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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
八節【ファム・ファタール】
221/223

8 少年よ我に帰れ

 ヴァイオレットは許せなかった。

 怒りに震え、わなわなと沸騰する感情をどうにか飲み込んで、溢れる涙に変換した。


 ヴァイオレット・ライトは、肉体があったころの友の姿を知らない。美少年であったとか、本一冊ぶんにもわたる語り部の誓約を暗唱できるほど賢かっただとか、そんな話はアルヴィンは自分からしなかった。

 彼がいかような生まれであり、人生を歩んできたのかを、ちっとも知らなかった。

 それでも、彼から綴れた言葉は強い芯があり、血のかよった心があると、ヴァイオレットは過ごした日々の中で、彼のふるまいから自然と学びとっていた。


 彼女は許せない。


 アルヴィン・アトラスのことを、まるで命が宿ったその瞬間から不幸の星の巡りにいたかのように嘆くその口が、あまりにも許せなかった。

 しかし彼女は部外者だったから、口をつぐんで言葉を涙に変えることにした。


 ヴァイオレットにいわせれば、アルヴィンは哀れな犠牲者ではなく戦士だった。


 ミケとの再会という、明確な夢をもち、運命に抗って生きながら国のために働いていた。

 あの湖での戦いからずっと勇ましかったアルヴィン・アトラスは、未来を見ていたし、そして今度こそ家族を守ることに成功しているのである。


(本当の父親が別にいたからって、父王がアルヴィンを無視していたことの言い訳にはならないでしょ。母親が死んでるからって、体が弱いからって、預言で死ぬことになってたからって、アルヴィンはけっして不幸じゃなかった。不幸にならないために努力していたわ。なんでみんな、アルヴィンが不憫だった部分ばかり思い出して泣いてるのよ! )


 食い縛った歯の奥で叫ぶ。うめき声は嗚咽になって、喉から背筋を通って、指先から髪の毛の先まで震わせる。


(――――なんでアルヴィンがあそこにいたのが間違いだったみたいに言うの!? よくやったって、誇りだって、どうして認めてやらないのよ! )


(こんなのってあんまりよ! アルヴィン、あんた、こんなのってないわ! 怒るべきよ! でもあんたのことだから、今まで一度だって怒ったりしてこなかったんでしょうね! 大バカ者よ! あたしの知らないところで、あんなにバラバラになって帰ってきて! )


(……ああ、でも、どうしよう。あたし、最後になんて言った? がんばれって言った気がするわ。ああ、あいつ、あたしのせいで頑張りすぎちゃったのかな)


(……ううん。違うわ。あいつは勇気を出したのよ。それを誇りに思うべきよ。じゃなきゃ、それこそ報われないじゃない? 分かっているのよ。あの人たちだって、あんたの勇気をちゃんとわかってる。今は悲しいばかりなだけ。でも、でも、あたし、許せないわ。あんたが死んじゃうってことが嫌なのよ。それだけなの)



 顔を拭い、水を飲み、頬を叩いて肩に力をこめた。

 むくむくと丸くなった背中を伸ばし、歯の根を噛みながら、ヴァイオレットは腫れぼったい瞼を開ける。




(……なんだってやるわ! あんたがもう一度、戻ってくるならね! )



 ◇



 ヴェロニカ・アトラスは、窓を向いて部屋にひとりたたずんでいた。

 天空にある城の窓は、冬の青空だけを映して室内の影を群青に染めている。色の薄い金髪の巻き毛の輪郭が、白く縁どられて輝いていた。


「どうぞ。お掛けになって」


 プリムローズとヴァイオレットをにこやかに迎え入れる皇女の顔には、想像していた悲哀は感じなかった。肌は青ざめ、目は少し赤かったが意識しないと分からないほどで、微笑みにも違和感はない。

 ヴァイオレットは、出されたクリームをいれた濃いお茶を飲み、冷静さを取り戻した頭で、泣きつくような姿でこの部屋に来たことを恥ずかしく思った。


「……さあ、次に行きましょう」



 ◇



「え? なんだって!? 」


 ヒューゴ・アトラスは食いつくように立ち上がった。その勢いで、積み上げていた書類の束がバサバサと床に落ちる。

 カーテンは厚く締め切られ、かわりに煌々と照明がつけられている。

 現在、フェルヴィン王家のきょうだいは、弟の喪失を悲しむ余裕もないまま、昼も夜もなく人脈作りと雑務に追われていた。

 祖国の危機を救うための基盤を作るため、『審判』のための旅を潤滑に進めるため、王位継承者たちが自ら手足を動かして働かなくては、立ち行かない状況にある。

 フェルヴィン人は、もともと頑強な人々である。病を抱えるケヴィン以外は、その体力に任せて魔法使いよりも遥かに休みなく動き回ることができていた。

 それでも、垢ぬけたかたちに整えられた顎髭をなぞる姿には、どこか気だるげな雰囲気が滲んでいる。

 青い目は、まだ縁が潤んでいるようにも見えた。


「……その計画、姉上は断ったんじゃないか? 」

「ええ。お立場を思えば仕方のないことです。しかし、保留というかたちで、ヒューゴ殿下を頼るといいというアドバイスをいただきました」

「ふうん。なるほど。皇女としては兄上たちの方針に従いたい。でも心情的には、そりゃあこっちに協力したいもんな。いいよ。で、私は何をすればいいんだ」


 軽く言って、ヒューゴはニヤリとした。


「……はい。『皇帝』の語り部を経験した魔人の協力を仰ぎたいのです。それがひとつ」

「ひとつめか。じゃあふたつめは? 」

「モニカ皇后さまを、あるお茶会にご招待したいのです」



 ◇



「お話はよく分かりました。ええ、構いません。よろこんで参加いたします」


 モニカは、にっこりと鷹揚に頷いてみせた。

 思えば、この場の誰よりも波乱万丈といえる女性である。

 いち市民として生まれ、留学先で外国の皇子と恋に落ち、皇太子妃として嫁ぐはずが、人類存亡の渦中に巻き込まれ、夫と再会したときには戴冠し、知らぬうちに皇帝の妻となっていたのだ。

