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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
八節【ファム・ファタール】
217/223

8 ノンフィクション

※謎の空行が何度やっても直らないので、再投稿しました。

 ◇



 男は、駆け込むように鍵をかけると、締め切られた執務室で獣のような唸り声をあげた。

 落ち着くために座った机へ爪を立て、激しい貧乏ゆすりで引き出しがガタガタと音を立てる。


 自身の明晰な頭脳に絶大な自負があった。肥大したプライドが、人の目があるところでの感情の発露を許さない。執務室で物に当たって、荒れた部屋を召し使いや妻に見られたり、機嫌の良し悪しを察せられることすら、弱みを見せるようで嫌だった。

 男はそういう人間だった。


 ――――今朝、次の女王が立った。


 それを阻止するためだけに、男は私財を投じ、長く険しい根回しと忍耐の日々を重ねてきた。

 けっして私欲のためではなかったのだ。国の未来のため、家門と子供たちのために、身を粉にして働いてきたつもりだった。

 跡取りの娘の拘束に成功したときは、万事うまく行っていると喜んだ。逃がしたあとであっても、まだ猶予は十分にあり、挽回はきくと信じて疑わなかった。


(それが一夜にして無に帰したというのか……! )


 王都はいまだ混乱のさなかにある。貴族街でも、夜遊びに出ていた若者や、召し使いが突如として変貌したりと被害が出たという。

 あの二日前の夜から、三人の仲間とも連絡が取れなくなっていた。派閥を形成する同士は数十人といるとはいえ、どの家門も欠けることができない、重要な仕事を担っている。


 逃げたのか。しかしあのタイミングでどこへ? それとも……。


(……いや、ここで退けばそれこそ終わりだ)

 男の目に、ほの暗い闇が宿る。情熱と執着の煮凝りが、どろりと渦を巻いた。





 ――――現在。


「いったいどうしたというのMs.グリーン嬢」

「いえ、私も詳細はまったく……慌てたようすの貴族に、北の宮へあなたを探して連れてくるようにと言われました。私も口伝で頼まれたので、どこからの要請なのかもちょっと……」

「北の宮……なるほど、いいでしょう。あなたもいらっしゃい」

「えっ、でも、作業がまだ」

「では休憩とします。私のお供が終わったら、二十四時間は自由行動よ。あなただけじゃなくて、順番に全員を休ませていくわ。おかげで予定よりも進んでいるもの。じゅうぶんに試運転の予定も組める計算よ」


 長身の女たちは、足早に王宮を進んでいた。

 陽は陰り、すでに夕刻。夕食の鐘もじきに鳴るだろう。

 プリムローズは、さきほど食べたような気がするサンドイッチの味を思い出した。さてあれは、朝食だったか昼食だったのか――――。

 高い天井と、はてしなく思えるほど長い回廊。

 掃除するにも大変そうな窓の外には、遠く城壁の外に広がる緑の平原や街並みが見えた。


 北の宮は、本来であれば王子や姫の住まいとされる区画である。

 現在そこは、フェルヴィン王家の逗留する場所となっていた。

 フルド博士――――エリカは、緊張するプリムローズに、「私も踏み入れるのは初めてですよ」と笑いながら、回廊のつきあたり、解放されたままの門の向こうへと進んだ。

 侍従や侍女といったものは見当たらない。人っ子一人いないと言ってよかった。

 プリムローズは、薄汚い自分の恰好を今さらながら意識しはじめた頃合いだったので、すこし安心して息をつく。

 足を進めていくと、何かを言い争う声が聞こえてくる。内容は聞き取ることはできなかったが、これはそうとうな大声で騒いでいるに違いなかった。

 しかし博士は、その声の方向へ向かうつもりではなかったらしい。


「あ、いたわね」

「……すみません師匠せんせい。設計者のあなたがいたほうがいいと判断しました」

「なるほど。……いいでしょう。同席します」


 プリムローズは、どうやら彼が博士を呼びつけた人物であろうと推測した。


 これといって特徴のない扉の前で立っていたのは、小柄な青年である。

 小柄だが、体はずいぶん鍛えられていると服の上からすぐにわかる。

 王城に登るには地味で着古した上着とブーツ。大きな丸眼鏡をかけた目つきは強くて鋭い。そして何より、ざんばらの長い赤髪を背中に流している姿は、古典活劇の登場人物に今風の服を着せたような質感がある。


 エリカは心なしか首を青年に傾けて、小声でいくつかのやり取りをすると、ちらりとプリムローズを見て少し笑いかけ、続けて青年のほうも彼女に視線を投げた。

 一瞬ぶつかった視線からは、何の感情も読み取ることはできない。

 博士は扉の向こうに消えていく。

 ――――彼はどうやら困っている。

 人見知りするたちなのだろうか。武骨な青年はわずかに顔をしかめ、かすかなため息をつくと、しかめ面のまま彼女のもとに歩いてきて、こう言った。


「よければ、ヴァイオレット・ライトと会っていきませんか」


 腕が触れる位置で見下ろして、ようやくその青年が、よく知る顔とずいぶん似ていることに気が付いた。




 ◇




 プリムローズを送り届けたサリヴァンが戻ってくると、師は壁にもたれて『彼女』と話すヒースを眺めていた。

 語り部マリアは、ケヴィン・アトラス皇子と契約した魔人である。ヒースは持ち前の社交性で様々な話題を振っているが、マリアは椅子に腰かけたまま、人形のように瞳を伏せていた。


