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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
八節【ファム・ファタール】

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8 不幸あれA①(2025/6/10追加)

後半に加筆。


 赤毛のカマエルは、飛ぶのが好きだ。

 冥界の炎を踏みつけに高いところに立つと、世界を踏みつけにするようで心地がよかったから、この男はこの体で蘇ってからというもの、空を飛ぶのが楽しくて仕方がなかった。


 生前、孤児だったこの男は、大規模な飢饉の二年目の秋に、母国が運営する『奪還軍』と呼ばれる遠征軍の数合わせとして、聖騎士見習いとなった。

 『奪還軍』の目的は、先祖が奪われたとされる聖地の奪還である。しかしその記述上の『先祖』は、侵略してきた民族が滅ぼして久しく、ようするに『聖地奪還』は略奪のための大義名分でしかなかった。

 聖騎士とは、領土を侵すための大義名分をあらわした名前だった。


 王に任命された正式な騎士は、そもそも行軍の中には存在せず、長大な列の先頭にいるのは、その騎士に雇われた傭兵たちである。

 傭兵団の大将は貴族の血を引いた教養豊かな男であり、身を落としてもなお、その信心深さはよく知られていたが、自身の教えを積極的に仲間と共有することはなかった。

 血を浴びる仕事のさなかでは、経典の真理は邪魔になるという考えのもと、配下の思想を正すことはせず、国に求められる自身の役割にまい進した。

 多くの聖騎士見習いと呼ばれた子供たちは、そうした中で、戦いと、建前としての誇りと、虚飾で彩られた『教え』を育まれていった。


 『カマエル』と名付けられた農奴の生まれの子供に、過酷な行軍と略奪を繰り返す生活は、ふしぎと水が合った。

 駐屯した教会で簡略的な洗礼を受け、正式に僧となるも、それは結果として名前だけのものになった。旅の道すがらに宿った信仰心は、剣ではなく棍棒で殴り殺すための理由となったのだ。


 カマエルは、純粋に戦うことが好きだった。

 いたぶることも好きだった。

 彼の目に見える世界は、今も昔も、暴力を軸にした快楽と不快の世界であり、弱者を虐げることに苦痛を覚えず、暴力と快楽と使命感を、ひとかたまりに結びつけることができてしまっていた。

 この男の世界への愛は、この『暴力の種が消えないこと』そのものに向けられていた。

 間違った正義を、間違っていると割り切って、欲望のために利用する悪辣さは、彼とその仲間たちの命を生きながらえさせ、怖れとともに、敬いと憧れを生みもした。


 カマエルは、いずれは天使になりたいと、本気でそう願っていた。

 使命の名を借りた暴力の果て。その道が拓けると、そう信じて。


 ――――二十三歳の夏。聖地奪還軍改め、略奪侵攻軍の副将として首を撥ねられるその瞬間まで、それだけが胸に抱く夢だった。




 ◇




 朝だった。

 カマエルは、野草を摘み、南の方角に誂えた小さな祭壇に供え、手を祈りの形に組んでいた。

 窓は割れて土埃と風が吹き込んではいるが、朝陽が照らすその場所は、都市部から離れているにしては立派な礼拝堂の形を成している。

 かつてあった栄華、廃れた信仰のなごりを慈しむように、カマエルはこうべを垂れていた。


(……なるほど。なんとも複雑な男だ)


 そう驪雲リウンは、老武人ゆえの達観した目で赤い騎士を見た。

 苛烈な悪習をよしとする狂信者。歴史に名を遺す乱暴者とされた亡霊は、しかし実際のところ、こうして穏やかな姿も見せる。

 カマエルからすれば異教徒である驪雲や、灰の巫女――――『魔術師』にしても、目的を同じくするならば、親しくするのもやぶさかではないらしい。

 きっと生前もそうだったのだろう。仲間とみれば、卓を囲ってひとつの皿を分け合い、同じ酒器で酌み交わし笑い、人を魅了する。――――おそらくそんな男だった。


 驪雲は、そんな男に覚えがある。優れた将を称えるうたに、よく謳われる気質そのものである。


 戦場での狂気と、平時の知性でもって、人を操るわざ。

 驪雲リウン自身も、さんざん利用したわざだ。カマエルが将として仲間に担ぎ上げられたのも頷けた。

 こうした男をかしらに置くことで、あるいは頭が片腕とすることで、軍旗を彩る箔がつく。それがカマエルという将だった。



(しかし……どうしたものか。扱いづらい男でもある)


 冷たい目で、軍師は祈りの姿勢から身を起こす武人を観察する。

 筋肉達磨、と言っていい恵体が立ち上がると、鎧の下に満たされた筋骨が軋む音すら聞こえてくるようだ。抜け目のない獣のように、毛を下ろして闘争心を抑え込む背中は、立ち上るような闘気に満ちている。

