8 リンダリンダ
同時間軸、別視点での話→『4 忠臣コナン・ペローの独白 前編』 https://ncode.syosetu.com/n2519et/147
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〈とつぜんお手紙を送りつけてしまって申し訳ございません。殿下がずいぶん長くベッドから出られないと耳にして、いてもたってもいられずにペンを取りました。わたしは殿下と同じように、小さなころから自分の部屋で毎日を過ごしています。〉
そんなふうに始まった手紙を受け取ったのは、ケヴィンがまだ九歳のころだった。
『友達になってください』で締められた手紙を読んで、ケヴィンは熱のある頭を巡らせ、嘲笑を浮かべた。この手紙の裏にあった政治の綱引きに察しがついたからだ。
(……きっとこの令嬢、親にむりやり書かされたのだろう。ご苦労なことだな)
送り主の家名には覚えがある。
ユリアの時代に私腹を肥やしたとして財産を取られた貴族一門。ジーン帝の台頭で復権こそしたものの、表舞台から消えて久しい。断絶したかと思っていたが、どうやらまだ生き残りがいたらしい。
ローラ・オーウェン。三つ年上、十二歳の女の子。
乳母の手を伝い、皇子の私室に直接届けられた手紙は、大人たちの意図にまみれていた。
彼女の親は、王家とのつながりが欲しくて必死なのだ。そのために病気がちな娘の立場を利用した。同じような病弱な皇子とのシンパシーに期待して。
ケヴィンは返事を書いた。
『あなたも大変ですね』という皮肉たっぷりの手紙だ。
代筆を担った語り部のマリアは、主人の意図を的確に汲んだ語彙を提案してくれた。国語の授業は、どんな教師も語り部魔人にはかなわない。
返事はしばらくすると来た。
〈殿下から返事が来たと、両親は大喜びでした。お礼を申し上げます。両親はどうやら、私のことを暇だと思っているみたい。病人は病人なりに忙しくしているものなのに。ただでさえ気が滅入る日々に、ときおりこうして熱のある頭を動かさなければならない日が来るようです。私は殿下からの返事が来る限り、続きを書かなくてはなりません。熱に浮かされて無礼なことを書かないかが心配です。〉
そうして文通は続いた。互いが予想したよりも、ずいぶんと長く。
ふたりがはじめて顔を合わせたのは、彼女が十八になる直前だった。
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〈聞いてください殿下! また母の発作です! このたび私の子宮は役に立たないということが医師の口により決定的なものとなりました! するともう、ああ、なんということでしょう。母の嘆きようは、婚約者が非業の死を遂げたようなありさまです。しつこくって見ていられない! 当事者の私からしてみれば、あらそうなの? ってもんです。機能不全の役立たずの体を持って生まれて可哀そうな瘦せこけた娘ですって! 私ってそんなに醜いのかしら? あなた、ちょっと見に来てくださらない? 〉
〈いいえ、気にしてはいません。今にはじまったことではありませんからね! この体も、母の発作も。不服なのは、私は永遠にこの家から出られなくなったってことだわ。ああ、哀れな人。私がいる限りあの人は喜びの言葉を吐くことができないの。絶対にあの人より長生きしてやるわ。そのためなら悪魔に魂を売ったっていいわ。あの老人に比べれば、私の人生に喜びは多いでしょう。あなたの馬鹿みたいな返事がそのひとつよ。いつもみたいに激励してくださいね〉
〈慰めの言葉をありがとう。あなたも大変よね。今回のぶんです。あの人、何なのかしら。私を手元に置きたいの? それとも家から追い出したいの? 結婚ってそんなにいいもの? 父を見ていると思うのだけれど、私がそれをしたところで寿命を縮めるのではなくて? こんな手紙を夜な夜な書いているような花嫁なんて、新郎に絞め殺されるんじゃあないかしら。絞め殺しそうな新郎だったら、あなたが助けにきてちょうだいね。そうなったら、きっと面白いわ。『きみたち、いつそんな仲に!? 』って、あなたのきょうだいはビックリ仰天するでしょう! ああ、想像するだけで面白い。しばらくいい夢が見られそう。〉
〈お見合いは退屈で不快でした。最初がこんなふうで、次回と次々回はどうなるのかしら。早めに終わらせるためにはお相手を決めてしまうのがいいのでしょうけれど、気が進まない。負債のある花嫁なんて、誰が欲しがるの? 〉
