8 怒りをくれよ③
「……クソ。面倒な」
ジジは、眉間に皺を寄せて路地裏に残った面子を見下ろした。
シオンが作った扉の向こう側には、新たにあらわれた『黒い騎士』『皇帝ジーン』、『女帝』ヴェロニカとコネリウスが。
こちら側には、屍人使いとみられる『羽帽子の男』と『赤い騎士』、『教皇』のグウィン『星』のアルヴィン『愚者』魔人ジジ『隠者』シオン『運命の輪』のヒース。
自然、伝令役として立つジジは、俯瞰して状況を見ながら(まずいかも)と臍を噛む。
人数だけを見れば、優勢である。
しかしそれは、危ういバランスをはらんだ優勢なのだ。
ジジは、フェルヴィンでの戦いを思い出す。魔術師が蘇らせたこの騎士たちには、おそらく大きな役割と、固有の能力がある。
「シオン! ボクはあっちに先に行くよ! 」
「ん!? そう言うってことは何かあるな!? 」
シオンは一瞬で事態を予感したのか、顔を嫌そうに歪めた。
「フェルヴィンでは、あの黒いやつから『奈落の蝗』が出てきたんだ。彼らだけじゃ対処するのに手が足りない」
「オ、オッケー! そりゃあマズいな! あとは誰が行ったほうがいい? 」
「ヒースかアルヴィン。広範囲に攻撃ができる」
「うっ、そうか……」
シオンは頷きながら首をひねるという、高度なしぐさをして唸った。
そう、その二人のどちらが抜けるとしても、どうにも状況は難しい。
アルヴィンは赤い騎士と交戦中であり、ヒースの魔法陣は屍人使いへの決定打になりうるため、そして諸事情により、離れたところでグウィンが抑えるようすを伺っている。
羽帽子の男はグウィンの『スート兵』によって抑えられていたが、グウィンの意識は、ひとりで敵と相対しているアルヴィンを気にしていた。
この巨漢の赤い騎士が手練れであることは明白で、打たれ強いアルヴィンは防衛に徹していて動けず、この騎士を扉の向こうに放り込むには骨が折れるだろう。
うかつにこちら側の人員を動かせば、この暴力の化身のような騎士か、もしくは屍人使いを抑えきれず、街へ放たれて被害が出る。
それでなくとも、すでに魔術師の姿も見失っている。
(そしてボクは、フェルヴィンの時ほど在庫が無い。状況を見るのに精いっぱいで、戦うとしたら、どちらか一方だ)
ジジの知覚が、あちこちに散らばる細胞のひとつひとつが、ある反応を感知する。
(ああ、本格的にまずい。人が集まってきやがった)
「短期決戦だよ! こいつら全員、向こう側に放り込むことだけ考えて! 」
魂から噴き出す炎に、アルヴィンの全身が白熱していた。背中の下で焙られた地面の砂粒が飴のように融解し、転げまわった軌跡には結晶がきらきらと輝いている。
赤い騎士との攻防は拮抗していた。
「グワハハハハハハハハァアア――――ッ!!! 」
(――――また弾き飛ばされる! )
その棍棒は騎士の体の三分の一。アルヴィンの体の半分以上の長さを誇る。
殴り、押し当て、引き寄せれば盾にもなる硬さ。
その剛腕から繰り出される攻防は、相対したもののみが分かる巧みさだった。
アルヴィンの拳は物理的に届かない。炎を撒いても棍棒を振りながら踏み込んできた。転ばされては立ち上がり、転ばされては立ち上がりの繰り返し。
熱風で騎士の蓬髪が逆立ち、いったいどちらが炎の化身なのか。
もう数えるのも馬鹿らしいほど撃ち込まれている。生身の人間であったなら、とうに死んでいるだろう。
壁に埋め込まれた体を引きはがしながらジジの言葉を聞き、アルヴィンは気が遠くなるような思いがした。
(僕では無理だ! 決定打がない! )
「――――なあ、気づいているか? 私たちの因縁を」
肩に振り下ろされた棍棒を、両腕で受け止めたアルヴィンに向かって、赤い騎士は目を三日月のように細くして言った。
(なんだ? フェルヴィンでのことか……? )
「おや、気づいておらんのだな。そうか、そうか。……まあ、無理もない」
じりじりと空気を焼く音の向こうで、赤い騎士は一転して静かに囁いた。
「私だ。おまえの祖国で、おまえの体を借りて暴れたのは」
アルヴィンの全身を覆う炎が細かく揺れた。
