5 『愚者』の誓い
魔人は人工物だというのは、ボクも重々わかっていることだった。
それでも、魔人は人間に極めて近くなる場合がある。
魔人は人間を模して造られているのだから、人間のマネをして、えてして自分が人間であるかのような錯覚を起こし、動作不備でしかない感情、思想、行動を学び、実行するようになる。
ソースはボク、魔人ジジが証明している。
ボクは基本的に人間嫌いだが、実は魔人も嫌いだ。
彼らとボクは違うということが、どうにも気持ちが悪い。あれは、言葉が通じる猿と同列に語られるようなものだ。
語り部は確かに性能がいい。見た目も人間と変わらなかった。感情もあるし、意思もある。でも、人間としては欠落している。それがボクの、『語り部』たちへの評価だった。
けれど、目の前にその評価を覆す語り部がいる。
そしてその語り部は、ボクと同じ姿をした魔人である。
抱きしめた体は、きちんと温かい。
天にまで響き渡るほど泣き叫ぶ魔人は、いつかに手ひどく人間に裏切られたボクだ。
芽生えた感情を持て余し、世界を呪う言葉を吐く。あさましい我欲を恥じ、過去のあやまちを悔いて涙を溢す。
あのときのボクと違うのは、コイツは一人じゃなかったってこと。最初から一人だったボクと違い、彼女(ということにしよう。魔人に性別は無いけれど)には最初から相棒がいた。
最初に学んだのが、人間への怒りではなく愛情だった、もしもの『ジジ』。
彼女はきっと、ボクにとってそういうものなのだろう。
――――――これが偶然だって誰が言う?
ああ認めよう。ここに証拠がある。
ボクが探し求めた自分の過去はここにあった。
ボクの製造者は、魔術師の祖。始祖の魔女アリス。その人なのだ。
そして、そんなボクらが共通して抱える不備もまた、きっと偶然じゃあない。
「ねえ、ミケ。聴いて」
こちらを向いた涙に濡れた顔を、指先ではなく、手のひらそのものをハンカチにして拭ってやる。肌に涙の水分を塗り込めるように拭った手で、そのまま彼女の頬を包んだ。
見れば見るほど鏡に映したように同じ顔。そんな二体が共通して持つ不具合があるとしたら、それは不具合じゃあないかもしれない。
「キミは、なるべくして『宇宙』になるさだめだったのかもしれない」
「え……? 」
「ボクが、『愚者』になるように、キミが『宇宙』になった」
魔女が示した『愚者』の選ばれしものの暗示は、『終わりと始まり』『やがて真実に至るもの』。
裏を返せば、『愚者』とは『自分でも分からない秘密を抱えている』ということになるのだろう。
最初からボクのことを言っているとしか思えない。なら、ボクに記憶がないことも、『そういうふうに作られた』のだ。
すべては真実に至るために。
「サリー」
「……なんだ? もういいのか」
「お願いがある。ボクの『主』として。ついでに『教皇』として。『愚者』としてのボクの宣誓を見届けて」
振り向いてみると、ボクを映した黒い瞳が、かすかに丸くなって細められたところだった。
「わかった」
やっぱりコイツは、話が早くて助かる。
ボクは、最初の主を覚えていない。たぶん男だったというくらいしか。
名前しかさだかな記憶が無かったボクは、『ジジ』という名前から、細胞分裂するように、人格を作り上げた。
そんなボクの中には、いまでも消えない怒りがある。
世界は理不尽だ。人間は偉そうで卑怯者だ。同族のはずの魔人どもは、話が通じない。
―――――――この世界は、ボクにとって自由な世界じゃあない。
それがその上、運命まで決まっていただって?
……馬鹿にするのも大概にしろよって話だよね。
◇
かつて、「自由が欲しい」と叫んだ魔人がいた。
狂いそうな孤独の中で、篝火のように怒りを燃やしていた魔人がいた。
誰も分かってくれないのだと、駄々をこねていた子供がいた。
「それもボクさ」と、飄々と魔人は笑う。
「世界なんて、どうだっていい。ボクにとって大切なのは、ボクがいつか、この不自由に納得できるかってどうかだよ。ボクが納得できない世界の仕組みなんてクソくらえだ。育ちが悪いもんでね」
◇
「”願いは彼方で燃え尽きた”
”希望は彼方に置いてきた”
”望みはなにかと母が問う”
”そこは楽園ではなく”
”暗闇だけが癒しを注いだ”
”時さえも味方にならない”
”天は朔の夜”
”星だけが見ている塩の原”
”言葉すらなく”
”微睡みもなく”
”剣を振り下ろす力もなく”
”いかづちの槍が白白と、咲いたばかりの花々を穿つ”
”至るべきは此処と父が言う”
”我が身こそが、終わりへと至る小さな鍵”
”望みはひとつ”
”やがて、この足が止まること”」
主であるサリヴァンが、ボクを形作る呪文を口にする。
重ねてボクが、宣誓の言葉を繋げて引き継いだ。
満天の星空と『宇宙』の選ばれしものを立会人にして。
「『宣誓』。『愚者』として『宣誓』」
ミケが言う。
「受諾します」
「『ボクは最後まで見届ける』
”どんな結末になったとしても”
”誰かの思惑が、この身を導いているのだとしても”
”真実を知ることだけが望むもの”
”真実をもってのみしか、この怒りは癒されることはないのだから”
”この世が滅び、最後の一人となろうとも”
”ボクはここにいる”」
「『愚者』の宣誓を受諾。……承認しました」
ジジは小さく息を吐き、サリヴァンと視線を交した。サリヴァンは言う。
「おまえは『誰かに選ばれる』ってのが一番嫌いなんだと思ってたよ」
「運命を蹴散らすには、運命に飛び込まなきゃ。そうでしょ? 」
「違ェねえ」
サリヴァンとジジは、喉を鳴らして笑いあう。
どちらともなく口にした。
「……帰ろう」
「そうだな。仕事が山盛りだ。皇女様との約束もあるし」
「まずは、皇子さまたちを助けなきゃだしね。……ミケ。ねぇ」
立ち尽くすミケの手を、ジジが取る。同じ色をした瞳が交差した。きまずげにうつむいたミケの右手に、ジジの左手の指が絡む。
「キミの願いを、ボクが一緒に叶えてあげる」
一陣の風が吹く。
魔女の製作物たちは待っていた。
『審判』のおとずれを待っていた。
彼らを動かす『鍵』の帰還を待っていた。
『鍵』――――すなわち『愚者』となる者の訪れの知らせは、静かに海を越え、空を貫き、一人の女のもとへと届く。
第十八海層『魔法使いの国』。
王都アリス。始祖の魔女の名を冠するその場所で、女は窓辺に佇み、遥か高みから街並みを見下ろしていた。
「――――――時は来たれり。時は来たれり。大いなる鍵は、いま帰還せり……
そう。あの子、覚悟を決めたのね。それとも、今まで見えなかったものが見通せたのかしら」
女はしどけなく窓辺へと身を預け、眠るように瞳を閉じた。




