8 できっこないを、やらなくちゃ
政治パートは駆け足で。
別名カーチャン回。
「どうぞ、おつかれさま」
「どーも」
侍従が差し出したカップを、ジジは気負わないしぐさで手に取った。堂に入った優雅な所作は、裸足の浮浪児には似つかわしくない。
サリヴァンはいなかった。侍従を壁まで下がらせ、向かいに座るエリカはテーブルの上に盛られたビスケットの山に手を出すようすのないジジの姿を眺める。
「落ち込んでるわね」
「……はあ? 」
ジジは、心外だとばかりに顔を歪めた。
「言い換えるわ。……イライラしてるでしょう。考え事で気もそぞろだわ。食事が娯楽で一番好きなくせに」
「ふん」
ジジは不機嫌そうに鼻を鳴らして、山盛りにされたビスケットを一つつかむと、恰好を崩してあぐらをかいた。
「ま、そのほうがあんたらしいわね」
エリカもひとつ手に取って、そのまま口に運ぶ。
「地上のほうは、あなたの誘導のおかげでずいぶんスムーズに事態を解決に導けたわ。よくやってくれました。地下遺跡の上に貴族街があったことは、もちろん知っていたのよね? 」
「へえ~。そうだったのォ? 」
「まっ、白々しいこと。幸いにもね、あのあたりはあの晩、誰もいなかったの。屍人の騒ぎで、全員出払っていたわ。家主は呼び出されて王宮にいたし、使用人もなぜだか誰一人としていなかった。夫人は、実はもう三週間も行方不明だったけど、先日ようやく遠い街でバカンスしているところを見つかったわ。なぜか偽名を使って、未亡人を名乗ってね。驚くのは、そうした行方不明の事例が、近隣三件で起こっていたってこと。何人かは悲しいことに、屍人に襲われたみたい。遺体で発見されたのよ」
「物騒だね。怖いなぁ」
「ええ。でも、もう大丈夫。大穴まで空いてくれたおかげで、どこの屋敷も空っぽよ。……もちろん秘密のお手紙や、隠し部屋なんかも、鍵をかけることを忘れているかも」
「そう、なら安心だね」
「ええ。こちらの首尾は上々。でも前線は大打撃だった。……アルヴィン皇子のことは、残念だったわ。ほんとうに」
「…………」
ジジは、手にしていた菓子をむしゃりと口に含んだ。
「話は聞いているわ。もしかして、責任を感じてる? 」
「…………」
「感じてるのね。子供、好きだものね、あなた。ジジ、あの夜はいろんなことが重なったわ。あなたは作戦実行中にもかかわらず、地上にも体を置いて私との連携も欠かさなかったし、地下では斥候と指示役。同時刻にはサリヴァンも襲撃を受けたことも感じ取ったはず」
「……ついでに皇子のお相手は燃える巨人で、相性最悪だった――――ってわけさ。
あのさア、なんでボクって、もっと熱耐性つけられないわけ? 」
「それはねジジ。あなたの細胞を構成するのがタンパク質で、その弱点を補って余りあるほど、あなたが高性能で多機能だからよ」
「ケッ! 昔ならガキの一人や二人お守りしながらでもやれたのに。あのババア、絶対殺す……」
むしゃむしゃと菓子を食べながら愚痴るジジを見つめながら、エリカはニンマリと笑んだ。
「ぎゅっとしてあげたほうがいいかしら? 」
「ぶっ! 」
ジジは、眉頭を皺くちゃにしてエリカを睨んだ。
「ボクのこと何歳だと思ってんの!? 」
「その台詞を吐くならね、相応の年恰好をしていなさいな。昔はよくしていたでしょう? ほら、ぎゅっと」
「すげーやだよ……遥か昔の古代の話じゃん。それで喜ぶのアンタだけだろ。なんで傷心のボクが自分を曲げなきゃいけないんだよ……」
「あらっ! やっぱり傷心なの? ならいいじゃない。ほらほら隣に来なさいよ」
「わっ! あんた悪い癖だからなそれ! にじり寄るな! 実力行使しようとすんな! おい技術の乱用だぞそれ! 」
「ほほほほほほほ! あんたはしょせんわたしの被造物なのよ! ほらぎゅ~っと」
「ギャァアアア! やめろクッッソババア! 」
「はははははは! 制空権取ったり! この手にかかればこんなものよ! 」
「……あ、あのう~」
訪問者の声に、二人はハッとして絨毯の上から体を起こした。
眼鏡をかけた背の高い令嬢が――――プリムローズが、困った顔で立っていた。
「すみません、火急の用なもので、陛下に聞いたらこちらにいらっしゃると……。で、出直しましょうか……? 」
「いらない!この人連れてって! いますぐ! 」
エリカは、少し赤い顔で満足げに微笑んだ。
「ええ、もう十分。行きましょうか」
◇
―――――あの夜。
フェルヴィンの皇子たちが、ひとつの運命に立ち向かっている中、ある女もまた自身の運命に挑んでいた。
深夜の陽王による一斉召喚の対象となったのは、二百二十五人にもわたった。
そのうち、八割がたの人間が夜明けまでに駆け付けることができたのは、事態の深刻さと、陽王の強引とも取れる方針による。
