2 対屍人戦 後編★
ボクは強請るように、顔をしかめる主人を見上げた。
「ねぇ。久々にやらせてよ、アレ」
「言うと思った」
「だって、ずっと専門外のことしかさせてくれないじゃない。不完全燃焼なんだ」
「……ちゃんと抑えられんのか?」
「キミこそ、何を躊躇してる? 使えるものは使うんだろ? 今ボクを使わないで、これからどうするのサァ」
「…………」
「―――――残念ですわ、ベロー副長官。あなたは我が国に尽くす我が一族の朋であると信じておりましたのに。……甥御さんまで巻きこんで」
ヴェロニカ皇女は、視線をモニカ女史を拘束するコナン・ベロー中尉に向けた。青ざめた若い中尉は、唇を引き結んで皇女から視線を逸らす。
「おやおや、粛清ですか? ヴェロニカ殿下。そんなどこの誰とも知れぬ外国人を使って? 皇女である、あなた様が? 」
「それはあなたのことを仰ってるのかしら。こんな恥知らずだとは知らなかったわ」
「フフ……すくなくとも私は誰とも知らぬ外国人を引き入れたわけではございませんので。彼らこそが、本来の私にとっての朋友でしてね」
副長官はかぎ針状に曲げた両手の指を、おもむろに口に押し込んだ。指先の爪が内側から頬肉を抉っていく。頬肉を内側から毟るようにして、副長官は自らの顔を指で大きく傷つけた。その手は次に、自らの下目蓋にかかる。
慣れた作業的な仕草だったから、それはあっという間だった。
どんどん元の面影を失くしていく顔面の、むきだしの肉が奇妙に揺れる。
ぶるりと。まるで身震いをするように。
笑みの形に露出した歯列に早戻しのように肉が戻っていく。再生した唇の皮膚は、笑みの形を保っていた。
彫りの深い、浅黒く日焼けした若々しい顔立ちに、もとの初老の紳士の名残りは無い。
「ベロー副長官……いいえ。あなたは誰」
「ただの亡者ですよ。墓守の姫」
声すら違う。異国の響きを含んだ瀟洒な楽器の演奏のように、耳通りの好い声だった。
「皇女……そこにいる魔法使いの正体をご存じなのですか? 」
ヴェロニカ皇女は青い目をすがめる。
「それは、『影の王』直々に我らに差し出された―――――」
「あら、彼はそういう扱いなのですの? 」
「……なんですって? 」
「まぁまぁまぁ……それで、それが何か? その上で、わたくしは彼を信頼することにいたしました。彼自身が、その『影の王』を微塵も疑っておりませんもの。いわく【師は無駄なことをしません】ですって。あなた、謀られたのよ」
皇女は上品な笑い声を響かせた。
「惑わし、甘言……? わたくしは、そんなもの聞きませんわよ? ほかに口にすべき言葉があるんではなくって? 」
「その魔法使いが、いったい何をしてきたのかも、知っていると? 」
「この期に及んで、まだるっこしい殿方は好きになれなくてよ。話題が暴力的で、下品で、悪趣味な殿方なら、尚のこと。このヴェロニカを口説きたいのならば、その顔に―――――」
ヴェロニカは、前に倒れ込むようにして踏み込んだ。
218㎝のほっそりとして見える矮躯の一歩は、驚くほど広く、早い。風に揺れる柳のように、青年の体が曲がる。
「―――――わたくしの拳をまず受け入れることね! 」
青年の笑みがぐしゃりと崩れ、噴き出した汗が拳圧に飛沫になって飛び散った。
青年は頬を流れる汗と血液の混合物を、指先でふき取る。
「……話に訊くより、ずいぶん野蛮な姫君だな。脳ミソが飛び散りそうだ」
「よく避けました。ウフフ……自信を失いそうですわ」
「顔が笑ってるぜ。お姫さま」
「うふふ……少し鬱憤が溜まっておりますのよ。強敵との試合は、好い気分転換になりますわ。加減がいらないのなら、なおさらでなくて? いいえ、殺す気はありません」
「……こちらには人質がいるんだぞ」
「怯えないで。小さなひと。わたくしはあくまでもフェルヴィンの皇女として上品に……あなたが質問に答えたくなる場を整えてるだけですよ」
トン、と皇女は爪先で軽くステップを踏んだ。右足を軸に、ダンスをするように肘を上げて上体を傾ける。
長い金色の髪が白い頬を撫で、背後に流れる。刃金色の瞳だけが笑っていない。
