3 (裏)語り部ダッチェス
語り部の黒衣もあいまって、人形のように容姿が整ったダッチェスが、空をなぞるように腕を振る仕草は、まるで美しい見習い魔女が杖を振るようだった。
ふわりと、皇子たちへページを向ける大判の古書が、意志をもって独りでに捲れ、そこに刻まれた絵図を見せつけている。
図に添えられた文字は、とうに読み解くことが困難になった古語である。古い装飾本にありがちな装飾文字で、一文字ずつ丁寧に綴られており、芸術品としても値段がつけられない品ではあることは間違いようもないが、肝心の内容は手書き特有の癖もあり、活字に慣れた皇子たちでは読み解くことは難しい。かろうじて文学専攻のグウィン皇子が、暗号と化した装飾文字を断片的に理解できるのみであった。
それでも、根を広げる樹木を模したその絵を見れば、だいたいの想像はつけられる。
これは家系図だ。それも、遡る時は百年や二百年前どころではない。祖神アトラスの子や孫まで記されている年代物。一族の家宝にも匹敵する代物である。
「この二十ある多重海層世界には、『審判』のために脈絡と続く役職を与えられた一族があります。
下層世界で言うなら、まずはこのアトラス王家。
次に我ら、二十四枚の語り部の一族。
それに、魔女の末裔である魔法使いたち。……この共通点がわかりますか」
「『魔女の関係者』であるということだ」
グウィンは定型文のようにすらすらと答えた。「他だと、翼あるケツルの一族。彼らは魔女から恩恵を受けて彼女を今も崇拝している。上層だと、ネツァフのトール王家は魔女から使い魔を授かっていたという。彼らはその使い魔を『審判の鍵』と呼んでいたそうだ」
「……わが一族が魔女の関係者であることが、それと何の関係が? 」
ケヴィンが、眼鏡の奥を怪訝に細めて言った。
「つまりだ。兄貴」ヒューゴが、顎をこすりながら兄に解説する。
「伝説を考察する学者の中でよく言われることなんだが、『最後の審判』を段取りしたのは『神々なのか? 』『魔女なのか? 』ってことだ」
「……そんな伝説の真実が、いま大切なのか? 」
「大切だろうな。これはずっと議論されてきた謎で、正解によっては伝説の見方が変わるんだ。
神話では、『神々は人類に執行猶予をつけて、天空にある神の庭へと帰っていきました』とあるだろ? すなわち、その時の神々は、人類にたいしてどういう感情を持っていたかって問題なのさ。
もし『最後の審判』を神々が積極的に段取りしたのなら、『神々は人類救済に積極的だった』ってこと。
逆に、『最後の審判』に神々が消極的で、人類救済するつもりが端から無いのなら、この世界は『神にも見捨てられた地』だってことで、いろんな宗教観が引っ繰り返るってんで、古今東西いろんな学者先生や宗教家がこの問題を議論した。
でも今は状況が異なる。最期の審判が本当に起こった以上、こういう伝説の真実は無視できない。もっと切迫してる。わかるか? これはもう、ただの宗教論争の議題じゃあない。
もし本当に神々がいるのなら、世界を砕くような力のあるものが、これから障害になるかもしれないってことだ。そうだろ? 」
「……なるほど。問題はわかった」ケヴィンは眉をひそめ、低く肯定した。
彼には、兄や弟のように、おとぎ話を真剣に解剖するような考え方がわからない。
子供のころからそうだった。兄グウィンは伝記と物語を愛し、姉のヴェロニカは図鑑と地図に夢中になった。弟ヒューゴは、もっぱら綺麗な装丁の絵本や写真集だった。ケヴィンはおとぎ話の世界から拒絶され、宇宙にすら数字で正解を求める果てしない学問に、はやくも夢中になった。末の弟アルヴィンすら、兄の影響か、おとぎ話と伝説の虜だ。ケヴィンに生まれた時から根付いていた理論的思想が、神秘を拒絶する。空想と現実を紐づける素養を持たないのだ。それでもケヴィンは、みずからの価値観を大きく曲げて思考していた。
ダッチェスは正しい認識が全員に生き渡ったと判断して、教師のようにヒューゴへ短い礼を言うと、ふたたび家系図を指して話し始めた。
樹木のかたちをして描かれているので、名前はそれぞれ枝を伝った葉の上に刻まれている。金色に塗られた葉は、その代の皇帝の葉っぱだろう。そんな家系図には、あるときから名前の下に添えられて小さな記述がある。同じ文字列が世代を重ねない葉に見受けられたので、ケヴィンはそれが『語り部』の名前だと察した。
