弱小野球部(裕紀)
よろしくお願いします。
アタルは高二の春に父親を亡くした。元々病気がちだったそうだが心不全での急死には違いなかった。俺や民子も他の部員たちと共に通夜の席を訪れたが、アタルは取り乱した様子も見せず視線を据えたまま弔問客との挨拶をこなしていた。丸刈り頭で喪服を着たアタルがやけに大人びて見えた。
アタルが部活に復帰してから直接聞いたことだが、実母はアタルの出産時に亡くなり、それからはずっと父子二人暮らしで、アタルが中一の時、父親が勤務先の事務員だった人と再婚された。当時町工場勤務の父親は三十八才、後妻が二十八才、アタルが十三才の時のことで、その二年後妹が生まれ十五も年の離れた異母兄妹になったそうだ。
古びた借家暮らしの決して裕福ではない矢吹家で後妻は毎朝妹を託児所に預けスーパーのレジ打ちパートに出掛けていて、土日も早朝より車を飛ばし隣の市内にある実家に預けて働いているらしい。練習が無い月曜日のみ、夕刻アタルが託児所に迎えに行っていると話した。
淡々と語るアタルの話を聞いて、精々専業主婦の母親が口うるさいくらいの自分の高校生活は至って能天気なもので、それに比べて何とも制約の多い日常を過ごしているんだと感心させられた。
「俺よくわかんないけど、普通に考えればアタルって健気って言うか立派なんだろうな。グレるわけでもないしさ」
「別に立派じゃないよ。今更ヤンキー出来ないし」少し苦い表情を見せて続けた。
「まあ、裕紀がどう思うかはわからないけど、同情するほどのことでもないんじゃない?僕は環境を全面的に受け入れて、枠の中でやりたいことをやればいいんだと思ってる」
「アタル、野球は続けるんだろ?」
「うん、野球だけは続けたい。親父の初七日の法要後、洋子さん、あ、僕は今の母親のことずっと洋子さんって呼んでるんだ。どうしてもお母さんと呼べなかったし、親父たちもそれでいいって言ってたからね。その洋子さんに正座して頼んだよ。三年の夏まで野球を続けさせてくれって。
もちろん、今後の我が家の経済状況とか考えてみると、お金が掛かる硬式野球を続けてもいいのか?って葛藤したよ。それでも、やっぱり今の仲間とチームが解体されるまでは一緒にいたいんだ」
少し切なくなった。自分なら野球を続けられるかなんて大きな怪我でもしなけりゃ考えもしないだろう。家計の都合などという要素に左右されるなんて大抵の球児には無縁の話だ。でも、そんな現実も存在する。自身の環境が恵まれていることを実感させられた。
「そうさ。一緒に最後まで続けようぜ。俺、このチームにアタルがいないなんて考えられないよ」
「ありがとう。裕紀にそう言ってもらえて素直にうれしいよ。コブリンも結構心配してくれたしね」
「コブリンが心配だあ?あのアザラシオヤジ、チームの将来を考えた打算だろう。お前は二年生ながらサードのレギュラーでクリーンアップだし、来年はキャプテン指名確実だからな」
「そんなんじゃないと思うよ。進路も含めて純粋に僕の状況を心配してくれてた。出来る限りのサポートは約束するけど、決して無理強いしてるわけじゃないって言ってくれたから。僕はいい先生だしいい監督だと思ってる」
「ふーん。コブリンも一応まともな教師ってわけだ。野球はド素人だけどな」
西徳高校野球部監督のコブリンは軟式も含めて野球経験が無い。高校、大学と硬式テニスをやっていたそうだ。それも同好会レベルで。インターハイとか大学選手権とは全く無縁のお遊びテニスだ。
そもそも、なぜコブリンと呼ばれているのか?クラス担任でもあるこの酒井という社会科教論は、生まれつき色黒なのと相まって球技経験者だと着任早々持ち上げられ、前監督が転勤し空席になっていた野球部監督の座に訳もわからぬままセットアップされてしまっただけだ。
そして、この四十そこそこの腹の突き出たオッサンの変わっているところは、愛飲するのが梅昆布茶だということだ。職員室のコブリンの机上にはいつも不二の梅昆布茶の入った円筒缶が置いてあり、野球部の報告などで赴くと直ぐに椅子と梅昆布茶を勧めてくる。俺はキャプテンがイヤがって報告を副キャプテンに押し付けていたことを知っている。
もう監督に就任して四年になるが、当初コブリンは努力したらしい。全国に名を馳せた私立強豪校の有名監督の著書をむさぼり読み、練習後バッティングセンターに通い詰め、当初はOBに頼み込んでいた外野へのノックも一年後には見るに耐えるレベルになったみたいだ。
ただ、有名監督の著書をそのまま受け売りするため、奇をてらった戦術を好んで使いたがる。いわゆる奇襲好きってやつだ。奇襲は基本が出来ているからこその戦術であり、素材も技術も伴わないチームで実践してもただの自爆だ。
一割にも満たない確率に賭けるなんてバカげてる。チャンスは十回も訪れないのだから。ノビノビやるのとメチャクチャやるのは違う。オーソドックスな戦術は長丁場の球技に於いて王道なのだ。
おまけに部長も数学の教諭で、野球は大好きだが町内会でリクレーションチームに参加するレベルでしかない。
チームのレベルは指導者を見ればわかるというのは的を得た表現だと思う。どんなスーパー高校生が現われても強烈なチームレベルに埋没してしまうからだ。
自身の指導力不足を環境とか選手の能力に言い訳を求める監督の何と多いことか。だからスタープレイヤーを夢見る「野球バカ」の球児たちは、金さえ間に合えば有名指導者のいる弱小県の強豪私立を目指すのだ。日の目を見るには、野球バカ親子にとって最も合理的な選択になるのだから。
ただ、アタルの言葉を借りれば、高校のクラブ活動の本質である人間形成に於いて、案外コブリンは有能なのかも知れない。
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