8 ファタール
活動報告にお知らせあります!
(星よきの絵が画集にのったよ~!ってやつです。)
「いいや、おれは確かにできないと言ったはずだ」
サリヴァンは妹の顔を睨み返した。
「いいえ! やれるはずよ! あなたなら! できないけど、やらないんでしょう! 」
妹の手がサリヴァンの胸を叩いた。部屋の中に押し込むようにして、ヴァイオレットはサリヴァンの襟をつかむ。
「友達は魔術と工学が専門よ。彼女いわく、 刻んだ呪文が破壊されても、ふつうの魔人なら修復はできない。でも『混沌の泥』が入った語り部の銅板なら、素材じたいが、かけられた魔法のことを記憶しているかもしれない。だって混沌の泥は、『万物の素材』だから! 壊れても元のかたちに戻ろうとするはずよ。じゃないと生き物が親と似た形で生まれるはずがないって! 神々が手掛けた道具は、過去を記憶するって本でも読んだわ! ねえ、それって語り部の銅板もおんなじなんじゃないの!? 」
(神よ―――――)
サリヴァンは胸中で呟いた。
時空蛇は、あまりに多くのものを司る。
それは創造、時間、知恵、生命そのものと、その営みの過程。
あらゆる発明家、学問の徒、魔術師、出産する女、孤児、あらゆる物作りと、あらゆる職人たちの守護者であり、この国の地母神でもある神でもある。
子が産まれる父が妻子双方の健康を祈る神であり、暦の始めと終わりに祈る神であり、学舎で尊ばれ、職人の工房に掲げられる。
時空蛇を海蛇だと信奉する地域では、海を創造したこの神を船乗りたちが篤く奉じているというし、土蟲だと信奉する農夫たちは、土を耕しながらその名の唄を口ずさむ。
多くの名前と変幻自在の姿を持つその神の信徒はあまりに多く、神官に対しても、その神は布教を望まない。
なぜならばこの地、星々のもとに存在する時点で、あらゆる生命は時空蛇の子供であるから。
時空蛇は、人からの献身を求めない。
善悪の外の視座で、信徒に潔白は求めない。
だから神官であるサリヴァンも、別の神を『併せて』信仰する。
その信仰が、サリヴァンの正義の視座になるから。他でもないアイリーンが、そうすることを推奨した。
鍛冶神は、時空蛇と同じように、ものづくりの神であり、炎神である。
武神の支援者であり、彼の技は愛の女神でさえ膝をつかせる。
厳格だが独自の価値観を持ち、契約にうるさく、自分が絡まない多くのトラブルの前では、傍観に徹する神格とされる。
鍛冶神が好むのは、たゆまぬ研鑽と、変わらぬ日常に折れぬもの、そして道具の扱いが巧みなもの。
粘り強く、ひとつに向き合うことができるもの。
妹の視線を前にして、サリヴァンはこの旅ではじめて自身の信仰の根幹を問うた。
なぜならば、アルヴィンを人間から魔人に打ち直したのはサリヴァンだといえるからだ。
自分とは違う空色の瞳が、責め立てるようにサリヴァンを見つめる。
鍛冶神は自分が作り出した武器が、誰を殺そうとも責任は持たない。道具の賞賛は受け取るが、謗りは受け取らないのだ。
だからサリヴァンが抱えるこの自責は、鍛冶神にならうなら、胸の内から消したほうがいいものだ。
「できるのよね? 」
『できる』。
(でも、それは――――)
「お前とその友達の見解は確かに正しい。方法はある」
「でも――――! 」と、サリヴァンは、声を大きくして続けた。
「元通りには、ならない。絶対に。かたちは戻る。必ず。でも中身に保証がないんだ」
「中身? 」
「言っただろう? 魂だよ」
こんどはサリヴァンが、ヴァイオレットの肩を軽く押しのけた。
観念して室内に戻り、グウィンの視線に目をつむる。
グウィンだってアルヴィンの死を悲しんでいる。先んじて、サリヴァンの見解は話してあった。そして同意をもらったのだ。『仕方がない』と。