中には寝間着の上に上着を着ただけで箒で乗り付けてきたものもおり、濡れた靴下のまま寒そうに杖で暖を取っている。
城に勤めがある役人や貴族らの他には、よくわからないまま連れてこられた学者たちの不安げな顔も混ざり、場は異様な雰囲気に包まれていた。
「よくぞ集まってくれた」
あらわれた陽王エドワルドはホールを見渡し、太く力強い声で、忠臣たちをねぎらった。
「この非常事態に、おまえたちの存在なくしては乗り越えることは不可能と判断した。求めに応じてくれたことに礼を言う。まずはこの場で、現状、把握できているだけの正確な情報を共有することとする。
――――九月末、フェルヴィン皇国にて、『最後の審判』の宣誓が成された」
ざわめき―――――動揺。恐れ。情報への疑念が広がる。
しかし陽王が口を開くと、波が引くように怯えた声はやんだ。
「―――――これは確かな事実であり、これによりフェルヴィン皇国皇帝レイバーン・アトラス帝は崩御。グウィン皇太子殿下が、現在フェルヴィン皇帝として即位し、現在この第18海層への亡命と保護、後援を求められている。事後報告となるが、我が国はこの求めに応じる方針で動くこととする。
――――次に、審判の開始とともに『選ばれしもの』の選抜がすでに始まっている。我が国からは三名のものが選ばれた。フェルヴィン皇国からも三名、これはグウィン皇帝と、ヴェロニカ皇女、そしてアルヴィン皇子の三名。知っての通り、彼らはすでにこの国へ上陸している。
『選ばれしもの』を後援することは、人類存亡のため、また我が国の建国以来掲げたる魔術師の国としての理念に従い、優先されるべきことである。これは陽王、そして陰王に共通し、揺るがぬことである。
――――次、城下にて発生している同時多発的な狼藉について説明する。
こたびの『審判』において、レイバーン前皇帝を弑逆したものが、『選ばれしもの』に選抜されている。『魔術師』の位を得たそのものは、死者を操り、破壊と混乱をもたらすものである。此度の事態も、これら『魔術師』によるものと断定された。
彼奴らはすでに、グウィン帝と他『選ばれしもの』たちと協力するどころか攻撃を繰り返し、幾度とない襲撃をしている。
――――つまり、正しく人類の敵対者である。
彼奴らの魔術は狡猾にして卑劣な手段をもって、生きとし生けるものの陵辱と殺戮を目的とし、現在、この攻撃の標的が我が国と臣民に向けられている。
グウィン帝はすでに彼奴らへの直接攻撃を開始しており、我々は後進として混乱を収めなければならない。
未明、目にしたものも多かろう。国中に降り注いだ光は、察するとおり魔を払う古代の力。陰王陛下による攻勢であった。
我が国はこの瞬間より、『最後の審判』に向けた戦中宣言を発令する。
これはつまり我が国は威信をかけて人類存亡を目的とし、反人類敵勢力との開戦を宣言するものである―――――! 」
誰もがぽかんとして、言われたことを咀嚼していた。飲み込んだものから拍手と喝采が上がる。
――――隅で何も分からぬまま連れてこられたプリムローズも、熱気に充てられて大きく手を打った。
「―――――聞け! 臣民よ! では何がまず必要か? 我々は何をするべきか! 」
女は、ゆっくりと呼吸をしながら瞬きをした。
陽王の大柄な影に隠れ、彼女は控えた侍女のひとりにでも見えているはずだ。
壇上から集められた家臣たちを見下ろし、彼女はそのいくつかの顔に目を止めた。
――――もうすぐよ。待っていなさい。
「――――敵勢力は、屍と魂を操る! そしてわが国には、このような悪しき魔術に対応する魔術が存在することは、先だって知っての通りである! 」
「銀の杖を持つもの。時空蛇の加護のもとにあるものであっても、その術は防ぎきれない。陽王王家と陰王陛下のみが、これを打ち払うことができるのだ。私は、陽王は、この困難に立ち向かうため、後継者となるものが必要であると心に決めた」
おもむろに、エドワルドは道を開けるように半歩下がった。
「――――ミリアム・ライト辺境伯夫人は、我が母マリア・アントニア前陽王の隠し胤である。
母が与えた名を、ミリセント。我が妹の名は、ミリセント・ミリアム・ライト・ロォエン」
銀糸で縁どられた赤く裏打ちされたマントを纏い、薄く黄色の透ける白いドレスを着たミリセント――――ミイは、壇上から兄と同じ青い瞳で見下ろした。
「――――陽王エドワルドは、後継者にこの王女ミリセントを推挙する」
金髪とされていた髪は赤毛を帯びており、細かく編んで銀の輪で飾られている。
その立ち姿は、ホールの、まさに彼女の後ろに飾られた前陽王アントニアとよく似ていた。
「―――――みなさん」
