1 ミケ
両断された銅板がアルヴィンの膝を打ち、カラカラと音を立てて床に転がる。
霞を掻き集めるように虚空に両腕を伸ばしかけ、それがもうどこにも無いことに気が付いたとき、アルヴィンは膝を折って、語り部の亡骸に――――魔法が解けた銅板に覆いかぶさって慟哭した。
魔術師が手を掲げる。
「っ! 返せぇッ! 」
銅板の片割れが、見えない糸に引かれるようにして、魔術師の手に収まった。
「返しませんよ。これは、大切な材料ですもの」
魔術師の足の裏が、地を離れた。巨神の像を背にして、魔術師はミケの生れの果てを掲げる。
「この国は魔女の墓。魔女の亡骸はここにある。墓守の血もここに五人……あとは魔女の末裔だけ。……ははっ、ははははははっ! 」
魔術師は膝をつくフェルヴィンの王族たちを眼下に望み、高々と哂った。「はははははははは……! 」
笑い声にあわせ、躍るように亡者たちの青い炎が燃え上がる。
アルヴィンは、目蓋を掻きむしりながら床に額をつけた。視線が勝手に犠牲者たちを数えてしまうことが恐ろしかった。
「さあ……選定が始まる。審判が始まる。我が主が蘇る…………」
魔術師はローブを脱ぎ捨てた。
眼孔に青い炎を宿したされこうべがそこにあった。
亡者は笑う。その手の中で、銅板が鼓動を打つように波打った。
掲げられた手の中で、銅板はその拳を包み込むように形を変える。魔術師の口が開き、その青い炎が宿る咥内に銅板は、ずるりと吸い込まれた。
「……くっ、くふふふふふふふ……」
噛み締めた歯列の隙間から、青い炎が吹き上がる。
「ふふふふふふふふふふ………はははははははは…………! 」
アルヴィンは涙に濡れたまま、ぼんやりとそれを見上げていた。
「逃げろ」と父の声が言う。アルヴィンの身体は氷像のように固まって動かない。動きたくないと思った。ミケを失って得た感情が体を重くした。
今度は下から風が吹いた。
いいや、それは風というよりも波だ。押し寄せ砕ける冬の海の大波に似ていた。
氷のように冷たい冷気を乗せた衝撃。屈強なフェルヴィンの男たちの呼吸が止まる。
アルヴィンは、自身の軽すぎる身体が渦に巻かれながらもがいた。顔をかばって突き出した自分の指越しに、激しく揺らめく青い炎を見る。
その炎の中に見上げるほどの巨大な髑髏が浮かび上がり、揺らめきながら、屍の手足が溺れて漂っている。
アルヴィンはつい、その小枝のような指先へ手を差し伸べ――――髑髏の眼孔と視線を交してはじめて、奔った本能からくる悪寒に、それが間違いだったと知った。
その髑髏の腕は、いつしか立派な剣を握りしめている。剣先が上がり、ぬらぬらと煌めく鋼が、アルヴィンの顎の下へとなめらかに添えられた。音のない世界で、炎の向こうで叫ぶ父や兄の姿。
そして――――――。
……魔術師の声が響く。
「冥界より来たれ! わが手駒! ――――月白の金の髪。青銀の瞳。乙女にも勝る白磁の肌……!肉体は滅びても魂はこの墳墓に! 今こそ新たな物語を刻む時! おいで! この手を取るのだ!
ジーン・アトラスッ! 」
視線を交している髑髏に、肉を持った肌が重なっていく。がらんどうの眼孔に、輝くような青い瞳が収まり、白い瞼がその上に降りた。瑞々しい白い頬から続く首から下は、老人のままに乾いている。
「老いて病に屈した貴様に、再びの美貌と栄光を与えよう! 蘇るのだ! 虚無と絶望の生者、アルヴィン・アトラスの頭蓋骨を糧として! 」
アルヴィンは炎の中に見た。
かの皇帝が、微睡みから覚めるように再び瞼を開き、アルヴィンに向かって悲しげに青い瞳を揺らめかせて遠ざかる。
交差し、結ばれた視線は、アルヴィンの意識が闇に閉ざされていくことで離れ、アルヴィンの意識は銅板の片割れと共に、無音の暗黒を切り裂くように、どこまでも果てしないところへと落下していった。




