敗戦と涙(裕紀)
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スクイズを警戒しながらツーボールノーストライクからの三球目、ストレートをストライクゾーンに置きに行った。佐原の三番バッターは左打席で強振し、快音を残して打球はライトスタンドに運ばれた。ライトが二・三歩下がっただけの大きな飛球だった。
大歓声が沸き上がる一塁側スタンド。佐原のホームランバッターは一塁ベースを回ったところで右手を高く突き上げた。5対1になったスコアボードからサードに目を移すと、アタルが微笑みながらマウンドに駆け寄って来た。
「さあ、気を取り直して行こうよ。ゲームはまだ中盤だからさ」
アタルの激励は嬉しかったが先ほどの失投を後悔していた。全力勝負なら仕方がない。球を置きに行った消極さが後ろめたかっただけだ。アタルは守備位置に戻る時、少し駆けてから振り向いた。
「裕紀、ゴメン。僕、コントロールって言い過ぎたよね」
「んなことねえよ。ただの力負けってやつ」苦笑いで返した。
幾分気持ちに落ち着きを取り戻し、そのあとは三者連続でアウトに取ってみせた。
六回表も二本のシングルヒットを浴びたがショートがセカンドベース寄りに守っていたのが幸いし、いつもならセンター前に抜けていた打球がゲッツーになって切り抜けた。
しかし、この回は最初から握力が落ちてきているのが自身ではハッキリ感じ取れていた。今日の西徳守備陣は神がかっている。中盤までノーエラーなんて練習試合も含めて記憶に無い。
七回表、奇跡の守備陣にもほころびが起きる。キャッチャーフライとセカンドゴロで簡単にツーアウトにこぎつけたのだが、ファーストゴロのトンネルと名手アタルのサードゴロ悪送球でツーアウト二塁三塁になってしまった。
そこで今日ホームランを浴びている三番バッターの登場だ。歩かせる選択技は無い。どうせ次は佐原の誇る四番バッターなのだから。マウンドに歩み寄って来た堀部に言った。
「全力ストレートで勝負する。握力抜けて荒れてるから丁度いいよ」
「わかりました。裕紀さんの思いをぶつけて下さい」
良い後輩だ。俺は本当にチームメイトに恵まれている。指先の感触だけには注意しよう。少し深めに握って球持ちを長くするんだ。
初球、アウトローへのストレートが決まった。疲労は隠せないのに今日一番の伸びがあった。二球目にスローカーブを投げたがボール気味の球をカットされた。カウントはツーナッシングだ。三球勝負だと思った。渾身の力を込めてストライクゾーンにストレートを投げた。
快音を残してライトフェンスにダイレクトに当たったライナーで二者がホームに帰るツーベースヒットになった。スコアは7対1になったが少し清々しい気持ちになれた。そのあとは気を取り直しライトフライで七回表を終えた。
西徳のクリーンアップから始まる七回裏、三番バッターは三振したが四番のアタルは140キロのストレートをキレイにセンター前に打ち返した。五番がファーストゴロでアタルは二進しツーアウトでランナーはセカンドだ。
六番バッターの俺に回って来た。右のバッターボックスで左手をグリップエンドまで目一杯下げて構える。一球目のストレート、フルスイングしたが空振りだった。
二球目のスライダーがすっぽ抜けたように頭目がけて飛んできた。反射的に後ろに飛び退いて尻もちをつく。サウスポーエースのワイルドピッチでアタルは三進した。立ち上がってユニフォームと手袋の土を払うと、佐原のキャッチャーがマスク越しに「すみません」と会釈した。
ネクストバッターの堀部が俺のバットを拾って、土を払ってから滑り止めスプレーをかけ渡してくれる。
「裕紀さん、有終の美なんてダメですよ。絶対僕に回して下さい!まだ先輩たちに恩返し出来てないんですから」
堀部の真摯な眼差しにグリップを小指一本分だけ浅くして構えた。三球目、やや遅めのストレートが来た。二球目のすっぽ抜けの影響か少し置きに来た感じだ。強振して真っ芯で捉えたが球速の遅かった分引っ張り過ぎた。
速い打球のサードゴロをツーバウンドでキャッチされたのが横目で見えた。あとは高校野球のセオリー通り、全力疾走でファーストベースに滑り込むだけだ。直後、ファーストがジャンプして後方に転がったボールを追っている。サードの悪送球だ!
