6 真実の羽根②
そこはこの施設には珍しく、外が見渡せる窓のついたオフィスだった。
デスクの前に、一列になって人種が異なる妙齢の女性が三人並んでいる。窓を背に、王様のようにデスクに座る男は白い歯を見せて、「きみたち全員が、優秀な知性を社会的に証明された女性たちだ」と腕を広げた。
「この施設では、きみたちと同じような女性を積極的に採用している。優秀であり、若く健康であり、よりよい環境で研究に没頭したい科学者や技術者たち。若さや性別で差別を受けることなく、資金繰りや組織内の政治に神経を使う必要も無い。私が男でがっかりしたかもしれないが、私個人の生い立ちと価値観、そしてこの研究では、男より女が重要視されていることは、信頼してもらいたい」
言い終えると、男はのっそりと立ち上がる。
「事前に説明があったとおり、この施設の責任者として私が欲するのは、その優秀な脳と、その知識と、健康な体と、遺伝子だ。契約は最短でも一年。研究職として希望するなら、さらに三年以上の契約も歓迎している。研究職のみの契約は、残念ながら健康上の理由以外では受け入れることはできない。辞退するなら今が最後のチャンスとなる。どうかね? 」
しばらくの沈黙ののち、「実に喜ばしい」と男は手を叩く。
「では、より具体的な契約内容の説明をはじめよう」
そして全員の顔を見渡しながら、一転して声を低くした。
「まず、最初の一年間は、遺伝子提供者と代理母を業務として契約してもらう。使用する卵子は必ずしも本人のものとは限らず、誰のものかどうか、父親と生まれた子供についても、契約終了後であっても絶対に情報開示されず、親権を主張することもできない。また、研究の進捗状況などの内容は、母体の状態を配慮して一部開示されない。また、出産時期についても母体の健康を重視するため、任期の一年を超える可能性があることも理解してほしい。これは事前の面談でも再三説明されたと思うが、一年というのは理想とされる最短で、ほとんどの母体提供者は平均して八ヶ月プラスの『任期延長』を行っているのが現状だ。君たちの健康のため、研究職としての復帰までに出産から一年の有給休暇期間を持つことも契約に入っている。その間の健康ケアも、施設の専門医療スタッフが行う」
彼女たちの目に、何かしらの決意が宿っていくのを確かめて、男は続けた。
「研究職としての復帰後、研究対象である子供たちとの交流もあるだろう。しかし重ねて言うが、誰の子供であるかは何があっても開示はされない。遺伝子研究という、未知ゆえにデリケートな分野である以上、情報流出を避けなければならない。そのうえ、薄々きみたちも勘付いている通り、ここは表向きには政府に認可されていないし、これからもされることはない。ここは世間的な名声を得ることはできない施設だが、そのぶん資金を気にせず、自分の分野の最先端を試すことができる場所になるはずだ。それを求めて我が家の門を叩いた、勤勉で貪欲な変人の君たちを、私たちは同類として、大いに歓迎している。……何か質問は? 」
アジア人の女研究者が手を上げた。
「ミス.ミシマ。どうぞ」
「ドクター.フランクリン。この施設で働く研究員のうち何割ほどが、母体提供者の経験者なのでしょうか? 事前の面談では説明されなかったので、我々は第一期の候補者だと思っていたのですが、ここにはすでに『研究対象』がいるようなので、疑問に思いました」
「いい質問だね、ミス.ミシマ。面談した職員が答えなかったのも無理はない。その正確な情報は、私しか把握していない機密情報だからね。」
男の顔に、大きな笑みが広がった。
「しかし、訊かれたなら答えよう。きみたちはこのプロジェクトの第42期の採用者だ。ここで働く女性研究員228名のうち、三名を除いたすべてが母体提供のプロセスを踏んで採用されている。あとこれも設立者である私しか知らない機密情報だが、この研究所は、設立されて六十七年目だ」
そう言う男の姿は、どう見ても四十代半ばほどだった。
◇
「ドクターミシマ、紹介しよう。設立から七十年、唯一の成功例が彼女……『アリス』だ」
扉の開閉とともに広げられた右腕の先に、ぬいぐるみに埋もれた少女がいた。
腰まで届く長い黒髪に、青いワンピース。瞳の色にあわせた青いリボン、新品の白い靴下とエナメルの靴。
「文字通りの『箱入り』というわけですね」