今しがた皇太子として指名された女は、小柄な体からよく通る声で声をかけた。
「多くの混乱が、この場を渦巻いています。脅威を感じ、おそれを抱くことは当然のことでしょう。この場に立ち、こうしてみなさんの顔を見つめることで、それがよく感じ取れます。
どうか、私を恐れず迎え入れてください。わたしが王女であったことは、母上の血を引くことは恐れることではありません。わたしは何もなければここに立つことはなく、サマンサ領で辺境伯夫人として生涯を終えるはずでした。子供たちも同じように生き、誰にも知られず、領地で臣民のひとりとして命を終えたことでしょう。
しかし、事態は変わりました! 我々は選択しなければならず、わたしは一足先に、ここに立つことを選択したにすぎません。
娘たち、息子たちのため、わたしはここに立ち、戦うことを選びました。
どうか共に戦ってください。どうかこの国にいる、我々の子たちのために戦いましょう。まずは父として、母として、手を携えてこの急難を乗り越えるのです」
◇
「悪くなかった」
「そうかしら……少しは威厳があるようにふるまえた? 」
「いいや、前言撤回だ。とても素晴らしかったよ」
エドワルドは隣り合った椅子を少し寄せて妹の肩を撫でた。民の前での姿は少し形を変え、妹の前ではただの兄の顔を出す。優しく、少し自信が無さげで、哀願するような青い目だ。
「……すまない」
「言わないで、お兄さま。ようやく兄妹になれたじゃない」
丸い顔をくしゃりとさせて、ミイは兄に力強く笑いかけた。
「……問題はこれからよ」
「ああ」
集められた家臣たちが、身だしなみを最低限整える少しのあいだ、つかの間の休憩時間であった。
ミリセント王女は立ち上がり、兄に頷きを返す。兄のエスコートで部屋を出た彼女は、こんどは家臣たちと同じ床のもとへと降り立った。
ホールには、ドーナッツ型に、テーブルで急造された儀式台がある。その中心に入り、ミイはもう一度、周囲に分からないように息を整えた。
――――このテーブルが、陽王と王女を守るためのバリケードになるのだ。
「皆に、気落ちすることを申さねばならない」
エドワルドが口を開いた。
「今からすることで、ここに悲しみが訪れる。しかしやらねばならない」
魔術を蜂起させるのはミリセントの仕事だった。
銀のインクで床面に急造された『運命の輪』の退魔の陣が、ミイの魔力で蜂起する。
二百人の人間の林の奥で、ひとつ悲鳴があがった。ふたつ。いつつ。十。
魔術が飛び交う。ミリセントは杖を上げて鞭のように振るうと、テーブルに足をかけて乗り上げた。躊躇することなく、エドワルドも同じようにする。
慌てる配下が見えた。
そうだろう。バリケードに自ら乗り上げるなんて、とても愚かだ。しかしその愚かさが必要だった。
「“■■■■■■■■■■■■■■■■”」
ミイの口から特別な呪文が放たれた。ミイの掲げた杖から、夏のさかりの枝葉のように、天井を覆う銀の光が伸びる。
あまたの杖が震え、それに呼応した。
肉袋が音を立てて床に伏す。この場に残るのは、真に祝福された生者だけ。
肩で息をするミイの背を支えるように、兄王の手が添えられた。
――――血は証明された。
次代陽王は、受け入れられるだろう。
①学者たちを呼んだのはエリカの策ですが、②そもそも国内の過激陰王派閥を一掃するための策を主導していたのはミイで、今回の屍人事案を利用することを発案したのもミイでした。
③として、陽王エドワルドは、ミイのお披露目パフォーマンスを提案、今回先導して動いています。
開戦宣言はあくまでも対『魔術師』へのもので、非常事態の危機感を煽るためのパフォーマンスのひとつです。内戦を目論む流れに、『今は内戦をするつもりはないぞ』と釘を刺すかたち。
重ねてきた準備がパァになりそうで焦っている貴族もいれば、内戦路線が無くなりそうで安心している貴族もいます。
エリカがアドリブ的に呼んだ学者たちは、潜在的に、陰王が本来求める『陰王派の思想』=『魔術を次世代に継承させるために血路を拓こうとしている人たち』でした。
今後、彼らはこの場に陰王から強く求められたという箔を引っ提げて、一定の政治的地位を得るようにミリアム(陰王派筆頭のライト家夫人にして次期陽王)から働きかけられることになります。
宮廷内には、外交と用兵(軍)に優れた南部と東部の出身貴族(陽王派)に偏りがあるため、こうした施策(への布石)が取られました。
学者たちは後援される立場で、次の陽王を後援する地位はまだありませんが、陽王とミリアムとエリカは、いずれ彼らにそうした学閥を越えた政治力と横の繋がりを期待して巻き込んでいます。
(以上、魔法バトルを書こうとしたら蛇足になるかなぁと語りにくい政治部分の解説でした)