「気づいていたか? おまえの動き。まるで、幼いころの自分に稽古をつけているような気分になるんだ。ちゃアんと体は私の動きを覚えているんだなアと、嬉しくなってしまった。おまえの怒りは種火として優秀で、いやぁ、気持ちよかった。とても楽しい時間だったな、あれは。そうはできない経験だった」
アルヴィンは、あの屈辱を忘れたことはない。
魂が覚えている。ずっと見ていた。怒りのままに破壊する体。生身の体が自壊していくほど、自分の理性が剥がれ落ちていく感覚。
(あれは確かに僕だった――――っ! )
「……うん? いや、おかしいと思わなかったのか? おまえは人を殴ったことがあるか? 壊すことを目的に壊したことすら無かっただろう? 殴り方、蹴り方、武器の扱いにたけた私が、そんなおまえに、中から息を吹き込んで、すこし動けるようにしてやっていたのさ。だから実に、スムーズだっただろう? 」
(……嘘? いや、わからない。僕はあのときどうだった? どう感じてた? ほんとうは? )
ボッ
ボボボッ
アルヴィンの動揺で、炎が激しく揺れる。まとまらずに空気に千切れてしまう。
「あれ、またやりたいなア」
口元を緩ませて、赤い騎士はうっとりと呟く。
(――――二度とごめんだ!!! )
冷たい胸に、熱風が吹く。その顔に向かって、渾身の拳を打ち出し――――抉り焼いた。
「ぬぅ……! 」
拳の下、男の頬が弧を描く。
頬肉を焼き、下の顎骨すら熱は届いているはずだ。
しかし男は笑う。
――――実に心地よさそうに。
(こいつ……! )
「なあ、なぁ、楽しいか? 楽しくなったか? 」
逆に腕を掴まれた。サリヴァンのような『加護』などない。煙が立ち、アルヴィンの身がすくむ。
「あれから殴るのは楽しくなったか? 」
慄く。
「楽しいはずだ。自分と違うものを殴るとき、おまえの魂は生き生きしている 」
恐怖する。
「楽しかったはずだ! 」
(――――違う! )
「分からないならもう一度やろう! 私が教えてやる!! 」
体が強張る。炎が出ない。冷えていく鎧の腕を握ったまま、赤い騎士はいとも容易く、鞭を振るうようにして空から地面へ叩きつけた。接合部が軋む。痛みはなくとも、恐怖はあった。
臆病で小さなアルヴィンの心が顔を出す。されるがままだったあの頃の名残が、崩れた鎧の下で怯えた目を向けている。
騎士の握る鎧の腕から、冷たい何かがゆっくりと流れ込んでくるのを感じる。鎧の内側に保護されたアルヴィンの魂には、それが自分以外の魂に由来するものだとわかった。
(フェルヴィンでのことを、ほんとうに繰り返すつもりか!? )
(こいつにはそれができる!? )
(――――やめろ! 僕は、僕、は……)
「天にまします我が神よ、感謝します」
勝利の喜色に満ちた赤い騎士の祈りの声が降ってくる。
――――その時だった。
「――――天におわす、あたしの神様はっ! 」
何か光を放つものが飛来した。その瞬間、男の体が爆ぜる。
「あんたの神様よりもっ! ずーっと、あたしを愛してるんだからっ! 」
煙の向こうで、ありえない声がする。
(ああ……っ! そうだ彼女が、じっと待っているわけがない)
体が強い力で引き寄せられ、顔を上げると長兄の必死な顔が見えた。
「よく耐えたな……! 」
彼女の啖呵はまだ続いている。
「死んでる人より生きてるあたしは! あんたなんかより、ずーっと神様のご加護があるんだから! あたしの友達に手を出そうなんて、あんたの神が赦しても、」
「その汚らしい口を閉じろ! 小娘がッ!! 」
「ひィっ! あっ、あんたの神様が赦したって、あたしが、ずぇえったいに、許さないから! 」
壁のようにそこに立つ少女の背中は、昇り始めた朝陽に照らされて眩かった。
「――――なんてったって、このあたし、ヴァイオレット・ライトはあ!
今世で誰より天に愛されて、ここに立ってる魔女なんだからぁっ! あっちいっちゃえ! ばーかっ! 」
ようやく回収できた伏線(この回のやつ→https://ncode.syosetu.com/n2519et/60)