〈貴方を貴方と分からなくてびっくりしたわ! ずいぶん背が高いのね。もっと小さいかと思ってた。病院で会って言うことではなかったけど、元気そうでよかったわ。初対面のふりは、お互いになかなかのものでしたわね。おそらく母の差し金でしょう。ずいぶん大物狙いだこと! あの手腕! 素晴らしいわ! 他の人の縁談で発揮すればいいのに! 〉
〈あなたも同じことを思っていたことにベッドの中で大笑いしました。私のことを何歳だと思ってるの? もうそんな服は卒業しました。ええ、次は約束の場所で、口と舌と喉でペンを使わずに返事を書きます。推敲できないから、多少の無礼はお許しください。当日現われなかったら、そのへんを歩いている頭にお花をつけた十二歳の女の子に着いて行っちゃったって思うことにします。〉
〈楽しかったわ! 直接会うと、普段できないことができますね。言葉を口から出すのは手っ取り早くていいものだわ。お互いに喉は大事にしましょう。〉
〈得難い経験をありがとう。とりあえずそれだけ。後悔はありません。だって、生きているかぎりやれることは全部やってみたい。その言葉に偽りはありません。あなたは後悔してる? 〉
〈おお友よ! 最近の私たち、ずいぶん調子がいいと思わない? 健康って素敵なことね。今なら海をひとつも二つも超えられそうな気分。明日には前言撤回しているかもしれませんが、今日は素晴らしい日だったということをあなたの頭に記録したいと思います。今度の予定はあなたのいいようにしてくださいね。私はいつでもいいです。〉
〈あなたが恋愛小説を読むことにびっくりしただけよ! もう怒ってないといいのだけど。心配はわかります。あなたは男の人だし、私は女の人。あなたの心配については、よくわかっています。共感もできます。もちろん女ですから、嗜みです。だから怒らないで。その心配は無用よ。こちらは問題ありません。またいつもみたいに話したいわ。〉
〈あなた、どうかしら。これはつまり、やあ元気? って意味です。すこし問題発生よ。〉
〈あなたが死にかけているって、冗談でしょう? 〉
〈おお友よ! あなたがこの手紙を開いて笑ってくれますように! とんでもない奇跡が起きちゃったみたい。私の枕もとに何が来たと思う? トゥルーズのほうが詳しくご存じかしら。つまりそういうこと! あなた、ひっくり返ってベッドに逆戻りよ! 私たち今後のことを話さなきゃ! 〉
〈ごめんなさい。それだけ。友情に裏切りは無いと信じてください。あなたが愛するように、私は愛します。私はなりたい自分にはなれない人間だけれど、母のようにはなりたくないということだけは分かっているのです。あなたが弟を愛するように、私はその真似をします。そして私の努力が実を結ばなくても、あなたが生きている限りは、あなたが私の意思と、この事業を引き継いでくれると信頼しています。この友情があれば、私はなんだってやり遂げてみせましょう。心から愛をこめて。きっと生きて戻ります〉
〈こんなことになって、目覚めたばかりのあなたには、負担をかけて申し訳ないと思っています。式ではありがとう。我々の友情は紙面のものに戻りました。でもずっとあなたが心配だし、ずっと大切です。友よ、我々は永遠です。〉
〈私は大丈夫。〉
〈ケヴィン殿下、お花をありがとうございます。病床のあなたに気を使わせていたらごめんなさい。リリオペの花は一番好きな花なんです。ヴェロニカ皇女にも、とても喜んでいたと、ありがとうとお伝えくださいね。もちろんこちらからもお返事しますけれど、話の種にでもしてください。不肖の母ですが、陛下に尽くし、子に尽くします。どうかこれからも温かく見守ってください。〉
〈アルヴィンをよろしくお願いします。たくさんの笑顔と喜びをありがとう。どんな顔をして読んでいたか知らないけど、同じだけ笑ってくれていたら嬉しいわ。私たちが男女逆でも、男同士でも、女同士であっても、私はあなたと友になろうと励んだことでしょう。あなたがいたことは、私の人生最大の幸運でした。
あなたの親友のリリオペより〉
〈リリオペ。きみは私の知る限り、もっとも勇敢な戦士だ。どうか安らかに。いずれ訪ねたら、また話そう。気高い君のことを永遠に尊敬している。
きみの親友より。人生における半分の愛をこめて。
もう半分はアルヴィンに捧げることを約束するよ。だから安心して休んでほしい。〉
今話についての後書きを、近況報告ページに掲載しました。(次話を読了後のほうが読みやすいです。)