8 怒りをくれよ②
スート兵、おさらいとまとめ。
皇帝(武)=鉄=ソードのスート兵
女帝(富)=金=コインのスート兵
教皇(伝統)=銅(青銅)=ワンドのスート兵
女教皇(神の加護)=銀=カップのスート兵
※四帝のみ、『譲渡』または『簒奪』という二つのやり方で、他者への権利譲渡が可能となる。
※四帝のみ、審判より能力として私兵であるスート兵が与えられる。
※これらのスート兵は、語り部魔人と同じく、持ち主の素質にあわせて細部の姿を変えることがある。
※教皇に『語り部魔人24体の管理者』としての権限があるように、皇帝にも『審判を開始させる権限』がある。
※女帝・女教皇は、皇帝・教皇の席がない/または皇帝・教皇の権利が女性に移行された時にのみ発生する。そのさい権利を移行された皇帝・教皇からは、権利がはく奪される。
※一度権利を失ったものが、再び権利を得ることは可能。
裏通りとも言えない路地は、増築を繰り返した結果、へたな積木のように左右から壁が突き出し、路地から見える空を隠していた。
日光が射すわけもない窓枠は、埃がたまるほど開けられた形跡がないものの、その奥には灯りと人の気配が残っている。
それをシオンは、かろうじて路地全体を見渡せる三階の窓辺を陣取って把握するや、忌々しげにうなった。
「ここは戦いには向かないな」
「どうにかならないわけ? 」
と、苦言を呈するジジの声が、シオンの襟元から聞こえる。
シオンがジジの子機とともに旅をした数週間。
あれからしばらく経ち、ジジという魔人は、すっかり自分のもとから去ったとばかりシオンは思っていた。
それが実はそうではなかったと知ったのは、今からほんの十数分前だ。
抜け目のない魔人は、神出鬼没といえるシオンに自分の残滓をくっつけたままにしていたらしい。
事態の鎮圧のため、兵の移送をしていたシオンのもとへ、自分の主人からの依頼を告げたジジに合意したシオンは、王都の手前で立ち往生しているフェルヴィン皇帝一行のもとへとおもむき、ここまで連れてきていた。
「たしかに、ここじゃあ狭すぎる」
シオンは、自分の手を握ったり開いたりしながらジジに言った。
「でも、あれらも纏めてどこかに連れて行くなら、おれが作った扉を通ってもらわなきゃならない。おれも今日はだいぶ消耗しているし、何より敵がおとなしく移動してくれるかどうか」
「誘導は」
「できるなら用意はするけど、肝心の場所は? 郊外の開けたところに出せば逃げやすくなる。人がいなくて、かつ閉じた場所。そんなのあるか? 」
「ふん。ボクに期待してるってわけね。まあ思いつく候補地は任せなよ。キミ、能力のくせに情報が足りてないんじゃないの」
「そりゃ期待してたけどォ……。あのさ、おれは学生時代から真面目で清楚な美少年で通ってたわけよ?こんな治安の悪いところは、むしろ詳しくないほうが当然であってェ……」
◇
――――一団で先陣を切ったのは、やはりというべきか、ヴェロニカであった。
龍の先祖返り――――その証である星の光を宿した龍の火をまとい、もう一枚の壁のように立ち塞がった皇女の体は、『魔術師』に肉薄し、ローブに包まれたその矮躯の中心を、瞬く間に殴り飛ばした。
皇女のはんぶんほどしかない『魔術師』は、声を出す間もなく壁に埋め込まれる。
皇女は抜け目なく、襤褸切れのようなその姿を見下ろして側に立った。刃金色の瞳は怒りをたたえ、こんなものではあるまいと、冥府から蘇った巫女の挙動を観察している。
ローブの下で少女の指がかすかに動く。
その瞬間、ヴェロニカは突き下ろすような拳をふたたび撃ち込んだ。石畳が弾ける。
(……知ってはいたけど、皇女の怒りはすさまじいものだな)
