8 不幸あれA②
わ~!と、大声をあげて走り出したくなるような、そんな最新話。(になっていたらいいな)
6/10 前話にエピソードを一話割り込みで投稿をしたため、お話がスライドしています。
「……それってほんとうのことなの? 」
ヴァイオレットは、からからに凍り付いたような手足をぶらさげながら、走り出さないようにつとめてゆっくりと動かしていた。
冬のさなかである。街はおそるおそる日常を取り戻そうとしている気配があり、人々の呼気の数だけの熱気が集まりつつあった。
しかし、国家の中枢である宮中はいまだ非常事態のままであり、ヴァイオレットはなけなしの理性でもって、この体を制御しなくてはならなかった。
清潔な部屋だ。そして静かな部屋だった。
「……ほんとうなのね」
ヴァイオレットへの返事のかわりに、グウィン・アトラスはみずからの手で、台の前へと導いてくれた。
ヴァイオレットは、まだ若く柔らかい心の中に、最上級の哀しみというなら『これ』であろう――――というものを、知った。
冬の青い日差しの差し込む部屋、群青のたっぷりとしたきれいな布に包まれて、あかがねの光を宿した金属片がひと山、そこにはあった。
◇
なんで私はここにいるのかしら。
と、めまいがするほどの忙しさの中、プリムローズ・エマ・グリンヴィア(親しい学友は『ミス・グリーン』または『ローズ』と呼ぶ)は、壁際でなんとかサンドイッチを嚥下し、はしたなくもパンくずを手から床へと払い落としながら、人がたむろするテーブル群に戻っていった。
そこには、ありとあらゆる形の卓という卓がひとところに集められ、一枚の大きな卓の様相をなしている。
テーブルクロスのように広げられた布は三枚目で、その白地のカンバス地の布にはおびただしくも精緻な文様が多数の手によって刻み込まれている最中だった。
プリムローズもまた『杖』を針に変え、インク瓶を取り出すと、はしたなくもスカートをたくし上げてテーブルの上に乗り上げ、手を動かしはじめる。ときおり身を起こして手元と全体と前方に広げておかれた一枚目の絵を眺め、またハリネズミのようにうずくまりながら手を動かした。
埃なのか自分の呼吸なのかで汚れた眼鏡レンズに、ほつれた髪、王宮に来るために着てきた従妹のドレスも、一日目で見るも無残なありさまになった。それ以来、お仕着せとして夏用の麻のドレスを引っ張り出してきてもう二日と半分も着ている。
あたりには、王宮の一角とは思えないほどの悪臭が漂いはじめていた。
(なんでここにいるのかしら)
そもそもの目的は、ヴァイオレット。あの級友に会うためだった。
この時期に王都に乗り込むということは、すなわち、貴族の一族としての仕事をしにきましたととられる。
年末年始に王都へ集まる貴族たちは、各家ごとに招待状の数だけ定員があり、礼服は新品が好ましく、それが三枚以上は必要で、それらの身支度を整えながら、社交のために日頃会えない人々と連日何枚もの手紙をやり取りしながら、領地に帰るまで絶え間なく動き回る。
駆け込みでやってきたところで、式典まで一か月も切った今日では歓迎されるか嫌がられるか、どちらにしろ悲鳴があがるのだが、今回のプリムローズは半々の反応を浴びるはめになった。
子だくさんのグリンヴィア一族は、分家でありながらも裕福な南部貴族のならいとして、広い庭付きの別邸を王都に持っている。
そこに、嫁入り前の娘たちとそのお付きの親たちと使用人、嫁いでいった夫人たちもお付きを連れてばらばらに訪ねてきては交流していくため、それなりに広いはずの別邸はとんでもない人口密度となっていた。
旅装で汚れたプリムローズは、まず十年も前におしめをつけていたはずの従妹をちょうど玄関先で見つけ、怪訝な顔をされながら伝言ゲーム方式で老いた母と十二年ぶりに再会することとなった。
「なんだってこんな忙しい時期に! 」
「あっちのお見合い、プリムローズのほうをねじ込んだほうがいいのでないかしら」
「いやだ! 私、そういうつもりで帰ってきたわけじゃないわ」
「ママ、あの人誰? 」
「プリムローズよ。ララおばさんのところの長女」
「ねえ! この家のどこに寝るっていうの? 手が空いた使用人なんていないわよ」
「物置だって眠れるわよ」
「そうはいかないわよ。そんな淑女だか分からない人がいたら使用人も困るでしょ」
「招待状はこの子にスライドして、こっちは親同伴じゃなくても……」
「だから、お見合いする気で帰ってきたんじゃないんだってば! 」
「なんだってこんな忙しい時期に!!! 」
老若男女から文句だか歓迎だか愚痴だかをいなしながら、別邸を拠点に情報収集に駆け回り、二日とたたない夜、あの事件が起きたのだ。
(ヴァイオレット、あなた、いったいこの街のどこにいるの? )
プリムローズはそのとき、駅にいた。
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