 ヴェールのかかった目元。短く切りそろえられた黒髪。細い顎、紅を差した小さな口。常に伏し目がちの、大きな切れ長の目を持つ彼女は、お仕着せの黒衣のドレスもあいまって独特の退廃的な雰囲気があった。

 『語り部らしい語り部』だと、ベルリオズかトゥルーズあたりが言っていた。サリヴァンの目には『魔人らしい魔人』という印象が残る。――――つまり、人のかたちをした無機物ということだ。



「グウィン陛下は? 」

「じきに来ると思います」

「時間はかかりそうね、あのようすじゃあ」


 同意のかわりにサリヴァンは深く息を吐いた。

 遠い親類の兄弟たちには、すでにそれなりの情と信頼がある。このタイミングでの仲違いには、いっそう心配がつのった。


 音を立てて扉が開いたのは、そんな会話からしばらく経ってからだった。

 大股で入室してきたのはケヴィンである。三歩遅れて、険しい顔のままのグウィンがやってきた。

 ケヴィンが当たり前のようにマリアの隣に座り、グウィンが向かいに腰を下ろした。


 サリヴァンは思い出す、

 あの天空の城、機密にまみれた奥深くの部屋で、ジジの視界を借りて見た黒い靴。逃げていくヒールのある女物の靴の裏。


 あの一瞬では自信がもてないサリヴァンと違い、記憶を情報として劣化せずに処理できるジジは、そうそうにスパイを特定していた。

 追求が遅れたのは、ひとえに時間とタイミングがなかったためだ。サリヴァン手製の杖が、語り部に贈られるよりも前だったということもある。


 グウィンが口を開いた、

「話してもらおうか、ケヴィン」

 ケヴィンは喉の奥に苦いものを抱えたような顔のまま、押し黙っていた。

 グウィンは、テーブルに置いた右手を持ち上げて言う。


「【スート】――――」

「やめろ! ......ちゃんと私の口で話すから、マリアに聞き出そうと強要するのはやめてくれ......」


 ケヴィンは、頭を抱えるように机に肘をついた。

「ご主人様」


 そのときサリヴァンは、マリアの声をはじめて聴いたような気がした。

 彼女は伏していた視線を上げ、まばたきごとに視界に納めるようにしてあたりの人間を見渡した。


()()()()()()()()()()

「……何もしなくていい。おまえは何も喋るな。私がすべて話す」

「……いいや、ケヴィン。それは駄目だ。アリスと繋がっているというおまえの疑いを晴らせない」

 グウィンが、低いが柔らかい声色で言った。


「……マリア。【教皇】として命じる。ケヴィンの言葉に偽証やごまかしがあれば、おまえが言葉でそれを正せ。不都合なことを言わなかったり、誤解を招くような言い回し、足りない情報があれば補足をいれろ。わかったかい」

「承りました」

「頼んだよ」


 ケヴィンは諦観の顔で、そのやり取りを見ていた。悲しげではあったが、落ち着きを取り戻したように見えた。


「……マリアごしに、アリスに唆されたことは、事実だ。いつから、といえば、船を降りてしばらく。姉さんと兄弟たちで話をした夜、あのあたりだった」

「何を話した」

 ケヴィンは空に視線をさ迷わせた。


「『彼女』のことを」

「……脅されたのか」

「アルヴィンに話すと、脅された。が、半分は自分の意思だ。交渉された。利害が一致したんだ。私は……」


 ケヴィンは、恥じるように目を伏せた。


「……フルド卿。エリカ・クロックフォード。彼女のことが知りたかった。愚か者と罵ってくれ。私は間違えた。暴くつもりではなかった。間違えたんだ……」


 ケヴィンは、具体的には言わない。しかしマリアは補足しなかった。それはその隠された言葉の意味を、少なくともこの場にいるヒースとサリヴァン、そしてエリカ本人には通じたとわかったからだろう。

 あの場で、エリカは自分の寿命をサリヴァンに告げたことを思い出す。


 ケヴィンは長く、誰とも知れないひとに恋をしていた。そこにつけこまれた。


 ――――そして、望みは絶たれていたこと。あらゆる何もかもが、遅いことを知ってしまったのだ。


「『彼女』は全部知っていた」

「アリスのことか? 」

「いいや。ごめん。違う。彼女は、リリオペだ。彼女は、そう、彼女は」


 ケヴィンは、今は亡き義母の名を親しげにつぶやき、顔をおおった。


「彼女は、何よりもまず、僕の無二の友だった。誰にも知られない、ほんの子供のころから――――」


 青春を語るには暗い目が、遠くの過去を見ていた。



エリカが首を傾けてサリーの話を聞いていたのは、身長差があって声が聞き取りにくいからです。

(サリー156cm、エリカ175cm+ヒール)

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