必殺学力アップ!(裕紀)
よろしくお願いします。
翌日の放課後、アタルを喫茶店に誘った。隣のクラスから女友達のところに顔を出していた民子は、ダンボの耳で会話をキャッチする。自転車を引きながら歩いていた俺たちを校門から走って追い駆けて来た。
「裕紀君たち、サ店に行くんでしょ?じゃあ「ノーブル」にしましょうよ。あのお店やってるの私の伯母さんだから、補導員が巡回して来てもうまくやってくれるわよ」
そんな話は初めて聞いたが悪くない選択だと思った。
「アタル、「ノーブル」でいいか?小汚い店だけどコーヒーはまあまあだしな」
「裕紀君、小汚いはひどいんじゃない?仮にも私の親戚なんだからね」
アタルはクスッと笑って「いいよ」と答えた。
このローカル県の高校は、公立私学問わず高校生だけで喫茶店に入るのを校則で禁じている。教育委員会とやらのお達しだそうだ。兼ねてから思っていたことだが、喫煙でも飲酒でもないコーヒーを飲むという合法的行為が何で規制されなくてはいけないのか理解出来なかった。
店舗の営業形態など大人たちの都合に違いないし、酒場へ出入りするのとはわけが違うのだ。非行の温床と言うのなら喫茶店の子供はみんな不良だ。自分たちには許されるのに高校生には安易に禁じてしまう独善ぶりが大嫌いだった。
保護者同伴なら許されるのだが、大人とコーヒーを飲んだってほろ苦さが増すだけだ。
どの道今となっては、くだらない校則などどうでもよかった。
自転車を引きずって十分ほど歩き駅前の「ノーブル」に着いた。少し埃っぽくなった白壁を見上げて、この店名は仇花かと思った。
店内に入って他の客と離れた奥のボックス席を目指す。エンジ色のソファに腰を降ろしホットコーヒーを三つ注文した。スプリングが伸び切って反発力を失ったソファはかなり座り心地が悪い。
「民子、そろそろ椅子を変えるように伯母さんに言っとけよ」
「フンッ!誰が進言してやるものか!」仏頂面で拒否された。
コーヒーがテーブルに並べられてからアタルが口を開いた。
「裕紀、話って何?察するに進路のことかな?」
「ご名答!まっ、誰でもわかるよね。と言ってもアタルの進路に口を挟もうってわけじゃないんだ。ちょっと頼みたいことがあってさ」
「僕に頼み?まあ、裕紀の頼みなら出来る限り協力するけどね」
「助かった!実はさあ、毎月四百ミリリットル献血してくれない?」
「献血?別に構わないけど、誰か病気の人でもいるの?」
怪訝そうに返されたので民子に視線を向けた。
「丁度良かった。民子、お父さんに頼んでくれない?アタルから採った血液を俺に輸血してくれって。幸い同じA型だからさ」
「はあ?裕紀君どこか悪いの?」
俺は頭を指差した。
「脳みそだよ。俺は今、早急な学力アップに迫られている。キースがヤク中から立ち直った時のように、手っ取り早く血液を入れ替えようと思ってさ」
民子はこめかみに指を立て苦悶の表情を浮かべた。
「キースって誰よ?」
「ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズだよ。どうしても抜け出せなかったヤク中から、全身の血液を入れ替えたら治ったって音楽雑誌に書いてあったんだ」
「それ、都市伝説じゃないのかな?」
口調からすると、アタルも明らかに困惑しているようだ。真顔で言った俺に申し訳なさそうですらあった。
「信じられないバカだわ!よく西徳に入学出来たわね。いくらアタル君の優秀な血液を注入したって、直ぐにあんたのバカDNAに染まっちゃうの!昔から、バカにつける薬は無いって言うでしょ!
