大会前の日々(裕紀)
よろしくお願いします。
大会二週間前の部室でのやり取りを思い出した。抽選会で我が校の相手はAブロック第一シードの佐原高校に決まった。秋季、春季の県大会連続優勝校で県内私立の雄である。要はこの世代で県内最強ってことだ。
おまけに日程は開会式直後の開幕試合になった。抽選会から戻ったアタルを部室でなじりまくってやった。
「お前さあ、悪運の集大成を寄りによって最後の大会で発揮しやがって。俺たちが県内最速で夏を終えるのか?」
アタルは全部員を前に全く悪気を見せなかった。
「裕紀、勝つ気無いの?甲子園への一歩目に過ぎないんじゃないの?」
あまりの淡々とした口調に誰も言葉が出て来ない。誰だって佐原高相手に夏の初戦を迎えたくない。敗戦と同時にこのチームは解体される。そして、翌日から二年生主体の新チームへ移行するのが高校野球の掟だ。
俺たち三年生にしてみれば、後輩たちとの引退試合で白球を追った日々をモノトーンのスクリーンに押し込める作業が残るのみだ。そんな切なく避けられない時は少しでも先の方がいいと思うのが人情だ。
「裕紀さん、最後の夏ですから思い通りに投げて下さい。来た球は全部キャッチしてみせますから」
「堀部、俺は今までも思い通りにしか投げて来なかったぞ。最後の夏だからっていつもと違うことなんて出来ないね。いつも通りやって佐原をブッ倒す!どの道どこかで倒さなくちゃいけないんだから、さっさと一回戦でケリを着けてやるさ」
三年生女子マネの民子が拳を握りしめて言った。
「そうよ。裏方は私たちに任せて!悔いなく全力でぶつかって必ず佐原を倒してやりましょうよ!」
一年生女子マネの森田美樹が続く。
「タミン先輩の言う通り!私たち女子マネが選手を全力でフォローしますから!」
思わずプッと笑ってしまった。
「タミン先輩?民子、いつから「あみん」の片割れになったんだよ?」
部内に爆笑が巻き起こり、民子は頬を引きつらせ返してくる。
「裕紀君もタミンって呼んでよ。私、民子って呼ばれるの嫌いなんだ。すごくローカルな響きで呼ばれる度に頭がガンガンしてくるの」
「イヤだね。民子って呼びやすいし、真面目に俺は好きだな」
計っていたかのようにアタルが口を挟んで来た。
「女の子同士ならタミンでいいかもね。確かに可愛らしい響きがするし。でも、僕は民ちゃんがいいな」
「うん。アタル君は民ちゃんでいいよ。その呼ばれ方は嫌いじゃないからね。裕紀君の「民子!」は勘弁して欲しいけど」
「俺は呼び方変えてやらない。指図されて変化させるのも好きじゃない」
「ッたく!捻くれちゃってさ。この単細胞ストレートバカが。勝手にすればいいわ!絶対返事してあげないからね!」
突如勃発した上級生の言い争いに巻き込まれる恐怖で堀部はオロオロしている。その様子を見て取ったアタルは場違いなほど明るいトーンで収めようとする。
「まあいいじゃない。他人をどうこうするなんて誰にも出来ないことだからね」
提示された落としどころにあえて噛みつきたくなった。俺はいつだって捻くれてるから。
「アタル!悟ったようなこと言うんじゃねえ!ガキならガキらしく振る舞えよ!キャプテンだからって全てを背負ったりまとめたりする必要ないんだぜ」
アタルは俺の挑発に、いつものように柔らかい微笑みで応じた。また魅せられる。吸い込まれるように惹きつけられてしまう。この笑みが話を終着させるサインだということも、この頃には理解出来るようになっていた。
矢吹中との出会いは1―Cのクラスメイトとしてだった。出席番号が一番違いだったので直ぐに俺は意識した。自己紹介での野球部志望も二人だけだった。少ないのは当たり前だ。この学校の野球部は公立の弱小だからだ。
それでも初練習から一か月は道具運びと球拾いしかさせてもらえなかった。ただ、体育会系特有の先輩風が吹き荒れる雰囲気は皆無で、むしろ高校生活の一端に過ぎないクラブ活動で封建的態度はダサイという進学校特有のリベラルな風潮が伝統になっていた。
新入部員は例年より少なめの八名だった。一学年十クラスなので一クラス一名にも満たない。二年生次の秋季大会後に進学に備えて必ず退部者が出るらしく、三学年でわずか二十二名の小所帯である。
初めて許されたキャッチボールの相手がアタルだった。最初ボールをグラブに収めたままアタルは周囲を伺っていた。観察していたと言った方が適切かも知れない。自分から声を掛けてみた。
「おい、やろうぜ」
軽いトーンで笑みを見せながら、眼差しだけは挑戦的に言った。こうすることは自身の中では決定していた事項だ。出会ってから一か月で俺は確実にアタルに惹かれていたからだ。
その時期に白石民子が女子マネージャーとして入部してきた。二年生の先輩女子マネは二名。一年生の女子マネ志望者は民子一人だった。
1―Bクラスの民子はアタルと出身中学が一緒だそうだが、話している姿など見掛けたことが無かった。
開幕試合の一週間前、ピッチング練習に付き合う二年生キャッチャーの堀部を前後左右に振り回した。
普段にも増してミットの届かない球が多い。
「裕紀、魔球でも習得してるの?」
マスク越しに疲れの見える堀部を見ながらアタルが声を掛けてきた。
「魔球じゃねえよ!スーパーストレートだよ!ただ、ちょっとフォームを改造してるんでイマイチしっくり来てないんだ。これで球威が増すはずなんだけどなあ?」
「フォームの改造?どこが違うの?」
「振りかぶる時に軸足の踵を上げてるんだよ。江川卓のヒールアップ投法!これでコントロールが身に付けば、佐原にだって臆することなし!」
アタルはさすがに苦い顔を見せた。
「裕紀……、大会まであと一週間だよ。それより江川のヒールアップっていつ気付いたの?」
「三日前だよ。テレビの特番に当時の映像が流れてさ。俺、録画してたからあとで江川のシーンだけ何度も見直したんだ。長身でヒールアップしたらバッターに威圧感も出るだろ?」
「江川は威圧感が凄いわけじゃないよ。天才の模倣もいいけど、ピッチャーの生命線はコントロールだからね」
「じゃあ俺なんて最初から死んでるじゃん」
口を尖らす俺の肩にすかさずアタルは手を掛けた。
「まあ、そう尖がらないでよ。裕紀が投げなきゃうちは始まらないんだからさ。最近毎朝走って通学してるんだし」
「みんなには絶対言うなよ!努力は陰でするってのが美学なんだ。自慢とかアピールって嫌いなんだよな」
「そんなのみんな知ってるよ。毎朝ジャージで登校して目立ってるんだし。でも、裕紀のそういうとこに僕は憧れてるけどね」
またアタルが柔らかい笑みを見せた。話がここまでだというのはわかった。でも意外だった。憧れる存在か……。アタルには憧れなど必要無きものと思ってた。協調性も説得力もあってキャプテンシーは申し分ないのに、根底の部分ではマイペースを崩さない。
いつからなのだろう?出会った時からそうだったろうか?もしかして、あの時が転機だったかも知れない。
読んで下さりありがとうございます。