決められない志望校(裕紀)
よろしくお願いします。
8月に入ったが案の定受験勉強に身が入らない。母親が朝から「今まで野球ばっかりやってたんだから少しは真剣味出しなさい!」と口うるさく言ってくる。
一応部屋に閉じ籠もり机に向かうのだが、参考書を開き英文を眺めてみてもとんでもチンプンカンプンだ。「取りあえず単語からだな」とごちて単語集を机上に置く。セット完了だ。
「よしッ」と言いながら両手でポンと相槌を打ち、休憩と称してリビングに赴いた。母親の怪訝そうな顔を無視してテレビのスイッチを入れる。
今日の第二試合で県代表の佐原高が大阪代表の西邦学園と対戦する。一回戦の相手は甲子園の常連校、西の横綱だ。
「佐原もクジ運悪いよなあ。せっかくの全国大会なのに」
下馬評にたがわず西邦学園は強そうだ。エースは140キロ台後半のストレートを投げ、バッターは下位打線まで大柄な奴ばかりである。全員腰がどっしり座っていて胸板も分厚い。
ピッチャーの身体つきは短距離走のアスリートみたいでユニフォームの胸の辺りがはちきれそうだ。日頃普通の高校野球部員が想像つかないくらい走り込みと筋トレをやっているのだろう。
対戦した時大人に見えた佐原ナインが今日は普通の高校生に見えてしまう。佐原を持ってしても全国では「普通の学校」になってしまうのかも知れない。
西徳ごときが甲子園を目指すと言っても笑われるどころか取り合ってもらえないのだ。全国で何万人の球児が夢破れてこの晴れ舞台を羨望していることか。
試合は一回表から西邦の虐殺モードで始まった。県内を席巻した佐原のエースのストレートを打ち頃だとばかりに弾き返す。守りでも西邦のエースは高速スライダーを織り交ぜて三振の山を築く。まれに佐原の飛球が内野の頭を越えても鋭いダッシュで難なくキャッチしてしまう。足も速いが打球を追うスタートがいい。守備範囲の広さが違うのだ。
佐原守備陣の乱れもあり五回終了時には5対0だ。佐原のヒットは内野安打を含めて二本に抑えられているのに、西邦は二桁安打まであと一本の九安打だ。
後半戦に入っても西邦は攻撃の手を緩めないが、佐原のサウスポーエースは丁寧に間を取りながら時折守備陣に笑顔さえ見せて投げ続ける。テレビ画面を見つめながら「いいピッチャーだな……」と呟いた。
試合は5対0のまま九回裏を迎え、四球のランナーをファーストに置いているものの佐原はツーアウトに追い込まれた。バッターは背番号1のサウスポーエースだ。ファウルで粘ったワンボールツーストライクから西邦のエースが渾身の力を込めて投げた145キロのストレートを、右中間にライナーで弾き返した。打球がフェンスまで到達する間に激走してサードベースまでおとし入れた。高々と左手を突き上げガッツポーズをとる。
自分も思わず「よっしゃ!」とうなり声を上げた。しかし後続は高速スライダーで三振に取られ、5対1でゲームセットとなった。
西邦学園の校歌が終わり、応援団の前で一礼する佐原ナインをスタンドは大歓声でねぎらってくれる。切なくなったと同時に、自分たちを応援し続けてくれた人たちの気持ちが少しわかったような気がした……。
9月の第三週、二期制を採っている我が校は前期末テストの真っ最中だ。結局夏休みの受験勉強は大して追い込みが出来なかった。まあ、今更高校の通知表などどうでもいい。一般入試に内申書があるわけじゃないのだから。
問題は翌週に控える模試だ。学年順位が四百人中三百番台の今の学力では、逆立ちしたって国公立など狙えない。もっとも自分のレベルは一年生次から自覚していたので、はなから私立文系一本に絞っていた。要するに国・数・英しかやらなくて済むからなのだが、その三教科で一番マトモな英語でさえ学年順位は二百五十番が精々だ。
模試の結果が出次第、個人面談という名の進路指導が控えている。模試で書き込む志望大学の判定が下されるからだ。学力は一朝一夕には身に付かない。頭の良くなる薬も無い。苦肉の策でヤマを張って模試に挑んだが、当たり前のように玉砕した。
模試の一週間後、コブリンに進路指導室へ呼ばれた。
「おう、山下、調子はどうだ?」
昆布茶を勧めながら言うので顔をしかめて両手で固辞した。
「相変わらず低空飛行ですよ。先生も人が悪いなあ。模試の結果知ってて聞くんだもん」
「うん、まあな。ところでお前、ホントのところ何処狙ってるんだ?言っとくけど、うちの野球部じゃ推薦は無理だからな」
「推薦なんて考えてませんよ。もちろん一般入試一本です。志望大学は模試の時三つ書いときましたけど」
コブリンはプッと昆布茶を噴き出した。
「山下、あれ本気で書いたの?第一志望から順に、慶応、早稲田、立教って。もちろん全部E判定だけど、お前は東京に行きたいのか?」
「別に東京にこだわってるわけじゃないです。ただ、進学するために西徳へ入ったんだから、一応名の通った私学がいいなと」
「ふーん、有名私学ねえ。もちろんお前の受験だから好きにすればいいけど、進路指導としては受けられる大学より受かる大学を示すのが仕事だからな」
「先生、俺、何処なら入れますかねえ?経済か商学部ってとこで」
「多少の学力アップが前提なら、落としどころとしては学院か中名辺りかな」
「そうですか。それだと通いだよなあ」
「何だ?山下は下宿がしたいのか?一人暮らしなんて面倒なだけだぞ」
「うーん、それもどうしてもってわけじゃないですけど、うちはアタルんちと違って三世代同居でおまけにオフクロは専業主婦ですから、いつも誰かの声がしてるんです。時々それがたまらなく煩わしく思えて、一人暮らしに憧れたりしてるってだけです」
宙を見上げる俺にコブリンはジッと目を据えた。
「浪人も視野に入れてるのか?」
「それは出来る限り避けたいです。ここから一年余分に遊んだら、それこそ何処にも受からないような気がしますから」
「そうだよなあ。山下に浪人生の厳しさはこなせそうもないよなあ。とにかく志を持って、もう少し具体的に、現実的に詰めてみろ。お前がそれを決めてくれなきゃ対策も立てようがないよ」
「わかりました。早急に絞り込みますからまた相談に乗って下さい」
中途半端な俺の返答にコブリンも溜め息交じりだ。
「話は変わるけど、矢吹は成績上がったぞ。夏休みに相当頑張ったんだと思う。この前の期末テストじゃついにトップ50入りだ。でもあいつ、進学は断念しますって言ってきたよ。T自工の就職試験を受けたいから推薦状をお願いしますって頼みに来た。
実に惜しいよなあ。このまま頑張れば学費の安い国公立も狙えるぞって言ったんだが。もちろん奨学金制度だって有るしな。でも、もうこれ以上母親に負担を掛けたくないって頑なだったよ。山下、何か聞いてないか?本当に俺は残念に思えるんだよ」
「ホントですか?夏の大会直後は頑張って国公立目指すって言ってたのに。あれからあいつとそんな深刻な話はしてないからなあ。就職組なら僕と学力が入れ替わればいいのに」
コブリンは膝を叩いてアハハと笑った。俺は唇を尖らせて進路指導室をあとにした。
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