 ヴァイオレットよりも小柄で、茶色の髪と目をした素朴な農家の娘だった女性は、『魔法使いの国』のドレスを着ている。明るすぎない深いオレンジのドレスは夕日の色合いで、フェルヴィンの朝焼けの色だった。


「楽しみにしていますね」


 いつそうなったのか。この過酷な旅がそうしたのか。それとも元より才覚があったのか。

 彼女の柔らかな微笑みは、まさしく皇后の風格だった。




 ◇



「ねえ、サリヴァン。あなたの妹が今何をしているのか、知ってる? 」


 目のかたちを三日月にして、ヒースが机に向かうサリヴァンの肩をつついた。

 なかば睨むような眼で振り返ると、サリヴァンは「知るかよ」とごちる。二人はエリカ采配のもと、個室で『星』復活のための陣の書き出しを急ピッチで進めていた。

 ヒースの『運命の輪』を併用し、魂にアプローチするための陣である。


「そこで聴いちゃったんだけどさア、あのプリムローズって令嬢は、どうやらなかなかの手練れのようなんだよね」

「手練れ? ……何の」

「コネ作り、かな? コリーン公爵家って知ってる? あそこの当主は、南部から西部まで手を伸ばす御大尽のお爺さんなんだけど、どうやらそのコネを使うために城中を動き回ってるみたいだね」

「たとえば? 」

「今、城下は、新しい陽王陛下のうわさでもちきりさ。そして新しい陽王陛下は、フェルヴィン王家と義理だけど縁続きだろう? そして一部じゃあ『審判』のうわさも流れつつある。今、どこもかしこも、話を聞きたくて仕方がないのさ。でも、主要人物はみーんな城の中から出てこない。だろ? 」

「そりゃあ、年明けまではそうなるだろうな」

「うん。でもあと一週間ちょっとなんて長いじゃあない。つまり需要が高まってるんだ。そこに、どうやらあのご令嬢は、自分のところの御当主さまに交渉を仕掛けたらしい。『社交界の仕切屋ボイド伯爵夫人のお茶会に、ある御方を御招待しろ』ってね」

「その引き換えに何を? 」

「だからコネさ。権力を動かすための、ね。僕の予想では、そろそろこっちにも来るんじゃあない? 」


 サリヴァンは、鼻を鳴らしながら背筋を伸ばした。深く刻まれた眉間の皺をヒースの指が伸ばすようにつつきながら、にやにや笑っている。

 からかい方がジジにそっくりだ、と思いながらサリヴァンは手ぶりで、作業の再開をうながした。


「ほうら来た」

 ノックの音がする。

「失礼します! 」


 返事を待たずに扉が開き、二人ぶんの足音が整然とサリヴァンの前で止まる。作業机の上に置かれた資料の束は、筆跡の違うメモがいくつも挟まり、紙の大きさもバラバラだった。

 一度散らばれば、二度と正解がわからなくなりそうな情報の塊を差し出すのは、肩をいからせた妹の手だった。


「……お願いがあります」


「なんだ? 」


「陰王陛下の薫香を受けた魔術師であるあなたに、この論文を読んで、足りない部分を補強して、清書してほしいの」


「今おれは、その陰王陛下の命で仕事をしているんだが? 」


「陰王代理殿下に許可はいただきました」


 サリヴァンは眼鏡の奥で目を丸くした。

「何をしたんだ? 」


「代理殿下に許可をもらうために、理論のひな型が必要だったの。魔人研究の専門家の先生が城内にいたのを、Msグリーンが知ってたわ。でも彼はお願いしたんだけど仕事があるからダメって言われて、説得のために彼の恩師を口説くことにしたの。でも恩師の先生はもうお年で、お孫さんが面倒を見ていらした。お孫さんに話を通すためには、あるお店に行かなくちゃいけなくて、そのお店に行くには常連からの推薦が必要だったのね。で、その常連っていうのがボイド伯爵夫人のお友達の旦那様。渡りをつけてもらうためには伯爵夫人のお茶会にモニカ皇后さまをお呼びしてちょうだいって言われたから約束をいただいて、ついでに同じ実験室にいた休憩中の先生方にも回し読みしてもらって考察のメモをいただいたし、皇帝直属の語り部だったトゥルーズさんとダイアナさんにもお墨付きをもらった。これで、『アルヴィン・アトラスの魂を一緒に再構築できる()()()()()()理論』はだいたいできたはずよ」


「なぜおれに? おれは魔人の専門家じゃあない」


「でもあたし、儀式をするあなたにも、あたしの友達を連れ戻す計画に巻き込まれてほしいのよ」


 窓の外はすでに暗い。

 ヴァイオレットが啖呵を切った『一晩』は、とうに過ぎて一日以上が経っている。寝ていないのだろう。少女の顔には疲労と興奮が滲んでいた。


「アルヴィンを救うには、あなたの力が必要なの。お願いよ、お兄さま。あたしに力を貸してちょうだい。あなたが手を入れた理論なら、グウィン陛下たちを説得できる……そうでしょう? 」


 サリヴァンは大きなため息を吐いた。頭を搔きながら、椅子を引いて机に向き直る。



「……読むだけ読んで決める」


「ありがとう……! 」



 ヴァイオレットは、祈るように手を組んだ。サリヴァンは、瞼に焼き付く青い目を振り払うように、メモで膨れた資料の束へと挑むことにした。


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