打球が速かったゆえに余裕が有り過ぎたのだろう。送球がファーストミットに収まりコールドゲーム成立の光景がよぎったのかも知れない。
セカンドの素早いバックアップのためファーストベースに留まったが、アタルはホームインを果たしスコアは7対2となった。三塁側のスタンドは大歓声だ。民子と美樹の女子マネコンビは学ラン姿でジャンプして喜んでいる。点の入り方などどうでもいい。九死に一生、起死回生ってやつだ。
バッターーボックスには堀部の登場となったが、佐原のエースは二つ立て続けに牽制球を投げてきた。サウスポーのため元々リードは小さくしか取ってないが、エラー後の間の取り方はいかにも佐原のエースらしい。堀部は初球からストレートにヤマを張っているはずだ。サウスポーの縦スラは当たる気がしないだろうから。
しかし、律儀な佐原のサウスポーエースは一球目縦スラでストライクを取ったあと、渾身の力を込めたストレートを投げてくれた。堀部は食らいつくようにバットを出した。振り遅れ気味のバットに当たったがファースト正面のゴロだ。右に二・三歩動いたファーストが腰を落として捕球体制に入る。万事休すだ!
瞬間、ミットの直前でボールは右斜めに大きくイレギュラーバウンドした。俺はとっさにジャンプして打球を避けようとしたが、ボールは右足の踵に当たって転がった。一拍おいてファーストの塁審が高々と右手を上げた。守備妨害でゲームセットだ。
ファーストベースにヘッドスライディングした堀部は、整列に向かって走り出す佐原の選手を見てキツネにつままれたような顔をしていた。
試合後の礼を終えベンチ前で一列に並び、球場に佐原高の校歌が流れる。終わると同時に三塁側のスタンド前に整列して応援団に一礼した。ベンチへ戻り荷物をまとめていると堀部が近寄って来て号泣した。
「裕紀さん、すみません。僕が内野を抜いていれば……」四角い顔を崩して泣きじゃくる。
「堀部は良くやってくれたよ。ありがとう」と言ってやった。
後ろからアタルが堀部の肩を抱きかかえた。
「一年間僕と裕紀の我がままに付き合ってくれてありがとう。来年は僕たちの分まで頑張ってくれよ」
「はい。はい……」
アタルの言葉がちょっと面白くなかったが、涙声でひたすらうなずく堀部を前にしては何も言えなかった。
荷物を持ってベンチ裏の通路に出ると、民子と美樹が泣きながら迎えてくれた。応援団を前にしてアタルは開口一番に言った。
「勝てなくてすみません。全力での応援、本当にありがとうございました」涙を頬に伝わせて一礼する。
直ぐに「よくやったぞ!」「ご苦労さん」と声が湧いた。「すみません」は違うだろうと思った。
アタルの挨拶を考えていたら民子からもらい泣きするタイミングを失ってしまった。悔しいとか残念な気持ちは有るのに、何故だか涙は出て来なかった。
学校に戻ると、選手と父母会を前にして校長とコブリンが挨拶をした。そのあとアタルがキャプテンとしてお礼を述べた。
女子マネ二人はまた泣き始めたが、アタルの静かな言葉と穏やかな表情が自身の心に安堵と達成感を生み出した。
一通り儀式が終わったあとコブリンが寄って来て俺の肩を叩いた。
「今日の山下は本当にエースだったぞ。最後の夏に背中の1番が輝いて見えた」
その言葉であんなに大好きだった野球生活の終わりを実感し、遅ればせながら泣き崩れてしまった。
「何で今頃泣き始めるのよ!この周回遅れが!」
憎たらしいセリフを吐きながら民子が号泣に同調してくれた……。
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