「アトラス王家に配分される役割は、『秩序の守護者』と暗示された『皇帝』。代々『皇帝』の役割はアトラス王家の長が継ぐもの。
『最後の審判』において『皇帝』に選ばれしものの役割は、それまでの秩序を一度放棄し、新しい秩序……つまり人類の安寧のため、戦いの代表として―――――つまり戦いとは『最後の審判』の――――――鬨の声を上げることが、まず定められておりました」
「だから父王が狙われたのか? 『最後の審判』を始めさせるために―――――」
「そうでしょうね」ダッチェスは頷いた。「だから『皇帝』は、最初から選ばれる人が決まっているのですわ。アトラス王家は、いわば人理の監視者です。神々と人類のはざまで人々の営みを監視し、『審判』の時を見定める。いわば検事ね。そして語り部は、そんなアナタ方の補佐」
「でも、始まりを暗示されているのは、確か『愚者』だろう? 」
「そう。『愚者』は別の意味で特別ですわ。そもそも審判は、選ばれしものが複数いなければ開始することはできません。『皇帝』だけでは、条件が揃わない。そもそも鬨の声を上げても始まらないのです」
「その『審判が始まる条件』ってのは、なんだったんだ? 」
「『影の王』の預言によれば――――――まず、人々が神の名を忘れること。これは恐らく、科学の発展によって神秘が薄れたり、時の経過で伝説が散逸してしまったり、文化の喪失と、そういうことでしょう。
第二に、『愚者』と『宇宙』の選ばれしものが存在すること。『愚者』の暗示は、始まりと終わり。とどのつまり『皇帝』『愚者』『宇宙』『審判』がこの世に揃わなければ、いくら『皇帝』が宣誓を行ったとしても、審判が始まることはありません。
『愚者』は特別だと先に申し上げましたね? 『愚者』の暗示で重要なのは、その人物は『終わらせる』こともできる人物だということです。
この人類世界が『審判』に勝利する次のステップへの未来へ送り届ける英雄なのか。それとも、人類を破滅させる火種になるのか。救世主と破滅の魔王の両方の素質を持ち、相反する運命に適合する。この条件はとても難しいものでしたでしょう」
「『宇宙』はどうなんだ。適合する人物なんて、最たるものだろう」
「…………」
ダッチェスはその質問には答えず、再び指先で空をなぞった。
暗闇に落ちた本棚の森の向こうから、何かが飛んでくる。と、同時に、グウィンとケヴィンの隣にも語り部が現れ、ヒューゴの語り部トゥルーズも、襟に冷水でも流れたかのように肩を小さくして身震いした。
「本来なら『審判』とは、
①『皇帝』による判断で宣誓されて開始され、②『審判』による代表者の選定が行われ、③二十二人の代表者で最上層の神の庭を目指す。
そういう試練です。
『最後の審判』と呼ばれているものの正体は、いにしえの魔女と神々の契約なのです。この世界にかけた、世界再生の魔法ですわ。そして魔法とは、機械でいうところのシステムです。我々もそう。語り部は魔人。『意志ある魔法』と呼ばれるソレです。魔女が発明した魔人という名の『人間の模造品』。それがわたしたち。
我々の材料になっているものが何かは、御存じでしょう? 」
風を切ってやってきたのは、ランプの黄色い光をにぶく反射する黄土色の金属板だった。それが全部で大小二十枚。頭上を取り巻くようにして、くるくると回っている。あたりに、銅板の四角い影が、伸びては縮みながら奇妙な模様になって踊る。
「我々を発明したのは魔女。我々をつくるにあたり、魔女は大いなるものの力を借りました。
一人は、友である時空蛇。時空蛇の身体からは、人類の基礎でもある万物の根源たる混沌の泥を。製作を依頼したのは、かの鍛冶神です。最初の人間も生まれた叡智の炎が灯る炉で、我々もまた焼き出されました。
そこまでされても、我々が『生命ある生物』で無いのは、いまこの時の役目のため。命あるものでは『最後の審判』までの長い時を生きることはできませんから。
『皇帝』と同じですわ。皇子様。
『審判』においては、すべて魔女によって定められている。『宇宙』に選ばれしものは、最初から決められているのです。根源である『混沌』を内包し、『全き』が至る可能性を持つ……そうなるように造られた、人造の『世界の歯車』。
それが私たち。『最後の審判』において始めて作動する『語り部』の隠れた機能」
皇子たちは、かたわらの語り部を、知らない者を見るように、あるいは何かに納得したように、あるいは目を輝かせて、それぞれ見つめた。