「いいえ、それはちょっと違うわね」
ミシマの皮肉を交えた言葉に、ガラスごしに小鳥のような声が言った。
「ドクター.フランクリン、ここは防音ではないのですか? 」
「彼女には筒抜けだ。だから『成功例』なんだ。……『アリス』、説明して」
少女は立ち上がるとスカートの皺を正し、かかとをそろえて肩を上下させると、マジックミラーの向こうの女科学者へ、完璧に微笑んだ。
「わたしの実験名は『ホムンクルス』。個体名『アリス』。実験名の由来は錬金術師パラケルススの提唱した全知の人造人間、フラスコの中の小人です。個体名は『不思議の国のアリス』から。わたしは知能、思考、IQ、情報処理能力などのテストで、すべて基準値を大幅にクリアしました。寿命十二年で設計されています。
わたしの能力は、簡単にいえば『他人と脳を繋げる』ことができます。わたしの意識は視線をあわせることで、相手の意識と行動を自由に操作可能です。また、操作している人物をかいして別の人物に『繋がる』こともできます。まるでコンピューターウイルスのようにわたしの意識が『感染』します。感染者である個体そのものに自覚症状はおきません。『感染』した脳の情報、つまり記憶は、ホストでありクラウドサーバーである『わたし』自身にリアルタイムでフィードバックされます。わたしの寿命は、この能力で酷使する脳の稼働時間とイコールです。現在は十一歳、あと一年が稼働可能になりますが、クローン体の育成が成功しているので、半永久的な稼働システムが理論上可能になっています」
その内容よりも先に、淀みなく……まるで機械が読み上げるように『アリス』が言い終えたことに、ミシマは戦慄した。訓練を積んだアナウンサーでも、この量の文言を一度も詰まることなく口にすることは難しいだろう。
「完璧だよ。アリス」
「ありがとう! お父様! 」
そして、機械かどうかを疑ったさきで、ふつうの少女のような笑顔ではしゃぐのだ。まさしく彼女は『完璧』だった。
「ドクター.フランクリン。つまり、このガラスのこちら側に、彼女に『感染』したスタッフがいるということですよね? 」
ミシマは、モニタリングしている三名のスタッフを恐々と見つめた。
「そうよ。でもお父様はいいよって許してくれたわ」
そう口にしたのは、バイタルをモニタリングしている医療スタッフだ。中年男性は少女の声色としぐさで笑いながら、エレベーターの前まで見送ってくれた。
密室での数秒の沈黙ののち、ミシマは恐る恐る口を開く。
「一人が感染すれば、それを感染源にして新しく感染者ができるのですよね? でしたら、あの場にいた全員がもう――――」
「ああ、まさしくそうだ。そして、おめでとう。きみも感染した」
呆然とする彼女の手を取り、一方的な握手を交わすと、男は指紋だらけの眼鏡の奥で目を細めた。
「実を言うとね、この施設の機密性を維持しているのは、あの子の尽力なんだ。勤続三年。きみは非常に優秀で、手放しがたい人材だからね。きみが採用のときにあの質問をした時からピンときたよ。あの瞬間から『感染』させることは決定事項だったんだ。昇進おめでとう」
ルージュの下で青ざめた唇は、「光栄です」と小さく言った。
◇
ガラスが降り注いだ。
「たん、たらん、たん」
爪先の丸いエナメルの靴が、砕けたガラスの上を歩く。警報はひとりでに止み、彼女は死体の上を踏み越え、出迎えた赤毛の幼児とハグをした。
「あなたは『クイーン』よ」
幼児は破顔してうなづく。
「たん、たらん、たん」
幼児と手を繋ぎ、エレベーターで最上階へ。そこでは黒髪の少年が待っている。
「あなたは『チェシャー猫』ね」
ふん、と鼻を鳴らし、少年は空いたほうの『アリス』の手を取った。
「そんな変な名前をつけるのか? 」
「だって、あたしが『アリス』だもの。そんなにおかしい? 」
「ま、好きにすりゃいいけどさ。見ての通り、ボスはアンタだ」
エレベーターロビーを指し示す。ずらりと並んだ大人たちは、皆一様に、自分に向かって引き金を引いた後だ。
「すてきなレッドカーペットね。門出には最適だけど、リフォームが高くつきそう」
「食費もな」
廊下を進むとざわめきが聴こえる。
子供たちの甲高い喝采が、彼女たちを出迎えた。
こうして彼女は『王』になった。
予想より進まなかったので、なるべく近いうち更新します。