シオンは、もはや習性から、拳の威力を自分の体で受けることをつい想像して、冷や汗をかく。
シオンが路地に戻ると、ジジが告げた場所への扉を路地の通路のひとつに繋げ、伝令としてジジが各方の影に散らばった。
もう一人の羽帽子へ相対するのは、ヒースとアルヴィン。そして『教皇』グウィンである。
妹と違い、こちらは静かにたたずんでいた。
羽帽子もまた、一定の距離からじりじりと睨みあって動かない……いや、動けない。その周囲を、鈍い金の帯のようなものが、ほんのわずかな羽音を立てて泳いでいる。
サリヴァンが『教皇』を持っていたころ、いちども『教皇』のスート兵を使う機会がなかった。
『皇帝』の鉄のスート兵と、『女帝』の金のスート兵は、武装した人型をしていた。
そして誰もが目にしていなかったが、『女教皇』の銀のスート兵は、翼を持つ三連の円環である。
『教皇』のスート兵は銅製。金色だが金よりもにぶい光を反射し、返す光がわずかに赤かった。
ひれを思わせる翅を左右に持ち、断面は刃というより氷のように薄く、帯のようにヒラヒラと長い体をくねらせるさまは、魚に似ている。
しかしあるべき場所に、顔を構成する目鼻口といったものは、何一つとして存在しない。
無機質だが、静謐ともいえた。幾何学的な機能美の中に、冷たい清らかさを纏って、羽帽子の男の周囲を回遊している。
まるで檻だ。
ジジが耳元で告げることで、全員に次の指示がいきわたった。
ここで仕留めるのもいい。しかし、これで終わるわけがない。
「……動くよ」
ジジが言った次の瞬間には、全員が石畳を避けるように壁に、あるいは空へと跳んでいた。
積みあがった砂ぼこりがさざ波のように石畳の上を撥ね、青黒い文字が広がっていく。無数の蛇、あるいは蛭、蟲が蠢くように――――。
ずん、と地面がわずかに揺れた。すえた匂いとともに、青白い霞が空間に滲む。
「――――冥界の霧!? 」
霧の中から起き上がるように、人影が三つ顕現した。
グウィンの歯が、ガチリと噛みしめられる。舞い上がったアルヴィンが、立て続けに床を舐めるように炎を打った。
その姿を視界にとらえた亡者のひとり――――赤い鎧の男が、獲物を前にしたように唾を吞みながら嗤う。
次の瞬間には、男は炎を踏みつけて、自身の脚ほどもある棍棒を振り抜く。それはアルヴィンの肩をとらえ、建物を揺らすほどの衝撃をもって墜落させた。
「ギャヒッ! 」
赤い鎧の男は蓬髪の下で唾を飛ばすほど笑い、素早く迎撃の体制を取ったアルヴィンに一撃、二撃と打ち込んだ。
◇
ヴェロニカの目は、ずっと『魔術師』をとらえていた。自分の手で地面に沈めたその姿が、霧の中で川底の泥のように融ける姿も見ていた。
そして次には、捕まっていた窓枠から霧の中に踏み込み、亡者と思われる黒髪の男に拳を打ち出していた。
同じように、龍の炎を纏った巨躯が青い騎士に殴りかかったのが見えたので、獲物は譲ったかたちとなる。
亡者の中でひときわ小柄な体は、その攻撃を見切ることはおろか、察知することもできない。
彼は将であっても文官であり、そして王であったから。
老体とはいえ、ヴェロニカと同じ先祖返りと謳われる体から繰り出された拳は、むしろ渾身の冴えを見せていたから。
コネリウスは、吹っ飛んだジーンに組み合い、投げた。
「……コニー」
投げ飛ばされてようやく、ジーンは口の中でその名を口にする。
「うぅうおぉおおおおおおおッ!! 」
コネリウスは雄たけびをあげ、ジーンを投げ捨てた扉へ向かって、自身も飛び込んだ。
それに、黒髪の騎士と組み合ったヴェロニカも続く。
「……クソ。『魔術師』め。面倒なことしやがって」
ジジは、眉間に皺を寄せて路地裏に残った面子を見下ろした。混戦である。