「……納得してもらえないなら、話すしかないな。再生させること自体は簡単だ。元『教皇』の立場から言っても、確信が持てる。『語り部』すべての権限を握るグウィン陛下が命じればいい。ただ『元に戻れ』と。
……さいわいにも破片はすべて拾ってあるし、ミケの銅板にはアルヴィン皇子を再生させたという過去の実例もある。これはまず成功するだろう」
「……リスクは」
ケヴィンが尋ねた。
サリヴァンはケヴィンのほうを見た。
「帰ってくるのが、アルヴィン殿下ではない可能性。再生させたとして、出てくるのは銅板に刻まれた人格のほう――――という可能性です」
「……蘇るのはミケかもしれないのね」
「それも、元のミケではないかもしれない。一度破壊されているから。魔法がこめられた瞬間……ようするに作られたその瞬間のかたちに戻るとしたら、今まで注がれた魔力は再生のときに還元されるはずだ。語り部は主人から魔力を蓄える機能があるが、ミケの主人はアルヴィン殿下が最初で最後だった。
――――つまり、アルヴィン殿下が戻らない可能性。
くわえて、ミケとして蘇っても、アルヴィン殿下の思い出がないミケである可能性。
……そして、希望的観測に従って奇跡が起こり、アルヴィン皇子が蘇ったとしても、致命的な欠陥をもっている可能性」
サリヴァンは唇を湿らせた。
「魂は、万物の泥からは生まれないんだ。自然発生する『現象』であり、肉体に結びついて生まれ、死んで、冥府に渡り、こう……世界を循環するエネルギーのひとつなんだ。肉体から離れた魂は脆い。だから冥府で保護し、清算される。
……今までは銅板の鎧に収まっていたからなんとかなっていた。そこから解き放たれてしまったアルヴィン殿下の魂は、呼吸ができず、水圧に晒される海の底に沈んでしまったようなものだ。おそらく、今さら掬い上げられたとしても――――」
「怪物になる? 」
「……どうだろうな。それならまだいいほうかもしれない。まだ意思疎通の余地がある」
「フェルヴィンでしたように、降霊の儀式をしてから再生させるのでは駄目か? 」
「効果はあるでしょうが、日が経っています。魂は霧散して残っていない可能性が高い」
「ああ、そうか…………」
「………………」
「しかしどちらにしろ、『星』の座を空席にしておくわけにはいかないんだ。『銅板』はどちらにしろ、再生させなければならない」
「……『アルヴィン』が蘇るには、打つ手がないのね? 」
サリヴァンは、濡れたヴァイオレットの目を見て頷く。この娘に、よくよく事態が呑み込めるように願いをこめて。
「ああ」
「わかった」
ヴァイオレットは、そう言って立ち上がった。
「なら、打つ手ができるようにもう少し考える」
「は? 」
「あたしに一晩ちょうだい! 」
ヴァイオレットがそう宣言して、扉が閉まる。サリヴァンは、慌ててあとを追いかけた。
「おいっ! レティ! おまえ―――――」
廊下には、尾を引くように少女の嗚咽と足音だけが響いていた。
◇
「――――わぁああぁあああああん! ぃぃいいいいいいいいいんっ」
「ヴァイオレット! レティ! ほら顔拭いて、鼻も…………ああ髪の毛が……」
「ぅうううううええええええん! びぇええぇぇええええええええ」
「わかった、話はわかったから……ああもう……」
「ああぁぁああああああん! みぃぃぃいいいいいいいい! 」
「……仕方ないわねぇ。こうも頼られちゃあ」
プリムローズは、ほつれた髪をかきあげた。
(ああ、この時ここにいてよかった。まるで神様に導かれたよう……)
汚れたエプロンをそのままヴァイオレットに明け渡し、プリムローズは立ち上がる。
「ほら、行きますよ! 泣いたままでいいからついてきなさい」
「うぇえええええええん」
ヴァイオレットの手が、プリムローズの腰のリボンを握った。後ろに泣く大きな子を連れながら、プリムローズは王宮内をねり歩く。
「すみません! 失礼します! 」