「本性を明かすなんて、悪手でしたわね。わたくし、おばけは平気なの」
皇女は一歩、男に近づく。
「……だから安心なさい、コナン・ペロー中尉。あなたの叔父上の仇、このわたくしが討ちましょう」
「ヴェロニカ様……」
「家族を亡くす以上に怖いものなんて無くってよ! そうでしょう!? 」
「――――皇女を殺せェ! 」
男は気炎を振り絞って叫んだ。
皇女の華奢な長身に、武器をかかげた丸太のような腕脚を持った亡者たちが大波のように群がり、次の瞬間―――――ごぶりと、腐臭に濁った黒い血を吐き出した。
「きゃあ! 」
モニカの悲鳴がヴェロニカの耳に届く。その身に凶刃が向けられたわけでは無かった。おもむろに白目を剥いてぱったりと倒れた中尉の姿に驚いたのだ。
感情を失った死体たちのなかに、困惑と警戒が広がっていた。
痙攣して思うように動かない手足を、不思議そうに眺めて立ち止まっているものもいる。
そうして死体たちは次々と、目から口から鼻からと血を噴き出し、根が絶たれた樹木のように倒れて動かなくなっていった。
「何だ! 何がおこっている! 」
「―――――アンタはね、運が悪かったんだよォ。だって、ボクがいたんだから」
男の視線が上を見上げた。
街灯にも照らされない、漆黒の空を背景にして、白い肌が浮いて見えた。黒い擦り切れた外套の裾が、風のない夜に大きく翼を広げるようにはためいている。
「アンタの敗因はいくつもある。
『影の王』を見くびったこと。
サリヴァンにはボクがいたこと。
……そして、ボクのご主人様を侮ったことさ」
「―――――”願いは彼方で燃え尽きた”」
サリヴァンの声が響く。
「―――――”希望は彼方に置いてきた”……」
銀色に輝く短剣を顔の前にかかげ、魔法使いがおごそかに、相棒を司る呪文のしるべを口にしている。
「”望みはなにかと母が問う”
”そこは楽園ではなく”
”暗闇だけが癒しを注ぐ道”
”時さえも味方にならない”
”天は朔の夜”
”星だけが見ている塩の原”……」
ジジの輪郭が黒く崩れ、膨れ上がる。漆黒の中では黄金の瞳が二つの月のように輝きを増し、唇は笑みを深めた。
「―――――”言葉すらなく”
”微睡みもなく”
”剣を振り下ろす力もなく”
”いかづちの槍が白白と、咲いたばかりの花々を穿つ”—————」
「なんだそれは……やめろ……」
「”至るべきは此処と父が言う”
”我が身こそ終わりへと至る鍵”
”望みはひとつ”」
「黙れェェェエエエエ!!!! 」
「―――——”やがて、この足が止まること”」
風が止んだ。
モニカが呟く。
「なに、これ……黒い……雪……? 」
魔人の声は、甘い艶を含んで夜の空気に溶けていく。
「聞いたこと無ァい? 二年前……グロゥプスの街での悲劇……死の霧の悪夢……三千人の市民を恐怖に陥れた七日間は、一人の古代兵器が起こしたっていう話」
「……まさか」
「お察しの通りさァアア」
ヒヒヒ、と、切れ込みのように笑顔が裂ける。
「ボクって魔人の性能は、対人特化型なんだよネェエ―――――――」
その語尾は奇妙に歪みながら、夜の闇に引き伸ばされて間延びしていく。不快な耳鳴りが男を襲い、網膜はいつしか地面の小石を見ていた。
「生きてたって、死んでたって、そんなのは変わんなァい。ボクにはヒトの弱点が手に取るようにわかるよォ。ココロも、カラダも、とっても簡単サァ――――――壊れやすくて、すぅううぐ融けるもんねェェエエエ! フフフ―――――ハハハ―――――ケヒヒ……キヒヒヒヒヒヒ―――――」
男はがふりと口から泡を吹いた。
「? ??? ―――――!? 」
陸にいてして溺れている自分が信じられなかった。体中の穴から得体の知れない液体が逆流している。男は吠えた。
「―――――――クゥゥウスヴァァアアアアラァアアア!!!!!! 」
「よく言われるよォ。誉め言葉だね」
闇に金色の三日月が二つ浮かんでいる。
ピチャリと、泥をはだしが踏みつける。外套のすそをつけ、ジジはしゃがみこんでその顔を覗き込んだ。
死者たちの二度目の死は、静かに泥のような闇に沈んでいった。




