飛んではいなかった。気温は湿気を含んでやや肌寒く、低い場所にうっすら霧がかかっている。
サリヴァンは、手頃な石で道の横に聳える崖の土を掘り、湿った粘土質のそれを、石と一緒に袋へ入れた。
「何をしているんだ? 」
先を行くヒューゴが尋ねる。
「あとで使うかもしれないので」
サリヴァンは駆け足でアトラスの兄弟が歩く場所まで戻ると、土に塗れた手を叩いて落とす。
ポケットから携帯食料を取り出し、齧りながら歩く。二人にも勧めたが、兄弟は三人とも、遠慮して食べなかった。
◇
サリヴァン、グウィン、ヒューゴの三人は、城下町の街道で港へ向かうケヴィンと別れ、マリア以外の語り部たちを連れて城へと向かった。
「二人とも、ほんとうに腹は減ってないんですか? 」
「ああ。不思議とな。緊張しているからかもしれない」
「そうだな。こりゃ後で死ぬほど減るぞ」
兄に向ってヒューゴはそう言ってカラカラと笑ったが、サリヴァンの顔は晴れなかった。ヒューゴも笑顔を収める。
「どうした? 」
「ちょっと嫌な予感がします。……いえ、対処法は分かってるんですが、少しまずいことになったかもしれません。確かめる時間を、三十分だけください」
ダッチェスの金色の目が、値踏みするように、下からサリヴァンを見つめた。
不安そうな二人を連れ、サリヴァンが城下町から山肌が触れる場所まで戻った。山沿いに歩けば、そのまま城壁のすそにつくという適当な場所だ。
「ここに何かあったか? 」
あたりを見渡してグウィンが尋ねた。
「土があります。それで十分なんで」
サリヴァンは土の上に腰を下ろすと、準備を始めた。
左耳に下がった黒い雫型のピアスを確かめるように片手で少し触れながら、ポケットから石と土を入れた袋を取り出し、銀杖を指先ほどの刃がついた剃刀にして握ると、ピアスをいじっていた手で自分の後ろ頭を探った。
後ろ頭で一本に縛って垂れ下がる髪の中から、特に長いところの束を小指ほどの太さだけ切り取り、右の指にぐるぐる巻く。
その髪を切る様子を見て、グウィンとヒューゴは、サリヴァンの束ねた髪がざんばらの長さになっている理由を察した。
手慣れた仕草だったが、サリヴァンの表情は固い。
「これからやるのは、いわゆる交霊術です。占いみたいなもんですね。本当は失せもの探しや、死者からの証言を取るためにする術なんですけど。
先に言っておきます。俺は、こういう『魔術』は苦手なんです」
「魔術にも個人差があるのか? 」
サリヴァンは頷いて、鼻に皺を寄せた。
「魔術は学問の一面がありますから、そりゃ個人で得意不得意の分野があります。俺は本当に、こうした深くて繊細な手間を求められる魔法は得意じゃあない。成功した試しが無いんです。
でも今回の場合は、成功のきざしがある。
ここが冥界に最も近いフェルヴィンで、しかも冥界の扉そのものが開いたこと、俺にひい爺さんの血が流れていること、一緒に陛下たちがいること。
こうした条件が、俺の適正よりも成功に傾くかもしれない。土地が味方をしてくれるかもしれません」
「じゃあやってくれ。それで、何を確かめるつもりなんだ? 」
円座になるように、ヒューゴとグウィンも土の上にあぐらをかいた。
「…………」
グウィンの後ろで見守る姿勢のダッチェスの視線を気にしながら、サリヴァンは苦い唾を飲んで口を開く。
「冥界神の真意を尋ねたいと思います」
「冥界神の真意……? それを急いで確かめる理由が何かあるのか」
「気づいたんです。殿下たちは、いつから食事をとっていないんです? 最後に肉や、肉を加工したものを食べたのはいつですか? 」
グウィンとヒューゴは顔を見合わせた。二人が口を開くより先に、語り部が答える。
「グウィン様は八日間、ヒューゴ様は六日以上、水も食事も口にしておりません」
「最後に食事をしたのもそれくらい前ですね。口にされたのは、穀物粥だったかと思います。肉類は十日以上口にされていません。たぶん、ケヴィン殿下もそうだと思います」
「陛下。皇子。おれは二人に会ってから、少なくとも三回は、この携帯食を勧めました。……この意味、わかりますよね? 」
兄弟はぽかんと語り部たちを見た。
「……嘘だろ? 」
冷や汗を垂らして苦笑いする弟の右隣りで、兄の方はこぶしで口を押えて考え込んでいる。
二人の不安を断ち切るように、サリヴァンは大きな声を出した。