 戦いから数日経っても、浴びた血に酔い、次の闘争を持て余している、その姿。


 この肉体には、食事も排泄もない。睡眠欲も、性欲も、本来であれば、ない。

 生前であれば、それが心を現実へと引き戻すというのに。


 そのとき、形ばかりの扉をくぐって女がひとり入ってきた。

 黒髪の乙女は、刺青を帯びた肌に相変わらずの薄い笑みを浮かべ、驪雲リウンのとなりに腰を下ろす。


「まだ彼は落ち着きませんか? 」

「日ごとに」


 驪雲はため息を吐く。――――この軍団の危うさに、ため息を吐く。


「今回は痛手であったな」

「厳しいのですね。痛み分けというのが正しいのでは? 失うものはあっても、目的としては成功しましたもの」


 巫女は頬に手をそえ、少し苦笑のような感情をにじませた。


「甘いな。おまえは将として向いていない」

「分かっています。世間知らずの箱入り娘と思っていらっしゃること」

「ああ、甘い……だから人の心が分からないし、来るなと言ったのにここに来る」

 向けられる瞳に苛立ちが混じる。

「……先達からの説教も、され慣れていないのだ、おまえは」


 少女の目をぎろりと睨み返し、驪雲はカマエルに向けていた観察の目を、この少女へと切り替えた。


「お前は何も知らぬ。知らぬことを知らぬ。言葉を交わした数が足らず、愛も欲も分からず、あるのは偏見と御大層な屁理屈だけの、()()()だ。それをまず知ったほうがよい」

「珍しく、べらべらと喋ったかと思ったら――――」

「見るに見かねて、な」


 女の頭越しに驪雲はカマエルを睨むと、細い肩をつかんで立ち上がった。


「来い」

「まあっ」


 太陽のもとに出ると、礼拝堂が視界に入るほどの位置まで遠ざかり、驪雲の腕に乗った少女の体が、ようやく土の上を踏んだ。


「お前はあの場で、自分がどれほど危険なことをしているのかすら分からんのよ。それほど幼いのだ。それを飲み込ませる」

「先ほどから、なんて無礼な」

「かんしゃく玉め。よいか、ああして()()()()()()のもとに、若い娘が訪ねてくるものではない。手痛く処女を散らしたいなら別だがな」

 常に眠たげに細められた目が丸くなる。


「亡霊となっても、備わった習慣というものがある。煮えた頭と体を冷やさなくては、心が疲労する。それを癒すのに、男は女を物体として使うことが()()。飢えを誤魔化しているときに、ちょうどよく獲物が鍋に入ってきたら、おまえならどうする? それは知っているだろう」


 不可解と予想外と羞恥心が混ざり合った顔を向けられて、驪雲はため息を吐いた。


(……ああ、己が教えなければいけないのか。将とするどころか、こどもに世の習いから教えこまなくてはならんとは……いったいどこから……)


「いいか……あの『悪魔』は、天空の城で蘇って以来、本体は『吊され人』を引き連れてどこにいるかもわからないだろう。そのうえ我々は少ない手勢の一角を失い、しかし率いているおまえは、その損失の影響を理解できていない」


「しかし、引き換えに、多くの命を奪えました。そうでしょう? 」


「それはこの世に溢れるもののうち、どれほどの割合だ?

 最下層では、カマエルに国ひとつを海に沈めさせる予定であったというのに、それも阻まれたではないか。この『審判』で、おまえが最後に勝つにしろ……冥界の霧が晴れたあと、最下層で石になった人間どもは、そのままそっくり残っているのだぞ。

 戦をしようというのなら、損害の大きさではなく、終わったあとに残る影響を考えて勝ち負けを裁量しなければならない。前回も今回も、我々のあれは、完膚なきまでの敗走といえるのだ。それを分かっていないのは、おまえだけなのだよ」

 薄ら笑いの消えた顔が、驪雲の胸のあたりを見ていた。袖の中で固く握り込まれた手は震えている。


(さて、説教から逃げ出さないだけの忍耐はあるか……では)


「カマエルは確かに、あちらの兵をひとり削った。しかしあの兵は、自身の目的こそは果たしただろう。カマエルのような兵士は、戦いの決着にもこだわりが強いものだ。あやつは目的の敵を討ちはしたが、奴ひとりで全員が生き残った以上、勝負には負けたのだ。狙いの敵はあの世へと勝ち逃げした――――これはじつに悔しいものだ。わからなくてもよい。そういうものだと知り、利用することを考えろ」


 頷くかわりにこちらを見る目に、軍師は目を細めた。


「しかしまぁ――――そう落ち込むものでもない」


 孫よりも幼い少女の頭を見下ろし、いびつに笑って見せた。


「予定外はあっても、巻き返せる余地はまだあろうよ」

「……何か知恵が? 」

「あちらの手勢の規模と各兵の能力はこれで分かった……それは大きかろう。()()()()()では、そのことが分かっているだけで違う方策が取れる。大枠は予定通りのまま狙いを絞り、確実に損害を与え、少しずつ追い込んで削っていくことにしよう。カマエルにはもうしばし我慢を強いるが……それも本命の戦いでの燃料となってくれる」

「…………」


 じっと耳を立てる娘に、驪雲はおかしみを感じた。


(亡霊となってなお、まさか戦場で、再び人を育てることになるのか……まあ、いいだろう。この老兵、そうした星のもとにいるのだろうからな――――)




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