そもそも献血基準っていうのがあって、健康男子で年間千二百ミリリットルまでって決められてるのよ。私、一応看護大学志望だからね。親も開業医やってるんだし」
「でも、発想は素晴らしいと思う。恐ろしく斬新だけど」アタルがケラケラ笑った。
「斬新?ジョークじゃなかったら只の恐怖よ!バカは死ななきゃ治らないとも言うしね」
民子はまだ青筋を立てて怒っている。
「ひでえなあ。民子もバカバカって連呼し過ぎ。やさしい言葉の一つでも掛けてやれないのかよ?」
「そうやって直ぐにイジケるのが現実逃避なの!毎日コツコツ積み重ねるのが唯一の道でしょ?。野球の時はちゃんと出来てたじゃない」
「野球は好きだから出来ただけだよ。俺、勉強嫌いだし。ホント、アタルの学力が羨ましいよ。何で進学しないのか理解不能だね」
「アタル君進学しないんだ。マジでもったいないよね。僭越を承知で言うけど、お金の問題ならお父さんに相談してみてもいいわよ」
民子の言葉にアタルは慌てた。
「いや、民ちゃん、さすがにそれは勘弁して。気持ちは本当にありがたいけどやっぱり家庭内の事情だし、同級生の親御さんまで出張って来たら洋子さんだって立つ瀬が無くなっちゃうよ」
「アタル君にそう言われたら次の言葉が出て来ないよね。じゃあ、社会人として頑張って!私たちは少し長く学生生活を続けるけど」
民子の進路を聞かされたのは今日が初めてだった。
「民子は看護の道に進むんだ。医者の娘なのにドクター目指さなくていいのか?」
「いいわよ。お兄ちゃんが医大生やってるから。私は看護師資格を取って公立か大学付属病院への就職を目指すの」
「すげえなあ。しっかり将来の青写真が描けてるんだ。それに引き換え俺の現状は、ブルーを通り越して真っ暗闇さ。コブリンにも言われたよ。志が欠落してるから具体性が無いんだって」
二人の話を聞いて共に時を過ごしてきた仲間が知らぬ間に遠くへ行ってしまった錯覚にとらわれ、置き去りにされた孤独感を味わった。うなだれる俺を無視して民子はアタルに問いかけた。
「アタル君は何になりたいの?もう入社試験は解禁されてるでしょ?」
「うん、T自工への学校推薦もらったよ。試験日は明後日なんだ。来春からしっかり稼いで洋子さんの負担を軽くしたい。妹もまだ小さいしね。最初は薄給で苦しいだろうけど、少しでも家計に貢献出来ればと思ってる」
「偉いなあ。どこぞのバカとは大違いだわ。アタル君、私、同情とかじゃなくて本当に応援してるから、T自工でのお仕事頑張ってね」
「まだ採用されてないよ。面接のコツとかまるでわかってないしさ」
「アタル君なら絶対大丈夫!落ち着いてさえいれば落とされる要素無いから。万が一不採用になったらウチに来てもいいわよ。働きながら資格を取って行く手もあるからね」
「民ちゃん、ありがとう。白石医院にお世話にならないよう入社試験頑張るよ」
アタルはニッコリ微笑んだ。すっかり蚊帳の外に置かれた俺はおもむろに沈黙を破った。
「民子、こんなシチュエーションでの告白で悪いんだけど、俺と交際してくれない?」
「はあ?裕紀君、ホントに頭打ってるんじゃない?あなたには切羽詰まった状況があるのに、何トンチンカンなこと言ってるのよ。受験のプレッシャーからの逃げの口上みたいでとっても不愉快だわ。もしかして、私のこと見下してる?」
「見下すわけないよ。女子マネとしてあんなに頑張ってくれたのに。それに受験と交際は別物だろ?交際してる受験生なんて全国にいっぱいいると思うよ。
俺、実は民子のことずっと好きでさ。アタルの前だからちょっと照れるけど、いいタイミングだと思って言ったんだ。どの道アタルには報告するつもりだったしね。もちろん民子の受験の邪魔にならないようにするよ」
民子は少し頬を染めたが大して動じるでもない。
「裕紀君、ありがとう。でも、あなたとはお付き合い出来ないの。タイミングとか受験は関係無くて、私が中学の時からずっと好きなのはアタル君だから。
ねえアタル君、看護大学に合格を果たせたら私とお付き合いを始めてくれない?ホントは卒業直前に告白したかったんだけど、成り行きで今になっちゃった。本格的な交際はアタル君の仕事が落ち着いてからで構わないから」
アタルは突発的な連続告白に戸惑ったみたいで、俺は直ぐにでも泣き出したくなった。
「民ちゃんの気持ちは嬉しいけど、ちょっと今はそのタイミングじゃないと思う。三人がそれぞれにね。交際の件は入社試験が終わってから真剣に考えて返事させてもらうよ。
ただ、裕紀はしょうがないけど、民ちゃんには不本意な告白になってしまって悪かったね。僕が言うのも変だけど、裕紀も民ちゃんを恨むなよ。T自工に採用されたら少しは落ち着くんで裕紀の受験に協力してもいいからさ」
「サンキュ、アタル。マジで家庭教師やってよ。ちゃんとお手当払ってもらうから。結局俺は一人じゃ何も出来ない情けない奴なんだよな。でも今は突っ張れる元気もないし、好きな女に追い打ち掛けられてとってもヘビーな心境になってる。まあ、民子を恨むつもりは無いけどさ」
民子は俺の精一杯の皮肉など意に介さないようだ。
「アタル君、私は良い返事しか待ってないからね。結論は急いでないから。裕紀君は受験が終わったら悪いけど他を当たってよ。背も高いしブ男でもないから何とかなると思うわよ。頭さえもう少しマトモになればだけどね」
「クッソー!なんて冷たい女なんだ!アタル、こんなブスに騙されるなよ。まあ、賢いお前のことだ。賢明な判断をするとは思うけど」
「ちょっと!裕紀君!振られた腹いせに私の足を引っ張らないでよ!受験のプレッシャーごときでホント情けない奴に成り下がったよね。佐原高に立ち向かって行ったあの姿勢は何処へ行っちゃったの?背番号1が泣いてるよ」
民子の罵倒は堪えた。もう限界だった。俺は不覚にも声を押し殺してメソメソ泣き出してしまった。
アタルはこのカオスな状況に焦ったみたいだ。いくら他の客と離れているとはいえ、尋常でないこの状況を気付かれたくないのは当然だ。一応校則にも反してるし注目されるのはご法度である。
「まあまあ、民ちゃんも落ち着いて。とにかく今日はここまでにしとこうよ」
アタルは苦笑いを見せながら俺と民子に帰宅を促し、レシートを掴んで千五十円の支払いを済ませる。店の外で民子と別れ、自転車を引きずる俺に付き合って歩きながら帰宅してくれた。
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