「ああ、大丈夫ですから! 二人はちゃんと生きてますって。ただ……少し、食事の手間がいらない体になっているだけです。そこで、この儀式なんです」
サリヴァンは身振りも交えて説明した。
「『最後の審判』とは、神々の試練です。選ばれし22人が天上の神の庭まで辿り着くことが試練だといいますが、おれは、『試練』がそれだけだとは思いません。今は飛鯨船がありますしね。
この国の状態がそれを表しています。
人々が石になる『石の試練』。これは、第三の世代である『銅の人類』が滅びのときに起こった災いの一つです。そうですね」
皇子たちは緩慢に、語り部たちはうんうんと何度も頷いた。
「おそらく神々は、今までの人類に与えた災厄も『試練』として与えるつもりなんでしょう。そこで、です。『石の試練』。これはどういった試練か? ってことですよ。最初から思い出してみてください。まず何が起こったか? 」
「それは……最初に『魔術師』が現れて城を蹂躙し、父上とアルヴィンも殺されて、ジーン・アトラスが……そうか。死者が蘇って—————」
「そうです。『石の試練』とは、生者が石に、死者が生者の世界に蘇る。
そういう試練です。
だとすれば、この試練は冥界神の采配なくば行えない。冥界の神々の別名は、『魂の裁判官』、『平等を敷く者』、『秩序の管理者』。冥界の法律に従い、一日に命を失う魂の総数は明確に決まっていて、例外はありません。
冥界の神々にとって、死者たちはどうでもいい存在ではないはずです。何千、何万年と一日も欠かさず管理してきた魂たちが、現世へ出ることを見逃すはずが無い。
冥界神はなんらかの処置をして、霊たちを現世へ送り出していると仮説します。その『処置』のせいで、殿下たちは食事が必要なくなっている。
結論から言いましょう。
おそらくこの最下層……第二十海層は、今、冥界に落ちています」
沈黙が落ちる。二人は考え込むように黙った。
思いのほか自分の言葉が重く届いたことに、言ってからサリヴァンは戸惑った。「あの……いや、『冥界です』なんて断言しちゃいましたけど、まだそれを確かめる段階ではあるので、もしかしたら違うかも……」
「……いや」
グウィンは顎にこぶしを当てて首を振った。
「前から思っていたんだ。ダッチェスは言っただろう? 」
『今回、『審判』においては、いくつかの不測の事態が発生いたしました』
『ひとつ。冥界から死者が蘇っているということ。一度冥府の門をくぐれば、人は『審判』に選ばれる資格を失います。『魔術師』はその当たり前のルールを無視して、死者を『選ばれしもの』へと据えました』
『ふたつ。『皇帝』は自らの意志でもって宣誓をしたわけではないということ。あまつさえ『皇帝』はすでに死者。『審判』は世界規模の魔法ということはお話しました。魔法とはシステム。これでは、魔女の組み立てた一部の隙も無い魔法にどんなエラーが起きるか予想もつきません』
『そしてみっつめ』
『消えゆくさだめであったあのミケが、まさかアルヴィン殿下を救うがために『宇宙』となるなんて誰が予想できましたかしら! 『魔術師』のつくった混乱に乗じ、アルヴィン皇子に与えられた死の運命を捻じ曲げるため、自らも消えなればならない運命であるというのに、重ねてミケは、触れてはならぬ禁忌を侵しました! 冥界に堕ちかけたアルヴィン皇子の魂を引き戻し! 損なった肉体に、根源たる混沌を含んだ自らの本体を宛がい! 幼く、未熟なあの子は、よりにもよって愛する主人を、第十八のさだめ『星』としてこの世へ蘇らせたのです! 』
「どうしてアルヴィンは蘇ることができたんだろうかって。
『ミケがアルヴィンの魂を引き戻した』と言うが……そんな簡単なものなのか? 僕はまだ今のアルヴィンの姿を見てはいないが……あれはどうあっても、生き残れる状態では無かった。頭が完全に潰れていたのを見たんだ。ミケが自分の銅板を頭蓋骨として提供した、としても……あれは、痛みを感じる間もない即死だったろうと思うんだよ。頭蓋骨が無いんだから、『命を繋ぐ』暇も無かったんじゃ、と思うんだ。
でも、それなら……辻褄があうような気がする」
「確かめてくれ」ヒューゴも言った。
「恐怖は未知からやってくるんだ。分からないうちは、何も動けない。きちんと準備してから、向き合おう」
◇




